上 下
10 / 45
第二章 戸惑いの新婚生活

10.この初夜は義務なのですよね?

しおりを挟む
 「奥様、本当にそれでよろしいのでしょうか?」

 家政婦長のイエーガー夫人は、薄くなった眉を寄せて困り顔をしている。
 問題はアンバーの選んだ夜着で、初夜を迎える花嫁に相応しくないと言いたいようだ。
 白い木綿のナイトドレスは、胸の下でヨークの切替がついているゆったりとした普段使いのものだ。袖口と襟元にクリームイエローのリボンがついていて、それを絞るとギャザーができて可愛らしい。
 そう、可愛らしいのだ。
 イェーガー夫人が気遣うのはもっともなこと。悩殺、セクシーとは程遠い。だって普段使いの夜着なのだから。

「いいのよ。これが一番落ち着くわ」

 契約上の関係なのだ。互いに愛を求めないのなら、することだけすればいい。ユーインだってアンバーに悩殺されたいとは思っていないはずだ。悩殺されたい相手は別にいるのだろうし。
 それにいかにも「初夜用に用意しました」の夜着を着たとして、とてもアンバーに似合うとは思えない。ああいうのは器量の良い、かわいらしい女が着てこそ似合うのだと思う。
 
「ナイトキャップに白ワインをご用意しております」

 テーブルの上に銀のワインクーラーと大ぶりのワイングラスがセットされていた。見るからに上質のグラスと銀製のワインクーラーは、おそらく北のノルディン王国製のものだ。
 お義母様やイェーガー夫人の気遣いが感じられて、少しだけ気分が揚がった。
 少なくともお義母様やイェーガー夫人は、アンバーを歓迎してくれている。そんな気がしたから。

「ありがとう」

 契約結婚であったとしても、今現在、アンバーはマクレーン辺境伯夫人だ。その初夜を大事にしてくれる人には、こちらも相応の感謝をしなければ。
 いや違う。
 しなければではなくて、自然に感謝したくなるの間違いだ。こんな風に自分の行動を義務感で動機付けするあたりが、かわいげがない。その自覚はアンバーにもある。

「イェーガー夫人、よくしてもらったわ。明日からもお願いね」

 少し照れながら、素直に笑って見せた時、続きの間の扉が開いた。

「待たせたか?」

 現在アンバーの夫である男、ユーインの声だった。

 

 気づけばいつの間にか、イエーガー夫人は姿を消していた。
 気配のひとつさえしない動きの見事さは、さすがにお義母様が「この人に任せておけば大丈夫」と太鼓判を押されるだけのことはある。
 でもそうなると一応は夫のユーインと、この部屋にふたりきりだ。
 覚悟を決めたとはいえ、前世今生通して男を知らないぴっかぴか処女おとめのアンバーだ。緊張するなといっても無理というもの。ゼンマイ仕掛けの人形のように、こわばった動きになるのは仕方ない。カクカクと音が聞こえてくるような、ぎこちない動きで声のする方向へ身体を向けた。

 ユーインはてろりと光沢のある絹地のガウンを羽織っていた。ワインカラーのペイズリー柄が、鮮やかな赤毛によく映えている。
 はだけた胸元から素肌がのぞく。
 いかにも武門の名家、その当主に相応しい鍛え上げられた胸筋で、くどいようだが処女おとめのアンバーにはいささか刺激が強い。
 おまけに彼は湯上りなのか、いつもきっちりセットされている赤毛はごく自然におろされていて、目のあたりまでおおう前髪が妙に色っぽい。
 不覚にもアンバーは、ドキリとしてしまった。

(だめよ。アンバー、しっかりなさい)

 内心で自分に言い聞かせながら、「契約上の夫とはいえ、不細工よりイケメンの方がいいか」と、わざと軽薄で不埒なことを考えようとした。
 下品な考えなのは百も承知だ。けど相手には相手の思惑があってアンバーとするのだ。その相手ユーインの思惑だって、十分に不埒だし前世風に言えばかなりクソだ。
 沈んだ気分のまましなければならない初めての、その緊張をなんとかするために「不細工より良かった」と思うくらいのことは、お互い様ということにしてもらいたい。

「飲むか?」

 ユーインの差し出すグラスには、黄味がかったゴールドのワインが揺れている。
 夜仕様に落とされた薄暗い灯りの下で、グラスの周りだけ少し明るく見えた。
 
「いただきます」

 くいっと一息に飲み干して、アンバーはユーインの薄い青の瞳をまっすぐに見つめた。
 サイドテーブルの引き出しには、初夜用に用意した香油が入っている。いざとなればあれを使うつもりだ。
 初めての痛みを和らげてくれるという、潤滑油のような液体だ。
 痛い思いは覚悟している。けれどあまりにひどい傷だと、場所が場所だけに医者にかかるのも恥ずかしい。
 迷いに迷った末、アンバーはヴァスキア様に相談した。アンバーの周りで唯一の経験者だったからだ。
 結婚式の少し前のこと。
 その時のダメージをできるだけ軽くしたいと、おそれおおくも王太子妃殿下に。
 その話を聞いた途端、ヴァスキア様はため息をつきながらそれでもこの香油をくださった。

「もしアンバーにこれを使わせるような男なら、正直に言ってね? 隠してはダメよ」

 美しい濃い青のお目は細められていて、少し怖かった。
 ともあれヴァスキア様のおかげで、万全の準備はできているのだ。
 身ごもるためだけの初夜。
 さあいつでも来いと、アンバーは身構えていた。

 
 ふっ……。
 薄暗い寝室の空気を、息だけの笑いが微かに揺らす。

「まるで戦場にでも出かけるようだな」

 薄い青の瞳が思いの他間近にあった。
 薄く形の良い唇の端を綺麗に上げている。
 
「ようやく手に入れた妻に、そんな表情かおをさせるとはな。俺も甲斐性のないことだ」

 ユーインの大きな掌が、そうっとアンバーの頬に触れる。
 びくりと、アンバーの身体が震えた。

「かわいらしい反応をしてくれる……」

 どこか嬉しそうに、薄い青の瞳が甘く揺れる。
 身ごもらせるだけの妻に向けるには、あまりにも優しくて熱っぽい。

(どういうつもりなの?)

 ただでさえ張りつめているアンバーは、ユーインの甘さの理由がわからない。
 
 ふわりと身体が浮く。
 両脚が床から離れているのだと気づいた瞬間、アンバーはユーインの腕に横抱きにされていた。
 濡れた赤毛の下、切れ長の薄い青の瞳が怒ったように見下ろしている。

「ひとつきも待った。俺をほめてくれ」
 
 掠れた声とほぼ同時に、アンバーの唇は塞がれていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。

大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」 「サム、もちろん私も愛しているわ」  伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。  告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。  泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。  リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。 どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

処理中です...