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第一章 伯爵令嬢、職業婦人になる

6.婚約します

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 ユーイン・フェザード・マクレーン辺境伯が、アンバーにいきなりの求婚をしてきて一週間が過ぎた。
 明日は休日という夜、リビングのソファにぐたりと身体をあずけて、アンバーはあちこちに積み上げられた贈り物の箱に目をやる。
 ため息をついた。

(贈り物攻め? こういうの、貴族の間では普通なの?)

 前世今生通して、アンバーには贈り物攻めなどという贅沢な目にあった経験がない。前世の小説や漫画、今生では同級生や同僚の自慢話の中で、聞いたことがあるだけだ。一度でいいからそんな目にあってみたいなどと思っていたのだけど、あってみるとけっこう気が重いものだとはじめて知った。

(毎日お礼状を書くのも大変なんだけど……)

 貴族の礼儀として、贈り物をいただいたら直筆のお礼状を送らなくてはならない。今日も仕事を終えて帰って来たら、玄関横の専用宅配ルームに贈り物の箱が山積みされている。
 またお礼状を書くのかと、かなり憂鬱になった。
 お礼を書くのなら、中身がなにかくらいは確認しておこうとリボンのかかった箱を開いた。
 中身は、今回もかなり趣味の良いものだった。
 どこで調べたかジャストサイズのドレスにコート、ヒールの靴にバッグ、それにアクセサリー。それらはすべて一流のブランドショップのものだったけど、アンバーが普段使っても、それほど浮き上がるようなものではない。どちらかといえば実用的な、過度な装飾の少ないデザインのものばかりだった。

(気遣いのできる人なのかも)

 そう思えるくらいには、マクレーン辺境伯あの赤毛の青年を見直していた。だから二週間後に、もう一度会いたいと申し入れがあった時、アンバーは承知していた。
 面会場所に、ホテルのティーサロンを指定して。


「考えてくれたか?」

 給仕が引いてくれた椅子に、アンバーがすとんと腰を下ろした途端、マクレーン辺境伯の切れ長の薄い青の瞳がきらりと輝いた。
 ほどよく低いテノールの声が、少し不安げに響く。

「今の仕事をやめたくありません。それでもよろしいでしょうか?」

 アンバーにとって、やりがいのある、自分の居場所だ。そこを失くさずに済むのなら、結婚してみるのも悪くないかもしれないと思った。
 結婚すれば、あの母から今よりずっと距離を置くことができる。マクレーン辺境伯家であれば、実家より格上だ。アンバーにあれこれ嫌な干渉をしてくる母であっても、格上貴族に嫁いだ娘にこれまでどおりというわけにはゆかないだろうと考えたからだ。
 仮にうまくいかず離婚することになっても、仕事さえ放さなければ今と変わらない。元に戻るだけだ。

「君が仕事を続けたいというのなら、そうすればいい」

 あっさりとマクレーン辺境伯は頷いた。
 
(え? そんなにあっさり認めていいの? 一日中、家にはいないってことなんだけど、わかってる?)

 心の声が聞こえたみたいに、マクレーン辺境伯はふっと息だけの笑いを漏らした。

「領地の屋敷には俺を育ててくれた義母がいる。心得た方だから、君を助けてくれるはずだ」

 ああ、前世風に言えば「一家に主婦は二人要らない」って、あれだ。家内の切り盛りをする人は、他人にあれこれ口出しされたくないようだから。
 実母から愛された感覚のないアンバーには、義理の母だからといって特に警戒することもない。特に庶子であるマクレーン辺境伯を育てて、彼から「心得た方」と評価されるような女性なら、信じてもいいのかもしれない。
 仕事を続けていいのかとほっとした途端、「あ!」と思わず声が出そうになった。

(どうしよう。転勤ありの異動に同意しちゃった)

「あ……の……。実は夏の異動について、先日上司に『どこでも行きます』と返事をしてしまいました。ですからすぐに閣下のもとへ嫁ぐのは難しいかと」

 マクレーン辺境伯の切れ長の目が、わずかに見開かれる。

「受けてくれると、そう思っていいのか?」
「はい……。でも今すぐには難しいので、早くても二年か三年先でなければ閣下のご領地には伺えません。そう申し上げたかっ……」
「ありがとう!」

 アンバーが言い終わらないうちに、キラキラ輝くようなテノールの声がかぶせられる。
 
(いや、この人、私の言ったことちゃんと聞いてた? 二、三年は無理って言ったのに)

 結納金をはずむとか、持参金なしでいいとか、そんな条件はアンバーにはそれほど響かなかった。
 けれど。
 家の中にこもらなくていい。仕事を続けていい。
 このふたつは響いた。
 子供は産まなければならないけど、それは貴族家に嫁ぐならどこでも同じだ。
 こんな好条件の契約、滅多にない。
 だから結婚しても良いと思って、気づいたのだ。
 一度転勤すれば、最短で二年から三年は異動がない。アンバーの任地は多分もう決まっているだろうから。説明しようとしていたのに。

「あの……、マクレーン閣下」
「ユーインだ」

 やや不機嫌な低い声に、アンバーはびくりとした。

「閣下ではなく、ユーインと呼んでほしい。じきに俺の妻となる女性ひとなのだから」

 じいっと、アンバーを見つめてくる薄い青の瞳。「ユーインと呼べ、いますぐ」と迫ってくるようだ。その圧に耐えかねて、アンバーは目をそらして蚊の鳴くような声で言われたとおりに呼んだ。

「ユーイン……さま」

 カタリと椅子の動く音がして、シトラスの香りがアンバーに近づいてくる。逸らした視界の端に、ユーインの赤く艶やかな髪が入った。
 左手の指先に、白い手袋の指がかかる。続けて温かい唇が、そこに落とされた。
 どきんとはね上がる心臓、一気に鼓動が速くなる。頬や耳に身体中の熱が集まって、たぶん今自分は真っ赤な顔をしているのだろうと自覚があった。
 おそるおそる正面に目を向けると、歓びとか嬉しいとかを言葉よりもよく伝えてくれる、薄い青の瞳にぶつかった。

「アンバーと呼んでも?」
「はい」
「ではアンバー、これからすぐに婚約指輪を買いに行こう。ああ、そうだ。結婚指輪もいるな。すぐに必要になる」

 戸惑うアンバーの手を引いて、ユーインはさっさとカフェを出る。そしてそのまま王都一の宝飾店へ連れて行き、アンバーが何かを言う間もなく、薄い青色の石のついた指輪を一ダースほど買った。

「君のサイズに直してもらう。できあがったら気分に合わせて付け替えるといい」

 王都一の宝飾店だ。
 店の奥にある別室でお茶とお菓子を供されて、黒いベルベットのケースに納められた指輪がいくつもいくつも運ばれてきた。もうその時点で今見せられている指輪の値段が、店頭にあるものの比ではないのだと贅沢品に不慣れなアンバーにだってわかる。
 婚約指輪と結婚指輪、あわせてもふたつだ。なのにユーインは、一ダース、十二個も買って平然としている。

(婚約指輪とか結婚指輪って、気分に合わせて付け替えるもの?)

 アンバーが知らないだけで、裕福な上位貴族では珍しくない習慣なのだろうか。それにしても一ダースだ。いったい全部でいくら支払うのかと、空恐ろしくなる。

「そんなにたくさんは……」

 要らないのだと言いかけた唇を、白い手袋の指が塞いだ。

「俺が贈りたいんだ。そうさせてくれ」

 後日届けられた一ダースの指輪を、アンバーは即座に隠し金庫にしまいこんだ。
 普段つけなれない高価な指輪だ。手洗いの時や着替えの時、ついうっかり置き忘れでもしないか不安だったからだ。
 結婚式まで少なくとも二年か三年ある。
 それまでに一ダースの中からひとつだけ出して、高価な指輪に少しずつ慣れてゆけばいいと思っていた。
 
 次の朝、上司に呼びだされるまでは。
 
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