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第六章 辺境伯夫人は兼業です

38.なにが不適切だったのでしょう

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 マクレーン式電話のサービス開始から、二カ月。
 利用者からの反応は上々だった。
 
「念話の使えない平民でも、リアルタイムに情報伝達ができる」
「領内限定ではあるが、待たされることなくすぐに相手につながる」
「実際に使ってみると、予想以上に快適で便利なものだった」

 と利用者アンケートには、嬉しい反応が続々だ。
 もっと具体的な事例も、商工ギルドに寄せられた声としてあがっている。
 例えば王都から商品の問い合わせが入った時、自分の商会に在庫がなかったケースだ。
 
「あいにく今在庫を切らしています。入荷には七日ほどお時間をいただければ」

 これまでならそう答えていたところ、今は違う。
 近隣の商会、特に王都で名の知られていない小さな商会に在庫があるかもしれない。

「少しお時間をいただけますか? 一時間以内にこちらから折り返し連絡させていただきます」

 いったん電話を切ってから、マクレーン領内の小さな商会に在庫の照会ができる。
 現地に向かうことなく、電話一本で。
 小さな商会はそれで商いの高が増えるし、問い合わせを受けた商会は大口の顧客に良い顔ができる。
 今や電話は、ウィンウィンを運んで来る便利ツールだ。

 この評判が王都や他国の商会に伝わらないわけがない。
 そんな便利なものなら、ぜひうちでも使いたいと問い合わせが入るようになっていた。
 その問い合わせが入る先は、マクレーン領の商工ギルドだ。

「う~ん。困りましたね。うちは領内限定の問い合わせ窓口でして……。他領の方からの問い合わせにはお答えできないんです。申し訳ございませんが」

 受付窓口では、こんな風な回答が毎日だ。
 他領から入る問い合わせで、本来ケアすべきマクレーン領内のものが受けられない。
 商工ギルドの会員からは、「いつかけても窓口につながらない」ときついクレームが入っている。
 商工ギルド長からの電話で実情を聞いたクラーク局長は、「少し時間をくれ」といったん保留にした。

「まあ予想どおりですね。おそらく王都の通信省も困っているでしょう。あちらに問い合わせが入っていないとは思えませんからね。きっとあちらで手をやいて、マクレーンへ振ってきているんでしょう。いかにもその場しのぎのやり方ですがね」

 デスク上の小型電話機を元に戻したクラーク局長は、やれやれと呆れたように首を振る。

「上と話してこなければなりませんね。今から王都に行ってきます」

 ちょっとそこらに買い物へ行くみたいな気軽さだ。
 王都までまる一日かかるというのに。

「局長、今から出てもすぐに陽が落ちます。明日になさってはいかがですか?」

 時計をちらりと見たアンバーが止めると、クラーク局長は肩をすくめて笑う。

「おやおや、マクレーン夫人には私が貴婦人のように見えるようですね。夜通し馬で駆けるくらいの体力はありますよ?」

 不本意だと少しむくれているような表情に、アンバーはぐぅと妙な声を上げそうになる。

(危ない。噴き出すところだったわ)

 男性は……と、ひとくくりにするのは良くない。
 けどあえて言わせてもらうとアンバーの知る男たちは、どうも体力がないとか能力がないとかいう言葉に過敏に反応する。
 沽券にかかわるとでも思っているようだ。
 クラーク局長も同じらしい。

「失礼いたしました。もちろん局長は十分お強いと存じております。私が申し上げたかったのは、幹線道路とは言え夜道は危険だということです。明日の朝お発ちになれば、要らない危険は避けられます」

 騎士を護衛につけたとしても、危ないには違いない。
 当然だが夜は暗い。視界が悪ければ、馬も躓くし事故だって起こりやすい。
 獣も出るし、夜盗だって出るかもしれない。
 誰かの生き死にがかかっている場合を除いて、夜間に強行するのは良い考えではない。

「替えのきかない大事なお身体です。お考え直しください」
「君がそうまで言ってくれるのなら……」

 ぽっと顔を赤らめて、局長はごにょごにょと口ごもりながらも頷いてくれた。

「ご夫君はご苦労なさるでしょうね」

 独り言のようにぼそりと加えられた一言と、困ったものを見るような目。
 
(え? 何か不適切な発言があった?)

 思い返しても、さっぱりわからない。
 けど不適切だったかと聞いても答えてもらえないだろうとは、なんとなく感じられる。
 クラーク局長なら、もし業務上の不適切さならはっきり口にされるだろう。口にしないということは、業務に関係のないことだ。

(それならまあ良いか)

 あまり深く考えないことにした。
 深追いすると、面倒なことになりそうだから。
 電話交換手を長くやった者特有の嗅覚だ。
 はずれたことは、これまで記憶にない。

「では明日発つとして。おそらく私が帰って来るのと入れ替わりに、君には王都へ行ってもらうことになるでしょう。その時は辺境伯閣下もご一緒にと、王都は言ってきますよ。そのつもりでいつでも発てるように、準備しておいてください」
「承知しました。局長にはどうぞお気をつけて」

 局長と、秘書兼副局長の通常のやりとりに戻る。
 深く考えないでやはり正解だったと、アンバーはほっと息をついた。


 その夜ユーインと夕食を共にしたアンバーは、局長とのやりとりをかいつまんで話した。

「王都へいつでも発てるように、準備を進めておきますね」

 そう締めくくったアンバーに、ユーインは「ああ、わかった」と頷いた。

「王都での交渉は、主にユーインがなさるでしょう? お金のことが主になるでしょうし。それでもしあなたが許してくれるなら、その間に行ってきたい所があるのですけど」
「君ひとりで?」

 ワイングラスを口元に運んだ後、ユーインは軽く首を振った。

「行くのなら俺もつきあおう。どこだ?」
「王立家事使用人養成学校です」

 ユーインは即座に頷いてくれた。

「なるほどな。だが見る目はひとつじゃない方が良い。やはり俺も同行する」

 アンバーの意図を即座に理解してくれたらしい。
 辺境伯夫人の家政は、まる一日をつぶすほどの業務量ではない。けれど細々と多岐にわたって、かなり面倒だ。
 今は執事と家政婦長に助けられて、週末にまとめて目を通すだけにしてもらっているけど、他人任せにして良いはずがない。
 彼らだって本業があって、今は前辺境伯夫人が突然引退した混乱中だからと、仕方なく助けてくれているに過ぎない。
 これを普通と思ってはいけない。
 本当なら辺境伯夫人の仕事なのにと、いつか必ず不満が噴出してくる。
 その前に、家政を助けてくれる専門の補佐をつけなければ。
 その補佐を、アンバーは自分で探してこようと思っていた。

「信頼できる人柄を一番の条件として、探すつもりです」
「ああ、そうすると良い。だがその信頼できるという点が、案外難しいぞ?」
「はい。ですから正直に言うと、ほっとしました。ユーイン、あなたが一緒に行こうと言ってくださったから」

 ボっと瞬時にユーインの顔が赤くなる。

「き……みは、まったく。よそでこんなこと、言ってないだろうな?」

 あれ、この反応?
 昼間のクラーク局長と似ている。
 どきりとしたアンバーの表情かおを、ユーインが見逃してくれるはずもない。

「ふ……ん。どうやら心当たりがあるみたいだな?」

 席を立ったユーインが、ゆっくりと近づいてくる。
 唇の端だけを上げて微笑んではいるけど、薄い青の瞳はまるで笑っていない。

「今夜、詳しく聴かせてもらおう」

 明日の朝は早いからとか、王都行きの仕度があるからとか、言い訳を考える。
 たぶん無駄だ。
 明日の寝不足を、アンバーは覚悟した。
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