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第五章 アルヴィドの章(アルヴィドEDルート)

74.竜后宮の記録には

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 ヘルムダールへの挨拶は、型通り、見事なまでに完璧に滞りなく済ませた。
 ヘルムダール現当主夫妻は終始にこやかな表情を崩さず、愛娘の夫となるアルヴィドを歓待してくれた。

「陛下、一晩だけでもご滞在いただけませんか。
 次にお目にかかれるのは、当分先になりましょうから」

 母アデラが願い出る隣りで、父テオドールもうんうんと頷いている。
 パウラとしては、久々の実家でもあり、本音を言えばしばらくは滞在したいところだ。
 けれどアルヴィドは、予想どおり首を振った。
 ヴォーロフ随一と呼ばれた美貌に、極上の微笑をのせて。

「立后式を済ませねばなりません。
 滞在はまた、別の機会に」

 別れの挨拶もそこそこに、パウラはアルヴィドと共にヘルムダールを後にした。
 共に……。まあ「共に」には間違いない。
 しっかり右手を掴まれて、引きずられるように後にしただけで。


 新都となった黄金竜の泉地エル・アディは、急な式典のこととて、その支度に大わらわであった。
 立后の儀など、一大イベントである。
 それを今日の今日言われてすぐ挙行となれば、関係者がパニックになるのも無理はない。

「相変わらず、無茶なヤツだ」

 銀狼族代表として特別に招待された王子ハティは、表向き落ち着きはらって見えるアルヴィドの正体を知る、数少ない人物の一人である。
 竜は銀狼同様、伴侶と決めた唯一に、とてつもない執着をするらしいが、アルヴィドの執着は特にひどい。
 自分以外の男が、パウラの姿を見ることは許さない。
 声やその気配すら、できうる限り聞かせない、悟らせない。
 立后式の主役は他ならぬ竜后であるというのに、その彼女の姿を可能な限り隠せと、そう関係者に命じたのだとか。
 祭壇には、三重の紗の幕が垂らされる。
 ツタ模様を金糸で織り込んだ最上級の紗の幕は、式典を準備する神官が出入りのヴェストリーの商人に半ば泣きついて用意したものだ。
 言い値で支払った代金は、神官の年俸2年分に相当したが、背に腹は代えられないと彼はこぼしていた。

「バレたらパウラに怒られるぞ」

 無駄遣いを、新竜后はことの他嫌う。
 立后式にかかる費用が無駄かどうかは、諸説あるとして。
 竜族の頂点に立つ長の妻を公式に発表する式典なのだからと、アルヴィドは金に糸目はつけない。
 けれど后は違う。
 費用をかけず、質素な披露で良しとするのだ。
 いわく、

「式は大事ですわね。
 形式として必要なことですわ。
 けれど立派過ぎる必要はありませんわよ」

 だそうで、譲る気もないようだ。
 暮らしぶりはいたって質素で、前竜后と比べるのも愚かしいほど、とにかく贅沢とは無縁である。
 今日の式に着る衣装についても、当然のように「前竜后のトーガ」を指定してきた。
 パウラに良い感情をもっていない前竜后は、これを聞いてさすがに驚いたらしい。
 
「ケチくさいんですよぉ。
 竜后がそんなにしみったれてたら、周りが迷惑するってわかんないんです」

 最近黄金竜の郷エル・オーディ付きの女官に就いたエリーヌが、ここぞとばかりにパウラをバカにするのを、前竜后は冷たい視線で黙殺したという。

「あの小娘を、わたくしは好かぬ。
 好かぬが、それはあちらも同じであろうよ。
 それでもわたくしのお古を着ると言うのじゃ。
 見上げたものではないか」

 パウラにしてみれば、褒められるようなことをした覚えはなかった。 

「何度も着るものではありませんわ。
 もったいないでしょう」

 ごく当然のことだ。
 パウラの生家ヘルムダール公家は、家格の高さから誤解されがちであるが、質素倹約を旨としている。
 これといった産業も特産品もない土地柄、その懐具合はけして豊かではない。
 着古した衣装を繕う。穴のあいた長靴を塞いで使う。食事は黒パンとチーズがメインで、運が良ければ卵とハムがつく。
 そんな暮らしが普通であった高貴な公女にとって、お古のトーガを着ることなどなんということもない。
 むしろどうしてそれが問題なのか、不思議に思っているようだった。

 とにかく前竜后とは何もかも違う。
 その彼女が、このバカバカしいほどの出費を黙っているはずもない。
 アルヴィドはきっと血祭りだ。
 いい気味だと、ハティは少しだけ思った。




「約束を憶えているな」

 盛大な式の後、ようやく戻った夫婦の居間で、アルヴィドが口を開いた。
 急ごしらえにしては盛大過ぎる式に、パウラは疲れ果てて長椅子にへたりこんでいる。
 夫となったアルヴィドの声は聞こえていたが、意味を考えるだけの余力はない。
 ただただ疲れていた。
 甘いチョコレートでも欲しいところだ。
 テーブルの砂糖菓子に目をとめると、行儀悪くぽいと口に放り込む。
 小さな花びらの形をした菓子は、ほのかにスミレの香りがしてふわりと甘い。
 思わず頬が緩んだ。

「幸せそうだな」

 ふてくされた声がごく間近で。

「ようやく迎えたこの時に、夫たる俺よりそんな菓子の方が大事と見える」

 ふてくされた声さえ、艶めいて深く沈んでよく響く。
 ああ本当に良い声だ。
 目を閉じて、夫の美声につい聴き惚れてしまう。

「怒っているのか」

 不安げな声に驚いて目を開けば、間近に途方にくれた深緑の瞳があった。

「アルヴィド?」

「強引にことを運んだ。
 …………。
 自覚はある」

 ヴォーロフからヘルムダールへの即日移動、その後の立后式。
 強行日程どころではない。
 確かに疲れた。けれど怒っているかと聞かれると、どうしてそうなるのかと戸惑う。
 お金をかけ過ぎた式や披露については、後でしっかりお小言を言わせていただくつもりであるが。

「不安だった」

 ぼそりと小さく口にして、アルヴィドは目を逸らした。

「俺が思うほどには、君は俺を思っていない。
 君なら……。
 パウラ、君ならいつだって、俺から離れることができる。
 だから、そうできないようにしてしまいたいと焦った」

 立后してしまえば、そうは簡単に逃げられない。
 黄金竜の后、唯一の印が、彼女の身体に刻まれるから。
 ヘルムダールの聖紋は消え、それに代わって竜后の聖紋がパウラの肩にある。

「俺をおいてゆくな」

 小さな声は、低く沈んで、すがるようで。
 深緑の切れ長の瞳は、心細げに揺れている。

(うわぁ……)
 
 パウラの心臓が、きゅうっと搾り上げられる。
 冷たい美貌のアルヴィドに、こんな捨てられた子犬のような目をされたら。
 平気な女がいたら、今すぐここに連れてこいと、そう言ってやりたい。

「おいていくわけ、ありませんでしょう」

 自分でも驚くほど、甘くかわいらしい声だった。
 こんな声も出せるのかと驚くほど。

 途端にぱぁっと色めき立ったアルヴィドが、すいとパウラに近づいて瞬時に抱き上げる。
 膝裏と背中を抱えて、蕩けるような笑みを浮かべて。

「では約束を果たしてもらおう」

 式の後でアルヴィドがしたかったこと。
 式の後は、もうやめてやれないこと。

 思いついて、ボンっっと脳内回路の温度が上がる。

「まだ気絶してもらっては困る。
 もう待たないと言った。
 忘れたとは言わせない」

 しっとりとした声は、いつもより艶やかに色っぽくて。
 抱きかかえられて運ばれる先は、続きの寝室、そこにある大きな寝台。
 アルヴィドの美しい唇が、小さく詠唱を唱えて灯りはすべて消える。
 後は漆黒の闇が、優しく辺りを覆った。


 新黄金竜オーディと竜后は、その後ひと月ほど、閉じこもったまま姿を現さなかった。
 竜の蜜月は長いもの。
 この世の誰もが知る常識であったが、この二人の蜜月は特に長かった。
 ひと月ほどしてちらと姿を見せた後、

 「誰も邪魔をしてはならぬ」

 黄金竜の厳命が下り、さらにその後半年ほど蜜月は続いた。
 竜后の無事を、黄金竜の泉地エル・アディ中が祈っていたと竜后宮の記録に残っている。
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