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第二章 設定外が多すぎて

16. 婚約者はほの暗く笑った

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 ジェリド伯爵夫人が去って数日後のこと。
 王宮に戻ったリヴシェは、風のとおる四阿にお茶を用意してゆったりと過ごしていた。
 もちろん焼き菓子もある。

 なんとなくだけど、王宮の空気が良い。
 澄んでいるというか、穏やかというか。
 母王妃の機嫌もすこぶる良くて、毎日の食事も進むのだとか。
 ペリエ夫人の小言もずいぶん減った。
 ノージェリオ効果だ。

 リヴシェの好みを知り尽くしたパティシエが用意してくれた焼き菓子は、いつ見ても圧巻の美しさ、可愛らしさだ。
 相変わらずペリエ夫人がやかましく言うので、1度のお茶で許されるのは1つだけと決められている。それなら最初から1つだけ出してくれればあきらめもつくというのに、見てくれも大事だと3段重ねのトレイにしっかり飾られている。色とりどり、綺麗に飾られたプチフールは、見せ菓子だとわかっているから恨めしい。
 どれにしようか。
 散々迷った末、アーモンドプードルをたっぷり使ったフィナンシェに決めた。
 給仕のメイドに伝えると、白い皿にちょこんとのせられてくる。
 
「良い笑顔だね、リーヴ」

 少し離れた白い薔薇の茂みから、ラーシュの声がした。
 涼し気な青のジュストコールは夏仕様で、腕には水色の小箱を抱えている。

「はい、いつもの」

 何を贈るより喜んでもらえると知ってから、ラーシュのお土産はいつも同じだ。
 王都の焼き菓子専門店で買い求めたもの。
 午前中には売り切れてしまうという人気のショップで、ここは貴族といえど特別扱いはしないので有名だった。
 上質な材料を使っているのに、べらぼうな価格設定はしていない。店主であるパティシエが一人で作っているので、一日の販売量も限られている。
 もっと大々的にやればとどんなに勧められても、「うちはこれで良い」とけして首を縦には振らないのだとか。
 その職人気質ぶりが世間に受けて、朝早くから行列の絶えない繁盛ぶりで、たとえ王侯貴族でもその列に並ばずには手に入らない幻の菓子だ。
 それを、ほぼ毎日のようにラーシュは持ってきてくれる。

「毎日でなくて良いのよ。
 大変でしょう」

 ラーシュ自ら並ぶことはないだろうけど、それにしてもラチェス公爵家の人々が気の毒だ。

「必ず手に入れること」

 このミッションを受けて、早朝から並んでいるのだろうことは想像に難くない。
 ラーシュのことを「最もラチェスらしいラチェス」と、周りはこっそり呼んでいる。権謀術数に長けたラチェス家にあって、当主や跡継ぎである兄よりも考えの読めない男、不気味だと言われている。
 そのラーシュに課されたミッションだ。
 買えずば戻れず……というところか。

「たくさんいただいても、そんなに食べられないのよ。
 ペリエ夫人が見張っているんだもの。
 だからね、たまーにで良いの」

 どんなに贅沢なお菓子も、食べられないのでは仕方ない。もったいないからと傍仕えの侍女に下げ渡すくらいなら、1週間に1度くらの頻度に下げてもらった方がラチェス公爵家の人々にはありがたいだろう。

「僕の楽しみを取り上げないでほしいな。
 毎朝並ぶの、もう日課になってるんだから」

 形の良い眉を下げてしょんぼりと返すラーシュに、自分で並んでいるのかと驚いた。

「ほんとにラーシュが並んでくれてるの?
 毎朝?」

「当然だよ。
 リーヴの口に入るものだよ?
 他人の手に触れさせると思う?」

 至極当然のことだと澄ましているラーシュに、いやいやそれならもっと、毎日はいいと思う。

「わたくしだって、ラーシュのくれたものを食べられないのはつらいわ。
 せっかくのラーシュの気持ちだもの。みーんなわたくしが食べたいのよ。
 1週間かけて毎日少しずついただくから、ね?
 1週間に1度が良いな」

 かぁっと一気に血が上るのがわかるほど、ラーシュの白い頬がばら色に染まった。

「ずるいな、リーヴ。
 そんな表情かおされたら、僕いやだと言えないじゃないか」

 ああ、美しい。
 少年のしっぽを少しだけ残した青年の、危うげな色気がダダ漏れだ。
 リヴシェを愛し気に見つめる青い瞳は、小説では二コラに向けられているはずのもので、まぁよく二コラは平気だったものだと思う。
 無邪気で天真爛漫で天使のように汚れない美少女は、この熱っぽい視線を浴びせかけられても、まるでラーシュの思いに気づかなかった。

 絶対、嘘よ。

 気づかないわけない。この方面に敏いとは言えないリヴシェでも気づくのだ。気づいていて気づかないフリをした。その方が都合が良かったから。

 何が天使なものですか。
 良く言って、かなりの数の猫を被っているわね、アレは。

 その二コラは、今やノルデンフェルトへ行った。
 既に皇帝に即位したラスムスの側にいるはずで、きっともうすぐ彼らの結婚の知らせが届くのだろう。
 そうなれば良いと思っているけど、小説にはなかった伯爵夫人の輿入れが気になった。

「急に側室だなんて、正直なところ驚いたわ」

 ラーシュが来たら、聞いてみようと思っていた。話を振ったからといって、すべてを話してくれないだろうけど。

「そうだね。
 呆れたという方が近いけど、まあ驚いたかな」

 ほらやはり。澄ました表情かおで、ラーシュはお茶のカップを手にしている。
 
「知ってたの?」

 ラーシュがというよりラチェス公爵家が、この件には絡んでいるような気がした。
 あの伯父が平然と笑っていたと聞いた時から。

「うん、知ってたよ」

「何を考えてるの?」

 あのゴージャスなオバ……、ジェリオ伯爵夫人を嫁がせて、良いことが何かあるのだろうか。
 彼女は賢くない。隠さなければならない本心を平気でさらけ出し、いくつになっても女の武器が使えると信じているような、まあ言ってみればイタい人だ。
 けれどそのイタい人を長年寵愛してきたのはリヴシェの父国王で、その父も相当に残念な人だから夫人を他国に出すのは心配なのだ。
 きっといろいろと愚痴まじりに、国の大事な機密を喋ってるに違いない。彼女の頭脳でそれらを細かく憶えていることはできないだろうけど、断片的にちょっとずつなら憶えているんじゃないか。その中に、取り返しのつかない情報があったらどうする。
 リヴシェに権限があったなら、彼女を外へ出すことなど絶対にしなかったと思う。

「害虫駆除は大がかりにって、僕言ったよね?
 駆除しても、また出てくるようじゃ意味ないからね。
 やるなら徹底的にだよ」

 ふ……とほの暗い微笑を浮かべて、もうそれ以上は何を聞いても答えてくれなかった。

「安心して、リーヴ。
 汚いこと嫌なことは、みんな僕が片づけるから。
 君はただ笑ってくれてたら、それで良いんだ」

 ぼーっと見てたら、リヴシェに不幸フラグが立つじゃない。
 そんなことはできないと思う。
 思う……けど。いや、マジでヤバい。
 君は笑っててくれたらそれで良いなんて、こんなことを言われてキュンとしないならオトメではない。
 ノルデンフェルトの思惑は気になるけど、それはまたあらためて考えよう。
 今はオトメモードに浸らせてもらう。
 金髪碧眼の麗しい王子様が、目の前で愛を囁いてくれてるのだから。
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