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第五章 領主の妻のお仕事です

30.いまさら言われても困ります

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 交換手要らずの交換機、その試作機ができたのは一月後のことだった。
 三カ月とフリードは言っていたけれど、アンバーの予想どおり早めに出来上がった。
 アンバーは研究室に招かれて、ドヤ顔のフリードに試作機を見せられている。

「明日からでも使ってもらえるよ?」

 フリードの褒めて褒めてオーラがすごい。

「見ててね」

 試験用の電話機には番号の振られた円盤がついている。それをフリードが何回か回すと、別の試験用の電話機が鳴った。

「それ、受話器上げて」
「うん」
「どう? 僕の声、聞こえる?」
「聞こえる!」

 すごい!
 やはりフリードは天才だ。前世風の電話をひと月で作ってしまった。

「実回線、本物の活きた回線で試してみたいわね」
「交渉してくれるんでしょう? アンバー」

 うーんとアンバーは頭を抱えた。
 試作機が使っているのは、この試験環境でのみ使える仮の回線だ。だから何か事故があっても、利用者には何も影響はない。
 けれど本物の活きた回線を使うとなれば、話が違う。試用回線として使うのは、さすがに難しい。
 
(それなら複数の回線をあらたに契約すればいい。お金はかかるけど、それなら本物の回線だわ)

「新たに番号を振った契約を十くらいかな。新規で契約するの。それをつなぐ交換機を、これにすればいいんじゃない?」
「できるの?」
「するのよ」

 これでうまくいけば、実用に耐えるという結論が出る。
 マクレーン領だけこの交換機に替えることを、クラーク局長も納得するだろう。

「明日できる?」
「それは無理よ。契約を起こしてから回線を引いて宅内に工事を済ませるまで、そうね。最短で三営業日くらいかしら」
「え~。そんなにかかるの? なんとかしてよ」
「面倒なクレーマーみたいなこと言わないで。通信省から技術省の工事部隊に調整をかけて、やっと日程がきまるんだから」

 ぶーと頬を膨らませたフリードは、そこらにいる悪ガキと大して変わらない。
 
「試験環境はここでいいのよね? ここに十回線引くのなら電話機もいるけど、それは今試験用に使っているのでいいのよね?」

 言いながらアンバーは、既に頭の中で必要になる費用をざっと見積り始めている。

(この程度なら私の手持ちでなんとかなるかしら)

「だめだよ、アンバー。今、急ぐなら自分でお金を出そうって思ったでしょ?」

 はっと気づくと、目の前にフリードの綺麗な青い瞳があった。
 
「大丈夫だよ。ノルディン家から、僕の自由裁量で動かせるお金をけっこうな額、持たされてる。こういう時にこそ使わなきゃ」
「そうなの?」
「うん。姉上からも自由に使いなさいって、こっそりかなりの額をね」
「ふぅ……ん」

 そんなこと一言も言わなかったくせに。
 どうしてフリードは黙っていたんだろう。

「アンバーがあの男に頭を下げるの、僕見たくないんだ」

 頭を下げるもなにも。
 これはマクレーン領経済の活性化につながることだ。それも天才フリード・ノルディンが開発担当者となれば、こんな僥倖願ってもない。
 これでお金を出さない領主がいたら、そいつはバカだ。
 だからユーインがお金を出すのは当然なんだけど。

「とにかく試験環境は急いで整えたいんだ。だから要らない手間は省きたいんだよ。明日にでも僕の名前で新規の契約、作ってくれる?」

 これはよほど急いでいるのだ。
 なんでもそうだけど、ノってる時に続けたいものだ。
 今がきっと、フリードにとっての旬なんだろう。

「わかった。明日新規契約のオーダー、契約担当に流しておくね」
「うん。できるだけ早く開通させてって。アンバー、よろしくね」

 よろしくって、それは圧をかけろってことか。
 フリードだって技術省の職員なんだから、それはダメだとわかってるでしょうに。
 でもものすごく綺麗な良い笑顔を向けられると、これは後には退いてくれないなとも理解した。こういう顔をした時のフリードは、タチが悪い。言い分が通るまで、こちらが音をあげるまで退いてくれない。

「できるだけ……できるだけ努力します」

 あきらめてそう言うと、フリードの表情から微笑が消えた。

「これができたらさ……」
「これ?」
「うん。この交換機」

 そこで少し間があった。
 そのすぐ後、フリードはアンバーの右手をとった。

「マクレーン領には僕の開発に関する権利、その一切を譲ってあげる。僕は何も要らない。契約書にそう書くよ」
「え? そんなの無茶でしょう。フリーは開発者よ? その権利を放棄するってそんなのダメよ」

 前世の電話を知っているアンバーには、この交換機がこれから先どれほど便利に使われるか、簡単に予想できる。そしてそこから生み出される発明者の権利、つまり金銭もだ。

「いいんだ。技術省に入る前から今まで、僕の名前で登録している物はけっこうあるんだよ。だからもし今技術省を辞めても、十分暮らせるよ。僕と家族が不自由ないくらいにはさ」

 ぐいっと真面目な表情で距離を縮めるフリードに、アンバーは思わず後ずさる。

「そ……そう。フリーもそろそろ結婚を考えてるってこと?」
「そろそろじゃない! 十四の頃から考えてたよ。僕は次男だからね、継ぐ家もないし。だから別に家を興せるくらいの男になるまではって、我慢して。ほんっとにじっと我慢してたんだからね」

 フリードが十四歳といえば、アンバーは十六歳だ。
 とびきり頭が良くて綺麗な少年だと思っていたけど、恋の道まで早熟だったらしい。
 
「その頃から好きな人がいたのね? 全然気づかなかったわ」
「あーっ! もう失敗したよ。 僕がちょっと目を離したすきに、他の男にもってかれるなんてさ」
「その人、もう嫁いだってこと?」
「アンバーってさ……」

 盛大なため息をついたフリードは、アンバーの右手を引き寄せてさらに距離を詰めてくる。

「気づかないんだよね? 昔っからそうだ。本当にカンが悪いったらない。僕がアンバーを好きだってこと、どうして気づかないかな? 昔っからだよ。姉上がうちにアンバーを招いた時さ、僕いつもいっしょにいたよね? あれ偶然だと思うの?」

 早口でまくしたてられる言葉に、アンバーの脳内処理速度が追いつかない。
 え?
 フリードが好きなのはアンバーで?
 それも今に始まったことじゃなく、五年も前からで?
 それからずっと一途に、結婚するために男を磨いていたってこと?

(困ったわ……)

 結婚前ならまだ検討の余地があったと思う。
 そして結婚した後でも、つい先日までなら検討したかもしれない。
 けれどユーインと想いを通わせた今、曖昧な返事はできない。
 してはいけない。
 もしそれで、フリードとの関係が壊れたとしてもだ。

「結婚前なら嬉しかったと思うわ。でもフリー、ごめんなさい。今は嬉しくない」

 ところがフリードは薄く微笑した。

「僕はね、アンバー。本当に欲しいと思ったものって、そんなにないんだ。小さな頃父上に強請った大きな犬、それから貴族学院のスキップ、嫌な婚約をしなくていい自由。このくらいかな」

 アンバーの右手はいまだフリードが握っている。
 その手の甲に、彼は唇を落とした。
 視線はアンバーに向けたまま。

「今日はね、僕の気持ちを伝えるだけでいい。僕はあきらめないからね」

 フリードはわかっているのだろうか。
 アンバーはマクレーン辺境伯夫人だ。
 簡単にはあきらめてくれなさそうだけど、これは早急になんとしてでも説得しなければ。
 アンバーは久しぶりに冷や汗をかいていた。
 
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