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第二章 戸惑いの新婚生活

12.趣味が悪いです。

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 初夜の後は疲れるもので、コトが済んだら気を失うように眠ってしまう。
 閨房の授業で、そんな風にアンバーは教わった。
 でも実際には違った。他の人のことは知らないけど、アンバーに睡魔は訪れてくれなかったのだ。
 昨夜初めて開かれた箇所はヒリヒリズキズキ痛くて熱いし、ユーインの筋肉質の腕にすっぽり抱え込まれて身動きもできないし。
 こんな状態で、本当にみんな眠れるのだろうか。むしろそちらの方が信じられない。
 まんじりともせず、ただじっと夜の明けるのを待った。
 夜が明けたら、とりあえずお風呂に入りたい。
 扉の側に置かれた時計の針は、午前六時少し前だ。

(そろそろ起きてもいいのじゃない?)

 脱出するために、ユーインの腕にそっと手をかけた。

 
「眠れなかったようだな」

 アンバーの首筋に、ユーインの唇が降る。からかうような声と一緒に、アンバーの背中から。
 びくりとアンバーの身体が跳ねる。首だけを振り向けると、「おはよう」と薄い青の瞳が微笑んでいた。

「今日一日は、誰もここへは近寄らないように言ってある。だから安心してゆっくりしていればいい」

 誰にもこの様子を見られない心遣いはありがたいけれど、とりあえずお風呂には入りたい。それにその……寝乱れたというか、いろいろと汚れたシーツも気持ち悪いし。
 おなかは空いていなかったけど、喉は乾いていた。昨日の白ワインは残っている。けど朝からワインでもない。

「お風呂に入りたいので、イェーガー夫人を呼んでいただけますか?」

 アンバーが口にしたとほぼ同時に、寝室の扉が無遠慮にノックされる。

(え……? 誰も近寄らないのではなかったの?)

 どういうことですかと夫ユーインの顔を見ると、ユーインもわからないと首を振った。

「そろそろ起きてらっしゃるかと。お世話にきました」

 入室の許可も得ず寝室へ入って来た女に、アンバーは目を疑った。
 エイミーだ。
 赤いひらひらしたドレスは、とても「お世話にきた」使用人の着るものではない。袖口と襟元にも、赤の大きなフリルがついている。
 これから何処へ出かけるおつもりですかと、聞きたくなるような格好だった。
 あっけにとられて黙ったままでいるアンバーにかまわず、エイミーは無礼にも寝台の側にまで近づいてくる。

「ユーイン様のお世話は、わたしの仕事ですよね?」

 エイミーには、まったく悪びれた様子がない。まるでアンバーなど存在しないかのように、ユーインのみに話しかけ笑顔を向ける。
 
(なに、この人。気持ち悪い)

 アンバーはぞっとする。
 初夜の翌朝だ。その寝室にずかずか許可もなく入ってくるなど、とてもマトモな神経をしているとは思えない。
 なによりこの無防備な状態を見られたのが、アンバーには屈辱だった。
 エイミーが愛人であるのなら、それなりの慎みをもってもらいたい。

「旦那様がお呼びになったのでしょうか?」

 自分でも驚くほどの冷たい声だった。意識して旦那様と呼んで、愛人の教育不足はおまえのせいだと示してやる。
 呼んでいないのなら追い返せ。ついでに夫婦の寝室に、二度と近づくなとも釘をさしておいてほしいところ。

「誰も近づくなと言ってあるはずだが?」

 ユーインの声はあきらかに不機嫌だった。冷たく、地を這うように低い声だ。
 自分のガウンをアンバーに着せかけて、エイミーの視界から隠すようにしっかり妻を抱き寄せている。

「え? だってユーイン様のお世話は、いままでずっとわたしがしていたから」

 心外だと言わんばかりに、エイミーは大きな黒い瞳を潤ませている。

「それに特別な朝だから、こういう時のお世話は他人より身内の方がいいって……」

 
(身内って……)

 自分で言うのかと、アンバーはさらに呆れてしまう。
 ユーインがエイミーを身内と呼ぶのはかまわないけれど、平民のエイミーがおそれおおくもユーインを身内呼びするのはダメだ。少なくともこのプレイリー王国では、不敬にあたる。
 ユーインも本気でこの女を側におくつもりなら、もう少し厳しく教育すべきだ。
 さて、どうしてやろうかとアンバーは考える。
 この先のことを思えば、ここで一度ぴしりとエイミーを凹ませておいた方が良いんだろう。
 もともとアンバーは、よその女と競ってまでどこかの男を得たいとか、そういう色めかしい争いには興味がなかった。けれど社交界の意地悪合戦や母の面倒くささの中で鍛えられてはいるので、ここで舐められてはいけないという局面はわかる。
 やはり一言、ぴしりと言うべきか。

「妻が誤解するような発言だな。エイミー、俺がいつおまえを世話係にした?」

 アンバーが口を開くより先に、ユーインの声がさらに低くなる。
 かなり怒っているのだと、アンバーにも伝わった。

「だって……ほんとのことじゃないですか。わたしがずっとユーイン様のお身の周りのお世話をしてきたのって」

 「どうして急に冷たくするのか」と、エイミーは震えている。

 はあ……と大きなため息をついたユーインに、ほんの少しだけアンバーは同情した。
 言葉が通じない。
 とても同じ言語を使っているとは思えない、意思疎通の難しい女なのだ。
 
「出て行きなさい。今すぐ!」

 だから間違えようのない短い言葉で、アンバーは命じた。
 愛人だか妹だか、そんなことは今どうでもいい。
 ユーインの腕をおしやって、エイミーの黒い瞳を正面から見据えてやる。
 ここは譲ってはいけない局面だ。意思疎通ができないのなら、わからせてやる必要はない。従わせればいいだけだ。

「そんな……。出て行けなんてひどい……」

 ぐすぐすと鼻を鳴らして泣き始めたけど、あいにくアンバーは女なので可憐だとか儚げだとか、そんな風には感じない。

「ユーイン様、アンバー様がひどいです」

 名前を呼ばれてイラっとしたけど、突っ込みどころが多すぎていちいち注意していたらキリがない。
 とにかく今はこの女を寝室から追い出すことが、最優先だ。
 サイドテーブルの上の呼び鈴を、アンバーは派手に鳴らした。
 駆けつけたメイドに、言いつける。

を連れて行って。それからイェーガー夫人に来てもらって。急いで」

 じたばた暴れるエイミーを引きずりだすメイドの後ろ姿を見送って、アンバーは盛大にため息をついた。
 あれがユーインの愛人なのか。
 だとしたら、なんと趣味の悪い。
 あれとこの先同居するのだけは、ごめんこうむりたいと思う。

「ユーイン様、念のために伺いますが。彼女はこれからも同じ館で暮らすのでしょうか?」

 もしそうだと言ったら、今からでも官舎の申請をしよう。マクレーン辺境伯領への赴任はもう決まっているし、契約が果たされるまで離婚はできない。それなら別居するしかない。
 もう少しもののわかった女であれば、不本意ながら妻妾同居にも耐えてやらないことはない。契約の果たされるまでという期間限定付きだけど、まあギリ我慢してやった。
 けれどあれでは無理だ。
 せっかく実母のストレスから解放されたというのに、新しいストレス源にさらされるなどまっぴらごめんだ。
 
「彼女は別棟に住まわせる。すまない、アンバー。君に迷惑をかけないように、よく言い聞かせておくから」

 しゅんと萎れた耳が見えるようだ。
 大きな犬が叱られてしょんぼりしているようで、アンバーは先ほどまでの怒りを忘れて笑ってしまう。
 女の趣味はかなり悪いけど、ユーインはそれほど悪い男ではない。
 仕方ない。
 かなり甘い判断だとは思いながら、アンバーはもう少し様子を見てやることにした。
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