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第一章 伯爵令嬢、職業婦人になる
3.突然求婚されました
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それから十日ばかり経った頃。
毎年恒例の職場面談があった。日々の業務内容の確認や不安や不満を、上司が直接個人的に聴きだして問題を解決するためだという。まあ嘘ではない。けどすべてじゃない。
一番重要な目的は、人事異動のための転勤について、アンバーたち交換手に打診をすることだ。
王都に勤務する交換手は最低ふたつの外国語が操れる上、綺麗な言葉で話せて機転まで利く。相変わらず男尊女卑の社会ではあるけれど、かなり貴重な人材として評価されている。
けれどその交換手中でも女性交換手は、ほとんど名家の令嬢だ。異動、つまり王都以外への転勤を望まない。それが常識だった。
だから名門ハロウズ伯爵家令嬢であるアンバーにも、おそるおそるという感じで、王都以外への転勤はできるかと上司は尋ねた。
「望んでくださるのなら、どこへでも参ります」
アンバーは即答した。
考えるだけでなにかと気の重い実家から離れられる。そのうえこんな機会でもなければ、なかなか行くこともない土地へ公費で行けるのだ。わくわく楽しみでしかない。
けど一般的な家庭で育った令嬢たちにとっては、そうじゃない。親元を離れて官舎で暮らす令嬢たちも、なにかあればすぐに駆け付けられる親元の近くであればこそ一人で平気なのだ。これが馬車で何日も揺られなければ着かない地方で暮らすとなれば、とてもじゃないけど「うん」とは言えない。
ということで、上司の打診に応えてくれる交換手はとても少ないというか、ほとんどいないのだ。
「そうか。地方に行ってもらう代わりと言ってはなんだけど。副局長の席を用意させてもらうよ」
ほっとしたように笑顔で上司が言う。
入省して二年そこそこの女性に、破格の待遇だ。給料だって、今よりかなり上がる。
「お気遣いありがとうございます」
そんな話をした数日後、その日は休日でいつもより遅く起きたアンバーが、朝昼兼用の食事をとっていたところ。
官舎の呼び鈴がなった。
玄関の扉を開けると、真っ赤な薔薇の花束がどどんとアンバーの目の前にあった。
「突然の訪問、失礼を幾重にもお詫びする。ハロウズ伯爵令嬢、少しお時間をいただけないだろうか?」
百本はあるんじゃないかという大きな花束の向こうに、赤毛の美青年、マクレーン辺境伯と名乗った彼が立っていた。
(え? なんでこの人が?)
二週間ほど前、おかしな電話の取次ぎについて捜査に協力したことがある。けれどあれは、もう解決済みのはずだ。あの時同席した通信大臣から、そう聞いている。
だったらますます何の用かわからない。
なによりもこの部屋に入ってもらうのには、かなり抵抗がある。もちろん淑女として、付き添いもなく男性と面会するのはよろしくない。確かにそれもあるけど、もっと切実なのはあちこち乱雑に散らかっていることだ。
家具にはうっすら埃が積もっている。留守の時間に自動で掃除をしてくれるロボットのおかげで、床はなんとか清潔だ。けど窓枠や家具の上にたまった埃は十日ぐらい払っていない。
(お天気がよくて無駄に明るいから、埃たまってるの目立つわよね)
この部屋を訪ねてくる人などいなかったし、この先もきっとないだろうと思っていた。アンバー一人の生活なら、まあこれでいいかと放っておいたのだけど。
さすがにこの赤毛の美青年を前にすると、少しだけ後悔した。
けれど相手は辺境伯の爵位を持つ貴族。玄関払いのできる相手ではない。
「散らかっておりますが……、どうぞ」
仕方ないとあきらめて、ほとんど使うことのない応接間に通した。この家の中で一番まともに整えられている部屋だ。
コーヒーはついさっき淹れたばかりのがあるから、それを使おう。キッチンの棚から、滅多に使わない客用カップを取り出して注ぐ。
それにしても先触れくらい出せと、赤毛の美青年の無礼さにいらっとした。伯爵令嬢という身分はおいておくとしても、女性の部屋へいきなりやってくるのはどうなのか。
「滅多においでになる方もなくて、あちこちお見苦しいばかりです。申し訳ございません」
コーヒーのカップを低いテーブルの上に置いて、アンバーは丁寧に詫びてみせた。
ホントのところは、皮肉だ。
先触れもなく勝手に来たんだから。
「いや……。こちらこそ先触れもなしで失礼した。こうして通してもらえて、心から感謝する」
そう素直に出られると、居心地が悪い。なんだかアンバーが意地悪をしたような気分になるじゃないか。
こちらから「ご用件は?」と伺うのも感じ悪いかなと思って黙っていると、赤毛の美青年ことマクレーン辺境伯が口を開いた。
「実は……。唐突なのは承知の上だが、求婚に来た」
きゅうこん?
それは求婚と書く、あれで間違いないのだろうか。
求婚されるほどの付き合いはないが……。
「あ……の……、おそれいります。もう一度よろしいでしょうか?」
「ハロウズ伯爵令嬢、私と結婚してほしい。そう言った」
間違いではなかったらしい。そうなると余計に頭の中が混乱する。
「なぜ……とおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
それでもやっとのことで、いちばん聞きたいことを端的に聞いた。
普通、こういう縁談には間に人が入るものだ。平民ならいざ知らず、よほど旧知の仲でない限り間に人をたてて求婚する。が、マクレーン辺境伯とアンバーは、旧知の仲ではない。会ったのは一度きり。それも仕事上で会った、あの一度だけだ。休日にいきなり訪ねて来られて、本人から求婚されるような付き合いはない。
「あー! もう本音を話そう。その方が君にもいいだろう」
真っ赤な頭髪をぐしゃっとやりながら、いささか行儀悪くマクレーン辺境伯は大きなため息をついた。
「おかしいと君が思うのはもっともだ。ほとんど面識のない間柄で、どうしていきなりと俺でも思う」
あ、いきなり一人称が崩れた。素の彼は、自分のことを「オレ」というらしい。
「俺には魔力がない。この意味、わかってもらえると思うが……」
貴族とは魔力を持つ者だ。稀に魔力なしが生まれることもあるらしいけど、そういう場合できるだけその事実を隠そうとするんだとか。他所のゴシップが大好きな母が、時々いやらしい笑みを浮かべて「〇〇家の長男は出来損ないだそうよ。ご両親のご心痛、いかばかりかしらね」などと言っていたのをアンバーは思い出す。
「俺は父が平民との間にもうけた庶子だ。だから本当なら、嫡子である弟が家を継ぐことになっていたんだが、あいにく早逝してね。それで仕方なく俺に家督を継がせたんだが……。そうなると問題は跡継ぎだ。魔力なしがもし二代続くようなら、マクレーン家は貴族籍を失う」
淡々と話しているけど、彼にとってはつらいことだったはずだ。
アンバーの母みたいに意地悪を言う人は、掃いて捨てるほどいる。魔力なしの男、それも平民との間に生まれた庶子に、わざわざ大事な娘を嫁がせようとする貴族家はほぼないだろう。まして魔力の強い名門から妻を迎えるのは、絶望的と言って良い。
マクレーン辺境伯の言ったとおり、プレイリー王国では魔力なしが二代続けば貴族ではいられない。平民に落ちるかもしれない家門と姻戚になるなど、どの家も冗談ではないと思うのだ。
「ハロウズ家のご希望に沿うよう、できるだけの結納金を用意しよう。もちろん持参金は要らない。子供は産んでもらわなくてはならないが、その他のことは君の希望をできるだけかなえよう」
どうだろうかと、肘をついて組んだ指の向こうから、薄い青の瞳がじっとアンバーをみつめてくる。
懇願に近い内容なのに、少しも卑屈に感じさせない。かといって、「受けて当然」と思っているらしい傲慢さもない。
(つまり契約結婚ということよね)
魔力の高い貴族女子の妊娠確率は、ほぼ百パーセントだ。
前世日本では不妊に悩む女性も少なくはなかったけれど、今生ではほぼ希望どおりの妊娠出産ができる。体内を巡る魔力のおかげだ。だから魔力のない平民の場合、必ずしも望むとおりの妊娠とはいかないようだけど、それでもお金さえ出せば特効薬がある。
アンバーの生家ハロウズ伯爵家は、建国以来の名門だ。魔力の高い一族として有名な家でもある。つまりアンバーが望みさえすれば、そして夫が貴族でありさえすれば、魔力の高い子が生まれる可能性はとても高い。
貴族の結婚なんて、ほとんどが政略結婚だ。それはアンバーだって承知している。けれどこうしていきなり条件をつきつけられると、かなり鼻白む。
正直、アンバーは結婚には夢をもっていない。それどころかむしろ嫌だ。
結婚した女性は、家に入るのが普通だ。家政をとりしきりながら、社交界ではアンバーの母のような人たちと、そつなく付き合わなくてはならない。
母のようなご婦人方に囲まれて、「不器量で気が利かない地味な女」と蔑まれて暮らすのかと思うと、ぞっとする。そんな思いをするくらいなら、一生独身で良い。
幸い一人で生きてゆけるくらいの収入はある。
いくら母が「嫁に行け」と縁談をもってきて「言うことを聞かなければ家から追い出す」と脅しても、経済的に自立していてしかも王太子妃殿下の親友でもあるアンバーにはあまり響かない。
(うん。やっぱり断ろう)
そう決めてアンバーは口を開いた。
「辺境伯閣下、身にあまるお言葉ですが、謹んでご辞退させていただきます。わたくしはどなたにも嫁ぐつもりがございませんので」
どなたにもとつけたのは、魔力なしが理由ではないと言いたかったからだ。誰が相手であったとしても、家に入ればプレイリー王国風の女の役目を求められるし、それに応えて生きてゆくのは諦めとため息の連続に違いない。そんなの前世だけで十分だ。
(これであきらめてくれるでしょう)
目を伏せて、冷めかけたコーヒーのカップに指を伸ばした。そのままマクレーン辺境伯の言葉を待った。
ふわりと、部屋の空気が動く。爽やかなシトラスの風が鼻先をかすめた。
(え?)
思わず顔を上げると、アンバーのごく間近に、赤毛の美青年が跪いていた。
「君に誤解させてしまったようだ」
切れ長の薄い青の瞳が突き刺さるようだ。
思わずこくんと息を飲んだ。
「言い直そう。俺が求婚したのはこれが初めてで、相手が君だからだ。こちらの事情を先に話したのは、その方が誠実だと思ったからだが、失敗だったようだ。あらためて頼む。もう一度考えてみてほしい」
どきりと、アンバーの心臓が跳ねた。
君だから。
その言葉が不意打ち過ぎて、頬が熱くなる。
「きょ……今日のところは、お帰りいただけますか」
もつれる舌をかみながら、それだけ口にするのが精一杯だった。
毎年恒例の職場面談があった。日々の業務内容の確認や不安や不満を、上司が直接個人的に聴きだして問題を解決するためだという。まあ嘘ではない。けどすべてじゃない。
一番重要な目的は、人事異動のための転勤について、アンバーたち交換手に打診をすることだ。
王都に勤務する交換手は最低ふたつの外国語が操れる上、綺麗な言葉で話せて機転まで利く。相変わらず男尊女卑の社会ではあるけれど、かなり貴重な人材として評価されている。
けれどその交換手中でも女性交換手は、ほとんど名家の令嬢だ。異動、つまり王都以外への転勤を望まない。それが常識だった。
だから名門ハロウズ伯爵家令嬢であるアンバーにも、おそるおそるという感じで、王都以外への転勤はできるかと上司は尋ねた。
「望んでくださるのなら、どこへでも参ります」
アンバーは即答した。
考えるだけでなにかと気の重い実家から離れられる。そのうえこんな機会でもなければ、なかなか行くこともない土地へ公費で行けるのだ。わくわく楽しみでしかない。
けど一般的な家庭で育った令嬢たちにとっては、そうじゃない。親元を離れて官舎で暮らす令嬢たちも、なにかあればすぐに駆け付けられる親元の近くであればこそ一人で平気なのだ。これが馬車で何日も揺られなければ着かない地方で暮らすとなれば、とてもじゃないけど「うん」とは言えない。
ということで、上司の打診に応えてくれる交換手はとても少ないというか、ほとんどいないのだ。
「そうか。地方に行ってもらう代わりと言ってはなんだけど。副局長の席を用意させてもらうよ」
ほっとしたように笑顔で上司が言う。
入省して二年そこそこの女性に、破格の待遇だ。給料だって、今よりかなり上がる。
「お気遣いありがとうございます」
そんな話をした数日後、その日は休日でいつもより遅く起きたアンバーが、朝昼兼用の食事をとっていたところ。
官舎の呼び鈴がなった。
玄関の扉を開けると、真っ赤な薔薇の花束がどどんとアンバーの目の前にあった。
「突然の訪問、失礼を幾重にもお詫びする。ハロウズ伯爵令嬢、少しお時間をいただけないだろうか?」
百本はあるんじゃないかという大きな花束の向こうに、赤毛の美青年、マクレーン辺境伯と名乗った彼が立っていた。
(え? なんでこの人が?)
二週間ほど前、おかしな電話の取次ぎについて捜査に協力したことがある。けれどあれは、もう解決済みのはずだ。あの時同席した通信大臣から、そう聞いている。
だったらますます何の用かわからない。
なによりもこの部屋に入ってもらうのには、かなり抵抗がある。もちろん淑女として、付き添いもなく男性と面会するのはよろしくない。確かにそれもあるけど、もっと切実なのはあちこち乱雑に散らかっていることだ。
家具にはうっすら埃が積もっている。留守の時間に自動で掃除をしてくれるロボットのおかげで、床はなんとか清潔だ。けど窓枠や家具の上にたまった埃は十日ぐらい払っていない。
(お天気がよくて無駄に明るいから、埃たまってるの目立つわよね)
この部屋を訪ねてくる人などいなかったし、この先もきっとないだろうと思っていた。アンバー一人の生活なら、まあこれでいいかと放っておいたのだけど。
さすがにこの赤毛の美青年を前にすると、少しだけ後悔した。
けれど相手は辺境伯の爵位を持つ貴族。玄関払いのできる相手ではない。
「散らかっておりますが……、どうぞ」
仕方ないとあきらめて、ほとんど使うことのない応接間に通した。この家の中で一番まともに整えられている部屋だ。
コーヒーはついさっき淹れたばかりのがあるから、それを使おう。キッチンの棚から、滅多に使わない客用カップを取り出して注ぐ。
それにしても先触れくらい出せと、赤毛の美青年の無礼さにいらっとした。伯爵令嬢という身分はおいておくとしても、女性の部屋へいきなりやってくるのはどうなのか。
「滅多においでになる方もなくて、あちこちお見苦しいばかりです。申し訳ございません」
コーヒーのカップを低いテーブルの上に置いて、アンバーは丁寧に詫びてみせた。
ホントのところは、皮肉だ。
先触れもなく勝手に来たんだから。
「いや……。こちらこそ先触れもなしで失礼した。こうして通してもらえて、心から感謝する」
そう素直に出られると、居心地が悪い。なんだかアンバーが意地悪をしたような気分になるじゃないか。
こちらから「ご用件は?」と伺うのも感じ悪いかなと思って黙っていると、赤毛の美青年ことマクレーン辺境伯が口を開いた。
「実は……。唐突なのは承知の上だが、求婚に来た」
きゅうこん?
それは求婚と書く、あれで間違いないのだろうか。
求婚されるほどの付き合いはないが……。
「あ……の……、おそれいります。もう一度よろしいでしょうか?」
「ハロウズ伯爵令嬢、私と結婚してほしい。そう言った」
間違いではなかったらしい。そうなると余計に頭の中が混乱する。
「なぜ……とおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
それでもやっとのことで、いちばん聞きたいことを端的に聞いた。
普通、こういう縁談には間に人が入るものだ。平民ならいざ知らず、よほど旧知の仲でない限り間に人をたてて求婚する。が、マクレーン辺境伯とアンバーは、旧知の仲ではない。会ったのは一度きり。それも仕事上で会った、あの一度だけだ。休日にいきなり訪ねて来られて、本人から求婚されるような付き合いはない。
「あー! もう本音を話そう。その方が君にもいいだろう」
真っ赤な頭髪をぐしゃっとやりながら、いささか行儀悪くマクレーン辺境伯は大きなため息をついた。
「おかしいと君が思うのはもっともだ。ほとんど面識のない間柄で、どうしていきなりと俺でも思う」
あ、いきなり一人称が崩れた。素の彼は、自分のことを「オレ」というらしい。
「俺には魔力がない。この意味、わかってもらえると思うが……」
貴族とは魔力を持つ者だ。稀に魔力なしが生まれることもあるらしいけど、そういう場合できるだけその事実を隠そうとするんだとか。他所のゴシップが大好きな母が、時々いやらしい笑みを浮かべて「〇〇家の長男は出来損ないだそうよ。ご両親のご心痛、いかばかりかしらね」などと言っていたのをアンバーは思い出す。
「俺は父が平民との間にもうけた庶子だ。だから本当なら、嫡子である弟が家を継ぐことになっていたんだが、あいにく早逝してね。それで仕方なく俺に家督を継がせたんだが……。そうなると問題は跡継ぎだ。魔力なしがもし二代続くようなら、マクレーン家は貴族籍を失う」
淡々と話しているけど、彼にとってはつらいことだったはずだ。
アンバーの母みたいに意地悪を言う人は、掃いて捨てるほどいる。魔力なしの男、それも平民との間に生まれた庶子に、わざわざ大事な娘を嫁がせようとする貴族家はほぼないだろう。まして魔力の強い名門から妻を迎えるのは、絶望的と言って良い。
マクレーン辺境伯の言ったとおり、プレイリー王国では魔力なしが二代続けば貴族ではいられない。平民に落ちるかもしれない家門と姻戚になるなど、どの家も冗談ではないと思うのだ。
「ハロウズ家のご希望に沿うよう、できるだけの結納金を用意しよう。もちろん持参金は要らない。子供は産んでもらわなくてはならないが、その他のことは君の希望をできるだけかなえよう」
どうだろうかと、肘をついて組んだ指の向こうから、薄い青の瞳がじっとアンバーをみつめてくる。
懇願に近い内容なのに、少しも卑屈に感じさせない。かといって、「受けて当然」と思っているらしい傲慢さもない。
(つまり契約結婚ということよね)
魔力の高い貴族女子の妊娠確率は、ほぼ百パーセントだ。
前世日本では不妊に悩む女性も少なくはなかったけれど、今生ではほぼ希望どおりの妊娠出産ができる。体内を巡る魔力のおかげだ。だから魔力のない平民の場合、必ずしも望むとおりの妊娠とはいかないようだけど、それでもお金さえ出せば特効薬がある。
アンバーの生家ハロウズ伯爵家は、建国以来の名門だ。魔力の高い一族として有名な家でもある。つまりアンバーが望みさえすれば、そして夫が貴族でありさえすれば、魔力の高い子が生まれる可能性はとても高い。
貴族の結婚なんて、ほとんどが政略結婚だ。それはアンバーだって承知している。けれどこうしていきなり条件をつきつけられると、かなり鼻白む。
正直、アンバーは結婚には夢をもっていない。それどころかむしろ嫌だ。
結婚した女性は、家に入るのが普通だ。家政をとりしきりながら、社交界ではアンバーの母のような人たちと、そつなく付き合わなくてはならない。
母のようなご婦人方に囲まれて、「不器量で気が利かない地味な女」と蔑まれて暮らすのかと思うと、ぞっとする。そんな思いをするくらいなら、一生独身で良い。
幸い一人で生きてゆけるくらいの収入はある。
いくら母が「嫁に行け」と縁談をもってきて「言うことを聞かなければ家から追い出す」と脅しても、経済的に自立していてしかも王太子妃殿下の親友でもあるアンバーにはあまり響かない。
(うん。やっぱり断ろう)
そう決めてアンバーは口を開いた。
「辺境伯閣下、身にあまるお言葉ですが、謹んでご辞退させていただきます。わたくしはどなたにも嫁ぐつもりがございませんので」
どなたにもとつけたのは、魔力なしが理由ではないと言いたかったからだ。誰が相手であったとしても、家に入ればプレイリー王国風の女の役目を求められるし、それに応えて生きてゆくのは諦めとため息の連続に違いない。そんなの前世だけで十分だ。
(これであきらめてくれるでしょう)
目を伏せて、冷めかけたコーヒーのカップに指を伸ばした。そのままマクレーン辺境伯の言葉を待った。
ふわりと、部屋の空気が動く。爽やかなシトラスの風が鼻先をかすめた。
(え?)
思わず顔を上げると、アンバーのごく間近に、赤毛の美青年が跪いていた。
「君に誤解させてしまったようだ」
切れ長の薄い青の瞳が突き刺さるようだ。
思わずこくんと息を飲んだ。
「言い直そう。俺が求婚したのはこれが初めてで、相手が君だからだ。こちらの事情を先に話したのは、その方が誠実だと思ったからだが、失敗だったようだ。あらためて頼む。もう一度考えてみてほしい」
どきりと、アンバーの心臓が跳ねた。
君だから。
その言葉が不意打ち過ぎて、頬が熱くなる。
「きょ……今日のところは、お帰りいただけますか」
もつれる舌をかみながら、それだけ口にするのが精一杯だった。
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