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第四章 嵐の最中

36.主力はこちらだ

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「動きがないな」

 海岸線沖の船影は、2日目を迎えても動かなかった。
 双眼鏡をのぞきこんだラスムスが、表情を変えずに続ける。

「この船全部、おとりやもしれぬ」

 囮。海岸線を埋め尽くす、ずらーっと並んだこの船全部が囮とは、規模が大きすぎやしないだろうか。
 戦の知識などまるでないリヴシェには、それが定石セオリーなのかそうでないのかはわからない。けどこれだけの舟だ。人も食糧もずいぶん積んでいるだろうし、船を動かすには燃料だっている。整備する機材機器、専門の技師だって必要だろう。気の遠くなるようなお金がかかっているはず。
 それを囮にするなど、ヴァラート帝国はどれだけお金持ちなのだろうと思う。

 けど海岸線に囮を置くなら、どこか他の場所が本命ということになる。
 本命はどこ?
 ヴィシェフラドの王宮だろうか。
 思案顔のリヴシェの頭を、ラスムスがぽんと叩いた。

「心配するな。王宮にはヴィシェフラドの精鋭とセムダール騎士団がいる。
 それにもし制圧されたとしても、奪い返すだけだ」

 こちらの主力は俺とおまえだと、不敵に笑ってみせる。

「それはあちらもわかっているのでは?
 だとしたら、陛下かわたくしかを狙ってくるはずですね」

「ああ、そうだ。俺のつがいはやはり賢い」

 傍には護衛騎士もいるのだ。
 つがい呼びはまずい。それにその蕩けるような表情も。
 ラスムスはリヴシェが自分の番だと隠す気はないようだが、リヴシェにはリヴシェの都合がある。婚約者のいる身で、ラスムスとあまり親し気にするのは避けたい。まして今は人前だ。

つがいとは誰のことでしょう。誤解を招きかねませんよ」

 やめろと、やんわり釘をさした。
 昨夜ラーシュの見せた不安げな表情も頭に残っていたし、誤解されるのはリヴシェも嫌だ。
 前世のリヴシェは、公平に周囲への無関心をつらぬいた。必要なことは口にするし関わりもしたけど、なるべく個人的に興味を持たれないようにしていたものだ。だってその方が目立たないから。女同士の諍いや虐めは、ほんのちょっとしたことから始まる。たいていは男性がらみだった。
 今のリヴシェはヴィシェフラドの女王だし、前世より目立つのは仕方ない。けどどんな地位にあっても、他人の嫉妬からは自由でいられない。だから人前で目立ちすぎるのは良くないし、そんな目にあわせる男からは、正直逃げたい。

「誤解ではない。ゆえに気にするな」

 あー、ダメだ。
 自分に自信のあるラスムスのような男は、全世界の女がみんな自分を好きになるものだと思っているんだろう。

「婚約者に妬かれると嫌なので、止めてくださいね」

「ヴィシェフラドの国情が変われば、婚約者もすげかえだろう。それが政略というものだ。あの男も、それはわかっているだろう」

「現在わたくしはラーシュの婚約者です。婚約者のいる身でと、不名誉な誹りをうけるのはわたくしですよ?」

 ちょっときつめに「やめろ」と言ってやる。
 今回の助力には心から感謝しているけど、それとこれとは別だ。
 さすがにリヴシェの本気がわかったのか、ラスムスは不機嫌に黙り込んで顔を背けた。
 めんどうくさい。
 どうして男と女がいると、こういう色恋話と無縁でいられないのか。
 前世もそうだった。ただの仕事仲間と一緒にいるだけで、その彼を好きらしい女の子から意地悪をされたこともあった。
 リヴシェ幸福化計画の軸は、婚約者とのハピエンだ。政略で結ばれた縁なら激しい感情とは無縁でいられるだろうし、なにより周囲からのいやがらせがきっと少ない。
 平和で穏やかな未来のために、ぜひとも守りたい軸なのだ。

「ところで陛下、先ほど主力は陛下とわたくしとおっしゃいましたが。
 それならばそろそろ狙われると、そう考えておいでになる?」

 気を取り直して、仕事の話に戻した。
 気まずくなったままでは困る。ラーシュではないけど、ヴィシェフラドの存亡がかかっているのだ。

「例の皇子が動くだろう。あれは大した魔導士らしい。大がかりな転移魔法、精神干渉の術を使える」

 ああ、あの月の皇子か。あの神秘的な謎めいた雰囲気には、そういう事情があったのかと納得する。
 すっごく強いのだろうとは、感じていた。リヴシェの寵力が反応するくらいの、強い魔力を持っていたから。
 転移魔法は知っていたが、それにしても精神干渉とは穏やかではない。

「それは魅了……のこと?」

 ファンタジー小説あるあるの、周りの人々の好意を独り占めにするアレだ。

「カビーア皇子なら、そんな力必要としないでしょうにね」

 あの美貌ならそんな力要らないだろうと、ちょっと笑いながら口にすると、ラスムスは厳しい顔で首を振った。

「あいつのは、そんなヤワなものじゃない。言葉どおり精神に干渉する力だ。
 俺やおまえにはおそらく効かないだろうが、あの力は怖ろしい武器になる」

 例えば砦中の騎士が、リヴシェやラスムスに襲いかかるかもしれないと。
 そうなった時、リヴシェに彼らを傷つけることができるか。操られているだけの味方だ。彼らは何も悪くないというのに。
 
「おまえにはできないだろうな。
 ということで、今夜から俺の部屋で休め。これは司令官としての命令だ。否やは認めん」

 周りには、よくよく周知しておくとラスムスは続けた。
 あくまでも女王の身の安全のためで、不埒な真似に及ぶことはない。ラスムス・ノルデンフェルトの名にかけて、それを誓うと。

「まあ、何が不埒かなどとは俺が決めることだがな」

 唇の端をわずかにあげて、艶のある視線を投げられる。
 そんな状況ではないのに、どうしてこんなに余裕があるのだろう。これが男主人公ヒーローの余裕なんだろうか。
 けどほっとする。
 信じている味方が一瞬で敵になるかもしれないなんて。その中にはもしかしたらラーシュもいるかも。
 思うだけで身震いするような事態を、ラスムスはわかっていて軽く笑い飛ばす。
 認めたくはないけど、心が少しだけ軽くなった。

「わかりました。ではよろしくお願いいたします」

 寝台は別ですからねと、念をおしたのは言うまでもない。
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