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第一章 義務と忍耐と決意まで

15.探り合う

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 移り香を嫌って拒んだ日から、国王シメオンはラウラの元へ毎日通うようになった。但し昼間、お茶の時間に。
 
「本当なら朝食と夕食もご一緒にとお誘いしたいのですが、あなたにはまだ嫌われているようですからね。少しずつ私の気持ちをわかっていただこうかと」

 寂し気に哀し気に少し不貞腐れたように、シメオンの薄い青の瞳がラウラを伺う。
 聞きなれた耳に優しい言葉には、いまさら何の感動もない。いつものことだ。
 けれど最近、小さくはない変化があった。あれ以来、シメオンは夜を一人で過ごしているらしいのだ。

「あの方のもとへ、お通いではないようです」
 
 オルガが王宮中に張り巡らせた情報網から仕入れたらしい。最もフレッシュな情報だ。

「あの方からのお誘いはあるようなのですが、どれもお断りになっているとかで。陛下付きの侍従たちも驚いているようです」

 あれから20日は経っている。その間ずっと放っておかれたとしたら、ベキュ夫人も焦っていることだろう。なにしろ彼女の権力の源は、シメオンの寵愛それだけなのだ。それが揺らげば、彼女には何もない。
 けれどシメオンは、彼女をそう簡単に切れるものなのだろうか。恋しいとか愛しいとか、誰かにたいして焦がれるような情を経験したことのないラウラには未知の領域だが、男女の仲にすっぱりきっぱり潔いはないと、それぐらいは知っている。いや正確には、そう聞いている。

「いずれ元のさやにおさまるのではないの?」

 ラウラにはシメオンの不在を嘆くような情はない。今のところは政略結婚の夫婦であり、公式の場でそれなりに振る舞う義務はある。けれどそれも、なんとか三年でケリをつけたい。
 だからぜひとも元のさやに収まってほしいとさえ願っているのだ。

「さあ、こればかりはなんとも言えないかと」

 オルガも半信半疑のようだ。
 これまでのオルガなら主人ラウラが蔑ろにされるのは面白くなかったはずで、だから愛妾風情に入れあげているより今の方がはるかにましと思うはずだった。
 今は違う。
 ラウラの思いを知った以上、なんとしてでもラウラをこの王宮から逃がしてやると決意している。
 三年だ。三年の間、あの顔だけ良い国王から主人を守れば、主人は自由になれる。シメオンに愛妾がいてそれが夫婦の仲を邪魔していたとなれば、神殿もラウラの責任を問わない。おそらくほぼ無傷で、ラウラは解放されるだろう。

「いずれにせよラウラ様の御身は、わたくしどもがしっかりお守りいたします」

 指一本触れさせないと、オルガは強い調子で付け加えた。
 


 シメオンのみそぎ生活がひと月は続いただろう頃。
 建国祝賀祭のパーティについて、その内情をアングラード侯爵から知らされた。

「今年は200年の記念祝賀祭にあたります。例年より豪華なものになるでしょう」

 祝賀祭そのものは年間行事の中に組み込まれているから、ラウラも承知していた。確か主催は国王だが、毎年アングラード侯爵家とバルト侯爵家の2家が交代で実務、つまり実質的な主催業務を引き受けているはずだ。
 そして今年は、バルト侯爵家の順番である。

「バルト侯爵家はかの女性の後援をしております。あれが何かつまらぬことを企むには、よい機会と思うでしょう」

 なるほどここ最近寵愛から離れている彼女なら、ここで巻き返しをはかりたいところかもしれない。
 考えられることは単純に2つ。
 ラウラを辱めて、王妃の権威を失墜させること。
 もうひとつは、彼女自身がなんらかの悪意のせいで虐げられているかわいそうな女となり、シメオンの情を揺さぶることだ。

「しかしながらバルト侯爵は、食わせ者です。額面通り、かの女性についた者とくくるのはいささか早計かと」

 そういえば先だっての夜会でも、バルト侯爵の衣装は白ではなかったと思い出す。ベキュ伯爵夫人が彼に知らせていなかったとは考えにくいから、知っていてあえて無視したのだろう。かといって、彼がラウラに好意的だと考えるのは甘すぎる。様子見か。

「アングラード侯爵、侯爵にはマラークへ嫁いで以来、本当にお世話になっています。感謝しているのですよ、心から」

 様子見はなにもバルト侯爵だけではない。アングラート侯爵もだ。
 人あたりのいい穏やかな顔が、貼り付けた仮面ではないと信じるにはまだ彼を知らなさすぎる。「何事も疑ってかかれ。優し気な顔をした者は特に疑え」、ばば様の教えだ。

「それはおそれいります。わたくしごとき、なにほどのことも」
「王太后陛下のお口添えですか?」

 青灰色の瞳を覗き込んだ。相手の心が知りたいのなら、自分から目をそらしてはいけない。
 アングラード侯爵がラウラに力を貸してくれる理由は、王太后ウルリカのためだけではない。
 ラウラのカンだ。もっと深い、別の何か。

「アングラード侯爵は、なぜわたくしを助けてくださるのか。不思議でしたの」

 静かに見つめ合った末、アングラード侯爵の青灰色の瞳がふっと和む。

「陛下のお人柄に惹かれて……という答えでは、ご不満でしょうか?」
「さあ、そうであれば嬉しいですわ」
「本心ですよ、陛下。…………半分は」

 相変わらず唇だけは笑っているが、青灰色の瞳に微笑はない。用心深く探るように、ラウラの瞳をじっと見つめている。

「残り半分を伺ってもいいかしら?」
「愛国心……というのが一番近いかもしれません」

 あの愛妾にいいようにされている愚かな王が、国をすっかりダメにしてしまわないように? 対抗勢力としてのラウラに肩入れすると、そういうことだろうか。

「国を憂いてわたくしに肩入れくださると?」
「まあ、そうですね。かの女性が力を持ちすぎると国が傾きますから。なにしろ絵画や彫刻に建築と、かの女性が煽るものだから国王陛下はとてつもない額を浪費なさっています。ご存知でしょう?」

 先王は戦狂いで、ほんの少し気に障ることをしたとそれを理由に、すぐに兵を出して地方領を滅ぼした。狂王と呼ばれてもまるで改める気はなかったようで、勢い先王の代の歳出比率は軍費が突出して多かったという。それが現王の代になっておさまって、皆がほっとしていたところ、今度は趣味狂いだ。人死にが出ないだけ先王よりマシだとでも思わねば、皆やっていられない。歳出額は先王の代とほぼ同じか、年によっては多くなる。

「二代続いての放蕩……、まあ放蕩と同じようなものでしょう。マラークがいかに大国といえど、財源は無尽蔵ではありません。ノルリアンの王女である陛下には、おわかりいただけるかと」

 年々増える赤い数字に、首までどっぷり浸かっているノルリアンだ。その赤字を、現王、つまりラウラの父一代で作ったのだから、アングラード侯爵の言いたいことはよくわかる。
 暗君が二代続けばどうなるか。
 マラークの国としての規模を考えると、浸かる水ならぬ赤い数字は湖ひとつ分で足りるだろうか。
 
「我が領土とバルト侯爵領の2つは、幸いなことに王家の干渉を受けません。だから今のところ、少なくとも我が領は無事でございますが、王国全体が沈む中我が領土のみ無事となれば……。早晩、食えなくなった民が王国各地からなだれ込んでくることでしょう」
 
 そしてアングラード領の糧食は食い荒らされ、領土は丸裸にされる。
 そこまで心配しなくてはならないほど国庫は窮しているのかと、ラウラはぞっとする。
 それならば国が最悪の事態になる前に、事を起こした方が……。
 言いかけてラウラは口をつぐんだ。
 事とはなにか。
 叛乱、クーデターの類に違いない。
 アングラード侯爵が、気軽に口にするはずもない。口にしただけで、反逆罪に問われる。

「王妃陛下は王宮のかかりを半分にすると言われた。お心がけからして、怖れながら国王陛下とは違う。正直なところ、王妃陛下の節約など国王陛下の浪費の前では焼け石に水でございます。けれど王妃陛下であれば、いずれ王国全体の出納も見直していただけるかと期待したしだいで」

 期待しているという言葉には不似合いのため息をつくアングラード侯爵に、ラウラの直感が「違う」と告げる。
 これは本音ではない。が、まるっきりの嘘でもない。
 
「つまり侯爵は、当面の間焼けた石に水をかけ続けよと、そう言うのですね?」
「はい陛下。さすれば傷もいくぶん浅くてすみましょう。時間稼ぎにしかならないとしてもです」

 何かをこの男は隠している。それは確かだ。
 けれど彼はけっして口にしないだろう。少なくとも今は。
 ラウラはふぅと息をついて、頷いた。

「わかりましたわ。当面の間、せっせと水をかけることにしましょう」
「感謝いたします、陛下」

 退出を許された後、扉の前でアングラード侯爵は振り返る。

銀の分銅ソルヴェキタの姫には、生涯唯一の男が定められているそうです。残念ながらシメオン陛下ではないようですね。
 御身、どうか大切になさいますように」

 なんだ、それは。ばば様はそんなこと言っていなかった。
 けれどようやく納得する。
 シメオンに触れられたくないと思うそのわけを、ようやく。
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