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第一章 セルメシア編
第26話 箱入り娘の思い
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レイシュン亭店内へと案内されたロベルトたちは、亭主の娘に案内されて数あるテーブル席に座る。
先ほど店の中に戻っていた亭主は既に料理を作り始めており、肉の焼ける音やいい香りが厨房から店内へと広がり、その匂いだけでご飯を食べなくても満足してしまうほど。
むしろこの音や香りで早く食べたいと思ってしまうだろう。
さらに彼らは今お腹を空かせているので、今すぐご飯を食べたい気持ちでいっぱいだった。
だが……その前に目の前にいる男から聞かなければならないことがある。
「で? ロウさん、一体どういうことなんですか?」
改めてロベルトはロウに質問をする。
なぜ隣国の王子であるラマーを殴っても国際問題にならないのか。
彼は料理の前に出された熱いお茶を飲み、喉を潤してからロベルト達に口を開く。
「お前ら、お嬢とはもう会っているよな?」
「お嬢……シンイー様の事ですよね」
「お嬢はああ見えても結構お転婆でな。少し前までは俺やローファンの連中、護衛の目を盗んでよく市井に遊びに行ってたんだよ」
市井……人や街が集まっているところであり、言い換えれば市街地と言ってもいい。
シンイーは街の中を探検するのが趣味で、ゲンブ宮にいないと分かればよくローファンの隊員が彼女を夜まで探していることも珍しくない。
「それでな……今から5年前、城を抜け出して街中をふらふらしていたしていたら……あのバカに出くわしたんだよ」
「5年前……そういえば先ほど何か言っていましたね」
先ほどのやりとりでもロウは5年前の事を口に出していた。
ラマーが5年前にシンイーに対して何かしようとしていたことを。
5年前のリンメイ……ゲンブ宮を抜け出したシンイーはこの日、街を放浪していた。
特に目的があるわけではない。
しかし城に籠っていても彼女を待っているのは使いの人による勉強ばかり。
この頃のシンイーは10歳で遊びたくても、一緒に遊んでくれる同年代の友達すらいない。
仮に遊びたくて街に飛び出し、遊んでいる子供たちを見つけても、シンイーの纏う王族のオーラのせいで何処か敬遠されがち。
彼女は勉強するだけの日々に、うんざりしていた。
だからこうしてローファンの隊員の目を盗んでは、よく城を抜け出しては街を彷徨っていた。
「あら、シンイー様じゃないですか。こんにちは」
「こんにちはおばさま。お元気にしていますか?」
「えぇそりゃもう。最近は体の調子がよくてねぇ」
道端で出会った老婆と楽しそうに会話をする。
会話の内容は他愛もないこと。
人によっては結婚したことや子供ができたこと、友達と喧嘩したことや隣国のアルメスタ王国へと遊びに行ったことなど。
ありふれた会話だが、これこそ彼女が望んでいたことだった。
色んな所に行っては色んな人とお話をする。
宮殿に籠っているばかりの彼女にとっては、こういう出来事が刺激になっていた。
「そうだシンイー様。これ、私のお店で作っているお菓子です。せっかくですのでどうぞ」
「あっ! これ私好きなんですよ! それじゃいただきますね。ありがとうございます!」
老婆が渡してくれたのはリンメイで作られている飴菓子。
彼女は幼いころからこの飴菓子が好きで、よく使いの者が勝ってきてはそれを食べていた。
老婆が渡してくれたお菓子をシンイーは喜んで受け取り、ポケットに入れる。
後から暇があれば食べるつもりだ。
「ではおばさま、私はこれで失礼しますね」
「シンイー様もお体に気を付けてくださいね」
王族らしく礼儀よく挨拶をしたシンイーは引き続き、リンメイの街中を歩き回る。
今の彼女は雲のように、気分に流されるまま自由気ままに漂う。
気づけば彼女は街中にある、とある寺院へと来ていた。
広い庭に石でできた灯篭、池に浮かぶ蓮の葉が訪れた者の心を穏やかにさせる。
建てられてから幾百のも月日が流れたのだろうか、柱に塗られた赤い丹塗が所々剥げている。
この寺院は誰にも知られていない、シンイーのお気に入りの場所。
疲れたらこの寺院の庭で休むのが、彼女の日常であった。
「ふぅ……」
歩き疲れたのか、彼女は竹のベンチに座って一休みをする。
周りに参拝客は誰も来ておらず、穏やかな時間だけがゆっくりと流れる。
シンイーは先ほど老婆から受け取った飴菓子をポケットから取り出し、それを口の中に入れる。
砂糖の甘さが口の中に広がり、彼女の心は幸福感で満たされる。
天気も晴れており、空に昇る太陽の光も温かく感じてついうとうとしてしまい、このまま寝てしまいそうだ。
その証拠にシンイーは自分でも気づかないうちに首が揺れ動き、今にも夢の世界へと落ちてしまうほど。
瞼がゆっくりと閉じ……そのまま眠りにつきかけたときだった。
「おや? そこの君、ちょっといいかい?」
男性の声で、眠りに落ちかけていたシンイーの意識が一気に覚醒する。
顔を上げると一人の男がシンイーに向かって声をかけていた。
女性を虜にする甘いマスク、来ている服もシンイーとは違うものの明らかに貴族寄りの衣装だというのが一目で見て分かる。
もしかしたらアルメスタの貴族なのだろうか、とシンイーはそう思った。
「どうかしましたか?」
「済まないね。実はちょっと道に迷ったんだが、教えてくれるとありがたい」
「いいですよ。どこに行きたいんでしょうか?」
「実はね……」
男の尋ねる内容に彼女は淡々と答える。
だが男の話し方は親切を表面に出しているがどこか馴れ馴れしく、シンイーも本心では生理的に受け付けられなかった。
しかし訪ねられた以上、男の持っていた地図を小さな指でこの角を左だのここを曲がってなどと教えてあげる。
「と、ここを曲がれば到着します」
「ありがとう。そうだ、実はここでお茶をしようと思っているだが君もどうだい?」
「いえ、誘っていただけるのはありがたいのですが、今はそんな気分ではありませんので……」
と、シンイーは相手の気分を逆なでしない程度にやんわりとお断りを入れるが……
「そんなこと言わないでくれよ。実は俺、アルメスタの王国のラマー・ゴードン・アルメスタと言うんだ」
「ラマー……まさか、ラマー王子ですか?」
政などに詳しくないシンイーだったが、ラマーの名前は軽く聞いたことがあった。
隣国であるアルメスタ王国の第一王子。
その王子が今、自分の目の前にいる。
5年前なので今のラマーよりも少し若く大人になりきれていないため、顔に少しだけあどけなさが残っている。
「今日は父上に連れてこられてこの国に来ているが……暇ができて今この国の街を見て回っているんだ。それより聞いてくれよ。先ほど薄汚れた老婆がこんなものをくれたんだけどさ」
「あっ……」
ラマーが取り出したもの、それは先ほどの老婆がシンイーに渡した飴菓子だった。
「これ本当に食べ物か? 見た感じまずそうじゃないか。こんなもの家畜の食べ物だよな。こんなものを食べるなんてこの国の奴らはどうかしているぞ」
そう言ってラマーは飴菓子を握りつぶして粉々にし、近くの池で元気よく泳ぎ回っている無数の鯉に向かって投げる。
投げられた飴菓子に鯉は餌だと思ったのか、群れを成して飴菓子に寄ってきて口にする。
鯉に甘いものは大丈夫なのだろうか。
「ははは! 見ろよ! これって魚の餌なんじゃないのか!? アホそうな顔をして魚が寄ってたかって餌を求める……金がない貧乏人と同じだ」
「………………」
自分が小さなころから食べている飴菓子をバカにされた挙句、それを池の鯉の餌にされた。
ましてや先ほど親切に接してくれた老婆に対して薄汚れたなどと、自国の民をバカにしたラマーに対して怒りが湧いてきたシンイー。
彼女は笑っているラマーを睨みつける。
「それよりどうだい? 今から俺とお茶を――」
「お断りします」
「……へ?」
王子である自分の誘いを断るとは思わなかったであろうラマーは、思わず変な顔をしてしまう。
そしてシンイーは怒りを露わにしながらラマーに対して……
「お断りしますと言いました! あなたのような人の心がないような人とは死んでもお茶なんて致しません!!」
大声でそう叫び、ラマーの誘いを拒絶する。
「……さっきから町娘如きが黙って聞いていればいい気になりやがって……王子たる俺の誘いを断るとは大罪だぞ!」
「そんなこと知ったことではありません! 何が王子ですか! 貴方なんて王子でも何でもありません! ただの下郎です!!」
感情のままにシンイーの口から吐き出される言の葉が心の刃となって、ラマーの心に次々と刺さる。
自分への罵倒を聞いたラマーは思わずシンイーに対して平手打ちをしてしまう。
顔に赤い紅葉を作ってしまうが、彼女は再びラマーを睨む。
「本来であれば不敬罪で貴様なぞ死刑にするなんて簡単だがな……流石に小娘相手に本気を出すのは少々大人げないからな。せっかくだからメランシェルに持ち帰って俺好みに調教してやるとしよう」
「ちょ、待って。やめなさい!!」
今のシンイーは王族の衣装ではなく、街を放浪する庶民風の衣装を着ている。
これは街中でローファンの隊員に見つからないようにするための彼女なりの偽装工作だ。
現にラマーも今まさに目の前にいるシンイーがナギ国の姫だとは思わないだろう。
そうとは知らずにラマーは彼女の白くて細い腕を強引につかみ、連行しようとする。
(お願い……助けて……)
この時シンイーの脳裏に浮かんだのは大好きな父と母の優しい笑顔。
そして兄のような存在であるロウの顔。
しかしその彼は今、ここにはいない。
彼女の必死の願いは届かず、このままラマーの言いなりになってしまうのだろうかと、あきらめた時だった。
「お嬢ぉぉぉぉぉ!!」
「この声は……セイラン!!」
自分にとって聞きなれた声が耳に入った瞬間、一気に安心感が心の中に広がる。
顔を寺院の入り口に向けると、彼女が一番信頼している頼れる男、ロウ・セイランの姿があった。
5年前なので今のロウより腰ではなく肩まで伸びており、少し若々しい。
そのロウはシンイーの腕を掴んでいるラマーを見るやいなや、体から赤いオーラを放出して纏い、背後に閻魔大王の幻影が浮かぶと鬼のような形相をし、そのままラマーに向かって走り……
「お嬢に……何してんだゴラアアアアァァァァ!!」
「ぷぎゃあああああああああ!!」
右足で強烈な飛び蹴りをラマーの顔面に向かって喰らわせた。
ラマーはそのまま鯉が泳いでいる近くの池に顔面からダイブし、派手な水飛沫を散らせて池の底に沈む。
この光景にシンイーもざまあみろと表情で語った。
「ん? お嬢! 顔が腫れているけどどうした!?」
「さっきそこの下郎にビンタされたの」
「……なにぃ?」
シンイーがラマーにビンタされたという事実を知ったロウは、赤い両目の瞳を光らせて池に沈んだラマーを睨む。
「ぶはぁ! がはぁ! よ、よくも……王子であるこの俺に対して暴力を振るうなんて……死罪だ! お前は……」
「うるせぇよ!!」
「ひぃ!?」
強気にそういい放つラマーだが、ロウの怒りの気迫に押されてビビってしまう。
直後ロウはラマーを池から無理やり引きずり出し、彼を肩に担ぐ。
長年掃除もせずに放置され、悪臭を放つ池の水に浸ったラマーを触るのは正直かなりの抵抗があるが、ロウはそんなことは全く気にしなかった。
「よくもお嬢に手を出しやがったな。この落とし前はきっちりつけてもらう。覚悟しな!!」
「おい待て! どこに連れていくつもりだ!? この俺を誰だと思っている!? 俺は……」
「アルメスタのラマー王子だろ? いいから黙ってろ!」
ロウはずぶ濡れになったラマーを肩に担いだままシンイーと共に寺院を出ていき、ゲンブ宮へと帰ることになった。
ゲンブ宮のとある一室では、四角のお膳の上に乗せられた色とりどりの懐石料理を、二人の男が酒を飲みかわしながら食べていた。
一人はこの国の大王である今より少し若いバン・ハオラン。
もう一人はラマーの父親でありアルメスタ王国の国王、オスカー・スタンリー・アルメスタ。
5年前……オスカーは父親であった当時の国王が崩御し、つい最近新たな国王に就任したばかりだった。
そのため今回は友人としてではなく、新国王としての挨拶周りも兼ねてナギ国へと来ていた。
だが子供の頃の付き合いであるバンの前では流石に幾分か心を許してしまう。
今もこうして酒を飲みかわし、この時だけは王としての責務を忘れ、楽しいひと時を楽しんでいる。
無論、酒に酔った勢いで国家機密のことなどを放すなど言語道断だが。
「はははは!!」
「そうなんだよ! そうしたら大臣がな……」
「おいマジかよ!?」
傍から見れば居酒屋の席でつまみを食べながら飲んでいる二人の下品な親父そのもの。
この光景だけを見ればこんな男たちが国を背負っているとは誰もが思わないだろう。
アルコールで脳がおかしくなり、くだらない話題も面白可笑しく笑えてしまう。
言い換えれば、まさに平和そのものだ。
だが……そんな楽しい酒の席に突如、招かれていない乱入者が現れた。
「おやっさん!」
「ははは……ん? どうしたセイラン?」
扉を開けて入ってきたロウは、肩に担いだラマーを目の前に放り投げる。
「いだぁ! おい貴様! もう少し丁寧に扱え!」
「やかましい! お嬢に手をだしておいて偉そうにほざくな!」
これだけ痛めつけておいて未だに自分に対して反抗的な態度をとるラマーにロウもほぼブチ切れていた。
突然の事に二国の王も脳内のアルコールが一気に冷めていき、オスカーはロウに顔を向ける。
「ラマー!?」
「セイラン……これはどういうことだ?」
「こいつがな。お嬢の顔を殴ったんだよ」
「「なにっ!?」」
ロウの発言にバンとオスカーは驚き、先ほど何があったのかをロウはオスカーに説明する。
ゲンブ宮から抜け出したシンイーを探すためにリンメイの街中を走り回っていた際、彼女の怒号が耳に入り急いでその方向へと向かうと、ラマーがシンイーの腕を掴んでいたのを。
更に顔が赤く腫れていたため、彼女に話を聞くとラマーに平手打ちをされたことを。
「……ロウ殿、その話は本当か?」
「間違いねぇ。お嬢がそう言っているし、顔をよく見ればわかる」
そう言われたオスカーはシンイーの顔を注意深く見る。
先ほどよりは腫れはひいているものの、未だ彼女の顔にはラマーの手形が少しだけ見えていた。
それを確認したオスカーは己の中に眠る怒りの感情が沸々と湧きだし、地面に寝転がっているラマーに向かって憎悪の感情をむき出しにした。
「おいラマー……テメェ、とんでもねぇことをしてくれたな」
「ち、父上……な、なぜそんなに怒って……」
「怒るに決まってるだろうがぁ!! 誰に手をだしたのか分かってんかぁ!?」
「ひ、ひいいいい!! ど、どういうことですか!?」
ついにオスカーがブチ切れ、彼の背後には仁王の幻影が浮かび上がるのがはっきりと見えた。
ロウに負け劣らずの鬼のような形相で、そこらのチンピラや舎弟クラスのヤクザでも逃げ出しそうな迫力である。
「この子はこのバンの娘のシンイーちゃん……つまりナギ国の姫だぞ!」
「えっ……うええええええええ!?」
当初ラマーは自分の横にいる子がただの町娘だと思っていたのだが、この国のお姫様だと知った瞬間、心の奥から絶叫した。
つまりラマーはこの国の姫に対して暴言を吐いたり顔を殴ったりしたのだ。
国際問題待ったなしである。
もっとも、先ほどロウはラマーの顔面に飛び蹴りをしたため、こちらもこちらで大問題なのだが。
「で? ラマー? テメェ、俺の娘に手を出しておいてこのままただで済むと思ってんのか?」
「それともうちと戦争でもするか? 俺はいつでも歓迎するぜ」
流石に自分の娘に手を出され、父親であるバンも黙っているわけにはいなかった。
バンはラマーに怒りのこもった目で睨み、ロウも指をバキボキ鳴らして不敵な笑みを浮かべてラマーを見下ろす。
生前はヤクザであったロウの言う戦争とは、いわゆる抗争のことである。
無論ロウとしては抗争も戦争もするつもりなんてまったくなく、これはただの脅しだ。
しかし自分の妹分に手を出された以上、そのケジメはつけさせなければ彼の気が済まなかった。
「……ロウ殿、バン、ミス・シンイー。此度はバカ息子が大変申し訳ないことをした。済まない」
「オスカーのおやっさん。あんたが悪い訳じゃないし俺はあんたに謝ってほしい訳じゃないんだ。俺はな、こいつにケジメをつけてもらいたいんだよ」
そう言ってロウは座り込んでいるラマーを睨む。
父親であるオスカーが謝っても意味はない。
これは問題を起こしたラマー自身が責任をとる必要がある。
「お、俺は……」
こういう時はさっさと申し訳ありませんと、たった一言いえば大抵は丸く収まるものだ。
だがプライドが高いラマーはすんなりと謝ろうとはしない。
それにシンイーは既にご立腹状態で誤っただけで許してくれるとは到底思えない。
「お嬢はどうすれば気が済むんだ?」
「……ここ5年はこのリンメイに立ち入りを遠慮してもらいたいですね。それと、貴方のその顔は金輪際見たくありません」
「それでいいのか?」
「構いません」
シンイーのこの一言で、先ほどまで大の男二人が大笑いしながら喋っていた空間が一気に静まり返る。
楽しかった空間がバカ王子のせいで興ざめとなった。
「……お嬢がそれでいいなら俺から言うことはない。おやっさんは?」
「そうだな。同じ意見だ。悪いがオスカー、今日はこれでお開きにしよう」
「……本当に済まなかった。ラマー、行くぞ」
「………………」
オスカーが謝る一方でラマーは最後まで自らの口で謝罪の言葉を言うことはなかった。
ばつが悪そうな顔をして二人はそのまま部屋を出ていこうとするが……オスカーが足を止めてロウに顔を向ける。
「ロウ殿、最後にいいか?」
「どうした?」
「もし……バカ息子が今後同じようなことをしたら、遠慮なく殴ってもいい」
「いいのか?」
「構わん。俺は少しばかり、奴を甘やかしすぎた。これからは俺も少し厳しく接しなければならない。そのために君にも協力してほしい」
今でこそオスカーはラマーに容赦なく鉄拳を浴びせているが、流石に子供の頃は手を出さなかった。
やりすぎれば普通に虐待になるからだ。
しかしそんなラマーも15歳であと3年で大人になる。
大人になるということは、行動や言葉に責任を持たなければならない。
故にいつまでも女に現を抜かすラマーに対して、これからは将来国を背負う王として育てなければならない。
そのためにできるのであれば国王としてのプライドも捨て、親しい友人にも協力をお願いする覚悟だ。
「……わかったよ。正直あいつは気に入らねぇが……あんたがそういうならどんどんと殴っていくからな」
「やりすぎないようにしてくれると助かる。では失礼する」
そう言ってオスカーは部屋を出ていき、楽しかった二人だけの宴会は突如終わりを告げた。
が……ここでバンがシンイーに目を配る。
「まったく……それよりシンイー。ちょっと座れ」
「は、はい……」
突然呼ばれ、どきりとしたシンイーは父親に言われるがままに床に正座をし、父親と対面する。
これから何を言われるのか既に彼女の中で予想はついているのだろう。
心なしか、彼女の表情は非常に暗い。
「その恰好……また黙って街に繰り出したな?」
「……はい」
「さっき女中がお前がいないって探していたからまさかと思ったが……何度言ったら分かるんだ? お前はいずれこの国を背負うんだぞ。勝手に出ていってはみんなも心配するし、お前の身に何かがあったら……」
また始まったと、シンイーは自分の父親を心の中で軽く罵倒する。
まだ10歳でありながら、少し早いものの彼女は反抗期になっていた。
父親と対面してはぐちぐち言われ、あれやれこれやれだの正直うんざりしていた。
しかし今回黙って街を出ていき、ラマーに乱暴に連れていかれそうになったのも事実。
運よくロウが助けてくれたものの、もし彼がいなかったらどうなっていたのか……彼女の身勝手な行動の結果がこれなのだ。
今回ばかりは父親から説教をされても仕方がない。
が、ここで思わぬ助け船が登場する。
「さっきから騒がしいけど何かあったの?」
オスカーやバンの怒鳴り声がゲンブ宮全体に響いていたせいで、妻であるリーフェンが扉を開けて部屋に入ってきた。
「リーフェンか。お前からも言ってやってくれ」
「何が?」
「シンイーの奴、また俺たちの目を盗んで宮殿を抜け出しては街に出ていたみたいなんだ。お前からも何か言ってやってくれないか。いずれこの国を治める者になるだから……」
と、未だ酒が少し入っているせいか、バンはその口で次々とシンイーに対する説教の言葉を言うが……
「あのね……別にいいじゃない。シンイーだって遊びたい年頃なのよ。ずっと宮殿に籠ってばかりじゃつまらないのは当然よ」
「いや、でもな……王族として勝手な行動は……」
「あんただって若い頃アルメスタでオスカー陛下とバカばっかりやってたじゃない。さっきあの方から聞いたわよ。大臣の部屋に忍び込んではよくいたずらしたり二人で街中を駆け巡ったり……」
「うぐっ!!」
自分が子供の頃にやっていたことを娘の目の前で暴露され、額に脂汗を流しまくるバン。
娘の目の前で言わないでくれと目で伝えようとするが、リーフェンは容赦なく次から次へと夫の悪行を語る。
曰く、会議中に大臣のカツラをみんなの目の前でとったり、母親の化粧用具から口紅を抜き取りそれを自分の顔じゅうに塗りたくって妖怪の真似事をしたりと。
悪行というよりはただの子供の悪戯なのだが、それを聞いていたシンイーは父を冷たい目で見る。
「……あとは夜食に使う食材に激辛香辛料を振りかけて……」
「わかった! 分かったから! 俺が悪かったからもう言わないでくれぇ!」
娘の冷たい視線とロウのなんとも言えない表情。
妻の口から語られる自身の若き日の悪行という名の悪戯。
一国の王とは思えないほど情けない顔をし、耐えかねたバンがついに降参した。
「じゃあシンイーの教育について少し考えなさい。いずれ国を継ぐ者として教育をするのはまだ分かるけど、街を出歩く息抜きくらいは許してあげなさいよ」
「……わかりました」
あれだけデカい顔をして娘に説教していた男が妻が部屋に入ってきて立場逆転した。
ため息をついたバンは娘に再度向き合う。
「じゃあシンイー。これからは街の中だけなら自由に出ることを許そう。リンメイの外に出るならロウを必ず同席させること」
「本当ですか!?」
「俺はお前に将来のためを思っていたんだが……少しばかり間違っていたよ。俺はガキの頃やりたい放題していたのに、自分の娘にはアレはダメだこれはダメだってのは、都合が良すぎるよな」
親としても娘を心配するのは当然のことで、将来悪い人にならないように教育するのも親としての務め。
しかし、逆に詰めすぎた教育をさせても子供はおかしな方向に育ってしまう。
それは教育ではなくもはや洗脳だからだ。
「済まなかった。これからはお前のしたいことはできる限り聞き入れるよ」
「ありがとうございます!」
「ただし! さすがに夜遅くまで遊ぶのはいかんぞ! それと外に出るなら一言声をかけること。いいな!」
「はい!」
長年の間にできた親子間の確執が解け、ようやく分かり合えた父と娘。
横で見ていたロウも思わずにやけてしまう。
(お嬢。よかったな)
今回の騒動はシンイーにとってもラマーに平手打ちをされるという痛い思いはしたものの、代わりに相応の自由を得るモノであった。
これ以降、シンイーは暇を見ては街を自由気ままに飛び出し、時にロウと一緒に出掛けては街で買い食いする姿を国民からよく見られるようになった。
時は戻り、現代のレイシュン亭。
5年前のシンイーの過去を聞いていたアルメスタの騎士たち。
なぜラマーを殴っても問題にならないのか……それは以前ラマーがシンイーに手を出し、オスカーがまた息子が何かをやらかしたら問答無用で殴っても構わないというお墨付きを得ているから。
故にロウは罪に問われることはない。
「シンイー様もそういう過去があったんですね」
ロベルトはシンイーの過去をロウの口から聞いて、王族というのは窮屈なんだなと改めて思った。
庶民のイメージによくある貴族王族というのは豪華な服を着て優雅な暮らしをして美味しい食事を食べている、そんなイメージなのだろう。
しかし実際は礼儀や作法などを子供のころから徹底的に叩きこまれ、定期的にある社交界やらお茶会に強制参加。
いずれは王として国を背負わなければならない。
ロベルトも貴族に転生したおかげで、面倒な貴族社会を18年間生き抜いてきた。
そのため彼も貴族というのも楽ではないと、身に染みて痛感した。
これまで窮屈な生活をしてきたシンイーにも思わず同情してしまう。
「今じゃよく一人で街をぶらぶらしてるよ、おかげで街のみんなもお嬢と仲がいいし」
「護衛もつけずによく一人で歩けますね」
「そりゃお嬢に手をだそうってものなら……この国に住んでいるやつなら、どうなるか分かっているからな」
ロウがそういってにやりと不気味な笑みを浮かべる。
シンイーに手を出せば最後……この男が黙っていないだろう。
と、その時だった。
「へいロウさんお待たせ!」
亭主がカートを押してロベルトたちの席に出来立てほやほやの料理が運ばれてきた。
カートに乗せられているのは香りだけでもたまらない数々の中華料理。
そのほとんどは生前ロベルトたちが見たこともあるものだった。
「おぉ! やっと来たか!」
「ロウさん、酒はどうする?」
「いや、今日は遠慮しておくわ。さてお前ら、せっかくだから食え食え!」
カートからテーブルに料理が移され、ようやく食事にありつける。
頂きます、と全員で言葉にしてロベルトはレンゲを使って麻婆豆腐をよそって口の中に運んだ。
「んー! うまい!」
口の中に広がるピリッと来る辛さに豆腐に絡まるあんが絶妙なうま味を引き立てる。
まさに前世で食べた麻婆豆腐そのもの。
まさか転生して中華料理が食べれるなんて、ロベルトにとっても夢のようなひとときだ。
「おっ、これうまいじゃん!」
「これいっただきー!」
アイリやアルト、リナリーも各々自分が食べたいものをとっては口に運ぶ。
箸が使い慣れていないアルトとリナリーはレンゲやスプーンを使って、麻婆豆腐を食べては幸せな笑顔を見せる。
日々騎士としての仕事を頑張ってこそ、普段の料理がおいしく感じるのだ。
これのために生きている、と。
特にこのレイシュン亭の料理はまさに名店であり、オスカーやバンが押すだけのことがある。
「この餃子もいけるねー! おいしー!」
アイリは箸を使って餃子をつまんで口に入れる。
カリカリに焼けた皮にジューシーな肉のうま味が中に凝縮されて、噛んだ瞬間に肉汁が口の中に広がる。
これ以上に幸せなことなどないだろう。
(……そういえば)
麻婆豆腐を食べていたロベルトがあることを思い出す。
先ほどの騒動でロウは冒険者の大剣を武器も使わずに素手で受け止めた。
あんな大剣で斬られたら最後、腕など切り落とされてしまうだろうがロウは無傷だった。
おそらくは彼のラグナのおかげだろうが……彼のラグナは武器ではないとロベルトは憶測する。
だが今はそんなことを考えるより食事を楽しむべきだろうと判断し、引き続き手に持ったレンゲで麻婆豆腐を食べていった。
先ほど店の中に戻っていた亭主は既に料理を作り始めており、肉の焼ける音やいい香りが厨房から店内へと広がり、その匂いだけでご飯を食べなくても満足してしまうほど。
むしろこの音や香りで早く食べたいと思ってしまうだろう。
さらに彼らは今お腹を空かせているので、今すぐご飯を食べたい気持ちでいっぱいだった。
だが……その前に目の前にいる男から聞かなければならないことがある。
「で? ロウさん、一体どういうことなんですか?」
改めてロベルトはロウに質問をする。
なぜ隣国の王子であるラマーを殴っても国際問題にならないのか。
彼は料理の前に出された熱いお茶を飲み、喉を潤してからロベルト達に口を開く。
「お前ら、お嬢とはもう会っているよな?」
「お嬢……シンイー様の事ですよね」
「お嬢はああ見えても結構お転婆でな。少し前までは俺やローファンの連中、護衛の目を盗んでよく市井に遊びに行ってたんだよ」
市井……人や街が集まっているところであり、言い換えれば市街地と言ってもいい。
シンイーは街の中を探検するのが趣味で、ゲンブ宮にいないと分かればよくローファンの隊員が彼女を夜まで探していることも珍しくない。
「それでな……今から5年前、城を抜け出して街中をふらふらしていたしていたら……あのバカに出くわしたんだよ」
「5年前……そういえば先ほど何か言っていましたね」
先ほどのやりとりでもロウは5年前の事を口に出していた。
ラマーが5年前にシンイーに対して何かしようとしていたことを。
5年前のリンメイ……ゲンブ宮を抜け出したシンイーはこの日、街を放浪していた。
特に目的があるわけではない。
しかし城に籠っていても彼女を待っているのは使いの人による勉強ばかり。
この頃のシンイーは10歳で遊びたくても、一緒に遊んでくれる同年代の友達すらいない。
仮に遊びたくて街に飛び出し、遊んでいる子供たちを見つけても、シンイーの纏う王族のオーラのせいで何処か敬遠されがち。
彼女は勉強するだけの日々に、うんざりしていた。
だからこうしてローファンの隊員の目を盗んでは、よく城を抜け出しては街を彷徨っていた。
「あら、シンイー様じゃないですか。こんにちは」
「こんにちはおばさま。お元気にしていますか?」
「えぇそりゃもう。最近は体の調子がよくてねぇ」
道端で出会った老婆と楽しそうに会話をする。
会話の内容は他愛もないこと。
人によっては結婚したことや子供ができたこと、友達と喧嘩したことや隣国のアルメスタ王国へと遊びに行ったことなど。
ありふれた会話だが、これこそ彼女が望んでいたことだった。
色んな所に行っては色んな人とお話をする。
宮殿に籠っているばかりの彼女にとっては、こういう出来事が刺激になっていた。
「そうだシンイー様。これ、私のお店で作っているお菓子です。せっかくですのでどうぞ」
「あっ! これ私好きなんですよ! それじゃいただきますね。ありがとうございます!」
老婆が渡してくれたのはリンメイで作られている飴菓子。
彼女は幼いころからこの飴菓子が好きで、よく使いの者が勝ってきてはそれを食べていた。
老婆が渡してくれたお菓子をシンイーは喜んで受け取り、ポケットに入れる。
後から暇があれば食べるつもりだ。
「ではおばさま、私はこれで失礼しますね」
「シンイー様もお体に気を付けてくださいね」
王族らしく礼儀よく挨拶をしたシンイーは引き続き、リンメイの街中を歩き回る。
今の彼女は雲のように、気分に流されるまま自由気ままに漂う。
気づけば彼女は街中にある、とある寺院へと来ていた。
広い庭に石でできた灯篭、池に浮かぶ蓮の葉が訪れた者の心を穏やかにさせる。
建てられてから幾百のも月日が流れたのだろうか、柱に塗られた赤い丹塗が所々剥げている。
この寺院は誰にも知られていない、シンイーのお気に入りの場所。
疲れたらこの寺院の庭で休むのが、彼女の日常であった。
「ふぅ……」
歩き疲れたのか、彼女は竹のベンチに座って一休みをする。
周りに参拝客は誰も来ておらず、穏やかな時間だけがゆっくりと流れる。
シンイーは先ほど老婆から受け取った飴菓子をポケットから取り出し、それを口の中に入れる。
砂糖の甘さが口の中に広がり、彼女の心は幸福感で満たされる。
天気も晴れており、空に昇る太陽の光も温かく感じてついうとうとしてしまい、このまま寝てしまいそうだ。
その証拠にシンイーは自分でも気づかないうちに首が揺れ動き、今にも夢の世界へと落ちてしまうほど。
瞼がゆっくりと閉じ……そのまま眠りにつきかけたときだった。
「おや? そこの君、ちょっといいかい?」
男性の声で、眠りに落ちかけていたシンイーの意識が一気に覚醒する。
顔を上げると一人の男がシンイーに向かって声をかけていた。
女性を虜にする甘いマスク、来ている服もシンイーとは違うものの明らかに貴族寄りの衣装だというのが一目で見て分かる。
もしかしたらアルメスタの貴族なのだろうか、とシンイーはそう思った。
「どうかしましたか?」
「済まないね。実はちょっと道に迷ったんだが、教えてくれるとありがたい」
「いいですよ。どこに行きたいんでしょうか?」
「実はね……」
男の尋ねる内容に彼女は淡々と答える。
だが男の話し方は親切を表面に出しているがどこか馴れ馴れしく、シンイーも本心では生理的に受け付けられなかった。
しかし訪ねられた以上、男の持っていた地図を小さな指でこの角を左だのここを曲がってなどと教えてあげる。
「と、ここを曲がれば到着します」
「ありがとう。そうだ、実はここでお茶をしようと思っているだが君もどうだい?」
「いえ、誘っていただけるのはありがたいのですが、今はそんな気分ではありませんので……」
と、シンイーは相手の気分を逆なでしない程度にやんわりとお断りを入れるが……
「そんなこと言わないでくれよ。実は俺、アルメスタの王国のラマー・ゴードン・アルメスタと言うんだ」
「ラマー……まさか、ラマー王子ですか?」
政などに詳しくないシンイーだったが、ラマーの名前は軽く聞いたことがあった。
隣国であるアルメスタ王国の第一王子。
その王子が今、自分の目の前にいる。
5年前なので今のラマーよりも少し若く大人になりきれていないため、顔に少しだけあどけなさが残っている。
「今日は父上に連れてこられてこの国に来ているが……暇ができて今この国の街を見て回っているんだ。それより聞いてくれよ。先ほど薄汚れた老婆がこんなものをくれたんだけどさ」
「あっ……」
ラマーが取り出したもの、それは先ほどの老婆がシンイーに渡した飴菓子だった。
「これ本当に食べ物か? 見た感じまずそうじゃないか。こんなもの家畜の食べ物だよな。こんなものを食べるなんてこの国の奴らはどうかしているぞ」
そう言ってラマーは飴菓子を握りつぶして粉々にし、近くの池で元気よく泳ぎ回っている無数の鯉に向かって投げる。
投げられた飴菓子に鯉は餌だと思ったのか、群れを成して飴菓子に寄ってきて口にする。
鯉に甘いものは大丈夫なのだろうか。
「ははは! 見ろよ! これって魚の餌なんじゃないのか!? アホそうな顔をして魚が寄ってたかって餌を求める……金がない貧乏人と同じだ」
「………………」
自分が小さなころから食べている飴菓子をバカにされた挙句、それを池の鯉の餌にされた。
ましてや先ほど親切に接してくれた老婆に対して薄汚れたなどと、自国の民をバカにしたラマーに対して怒りが湧いてきたシンイー。
彼女は笑っているラマーを睨みつける。
「それよりどうだい? 今から俺とお茶を――」
「お断りします」
「……へ?」
王子である自分の誘いを断るとは思わなかったであろうラマーは、思わず変な顔をしてしまう。
そしてシンイーは怒りを露わにしながらラマーに対して……
「お断りしますと言いました! あなたのような人の心がないような人とは死んでもお茶なんて致しません!!」
大声でそう叫び、ラマーの誘いを拒絶する。
「……さっきから町娘如きが黙って聞いていればいい気になりやがって……王子たる俺の誘いを断るとは大罪だぞ!」
「そんなこと知ったことではありません! 何が王子ですか! 貴方なんて王子でも何でもありません! ただの下郎です!!」
感情のままにシンイーの口から吐き出される言の葉が心の刃となって、ラマーの心に次々と刺さる。
自分への罵倒を聞いたラマーは思わずシンイーに対して平手打ちをしてしまう。
顔に赤い紅葉を作ってしまうが、彼女は再びラマーを睨む。
「本来であれば不敬罪で貴様なぞ死刑にするなんて簡単だがな……流石に小娘相手に本気を出すのは少々大人げないからな。せっかくだからメランシェルに持ち帰って俺好みに調教してやるとしよう」
「ちょ、待って。やめなさい!!」
今のシンイーは王族の衣装ではなく、街を放浪する庶民風の衣装を着ている。
これは街中でローファンの隊員に見つからないようにするための彼女なりの偽装工作だ。
現にラマーも今まさに目の前にいるシンイーがナギ国の姫だとは思わないだろう。
そうとは知らずにラマーは彼女の白くて細い腕を強引につかみ、連行しようとする。
(お願い……助けて……)
この時シンイーの脳裏に浮かんだのは大好きな父と母の優しい笑顔。
そして兄のような存在であるロウの顔。
しかしその彼は今、ここにはいない。
彼女の必死の願いは届かず、このままラマーの言いなりになってしまうのだろうかと、あきらめた時だった。
「お嬢ぉぉぉぉぉ!!」
「この声は……セイラン!!」
自分にとって聞きなれた声が耳に入った瞬間、一気に安心感が心の中に広がる。
顔を寺院の入り口に向けると、彼女が一番信頼している頼れる男、ロウ・セイランの姿があった。
5年前なので今のロウより腰ではなく肩まで伸びており、少し若々しい。
そのロウはシンイーの腕を掴んでいるラマーを見るやいなや、体から赤いオーラを放出して纏い、背後に閻魔大王の幻影が浮かぶと鬼のような形相をし、そのままラマーに向かって走り……
「お嬢に……何してんだゴラアアアアァァァァ!!」
「ぷぎゃあああああああああ!!」
右足で強烈な飛び蹴りをラマーの顔面に向かって喰らわせた。
ラマーはそのまま鯉が泳いでいる近くの池に顔面からダイブし、派手な水飛沫を散らせて池の底に沈む。
この光景にシンイーもざまあみろと表情で語った。
「ん? お嬢! 顔が腫れているけどどうした!?」
「さっきそこの下郎にビンタされたの」
「……なにぃ?」
シンイーがラマーにビンタされたという事実を知ったロウは、赤い両目の瞳を光らせて池に沈んだラマーを睨む。
「ぶはぁ! がはぁ! よ、よくも……王子であるこの俺に対して暴力を振るうなんて……死罪だ! お前は……」
「うるせぇよ!!」
「ひぃ!?」
強気にそういい放つラマーだが、ロウの怒りの気迫に押されてビビってしまう。
直後ロウはラマーを池から無理やり引きずり出し、彼を肩に担ぐ。
長年掃除もせずに放置され、悪臭を放つ池の水に浸ったラマーを触るのは正直かなりの抵抗があるが、ロウはそんなことは全く気にしなかった。
「よくもお嬢に手を出しやがったな。この落とし前はきっちりつけてもらう。覚悟しな!!」
「おい待て! どこに連れていくつもりだ!? この俺を誰だと思っている!? 俺は……」
「アルメスタのラマー王子だろ? いいから黙ってろ!」
ロウはずぶ濡れになったラマーを肩に担いだままシンイーと共に寺院を出ていき、ゲンブ宮へと帰ることになった。
ゲンブ宮のとある一室では、四角のお膳の上に乗せられた色とりどりの懐石料理を、二人の男が酒を飲みかわしながら食べていた。
一人はこの国の大王である今より少し若いバン・ハオラン。
もう一人はラマーの父親でありアルメスタ王国の国王、オスカー・スタンリー・アルメスタ。
5年前……オスカーは父親であった当時の国王が崩御し、つい最近新たな国王に就任したばかりだった。
そのため今回は友人としてではなく、新国王としての挨拶周りも兼ねてナギ国へと来ていた。
だが子供の頃の付き合いであるバンの前では流石に幾分か心を許してしまう。
今もこうして酒を飲みかわし、この時だけは王としての責務を忘れ、楽しいひと時を楽しんでいる。
無論、酒に酔った勢いで国家機密のことなどを放すなど言語道断だが。
「はははは!!」
「そうなんだよ! そうしたら大臣がな……」
「おいマジかよ!?」
傍から見れば居酒屋の席でつまみを食べながら飲んでいる二人の下品な親父そのもの。
この光景だけを見ればこんな男たちが国を背負っているとは誰もが思わないだろう。
アルコールで脳がおかしくなり、くだらない話題も面白可笑しく笑えてしまう。
言い換えれば、まさに平和そのものだ。
だが……そんな楽しい酒の席に突如、招かれていない乱入者が現れた。
「おやっさん!」
「ははは……ん? どうしたセイラン?」
扉を開けて入ってきたロウは、肩に担いだラマーを目の前に放り投げる。
「いだぁ! おい貴様! もう少し丁寧に扱え!」
「やかましい! お嬢に手をだしておいて偉そうにほざくな!」
これだけ痛めつけておいて未だに自分に対して反抗的な態度をとるラマーにロウもほぼブチ切れていた。
突然の事に二国の王も脳内のアルコールが一気に冷めていき、オスカーはロウに顔を向ける。
「ラマー!?」
「セイラン……これはどういうことだ?」
「こいつがな。お嬢の顔を殴ったんだよ」
「「なにっ!?」」
ロウの発言にバンとオスカーは驚き、先ほど何があったのかをロウはオスカーに説明する。
ゲンブ宮から抜け出したシンイーを探すためにリンメイの街中を走り回っていた際、彼女の怒号が耳に入り急いでその方向へと向かうと、ラマーがシンイーの腕を掴んでいたのを。
更に顔が赤く腫れていたため、彼女に話を聞くとラマーに平手打ちをされたことを。
「……ロウ殿、その話は本当か?」
「間違いねぇ。お嬢がそう言っているし、顔をよく見ればわかる」
そう言われたオスカーはシンイーの顔を注意深く見る。
先ほどよりは腫れはひいているものの、未だ彼女の顔にはラマーの手形が少しだけ見えていた。
それを確認したオスカーは己の中に眠る怒りの感情が沸々と湧きだし、地面に寝転がっているラマーに向かって憎悪の感情をむき出しにした。
「おいラマー……テメェ、とんでもねぇことをしてくれたな」
「ち、父上……な、なぜそんなに怒って……」
「怒るに決まってるだろうがぁ!! 誰に手をだしたのか分かってんかぁ!?」
「ひ、ひいいいい!! ど、どういうことですか!?」
ついにオスカーがブチ切れ、彼の背後には仁王の幻影が浮かび上がるのがはっきりと見えた。
ロウに負け劣らずの鬼のような形相で、そこらのチンピラや舎弟クラスのヤクザでも逃げ出しそうな迫力である。
「この子はこのバンの娘のシンイーちゃん……つまりナギ国の姫だぞ!」
「えっ……うええええええええ!?」
当初ラマーは自分の横にいる子がただの町娘だと思っていたのだが、この国のお姫様だと知った瞬間、心の奥から絶叫した。
つまりラマーはこの国の姫に対して暴言を吐いたり顔を殴ったりしたのだ。
国際問題待ったなしである。
もっとも、先ほどロウはラマーの顔面に飛び蹴りをしたため、こちらもこちらで大問題なのだが。
「で? ラマー? テメェ、俺の娘に手を出しておいてこのままただで済むと思ってんのか?」
「それともうちと戦争でもするか? 俺はいつでも歓迎するぜ」
流石に自分の娘に手を出され、父親であるバンも黙っているわけにはいなかった。
バンはラマーに怒りのこもった目で睨み、ロウも指をバキボキ鳴らして不敵な笑みを浮かべてラマーを見下ろす。
生前はヤクザであったロウの言う戦争とは、いわゆる抗争のことである。
無論ロウとしては抗争も戦争もするつもりなんてまったくなく、これはただの脅しだ。
しかし自分の妹分に手を出された以上、そのケジメはつけさせなければ彼の気が済まなかった。
「……ロウ殿、バン、ミス・シンイー。此度はバカ息子が大変申し訳ないことをした。済まない」
「オスカーのおやっさん。あんたが悪い訳じゃないし俺はあんたに謝ってほしい訳じゃないんだ。俺はな、こいつにケジメをつけてもらいたいんだよ」
そう言ってロウは座り込んでいるラマーを睨む。
父親であるオスカーが謝っても意味はない。
これは問題を起こしたラマー自身が責任をとる必要がある。
「お、俺は……」
こういう時はさっさと申し訳ありませんと、たった一言いえば大抵は丸く収まるものだ。
だがプライドが高いラマーはすんなりと謝ろうとはしない。
それにシンイーは既にご立腹状態で誤っただけで許してくれるとは到底思えない。
「お嬢はどうすれば気が済むんだ?」
「……ここ5年はこのリンメイに立ち入りを遠慮してもらいたいですね。それと、貴方のその顔は金輪際見たくありません」
「それでいいのか?」
「構いません」
シンイーのこの一言で、先ほどまで大の男二人が大笑いしながら喋っていた空間が一気に静まり返る。
楽しかった空間がバカ王子のせいで興ざめとなった。
「……お嬢がそれでいいなら俺から言うことはない。おやっさんは?」
「そうだな。同じ意見だ。悪いがオスカー、今日はこれでお開きにしよう」
「……本当に済まなかった。ラマー、行くぞ」
「………………」
オスカーが謝る一方でラマーは最後まで自らの口で謝罪の言葉を言うことはなかった。
ばつが悪そうな顔をして二人はそのまま部屋を出ていこうとするが……オスカーが足を止めてロウに顔を向ける。
「ロウ殿、最後にいいか?」
「どうした?」
「もし……バカ息子が今後同じようなことをしたら、遠慮なく殴ってもいい」
「いいのか?」
「構わん。俺は少しばかり、奴を甘やかしすぎた。これからは俺も少し厳しく接しなければならない。そのために君にも協力してほしい」
今でこそオスカーはラマーに容赦なく鉄拳を浴びせているが、流石に子供の頃は手を出さなかった。
やりすぎれば普通に虐待になるからだ。
しかしそんなラマーも15歳であと3年で大人になる。
大人になるということは、行動や言葉に責任を持たなければならない。
故にいつまでも女に現を抜かすラマーに対して、これからは将来国を背負う王として育てなければならない。
そのためにできるのであれば国王としてのプライドも捨て、親しい友人にも協力をお願いする覚悟だ。
「……わかったよ。正直あいつは気に入らねぇが……あんたがそういうならどんどんと殴っていくからな」
「やりすぎないようにしてくれると助かる。では失礼する」
そう言ってオスカーは部屋を出ていき、楽しかった二人だけの宴会は突如終わりを告げた。
が……ここでバンがシンイーに目を配る。
「まったく……それよりシンイー。ちょっと座れ」
「は、はい……」
突然呼ばれ、どきりとしたシンイーは父親に言われるがままに床に正座をし、父親と対面する。
これから何を言われるのか既に彼女の中で予想はついているのだろう。
心なしか、彼女の表情は非常に暗い。
「その恰好……また黙って街に繰り出したな?」
「……はい」
「さっき女中がお前がいないって探していたからまさかと思ったが……何度言ったら分かるんだ? お前はいずれこの国を背負うんだぞ。勝手に出ていってはみんなも心配するし、お前の身に何かがあったら……」
また始まったと、シンイーは自分の父親を心の中で軽く罵倒する。
まだ10歳でありながら、少し早いものの彼女は反抗期になっていた。
父親と対面してはぐちぐち言われ、あれやれこれやれだの正直うんざりしていた。
しかし今回黙って街を出ていき、ラマーに乱暴に連れていかれそうになったのも事実。
運よくロウが助けてくれたものの、もし彼がいなかったらどうなっていたのか……彼女の身勝手な行動の結果がこれなのだ。
今回ばかりは父親から説教をされても仕方がない。
が、ここで思わぬ助け船が登場する。
「さっきから騒がしいけど何かあったの?」
オスカーやバンの怒鳴り声がゲンブ宮全体に響いていたせいで、妻であるリーフェンが扉を開けて部屋に入ってきた。
「リーフェンか。お前からも言ってやってくれ」
「何が?」
「シンイーの奴、また俺たちの目を盗んで宮殿を抜け出しては街に出ていたみたいなんだ。お前からも何か言ってやってくれないか。いずれこの国を治める者になるだから……」
と、未だ酒が少し入っているせいか、バンはその口で次々とシンイーに対する説教の言葉を言うが……
「あのね……別にいいじゃない。シンイーだって遊びたい年頃なのよ。ずっと宮殿に籠ってばかりじゃつまらないのは当然よ」
「いや、でもな……王族として勝手な行動は……」
「あんただって若い頃アルメスタでオスカー陛下とバカばっかりやってたじゃない。さっきあの方から聞いたわよ。大臣の部屋に忍び込んではよくいたずらしたり二人で街中を駆け巡ったり……」
「うぐっ!!」
自分が子供の頃にやっていたことを娘の目の前で暴露され、額に脂汗を流しまくるバン。
娘の目の前で言わないでくれと目で伝えようとするが、リーフェンは容赦なく次から次へと夫の悪行を語る。
曰く、会議中に大臣のカツラをみんなの目の前でとったり、母親の化粧用具から口紅を抜き取りそれを自分の顔じゅうに塗りたくって妖怪の真似事をしたりと。
悪行というよりはただの子供の悪戯なのだが、それを聞いていたシンイーは父を冷たい目で見る。
「……あとは夜食に使う食材に激辛香辛料を振りかけて……」
「わかった! 分かったから! 俺が悪かったからもう言わないでくれぇ!」
娘の冷たい視線とロウのなんとも言えない表情。
妻の口から語られる自身の若き日の悪行という名の悪戯。
一国の王とは思えないほど情けない顔をし、耐えかねたバンがついに降参した。
「じゃあシンイーの教育について少し考えなさい。いずれ国を継ぐ者として教育をするのはまだ分かるけど、街を出歩く息抜きくらいは許してあげなさいよ」
「……わかりました」
あれだけデカい顔をして娘に説教していた男が妻が部屋に入ってきて立場逆転した。
ため息をついたバンは娘に再度向き合う。
「じゃあシンイー。これからは街の中だけなら自由に出ることを許そう。リンメイの外に出るならロウを必ず同席させること」
「本当ですか!?」
「俺はお前に将来のためを思っていたんだが……少しばかり間違っていたよ。俺はガキの頃やりたい放題していたのに、自分の娘にはアレはダメだこれはダメだってのは、都合が良すぎるよな」
親としても娘を心配するのは当然のことで、将来悪い人にならないように教育するのも親としての務め。
しかし、逆に詰めすぎた教育をさせても子供はおかしな方向に育ってしまう。
それは教育ではなくもはや洗脳だからだ。
「済まなかった。これからはお前のしたいことはできる限り聞き入れるよ」
「ありがとうございます!」
「ただし! さすがに夜遅くまで遊ぶのはいかんぞ! それと外に出るなら一言声をかけること。いいな!」
「はい!」
長年の間にできた親子間の確執が解け、ようやく分かり合えた父と娘。
横で見ていたロウも思わずにやけてしまう。
(お嬢。よかったな)
今回の騒動はシンイーにとってもラマーに平手打ちをされるという痛い思いはしたものの、代わりに相応の自由を得るモノであった。
これ以降、シンイーは暇を見ては街を自由気ままに飛び出し、時にロウと一緒に出掛けては街で買い食いする姿を国民からよく見られるようになった。
時は戻り、現代のレイシュン亭。
5年前のシンイーの過去を聞いていたアルメスタの騎士たち。
なぜラマーを殴っても問題にならないのか……それは以前ラマーがシンイーに手を出し、オスカーがまた息子が何かをやらかしたら問答無用で殴っても構わないというお墨付きを得ているから。
故にロウは罪に問われることはない。
「シンイー様もそういう過去があったんですね」
ロベルトはシンイーの過去をロウの口から聞いて、王族というのは窮屈なんだなと改めて思った。
庶民のイメージによくある貴族王族というのは豪華な服を着て優雅な暮らしをして美味しい食事を食べている、そんなイメージなのだろう。
しかし実際は礼儀や作法などを子供のころから徹底的に叩きこまれ、定期的にある社交界やらお茶会に強制参加。
いずれは王として国を背負わなければならない。
ロベルトも貴族に転生したおかげで、面倒な貴族社会を18年間生き抜いてきた。
そのため彼も貴族というのも楽ではないと、身に染みて痛感した。
これまで窮屈な生活をしてきたシンイーにも思わず同情してしまう。
「今じゃよく一人で街をぶらぶらしてるよ、おかげで街のみんなもお嬢と仲がいいし」
「護衛もつけずによく一人で歩けますね」
「そりゃお嬢に手をだそうってものなら……この国に住んでいるやつなら、どうなるか分かっているからな」
ロウがそういってにやりと不気味な笑みを浮かべる。
シンイーに手を出せば最後……この男が黙っていないだろう。
と、その時だった。
「へいロウさんお待たせ!」
亭主がカートを押してロベルトたちの席に出来立てほやほやの料理が運ばれてきた。
カートに乗せられているのは香りだけでもたまらない数々の中華料理。
そのほとんどは生前ロベルトたちが見たこともあるものだった。
「おぉ! やっと来たか!」
「ロウさん、酒はどうする?」
「いや、今日は遠慮しておくわ。さてお前ら、せっかくだから食え食え!」
カートからテーブルに料理が移され、ようやく食事にありつける。
頂きます、と全員で言葉にしてロベルトはレンゲを使って麻婆豆腐をよそって口の中に運んだ。
「んー! うまい!」
口の中に広がるピリッと来る辛さに豆腐に絡まるあんが絶妙なうま味を引き立てる。
まさに前世で食べた麻婆豆腐そのもの。
まさか転生して中華料理が食べれるなんて、ロベルトにとっても夢のようなひとときだ。
「おっ、これうまいじゃん!」
「これいっただきー!」
アイリやアルト、リナリーも各々自分が食べたいものをとっては口に運ぶ。
箸が使い慣れていないアルトとリナリーはレンゲやスプーンを使って、麻婆豆腐を食べては幸せな笑顔を見せる。
日々騎士としての仕事を頑張ってこそ、普段の料理がおいしく感じるのだ。
これのために生きている、と。
特にこのレイシュン亭の料理はまさに名店であり、オスカーやバンが押すだけのことがある。
「この餃子もいけるねー! おいしー!」
アイリは箸を使って餃子をつまんで口に入れる。
カリカリに焼けた皮にジューシーな肉のうま味が中に凝縮されて、噛んだ瞬間に肉汁が口の中に広がる。
これ以上に幸せなことなどないだろう。
(……そういえば)
麻婆豆腐を食べていたロベルトがあることを思い出す。
先ほどの騒動でロウは冒険者の大剣を武器も使わずに素手で受け止めた。
あんな大剣で斬られたら最後、腕など切り落とされてしまうだろうがロウは無傷だった。
おそらくは彼のラグナのおかげだろうが……彼のラグナは武器ではないとロベルトは憶測する。
だが今はそんなことを考えるより食事を楽しむべきだろうと判断し、引き続き手に持ったレンゲで麻婆豆腐を食べていった。
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