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第一章 セルメシア編
第30話 セラと激辛ラーメン
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部屋に戻ったロベルトは布団に入り、眠りの世界に入ったものの数時間で目が覚めた。
目を開けて知らない天井だ、の一言でも言いたかったがそもそも部屋が暗くて天井すら見えていない。
それもそのはず、時刻はまだ夜中の4時を少しだけ回っており、太陽も未だ地平線の向こう側にいる時間帯。
目が覚めてしまったロベルトは布団から這い上がり、部屋の扉を開けると空の向こう側にほんの少しだけ、うっすらと灯りが見え始めていた。
どうやら太陽もおはようの時間が近づいてたきようだ。
「せっかくだから八極拳の自主練でもするか」
昨日ロウから渡された八極拳に関する書物。
その本に書いてある八極拳を覚えるうえで必要な套路、八極小架をこの機会にやっておこうと思ったロベルトはロウから本と一緒にもらった武術服を着たのち、部屋を出てある場所へと向かった。
林鳴館……ローファンの修行場であり、ルナティールの11の神々の一人、武神ガゼルの大仏が安置されている道場だ。
「うぅー寒い……」
まだ朝方ゆえに冷え込んでおり、武術服を着ているロベルトは腕を自らの体みに抱いて少しだけ体を震わせる。
吐く息もほんのり白く、気温もおそらく低いだろう。
ちなみにセルメシアは日本のように春夏秋冬といった季節はなく、年中を通して気温は寒い傾向にある。
その原因はセルメシアの北にある極寒の大陸、ルユカ大陸の上空に渦巻く寒気がこの大陸に流れているせいだ。
生前は時期によって気温も変わり、夏は暑く冬は寒いというサイクルになれていたロベルトも、転生してからは一年中寒い感覚になれるまでは大変だった。
林鳴館に到着したロベルトは玄関を開けようと扉にかけた瞬間、ぴたりと手の動きが止まる。
彼の耳に聞こえるのは女性の気合の入った声。
中に誰かいる、そう判断したロベルトは恐る恐る扉を少しだけ開けて中を覗き見ると、そこには自分がよく知っている顔がした。
「はぁっ! それっ!」
林鳴館の中には赤い武術服を着て稽古をしているアイリの姿があった。
どうやら彼女もロベルトと同じように朝早く起きて朝練に精を出しているようだ。
見知った顔をみて安心したロベルトは扉を大きく開けて中に入ると、アイリも彼に気づく。
「あっ、翼……おはよう」
「おはようさん。朝から気合入っているな」
「うん。その……昨日はごめんね」
「気にするなって。もう大丈夫だ。俺のほうもごめんな」
アイリは昨日の事を気にしているようだが、ロベルトはさほど気にしていない。
「それよりも朝から練習とは俺たち、考えも似ているよな」
「ふふっ、そうだね」
前世では17年間、今世では18年という長い年月、共に過ごした為かこの二人は似た者同士というやつなのだろう。
力を得るために開いている時間を見つけては修行に励む。
こうした努力による力の蓄積こそが、本当の力を得るための近道なのだろう。
「それじゃ、俺もやるとしましょうかね。えーと確か八極小架だっけ」
ロベルトは持ってきた本を開いて中身を見る。
人間が色んなポーズをしている絵が描かれており、その動きだけでも10頁近くある。
これがロウのいう八極拳の基礎ともいえる套路、八極小架だ。
八極小架と言うのはいわば砲台であり、基礎そのもの。
昨日ロウが言った通り、基礎ができなければこれから八極拳を極めることは無理である。
本を見続けるロベルトだったが、5分ほどで本を閉じて床に置くと彼は両腕を前に伸ばしつつ両足を揃えて膝を曲げる。
ちなみにこの状態の事を起式と呼ぶ。
目を閉じて神経を集中する。
聞こえるのは夜の虫の鳴き声と、部屋の中を明るく照らす小さな焔が弾ける音。
一歩ずつ焦らずに、間違えてもいい。
最初の頃は失敗するのは当然。
始めからすべてができる人間なんて早々いない。
いるとすれば生まれつきの天才か、はたまた人間ではなく神か。
八極小架、その最初の一歩をロベルトが動き出した。
両腕を前に突き出したまま最初に右足を大きく前に踏み出す。
続いて左足を前に出し、右足を曲げては右腕も曲げつつ右手を腰に添え、左手を前に突き出す。
「はぁっ!!」
両足を再び揃えつつ、さらに右足を前に大きく踏み込む震脚から、右の拳を前に突き出す冲捶。
その後は本に描かれているような動きを繰り返す。
ある者はまるで誰かと戦っているかのような動き、ある者は踊っているかのような動きと評するだろう。
その動きは竜が空を舞うかのように優雅で堂々としている。
とても初心者とは思えない動きだ。
「ふぅ……」
2分ほどで八極小架が終わり、ロベルトは一息つく。
小さな篝火が道場内を照らして温かくしているとはいえ、吐いた息が白くなっては消えていく。
その時、道場の扉からぱちぱちと拍手が聞こえた。
彼らはそのほうに顔を向けると、ある人物がいた。
「おはようさん。見事な八極小架だったな」
「ロウさん! おはようございます!」
ロベルトの八極小架を見て満足気なロウが笑っていた。
「まさか本を見ただけであそこまで綺麗な八極小架を出せるとはな。じゃあ次はアイリちゃんだな。見せてみろ」
「はい!」
ロウの言葉で今度はアイリが八極小架の構えをとる。
先ほどのロベルトと同じように、両足を揃えつつ膝を曲げては両腕を前に突き出す。
目を閉じて集中しては自らの心を落ち着かせる。
「……せやぁ!!」
気合の入った声と共に彼女も右足を大きく前に踏み込む。
ロベルトが龍の舞であるならば、彼女は着ている武術服の刺繍に習って朱雀の舞ともいえよう。
東の竜と南の朱雀。
司る方角は違うも、目指す志は同じだ、
2分ほどでアイリも八極小架を終え、それを見ていた二人は拍手で称賛する。
「流石だな。これから今後も八極拳を教えても問題はないな」
「ほんとですか!?」
「あぁ。ただお前らはまだ初心者も初心者だ。まずは昨日教えた技を極めるところから始めろ。それじゃ朝飯まで時間もあることだし……昨日は教えれなかった技を最後に一つ、教えてやる」
明朝の時間帯の訓練、現段階でのロベルトとアイリの最後の訓練。
それがこれより始まる。
「最後の技……肩や背中による体当たり……劈山掌だ!」
「あっ、それ名前だけなら聞いたことあります」
「おーそうか。じゃあ話が早い。少し待ってろ」
そう言ってロウは部屋の奥の扉を開けては中に入る。
少し待っていると、彼は部屋の中から大きな丸太を担ぎ上げてロベルトたちのところにやってきた。
「ま、丸太……」
「今からこのデカい丸太に何度も劈山掌で突進しまくれ。まずは俺が手本を見せてやる」
肩にかづいている丸太を道場の中央に建てる。
丸太は相当な太さがあるため、ちょっと衝撃を当てた程度ではびくともせず倒れることはない。
だが、巨大魔獣をいともたやすく倒せるロウならば、こんな丸太なんて彼にとっては小枝に等しいだろう。
「それじゃ、よーく見とけよ」
ロウは丸太を見据えて一息ついては、丸太に背を向ける。
先ほど劈山掌は肩や背中での攻撃と言ったので、まずは対象に背中を向けている必要がある。
そしてロウが動いた。
一瞬ではあるものの、単純な背中での押し出し攻撃。
しかし使いようによっては強力な攻撃になる。
「これが劈山掌だ。じゃあまずはロベルトからだ。エーテルを纏ってやってみろ」
「はい!」
ロウに指名されたロベルトが丸太に背を向けて、目を閉じては再び集中しては体にエーテルを纏う。
道場の内部にうっすらと太陽の光が入り込んできた。
どうやら太陽もそろそろ顔を出す時間帯が来たようだ。
朝日の光がロベルトの顔をほんの少し照らしだしたところで、彼は動いた。
「はぁ!!」
ロウの手本通り、左手を頭より上げては右手は腹に添える。
右足を曲げつつ左足を伸ばしては、後ろにある丸太に向かって力いっぱい体当たりをする。
ロベルトの力強い劈山掌は太い丸太を少しだけ動かした。
「おぉーやるじゃねぇか。じゃあ次はアイリちゃんだ」
「わかりました!」
ロベルトに変わり、次はアイリの番。
彼女も先ほどのロベルトと同じように腰を低くしつつ構えて……
「えいっ!!」
男に負けないほどの勢いで丸太に突撃する。
勢いよく突撃したおかげで丸太がほんの少しだけぐらつく。
「なかなかいい劈山掌だな。じゃあ交代しながら飯の時間までやってみろ」
ロウのこの言葉で二人は大きな丸太に交代しつつ何度も突撃していく。
普通であれば何度もぶつかれば体に痛みを伴うが、エーテルを纏っているおかげなのか痛みがほとんどない。
おそらくエーテル自体が吸収材の役割をしているのだろう。
二人が何度もぶつかっていくおかげで丸太が少しずつへこんでいき……
「あっ!!」
力加減を間違えたのか、ロベルトが劈山掌を繰り出した瞬間丸太が大きく吹き飛び、形もえぐれては使い物にならなくなってしまった。
「おーこりゃ派手にやったな」
「す、すみません!」
「いいって。この丸太、随分前のものだったからな。だいぶ腐ってたんだろ。またどこからか新しいの仕入れていくから気にするな」
壊してしまったことをロベルトはロウに詫びるも、彼は笑ってそれを許す。
形あるものはいずれ壊れる。
それにロベルトはわざと壊したわけでもないし、ましてや昔の腐りかけた丸太であればなおさら壊れやすい。
「さて……丸太もなくなっちまったし、ここまでだな。今の時点で俺が教えられる八極拳は以上だ。他の技もあるが今のお前らにはまだ早いからな。時期を見てまた教えてやる」
「「はい! ありがとうございます!!」」
技を教えてもらったロウに対して二人は右手で拳を作り、左手を開いて胸の前で合わせて礼を言う。
これは昔の中国での挨拶の仕方で拱手(こうしゅ)と言う。
ナギ国では武術家などが稽古や試合の前や後に行う礼儀として広まっている。
「最後に俺から一つ、言葉を送ろう。武林是一家という言葉だ」
「武林是一家?」
「武術社会というのは一つの家族のようなものでな。一度認められれば兄弟のようなものだ。これを武林是一家と言うんだ」
「じゃあ俺からしたらロウさんは師匠であり兄貴分みたいなものですよね」
「そういうことだ! ははは!!」
笑うロウの笑顔には温かい感情が伝わる。
彼にとってローファンやバン一家、そしてこのナギ国に住む民は全員家族のようなものなのだろう。
そんな男が生前ヤクザとは到底思えないほど、今のロウは恵まれている。
「よし! じゃあそろそろ飯行くか! それと今日は俺仕事があるから稽古には付き合えないが、せっかくこの国に来たんだ。ちょっと街中を探索でもしてみな?」
「ありがとうございます!」
昨日から八極拳を教えてくれたロウに最大限の経緯を払いつつ、二人はお礼を言う。
今回はある意味外交も兼ねてこの国に来ているのだ。
それに両親への土産を買うのも悪くはない。
「最後にもう一つ。昨日も言ったが日々の功夫を忘れるなよ。八極小架もな! じゃあ飯食いに行くぞ!」
林鳴館を後にしたロベルトとアイリは私服に着替えた後、食堂へと言ってナギ国の朝食を楽しんだ。
空を見れば浮雲が浮かんでは風に流され、その間に太陽が顔を出している。
天に浮かぶ宝石は眩い光を出しては地上に光をもたらす。
だがナギ国の民は非常にパワフルであり、太陽にも負けないほどの元気がある。
既にいくらかの店舗が開店しており、気前のいいおばちゃんがまだ朝なのにも関わらず店先で呼び込みをしているほど。
ナギ国は中国を彷彿とさせる国であり、かつての洛陽や長安もこんな風に活気があふれていたのだろうか。
「ここって凄い活気だな」
「メランシェルのクレミア通りよりも凄いんじゃねぇか?」
ご存じ、メランシェルのクレミア通りは飲食店が立ち並んでおり、昼時になれば地面が見えなくなるほど人で埋め尽くされる。
だがこの通りもクレミア通りに負けておらず、しかも朝の時点ですでに多くの人が右往左往している。
飲食店も多いが、ここは土産屋が多いのだろう。
「あっ! そういえば義姉さんや兄貴の土産を買わねぇと!」
「そういえば俺も何か買わないと」
シリウスやエミリーの性格を考えても、お土産よりも息子の身の安全を考えていそうな気もするが、せっかく来たのだから何か買っておいてもいいだろう。
そのほうがあの二人もより喜ぶ。
ロベルトは店先に目を配ると、ナギ国特有の郷土土産が並べられており、よい土を使って焼かれた焼き物から圧倒的な存在感を放つ土偶やらいろいろある。
一体どんなお土産を買おうか悩んでいると……
「あれ? ロベルト? それにアルトじゃん!」
「え?」
背後から可愛らしい女性の声が聞こえたので、二人は振り向くと麗しいドレスを身に纏ったセラが驚いた顔で立っていた。
「セラ!? 何でここにいるんだ!?」
「それはこっちのセリフよ。何で貴方たちがここに?」
「陛下の任務でちょっとこっちに来てるんだよ。勅命任務でな」
「ちょ、勅命任務ですって!? それって凄いじゃない!」
オスカー直々の勅命はアルメスタの騎士からしたら、特別な意味を持つ。
知り合い二人がそんな重要な任務を王から下されたと知ったセラは更に驚く。
「まぁな。今はちょっと街をぶらついているんだよ。隣国の事も勉強することも大事だって義姉さんが言っていたからな」
「義姉さんってナタリーさんの事よね? 相変わらずアルくーんって言って飛びついてきてるの?」
「あぁ……あれはそろそろ勘弁してほしいぜ」
アルトはナタリーの事は嫌いではない。
好きか嫌いかと言えば、むしろ好きなほうだ。
しかし彼の姿をみるやいなや、いきなり飛びついては抱き着くのは正直迷惑している。
あれだけはなんとか直してほしいとぼやいている。
「それよりも……貴方たち、とんでもないことをしてくれたわよね」
「はぁ!?」
「何が!?」
「巨大魔獣よ。私今日は非番で朝から始発の列車に乗ってナギ国に行こうとしてたんだけど……貴方たちが巨大魔獣を見つけてくれたおかげで今朝、緊急の集会が開かれて結局ナギ国についたのお昼になっちゃったのよ」
「いや……別に俺たちが見つけたわけじゃないんだが」
正確に言えば彼らが見つけたのではなく、スー・ヤンの竹林で魔獣討伐をしていたロウが見つけ、それをシャルロットが電話でハイドに伝えたのだ。
だが巨大魔獣はセルメシア大陸ではこれまで目撃例がなかったため、今日の緊急集会はその巨大魔獣の件での集会だろう。
「そ、そんなことよりもお前なんでこっちにいるんだ?」
「私ね、暇さえあればよくナギ国に遊びに行くの。ここって料理もおいしいしメランシェルとは違ったものもあって楽しいから。そうだ、そういえば二人ってお昼まだよね?」
「そういえばまだ食べていないな」
街を考えもなくふらついていれば、いつの間にかお昼に近づいているもの。
二人のお腹の虫も空腹をお知らせするかのように、鳴く頃だろう。
「じゃあ私の行きつけのお店に案内してあげる。そこにランタオって食べ物があってね。とっても美味しいの」
「ランタオってなんだ?」
「これば分かるよ」
彼女のいうランタオという食べ物が何なのかは不明ではあるが、どんな料理なのか気になるロベルトとアルトは興味津々でセラの後をついていくことにした。
大通りから少し外れた小さな脇道。
人の往来も少なく、表の喧騒から程遠い場所。
セラについていくロベルトとアルトはこの脇道にまでついていき、とある店を見つけることになる。
「ここよ」
彼女のいうランタオという食べ物がある店は、大きな看板が圧倒的存在感を放ち、店先に独特の香りが立ち込めていた。
(あれ? この香りって……)
鼻先を通る香ばしくもコクのある香り……臭い匂いとは真逆の食欲が増幅するような香りだ。
しかもその香りはロベルトにとっては懐かしい香りだった。
懐かしき香りと共に過去の記憶から引きずり出される思い出の食べ物……その正体は……
「らっしゃーい! あ、セラちゃん!」
「大将、久しぶりね」
店の扉を開けたセラは中にいる、バンダナを頭に巻いた亭主らしき人物に挨拶をする。
どうやら二人は顔見知りで中もいいようだ。
「あぁ久しぶりだな。最近見なかったけどどうしたんだ?」
「ちょっと騎士団の仕事が忙しくなってね。特に今は盗賊団絡みでごたついているから」
「そうかそうか! 後ろの子は友達か?」
「同じ騎士団の同期で友達よ」
「おっ、じゃあ今日はテーブル席でいいかな?」
「いいわ」
「よし!! じゃあテーブル席3人ごあんなーい!!」
大将の気合の入った大きな声が店内に響き、彼らはテーブル席へと案内された。
テーブル席に案内される道中、店内にはカウンター席がありそこには既に他の客がセラの言うランタオを食べていた。
だがそのランタオというものが、ロベルトにとっては前世では見慣れた食べ物であった。
どんぶりに入っている細い麺を客が箸で口元まで運び、ずるずるといい音を出しながら食べている。
ランタオとは、ロベルトの前世でいうラーメンの事だったのだ。
テーブル席に案内された彼らはロベルトの隣にアルト、彼らと対面するようにセラが座る。
「ほら、メニューよ。好きなの選んでね」
セラがテーブルの端に置いてあったメニュー表を手に取って彼らに渡す。
受け取ったメニュー表を開くと、たくさんの種類のラーメン……ランタオが写真付きで乗っていた。
「ロベルト、どれにする?」
「そうだな…じゃあここは無難に普通のラーメン……じゃなくてランタオにしようか」
メニュー表に乗っている普通のランタオにはどんぶりの中に麺に海苔、肉やゆで卵などが入っている。
他にも麺二倍や卵たくさんと言ったやつなどもあったが、初めてのお店では普通のラーメンから食べたいものだ。
ロベルトは普通のランタオを注文し、アルトも同じ奴を注文する。
「すみません。ランタオ二つお願いしまーす」
「あいよ! セラちゃんはいつもの奴かい?」
「そうね。それをお願いしてもいい?」
「もちろん! スペシャルメニューいっちょお待ちを!!」
セラの口から出てきたこの店のスペシャルメニュー。
メニューにも載っていないことから、おそらく常連向けの特別メニューの類か何かだろう。
「セラ、何を頼んだんだ?」
「それは…来てからのお楽しみよ」
アルトが気になったのか、彼はセラに質問しながらも彼女はにやりと笑う。
直感というやつなのか、この時ロベルトは内心嫌な予感がした。
10分くらいたった頃、まずロベルトとアルヴィンが注文したランタオが到着した。
どんぶりから出ている湯気に見ているだけでもお腹がすきそうな濃厚なスープと麺。
夜中にこんなものを見たら間違いなく飯テロ案件である。
「さ、どうぞ食べて。これ放っておくと麺が伸びちゃうから」
前世でのラーメンの知識を知っているロベルトは当然知っていることだが、初めてランタオを見たアルトはそうなのかと一言口にする。
「じゃあロベルト。食べようぜ」
「それじゃあいただくとしよう」
ロベルトは近くに置いてあった箸、アルトはフォークを手に取ってランタオの麺を救い上げて口に運ぶ。
もっちりとした麺の触感にパンチのきいた醤油の味、どんぶりから漂う洗礼された香り……どれをとっても見事な味。
セラが通い詰めて行きつけにするのも納得のいくものだ。
これならアイリやリナリーにもおすすめしても悪くはないし、ぜひ家族で一緒に行ってもいいだろう。
「ほいセラちゃん! ランタオ・スペシャルメニュー一人前、おまちどう!!」
亭主が威勢のいい声を出しながら持ってきたスペシャルメニューとやらを、セラの前に置く。
だが……
「うっ!?」
「なんじゃそれ!?」
男二人は彼女が頼んだランタオ・スペシャルメニューを見た瞬間、驚愕して次に出す言葉を失う。
どんぶり表面に赤い粉が大量に盛られており、もはやどんぶりの中の麺が見えなくなっている。
更にこの粉から匂ってくる顔がロベルトの鼻を刺激し、彼の瞳には涙が浮かぶ。
「それってまさか……チィリアか!?」
「そうよ。これをどんぶり一杯かけて食べるのが私の楽しみでねー。ナギ国に来るたびに毎回これは絶対に食べるんだー」
チィリアというのはこの世界の唐辛子の事。
つまり……セラの言うスペシャルメニューとは唐辛子を大量にぶち込んだ激辛ラーメンの事である。
気のせいだと思いたいが、彼女の目の前に置かれている激辛ラーメンこと激辛ランタオからは目に見えるほどの赤く異様なオーラが漂う。
食べなくとも見ているだけで相当な汗が出てきたのは気のせいだろうか。
「どう?食べる?」
「「いやいい!! 俺たちはこれで十分だから!!」」
「そう?おいしいのに……」
セラは残念そうに言って激辛ランタオを箸ですすってずるずると食べ始める。
常人であれば一口すすっただけで噎せるような危険物を彼女はいたって普通に食べている。
高価なドレスを着ながらランタオをすする彼女……どこかシュールな絵面だ。
長い付き合いであるセラがまさかの辛党という意外な一面を知った男二人であった。
気を取り直してロベルトは自分のランタオをすすっていると……
「なぁ兄貴……やばいって!」
「うるせーな。ここで下がったら男じゃねぇよ!」
後ろのテーブル席から二人の男性客が何やら話していた。
気になった彼は後ろを振り向いてこっそり覗く。
どうやら男二人は兄弟のようだが……兄らしき人物がセラと同じランタオ・スペシャルメニュー……つまり激辛ランタオを食べていたのだ。
「いざ、参る!」
男は覚悟を持って麺を箸で救い上げて口の中にずるずると音を立てながら食べる。
最初は行けるかと思いきや……ものの数秒で男の顔はトマトの如く真っ赤になり……
「かっらあああああああああああああ!!」
「兄貴いいいいいぃぃぃ!!」
「……何だこれ」
まるでコントでも見ているようだ。
激辛ランタオを食べた男は口から炎を吐きながら絶叫し、その場に倒れる。
「あーもう全く……これから慣れていない客にはこれ出したくないんだよ。材料の無駄遣いだし。そこのあんた、代金はちゃんと払ってもらうよ」
「えぇ!?俺が!?」
当たり前だ。
食べれなかったからお金出しませんなんて通じない。
前世の法律でも出された食事に口をつけて食べた時点で、取引は成立して金銭も発生する。
「当然だろうが! 出さないと出入り禁止にするぞ!」
「は、はい。払います……」
倒れた兄に変わって弟が代わりに代金を払うことになった。
大量の唐辛子を使っている分、他のランタオよりも料金は高い。
弟はしぶしぶ財布からお金を出して亭主に差し出し、倒れている兄をかづいて店から出ていった。
「やれやれ……あっ、そうだセラちゃん。せっかくだからこれも食べる? 無料にしてあげるから」
「えっ!? いいの!? じゃあせっかくだからいただくわね。ありがとう!」
嬉しそうにそう返すセラ。
これで彼女の前には激辛ランタオが二人分並び、異様なオーラが増幅してはここは魔界かと思うほどの錯覚を覚える。
二つのどんぶりから放たれるチィリアこと唐辛子の成分に負けないように、男二人は自分のランタオを食すことにした。
目を開けて知らない天井だ、の一言でも言いたかったがそもそも部屋が暗くて天井すら見えていない。
それもそのはず、時刻はまだ夜中の4時を少しだけ回っており、太陽も未だ地平線の向こう側にいる時間帯。
目が覚めてしまったロベルトは布団から這い上がり、部屋の扉を開けると空の向こう側にほんの少しだけ、うっすらと灯りが見え始めていた。
どうやら太陽もおはようの時間が近づいてたきようだ。
「せっかくだから八極拳の自主練でもするか」
昨日ロウから渡された八極拳に関する書物。
その本に書いてある八極拳を覚えるうえで必要な套路、八極小架をこの機会にやっておこうと思ったロベルトはロウから本と一緒にもらった武術服を着たのち、部屋を出てある場所へと向かった。
林鳴館……ローファンの修行場であり、ルナティールの11の神々の一人、武神ガゼルの大仏が安置されている道場だ。
「うぅー寒い……」
まだ朝方ゆえに冷え込んでおり、武術服を着ているロベルトは腕を自らの体みに抱いて少しだけ体を震わせる。
吐く息もほんのり白く、気温もおそらく低いだろう。
ちなみにセルメシアは日本のように春夏秋冬といった季節はなく、年中を通して気温は寒い傾向にある。
その原因はセルメシアの北にある極寒の大陸、ルユカ大陸の上空に渦巻く寒気がこの大陸に流れているせいだ。
生前は時期によって気温も変わり、夏は暑く冬は寒いというサイクルになれていたロベルトも、転生してからは一年中寒い感覚になれるまでは大変だった。
林鳴館に到着したロベルトは玄関を開けようと扉にかけた瞬間、ぴたりと手の動きが止まる。
彼の耳に聞こえるのは女性の気合の入った声。
中に誰かいる、そう判断したロベルトは恐る恐る扉を少しだけ開けて中を覗き見ると、そこには自分がよく知っている顔がした。
「はぁっ! それっ!」
林鳴館の中には赤い武術服を着て稽古をしているアイリの姿があった。
どうやら彼女もロベルトと同じように朝早く起きて朝練に精を出しているようだ。
見知った顔をみて安心したロベルトは扉を大きく開けて中に入ると、アイリも彼に気づく。
「あっ、翼……おはよう」
「おはようさん。朝から気合入っているな」
「うん。その……昨日はごめんね」
「気にするなって。もう大丈夫だ。俺のほうもごめんな」
アイリは昨日の事を気にしているようだが、ロベルトはさほど気にしていない。
「それよりも朝から練習とは俺たち、考えも似ているよな」
「ふふっ、そうだね」
前世では17年間、今世では18年という長い年月、共に過ごした為かこの二人は似た者同士というやつなのだろう。
力を得るために開いている時間を見つけては修行に励む。
こうした努力による力の蓄積こそが、本当の力を得るための近道なのだろう。
「それじゃ、俺もやるとしましょうかね。えーと確か八極小架だっけ」
ロベルトは持ってきた本を開いて中身を見る。
人間が色んなポーズをしている絵が描かれており、その動きだけでも10頁近くある。
これがロウのいう八極拳の基礎ともいえる套路、八極小架だ。
八極小架と言うのはいわば砲台であり、基礎そのもの。
昨日ロウが言った通り、基礎ができなければこれから八極拳を極めることは無理である。
本を見続けるロベルトだったが、5分ほどで本を閉じて床に置くと彼は両腕を前に伸ばしつつ両足を揃えて膝を曲げる。
ちなみにこの状態の事を起式と呼ぶ。
目を閉じて神経を集中する。
聞こえるのは夜の虫の鳴き声と、部屋の中を明るく照らす小さな焔が弾ける音。
一歩ずつ焦らずに、間違えてもいい。
最初の頃は失敗するのは当然。
始めからすべてができる人間なんて早々いない。
いるとすれば生まれつきの天才か、はたまた人間ではなく神か。
八極小架、その最初の一歩をロベルトが動き出した。
両腕を前に突き出したまま最初に右足を大きく前に踏み出す。
続いて左足を前に出し、右足を曲げては右腕も曲げつつ右手を腰に添え、左手を前に突き出す。
「はぁっ!!」
両足を再び揃えつつ、さらに右足を前に大きく踏み込む震脚から、右の拳を前に突き出す冲捶。
その後は本に描かれているような動きを繰り返す。
ある者はまるで誰かと戦っているかのような動き、ある者は踊っているかのような動きと評するだろう。
その動きは竜が空を舞うかのように優雅で堂々としている。
とても初心者とは思えない動きだ。
「ふぅ……」
2分ほどで八極小架が終わり、ロベルトは一息つく。
小さな篝火が道場内を照らして温かくしているとはいえ、吐いた息が白くなっては消えていく。
その時、道場の扉からぱちぱちと拍手が聞こえた。
彼らはそのほうに顔を向けると、ある人物がいた。
「おはようさん。見事な八極小架だったな」
「ロウさん! おはようございます!」
ロベルトの八極小架を見て満足気なロウが笑っていた。
「まさか本を見ただけであそこまで綺麗な八極小架を出せるとはな。じゃあ次はアイリちゃんだな。見せてみろ」
「はい!」
ロウの言葉で今度はアイリが八極小架の構えをとる。
先ほどのロベルトと同じように、両足を揃えつつ膝を曲げては両腕を前に突き出す。
目を閉じて集中しては自らの心を落ち着かせる。
「……せやぁ!!」
気合の入った声と共に彼女も右足を大きく前に踏み込む。
ロベルトが龍の舞であるならば、彼女は着ている武術服の刺繍に習って朱雀の舞ともいえよう。
東の竜と南の朱雀。
司る方角は違うも、目指す志は同じだ、
2分ほどでアイリも八極小架を終え、それを見ていた二人は拍手で称賛する。
「流石だな。これから今後も八極拳を教えても問題はないな」
「ほんとですか!?」
「あぁ。ただお前らはまだ初心者も初心者だ。まずは昨日教えた技を極めるところから始めろ。それじゃ朝飯まで時間もあることだし……昨日は教えれなかった技を最後に一つ、教えてやる」
明朝の時間帯の訓練、現段階でのロベルトとアイリの最後の訓練。
それがこれより始まる。
「最後の技……肩や背中による体当たり……劈山掌だ!」
「あっ、それ名前だけなら聞いたことあります」
「おーそうか。じゃあ話が早い。少し待ってろ」
そう言ってロウは部屋の奥の扉を開けては中に入る。
少し待っていると、彼は部屋の中から大きな丸太を担ぎ上げてロベルトたちのところにやってきた。
「ま、丸太……」
「今からこのデカい丸太に何度も劈山掌で突進しまくれ。まずは俺が手本を見せてやる」
肩にかづいている丸太を道場の中央に建てる。
丸太は相当な太さがあるため、ちょっと衝撃を当てた程度ではびくともせず倒れることはない。
だが、巨大魔獣をいともたやすく倒せるロウならば、こんな丸太なんて彼にとっては小枝に等しいだろう。
「それじゃ、よーく見とけよ」
ロウは丸太を見据えて一息ついては、丸太に背を向ける。
先ほど劈山掌は肩や背中での攻撃と言ったので、まずは対象に背中を向けている必要がある。
そしてロウが動いた。
一瞬ではあるものの、単純な背中での押し出し攻撃。
しかし使いようによっては強力な攻撃になる。
「これが劈山掌だ。じゃあまずはロベルトからだ。エーテルを纏ってやってみろ」
「はい!」
ロウに指名されたロベルトが丸太に背を向けて、目を閉じては再び集中しては体にエーテルを纏う。
道場の内部にうっすらと太陽の光が入り込んできた。
どうやら太陽もそろそろ顔を出す時間帯が来たようだ。
朝日の光がロベルトの顔をほんの少し照らしだしたところで、彼は動いた。
「はぁ!!」
ロウの手本通り、左手を頭より上げては右手は腹に添える。
右足を曲げつつ左足を伸ばしては、後ろにある丸太に向かって力いっぱい体当たりをする。
ロベルトの力強い劈山掌は太い丸太を少しだけ動かした。
「おぉーやるじゃねぇか。じゃあ次はアイリちゃんだ」
「わかりました!」
ロベルトに変わり、次はアイリの番。
彼女も先ほどのロベルトと同じように腰を低くしつつ構えて……
「えいっ!!」
男に負けないほどの勢いで丸太に突撃する。
勢いよく突撃したおかげで丸太がほんの少しだけぐらつく。
「なかなかいい劈山掌だな。じゃあ交代しながら飯の時間までやってみろ」
ロウのこの言葉で二人は大きな丸太に交代しつつ何度も突撃していく。
普通であれば何度もぶつかれば体に痛みを伴うが、エーテルを纏っているおかげなのか痛みがほとんどない。
おそらくエーテル自体が吸収材の役割をしているのだろう。
二人が何度もぶつかっていくおかげで丸太が少しずつへこんでいき……
「あっ!!」
力加減を間違えたのか、ロベルトが劈山掌を繰り出した瞬間丸太が大きく吹き飛び、形もえぐれては使い物にならなくなってしまった。
「おーこりゃ派手にやったな」
「す、すみません!」
「いいって。この丸太、随分前のものだったからな。だいぶ腐ってたんだろ。またどこからか新しいの仕入れていくから気にするな」
壊してしまったことをロベルトはロウに詫びるも、彼は笑ってそれを許す。
形あるものはいずれ壊れる。
それにロベルトはわざと壊したわけでもないし、ましてや昔の腐りかけた丸太であればなおさら壊れやすい。
「さて……丸太もなくなっちまったし、ここまでだな。今の時点で俺が教えられる八極拳は以上だ。他の技もあるが今のお前らにはまだ早いからな。時期を見てまた教えてやる」
「「はい! ありがとうございます!!」」
技を教えてもらったロウに対して二人は右手で拳を作り、左手を開いて胸の前で合わせて礼を言う。
これは昔の中国での挨拶の仕方で拱手(こうしゅ)と言う。
ナギ国では武術家などが稽古や試合の前や後に行う礼儀として広まっている。
「最後に俺から一つ、言葉を送ろう。武林是一家という言葉だ」
「武林是一家?」
「武術社会というのは一つの家族のようなものでな。一度認められれば兄弟のようなものだ。これを武林是一家と言うんだ」
「じゃあ俺からしたらロウさんは師匠であり兄貴分みたいなものですよね」
「そういうことだ! ははは!!」
笑うロウの笑顔には温かい感情が伝わる。
彼にとってローファンやバン一家、そしてこのナギ国に住む民は全員家族のようなものなのだろう。
そんな男が生前ヤクザとは到底思えないほど、今のロウは恵まれている。
「よし! じゃあそろそろ飯行くか! それと今日は俺仕事があるから稽古には付き合えないが、せっかくこの国に来たんだ。ちょっと街中を探索でもしてみな?」
「ありがとうございます!」
昨日から八極拳を教えてくれたロウに最大限の経緯を払いつつ、二人はお礼を言う。
今回はある意味外交も兼ねてこの国に来ているのだ。
それに両親への土産を買うのも悪くはない。
「最後にもう一つ。昨日も言ったが日々の功夫を忘れるなよ。八極小架もな! じゃあ飯食いに行くぞ!」
林鳴館を後にしたロベルトとアイリは私服に着替えた後、食堂へと言ってナギ国の朝食を楽しんだ。
空を見れば浮雲が浮かんでは風に流され、その間に太陽が顔を出している。
天に浮かぶ宝石は眩い光を出しては地上に光をもたらす。
だがナギ国の民は非常にパワフルであり、太陽にも負けないほどの元気がある。
既にいくらかの店舗が開店しており、気前のいいおばちゃんがまだ朝なのにも関わらず店先で呼び込みをしているほど。
ナギ国は中国を彷彿とさせる国であり、かつての洛陽や長安もこんな風に活気があふれていたのだろうか。
「ここって凄い活気だな」
「メランシェルのクレミア通りよりも凄いんじゃねぇか?」
ご存じ、メランシェルのクレミア通りは飲食店が立ち並んでおり、昼時になれば地面が見えなくなるほど人で埋め尽くされる。
だがこの通りもクレミア通りに負けておらず、しかも朝の時点ですでに多くの人が右往左往している。
飲食店も多いが、ここは土産屋が多いのだろう。
「あっ! そういえば義姉さんや兄貴の土産を買わねぇと!」
「そういえば俺も何か買わないと」
シリウスやエミリーの性格を考えても、お土産よりも息子の身の安全を考えていそうな気もするが、せっかく来たのだから何か買っておいてもいいだろう。
そのほうがあの二人もより喜ぶ。
ロベルトは店先に目を配ると、ナギ国特有の郷土土産が並べられており、よい土を使って焼かれた焼き物から圧倒的な存在感を放つ土偶やらいろいろある。
一体どんなお土産を買おうか悩んでいると……
「あれ? ロベルト? それにアルトじゃん!」
「え?」
背後から可愛らしい女性の声が聞こえたので、二人は振り向くと麗しいドレスを身に纏ったセラが驚いた顔で立っていた。
「セラ!? 何でここにいるんだ!?」
「それはこっちのセリフよ。何で貴方たちがここに?」
「陛下の任務でちょっとこっちに来てるんだよ。勅命任務でな」
「ちょ、勅命任務ですって!? それって凄いじゃない!」
オスカー直々の勅命はアルメスタの騎士からしたら、特別な意味を持つ。
知り合い二人がそんな重要な任務を王から下されたと知ったセラは更に驚く。
「まぁな。今はちょっと街をぶらついているんだよ。隣国の事も勉強することも大事だって義姉さんが言っていたからな」
「義姉さんってナタリーさんの事よね? 相変わらずアルくーんって言って飛びついてきてるの?」
「あぁ……あれはそろそろ勘弁してほしいぜ」
アルトはナタリーの事は嫌いではない。
好きか嫌いかと言えば、むしろ好きなほうだ。
しかし彼の姿をみるやいなや、いきなり飛びついては抱き着くのは正直迷惑している。
あれだけはなんとか直してほしいとぼやいている。
「それよりも……貴方たち、とんでもないことをしてくれたわよね」
「はぁ!?」
「何が!?」
「巨大魔獣よ。私今日は非番で朝から始発の列車に乗ってナギ国に行こうとしてたんだけど……貴方たちが巨大魔獣を見つけてくれたおかげで今朝、緊急の集会が開かれて結局ナギ国についたのお昼になっちゃったのよ」
「いや……別に俺たちが見つけたわけじゃないんだが」
正確に言えば彼らが見つけたのではなく、スー・ヤンの竹林で魔獣討伐をしていたロウが見つけ、それをシャルロットが電話でハイドに伝えたのだ。
だが巨大魔獣はセルメシア大陸ではこれまで目撃例がなかったため、今日の緊急集会はその巨大魔獣の件での集会だろう。
「そ、そんなことよりもお前なんでこっちにいるんだ?」
「私ね、暇さえあればよくナギ国に遊びに行くの。ここって料理もおいしいしメランシェルとは違ったものもあって楽しいから。そうだ、そういえば二人ってお昼まだよね?」
「そういえばまだ食べていないな」
街を考えもなくふらついていれば、いつの間にかお昼に近づいているもの。
二人のお腹の虫も空腹をお知らせするかのように、鳴く頃だろう。
「じゃあ私の行きつけのお店に案内してあげる。そこにランタオって食べ物があってね。とっても美味しいの」
「ランタオってなんだ?」
「これば分かるよ」
彼女のいうランタオという食べ物が何なのかは不明ではあるが、どんな料理なのか気になるロベルトとアルトは興味津々でセラの後をついていくことにした。
大通りから少し外れた小さな脇道。
人の往来も少なく、表の喧騒から程遠い場所。
セラについていくロベルトとアルトはこの脇道にまでついていき、とある店を見つけることになる。
「ここよ」
彼女のいうランタオという食べ物がある店は、大きな看板が圧倒的存在感を放ち、店先に独特の香りが立ち込めていた。
(あれ? この香りって……)
鼻先を通る香ばしくもコクのある香り……臭い匂いとは真逆の食欲が増幅するような香りだ。
しかもその香りはロベルトにとっては懐かしい香りだった。
懐かしき香りと共に過去の記憶から引きずり出される思い出の食べ物……その正体は……
「らっしゃーい! あ、セラちゃん!」
「大将、久しぶりね」
店の扉を開けたセラは中にいる、バンダナを頭に巻いた亭主らしき人物に挨拶をする。
どうやら二人は顔見知りで中もいいようだ。
「あぁ久しぶりだな。最近見なかったけどどうしたんだ?」
「ちょっと騎士団の仕事が忙しくなってね。特に今は盗賊団絡みでごたついているから」
「そうかそうか! 後ろの子は友達か?」
「同じ騎士団の同期で友達よ」
「おっ、じゃあ今日はテーブル席でいいかな?」
「いいわ」
「よし!! じゃあテーブル席3人ごあんなーい!!」
大将の気合の入った大きな声が店内に響き、彼らはテーブル席へと案内された。
テーブル席に案内される道中、店内にはカウンター席がありそこには既に他の客がセラの言うランタオを食べていた。
だがそのランタオというものが、ロベルトにとっては前世では見慣れた食べ物であった。
どんぶりに入っている細い麺を客が箸で口元まで運び、ずるずるといい音を出しながら食べている。
ランタオとは、ロベルトの前世でいうラーメンの事だったのだ。
テーブル席に案内された彼らはロベルトの隣にアルト、彼らと対面するようにセラが座る。
「ほら、メニューよ。好きなの選んでね」
セラがテーブルの端に置いてあったメニュー表を手に取って彼らに渡す。
受け取ったメニュー表を開くと、たくさんの種類のラーメン……ランタオが写真付きで乗っていた。
「ロベルト、どれにする?」
「そうだな…じゃあここは無難に普通のラーメン……じゃなくてランタオにしようか」
メニュー表に乗っている普通のランタオにはどんぶりの中に麺に海苔、肉やゆで卵などが入っている。
他にも麺二倍や卵たくさんと言ったやつなどもあったが、初めてのお店では普通のラーメンから食べたいものだ。
ロベルトは普通のランタオを注文し、アルトも同じ奴を注文する。
「すみません。ランタオ二つお願いしまーす」
「あいよ! セラちゃんはいつもの奴かい?」
「そうね。それをお願いしてもいい?」
「もちろん! スペシャルメニューいっちょお待ちを!!」
セラの口から出てきたこの店のスペシャルメニュー。
メニューにも載っていないことから、おそらく常連向けの特別メニューの類か何かだろう。
「セラ、何を頼んだんだ?」
「それは…来てからのお楽しみよ」
アルトが気になったのか、彼はセラに質問しながらも彼女はにやりと笑う。
直感というやつなのか、この時ロベルトは内心嫌な予感がした。
10分くらいたった頃、まずロベルトとアルヴィンが注文したランタオが到着した。
どんぶりから出ている湯気に見ているだけでもお腹がすきそうな濃厚なスープと麺。
夜中にこんなものを見たら間違いなく飯テロ案件である。
「さ、どうぞ食べて。これ放っておくと麺が伸びちゃうから」
前世でのラーメンの知識を知っているロベルトは当然知っていることだが、初めてランタオを見たアルトはそうなのかと一言口にする。
「じゃあロベルト。食べようぜ」
「それじゃあいただくとしよう」
ロベルトは近くに置いてあった箸、アルトはフォークを手に取ってランタオの麺を救い上げて口に運ぶ。
もっちりとした麺の触感にパンチのきいた醤油の味、どんぶりから漂う洗礼された香り……どれをとっても見事な味。
セラが通い詰めて行きつけにするのも納得のいくものだ。
これならアイリやリナリーにもおすすめしても悪くはないし、ぜひ家族で一緒に行ってもいいだろう。
「ほいセラちゃん! ランタオ・スペシャルメニュー一人前、おまちどう!!」
亭主が威勢のいい声を出しながら持ってきたスペシャルメニューとやらを、セラの前に置く。
だが……
「うっ!?」
「なんじゃそれ!?」
男二人は彼女が頼んだランタオ・スペシャルメニューを見た瞬間、驚愕して次に出す言葉を失う。
どんぶり表面に赤い粉が大量に盛られており、もはやどんぶりの中の麺が見えなくなっている。
更にこの粉から匂ってくる顔がロベルトの鼻を刺激し、彼の瞳には涙が浮かぶ。
「それってまさか……チィリアか!?」
「そうよ。これをどんぶり一杯かけて食べるのが私の楽しみでねー。ナギ国に来るたびに毎回これは絶対に食べるんだー」
チィリアというのはこの世界の唐辛子の事。
つまり……セラの言うスペシャルメニューとは唐辛子を大量にぶち込んだ激辛ラーメンの事である。
気のせいだと思いたいが、彼女の目の前に置かれている激辛ラーメンこと激辛ランタオからは目に見えるほどの赤く異様なオーラが漂う。
食べなくとも見ているだけで相当な汗が出てきたのは気のせいだろうか。
「どう?食べる?」
「「いやいい!! 俺たちはこれで十分だから!!」」
「そう?おいしいのに……」
セラは残念そうに言って激辛ランタオを箸ですすってずるずると食べ始める。
常人であれば一口すすっただけで噎せるような危険物を彼女はいたって普通に食べている。
高価なドレスを着ながらランタオをすする彼女……どこかシュールな絵面だ。
長い付き合いであるセラがまさかの辛党という意外な一面を知った男二人であった。
気を取り直してロベルトは自分のランタオをすすっていると……
「なぁ兄貴……やばいって!」
「うるせーな。ここで下がったら男じゃねぇよ!」
後ろのテーブル席から二人の男性客が何やら話していた。
気になった彼は後ろを振り向いてこっそり覗く。
どうやら男二人は兄弟のようだが……兄らしき人物がセラと同じランタオ・スペシャルメニュー……つまり激辛ランタオを食べていたのだ。
「いざ、参る!」
男は覚悟を持って麺を箸で救い上げて口の中にずるずると音を立てながら食べる。
最初は行けるかと思いきや……ものの数秒で男の顔はトマトの如く真っ赤になり……
「かっらあああああああああああああ!!」
「兄貴いいいいいぃぃぃ!!」
「……何だこれ」
まるでコントでも見ているようだ。
激辛ランタオを食べた男は口から炎を吐きながら絶叫し、その場に倒れる。
「あーもう全く……これから慣れていない客にはこれ出したくないんだよ。材料の無駄遣いだし。そこのあんた、代金はちゃんと払ってもらうよ」
「えぇ!?俺が!?」
当たり前だ。
食べれなかったからお金出しませんなんて通じない。
前世の法律でも出された食事に口をつけて食べた時点で、取引は成立して金銭も発生する。
「当然だろうが! 出さないと出入り禁止にするぞ!」
「は、はい。払います……」
倒れた兄に変わって弟が代わりに代金を払うことになった。
大量の唐辛子を使っている分、他のランタオよりも料金は高い。
弟はしぶしぶ財布からお金を出して亭主に差し出し、倒れている兄をかづいて店から出ていった。
「やれやれ……あっ、そうだセラちゃん。せっかくだからこれも食べる? 無料にしてあげるから」
「えっ!? いいの!? じゃあせっかくだからいただくわね。ありがとう!」
嬉しそうにそう返すセラ。
これで彼女の前には激辛ランタオが二人分並び、異様なオーラが増幅してはここは魔界かと思うほどの錯覚を覚える。
二つのどんぶりから放たれるチィリアこと唐辛子の成分に負けないように、男二人は自分のランタオを食すことにした。
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