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第一章 セルメシア編
第4話 神の力 ラグナ
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食堂にて本日の一日のエネルギーとなる朝食を摂ったロベルトは自室に戻り、本棚を前にして本と睨めっこをしていた。
既に近くにあるデスクには本棚から抜き取ったであろう本が山となって積み重なっており、今にも崩れてしまいそうである。
彼が調べているのは昨夜の出来事。
夢の中に現れた女神アリシアと、彼女の力を奪った邪悪なる者、そして神の力であるラグナの事。
「むむむ……」
だがロベルトの表情から察するに、あまりいい成果は得られていないようだ。
ページをめくっては文字の羅列を睨みながら指でなぞりつつ、またページをめくる。
そして手掛かりがなければ傍のデスクに積まれている本の山にまた一つ、本が置かれる。
同じ作業の繰り返しであった。
「あーもう駄目だ!全くわからん!!」
集中力が切れてしまったのか、ロベルトは手に持った本をソファーの上に投げると、ベッドの上に寝転がる。
勢いよくベッドにダイブし、高級な羽毛布団がこの部屋の主をやさしく受け止める。
この様子からして、手掛かりは何も得られず、ギブアップのようだ。
「まったく……ラグナに邪悪なる者……意味が分からねぇよ」
ロベルトは部屋の天井を無意味に眺めてはイラつきながら、そうぼやく。
この作業だけでまだ午前なのにも拘わらず既に気力をなくし、いっそのことこのまま寝てしまおうかと思った。
しかし、部屋の扉からノックの音が二回聞こえ、このまま眠りの世界に突入するのをやめた。
「ロベルト様、おりますか?」
「なんだ?」
しぶしぶ体を起き上がらせてそう返事を返すと、扉の外から聞こえたのはこの屋敷に努めているメイドの声である。
本来であればこの時間、ロベルトは騎士団の仕事に出かけるので、その間に部屋を片付けをしてもらうのだ。
しかし本日は休みなので、部屋掃除の予定はないはず。
最も、ついさっきまでロベルトが本棚から本を抜き取って辺りを散らかしたので、この際片付けをしてもらったほうがいいかもしれない。
だがこのメイドは、散らかした本を片付けに来たわけではない。
「アイリ様からお電話が来ておりますよ」
「華蓮が?……あ」
この時、ロベルトの脳裏に昨日の出来事が思い浮かんだ。
それは昨日、アイリと別れる際にした約束……明日付き合えという約束を。
しかし女神アリシアやら邪悪なる者などのことで頭がいっぱいだったロベルトは、あろうことかその件を忘れていたのである。
「しまったあああぁぁぁぁ!!華蓮との約束を忘れてたあああああああ!!」」
昨日の事を鮮明に思い出し、顔が急に青ざめつつベッドから起き上がったロベルトは、絶叫しながらそのまま部屋の扉を思いっきり強く開ける。
「きゃっ!!」
「ごめん!!」
扉の傍にいたメイドが急に出てきたロベルトに驚いて、その場で尻餅をついてしまう。
申し訳ないと内心思ったロベルトだったが、今はなりふり構わず一階のリビングに置いてある電話機へと向かう。
そして階段を降りようとした時、玄関口で騎士学校の制服を来ているリナリーを見かけ、彼女も階段を急いで降りるロベルトに気づいた。
「あっ、お兄様、どうかしたのですか?」
「華蓮から電話だよ!今から学校か!?じゃあ行ってらっしゃい!!」
ロベルトは階段を下りながら、これから学校に出かけるリナリーに向かって早口でそう言った。
その後、彼はロビーの奥にあるリビングへと風のように走り去っていった。
「……あ、はい。行ってきます……」
突然のことで茫然としてしまうリナリー。
目が点となり、一体何があったのだろうかとその場で立ち尽くしてしまう。
その後、リビングに入ったロベルトはすぐさま受話器を手に取って耳に当てた。
「もしもし!?」
『おっそい!!なにやってたの!?』
電話口から今にも鼓膜が破れてしまいそうな怒鳴り声が聞こえ、ロベルトは思わず受話器を耳から遠ざけてしまった。
受話器から聞こえる声の主は二ノ宮華蓮ことアイリ・カタルーシア。
昨日の別れ際に今日付き合うと言っておきながら、未だに自分に会いに来ないロベルトに憤怒していた。
「ごめんごめん!ちょっと調べものがあってな」
『へぇー。あたしの約束より調べもののほうが大事なんだー』
「悪かったって」
『……ふーん。まぁいいけど』
ロベルトは電話の向こうにいるアイリに向かって、全く誠意が感じられない謝罪をする。
他人であれば、そんな謝罪は逆に火に油を注ぐようなものであるが、幼馴染故にこれくらいのことは許せるのだろう。
その証拠に電話口の向こうにいるアイリは、一応納得しているようだ。
『で?何を調べていたの?』
「あまり大きな声じゃ言えないんだが……実はな、今日夢の中で女神アリシアに会ってな。邪悪なる者に……」
『嘘!?マジで!?』
「い、いきなりなんだよ……」
再び電話口から大声が聞こえ、ロベルトはまたもや受話器を耳から遠ざける。
『夢の中でアリシアの中で会ったの!?』
「そうだけど?」
『じゃあ、ラグナの事も?』
「!!」
アイリがラグナという言葉を口にしたことで、ロベルトはすぐさま食いつく。
あれだけ本棚の本を探っても見つからなかったことが、アイリは知っているのかもしれない、と。
ロベルトはわずかな希望を持ってアイリに問いかける。
「お前、ラグナの事を知っているのか!?」
『正確に言えばお姉ちゃんが知っているんだけどね。全部知っているわけじゃないけど……知りたい?』
「もちろん」
アイリの言葉にロベルトは喜んで飛びついた。
先ほどは本棚の本を散らかしてまで調べたのにもかかわらず、何一つ手掛かりが得られなかった。
だがアイリ……正確には姉のシャルロットはラグナについて何かを知っているらしい。
『じゃあ今からあたしの家に来れる?』
「分かった」
『じゃあ待ってるから』
その一言を最後に電話からは音声が聞こえなくなり、通話は切れた。
ロベルトは手に持った受話器を電話機に戻しつつ、何やら考え事を始める。
「姉さんがラグナの事を……とりあえず話を聞いてみるとしようか」
そう判断したロベルトはすぐさま自分の部屋に戻り、クローゼットから休日用の私服に着替える。
皺や汚れがひとつもない白いワイシャツ、そして襟が大きいコート。
庶民であれば決して手が届くことのない服にその身を包んだロベルトは、そのまま屋敷のホールへと向かい、玄関を両手で大きく開ける
目の前に広がるは大きな庭と噴水。
朝日に照らされた噴水は水面が光輝き、宝石のような眩しさを放っていた。
「ロベルト様、お出かけですか?」
ちょうど庭で作業していた一人のメイドがロベルトに気づき、声をかけてきた。
「ちょっと華蓮のところに行ってくる」
「華蓮……アイリ様のところですね。お気をつけていってらっしゃいませ」
メイドがロベルトに軽くを頭を下げると、再び自分の持ち場に戻り、手入れを再開する。
生前は現代日本に住んでいた彼にとっては、この屋敷の庭はまさに未知の領域。
日本でも恋愛シュミレーションのゲームのお嬢様……俗にいう財閥のお嬢様キャラが住んでいそうな屋敷だ。
その後、屋敷を出ていったロベルトはアイリの屋敷であるカタルーシア家へと向かうために大通りへと向かう。
カタルーシア家はエルヴェシウス家とは大通りを挟んだ反対側の地区にあり、徒歩で10分ほどかかる。
「朝っぱらだってのにもうたくさん人がいるなぁ」
大通りに出たロベルトはあたりを見渡す。
彼の言葉通り、大通りはまだ午前中であるのにも関わらず、既に大勢の人で賑わいを見せていた。
仕事をしている人や買い物をしている人、そして騎士団の制服に身を包んで巡回をしている人。
それはこのメランシェルという街が、今も生きているという何よりの証拠だ。
ロベルトは大通りを横切り、反対側の地区へ向かう小さな路地へと入っていく。
この路地に入ってしまえば大通りのような賑やかな喧騒は一瞬にしてどこかに消え、どこか寂しいフインキが一気に襲い掛かる。
徒歩で10分ほど歩くと、他の建物よりも一際大きく目立つ屋敷が見えてきた。
アイリやシャルロットの自宅であるカタルーシア家の屋敷である。
ロベルトは門を開けて庭に入ると、綺麗に手入れされた庭と中央に鎮座している噴水が彼を出迎えた。
同じ建築家が手掛けたのか、屋敷に庭、噴水などエルヴェシウス家と非常によく似通っている。
すると庭の端のほうで箒を手に持ったカタルーシア家のメイドがロベルトに気づいて、彼のほうに近づく。
「おはようございます。ロベルト様」
「うぉわ!?……あ、あぁ。おはよう」
ロベルトは彼女に気づかなかったのか、突然後ろから声をかけられたメイドに思わず変な声を出しながら、驚きつつも挨拶を返す。
「もしかしてアイリ様にご用ですか?」
「そうだよ。あいつに呼ばれてね」
「ではお呼びいたしますね。そこのベンチに座ってお待ちください」
そう言ってメイドは箒を持ったまま、屋敷の中へと入っていった。
このまま立って待つのも疲れるので、ロベルトはメイドの言葉に従い、玄関前に設置してあったベンチに腰を下ろして待つことにした。
ベンチに座って空を見上げると雲一つない快晴で、太陽が俺がここにいるぜと強く主張するように天に鎮座している。
だが空に浮かんだ太陽とは裏腹に、ロベルトの内心は女神アリシアやら邪悪なる者とやらで真逆の曇天模様であった。
もし昨夜の出来事がなければこんな気分にはならなかったであろう。
「翼!」
空を渋い顔をして見上げていたロベルトは、横から聞こえた自分を呼ぶ声で我に戻り、その声の主へと顔を向ける。
「よぅ華蓮。……ってお前、また新しい服買ったのか?」
「へへへー。どう?翼が任務で出ている間に新作が出たから買っちゃったー」
アイリは自分が来ている水色のドレスを、その場で回ってロベルトに自慢する。
露出も少なく、高貴な感じを漂わせるその衣装はアイリにとても似合っていた。
「へぇ……いいじゃん。それよりも……」
「ラグナの事でしょ?はいはい。じゃあ上がって。電話でも言ったけど、お姉ちゃんのほうが知っているから」
「分かった。じゃあお邪魔しますよ」
ロベルトはそう言ってアイリの後をついていき、そのままカタルーシア家の屋敷の中へと入っていく。
カタルーシア家の当主の趣味なのか、エントランスには高価な壺やら誰だか分からない肖像画がいくつも飾られていた。
「また増えたのか?」
「お父さん、貿易商だからね。珍しいものを見つけると持ってきて飾る趣味があるんだよね。あたしとお姉ちゃんは全然理解できないんだけど」
ロベルトは暇さえあれば度々この屋敷に出入りしている。
そのため、以前来た時よりもエントランスの美術品の多さに多少困惑してしまった。
「まぁそんな美術品なんてどうでもいいから、お姉ちゃんの部屋にいこ?」
「はいはい」
アイリは笑顔で父親の趣味を軽く貶しつつ、ロベルトの背中をぐいぐい押して二階へと通す。
階段を上った二人は並んで長い廊下を歩き、とある扉の前へとたどり着く。
そしてアイリはその扉をノックもせずにそのまま開けて、中へと突入した。
「お姉ちゃん入るよー!」
「ちょ、華蓮……入るならノックしなさいって」
「めんごめんご。それより翼が聞きたいことがあるって」
「翼君が?」
部屋の中では、アイリの姉であり騎士団の副団長であるシャルロットが、ティーカップの入った紅茶を片手にデスクに座って何やら資料を作成していた。
そしてシャルロットはアイリの後ろにいたロベルトに気づく。
「あら翼君、おはよう。今日は華蓮と出かける約束してたんじゃないの?」
「姉さんおはようございます。ちょっとお話がありまして」
「あら、何かな?」
「実は……」
ロベルトは昨夜、自らの身に体験した出来事をシャルロットに話す。
シャルロットは目を閉じながら、ロベルトの口から出る言葉に耳を傾けて真剣に話を聞いた。
「なるほどね……ついに翼君にもその時が来たってわけだね」
「その反応、まさか姉さんも?」
「そう。私だけじゃなくて華蓮もつい三か月前に体験したのよ」
「えっ!?」
シャルロットの言葉にロベルトは反射的にアイリのほうに顔を向ける。
当のアイリ本人はえへへーと笑顔でごまかす。
「それじゃ何から話そうかな……じゃあ翼君。まず最初にラグナについて知っていること、教えてくれる?」
「教えてって言われても……昨日のアリシアとの会話で、神の力ってくらいしか知りませんが」
「その通りだよ。そうだね……実際に見てもらったほうが早いかな」
シャルロットはそう言うと、目を閉じて右手を前に突き出し、掌を開く。
最初は何をやっているのだろうかと思ったが、そんな考えはすぐに消え去った。
彼女の右手に光の粒子が集まりだし、一瞬強烈な光を放つ。
あまりの光の強さにロベルトは目を閉じてしまうが、少しずつ光が収まっていく。
そして次に目を開けて視界に映ったもの、それが彼女のいうラグナの正体であった。
「これは……弓矢?」
シャルロットが右手に持っていたのは、夜空に浮かぶ三日月をそのまま弓の形にした弓矢である。
「そう。私が以前調べた限り、ラグナというのは、大昔にこのルナティールの神々がもつ力の一部分を人間に与えたものらしいの。そしてこのラグナを与えられた者にはこのような武器が与えられるの。そして私のラグナの名前は、神弓アルテミス。翼君も前世で聞いたことあるでしょ?」
アルテミス……前世ではギリシア神話に登場する月の女神のことである。
「なるほど……ところで華蓮、お前のラグナは?」
「あ、見たい?じゃあ行くよ?ほら」
今度はアイリが右手を前に突き出し、集中するために目を閉じる。
先ほどのシャルロットと同じように、再び部屋が光で満たされて、あまりの強烈な光の強さにロベルトはまたもや目を閉じてしまう。
そして光が収まり、再び目を開けるとアイリの右手には白くて美しい装飾が施された大きな槍が握られていた。
「お前のラグナは槍か」
「そう!ちなみにあたしのラグナは聖槍エルルーネ。北欧神話に出てくる戦乙女、ヴァルキュリアからとったんだよ。どう?どう?」
と、アイリはどや顔でロベルトに迫ってくる。
一瞬うざかったため思わず殴ってやろうかと思ったが、流石に女の子を殴るのは男として最低ということくらいロベルトは理解していたので、我慢した。
「じゃあ俺にも……」
「そうだね。ちょっと意識してみて?自分の頭の中で武器を右手で握ってるイメージをね」
シャルロットにそういわれたので、ロベルトも目を閉じて、右手を前に突き出し、頭の中で強くイメージする。
彼がイメージしたのは、前世でやっていた人気ゲームの主人公が握っていた聖剣。
その聖剣を自分の右手に持つイメージをするが……
「……何も起こらないな」
そう、右手には聖剣すら握っておらず、何も起こらなかった。
「あれ?おかしいな……私はすんなり出てきたんだけど」
「あたしも。翼、ちゃんとイメージした?」
「しとるわ!何で俺だけ出ないんだよ……ん?」
ロベルトはなぜ自分にだけ武器が出てこないのが、疑問に思ったが、ここであることに気づいた。
それは……
「何だこれ!?」
何かを見つけたロベルトは急に大声を張り上げる。
彼のいきなりの大声にシャルロットとアイリは一瞬驚くも、アイリはようやく気付いたかと一言いって呆れた。
「あぁ。それはね、ラグナが宿った者には右手にその紋章が刻まれるんだよ」
ロベルトの右手に刻まれている紋章、それは三日月の中に百合の花が描かれている紋章である。
「ラグナが宿っている者ということは、姉さんと華蓮も?」
「そう、ほらこれ」
「あたしもね。ほら」
シャルロットとアイリは自分の右手の甲をロベルトに見せる。
二人の右手の中指にはロベルトと同じデザインの指輪と、手の甲に彼と全く同じ紋章があった。
ロベルトは少しの間、自身の右手に刻まれた紋章を見続けた。
中央に咲く花、百合を三日月が優しく包むように囲んでおり、華憐で美しくも一時期しか咲かない花の紋章はどこか儚げながらも、どこか神秘さを感じさせる。
だがこの紋章、一つ問題がある。
「この紋章、結構目立ちますよね」
彼の言う通り、手の甲に浮かんだ紋章はかなり目立つ。
ロベルトは貴族という立場上、こんなものがあったら品格が疑われかねない。
そう思ったのだが……
「それに関しては心配ないよ」
「なんでですか?」
「その紋章だけど、ラグナが宿っている人にしか見えないみたい。仕事しているとき私手袋とかはめていないけど、誰もこの紋章に気づいてないもん」
「そうそう。親とかにもまったく聞かれないよ」
よく思い出してみると、先ほどの朝食の時も家族はこの紋章については全く聞いてこなかった。
ラグナが宿っている人同士だけが見える紋章であれば、この紋章は現時点ではロベルト、アイリ、シャルロットの 三人だけが見えるということになる。
結果的にはロベルトが不安に思っていた要素の一つがあっさり解決した。
「そうだ、ちょっと待ってて」
ここで何かを思い出したのかシャルロットは椅子から立ち上がり、壁際に備え付けられている大きな本棚の前へ足を動かし、その場でピタリと止まる。
本棚に納められている本の背表紙を指でなぞりながら、目的の本をゆっくりと探す。
「どこだったかなー。えーと……あっ、これこれ」
どうやら目的の本を見つけたようで、本棚からその本を引っ張り出す。
とても分厚く、相当年期が入っているのか表紙が少し傷んでいるものの、タイトルだけはかろうじて読み取れた。
その本の名は……
「ルナティールの創世記?」
シャルロットに突き付けられた本の表紙を、ロベルトはそのまま口に出す。
そ して彼女は手に持った本を開いて、目的の頁まで一枚一枚めくる。
「そう。本の内容だけど、かなりの量があるから肝心のところだけ説明するね。まずはこれ」
そう言ってシャルロットはとある頁を開いて、ロベルトとアイリに見せるために机の上に置く。
そこにはこう書いてあった。
ラグナ、それはルナティールに纏わる神が人間に与えられし力、即ち神の力也。
力に選ばれし者、神の聖遺物である指輪を手にし、右手の甲にルナティールの神々を象徴する紋を宿し、超人的な力を振るう。
その力は大地を割り、大海をも枯らし、天をも掌握せし也。
されど、この力に選ばれし者、大きな宿命を背負いし者となり、責が伴うだろう。
「そして、次がこれ」
続いてシャルロットはパラパラといくつか頁をめくり、とある頁を開いて再び本を机の上に置いた。
そこには……
「あっ!これって!」
頁に書かれているあるものを見た瞬間、ロベルトとアイリは思わず声を荒げる。
なぜならそのページに描かれていたものは、今ロベルトたちの右手の甲に刻まれた花の紋章そのものであったからだ。
驚いたロベルトは右手を前に突き出し、頁に描かれている紋を比べる。
「まったく一緒じゃねぇか……」
「そう。でも大事なのは、ここの部分」
「え?」
シャルロットは本のとあるところを指をさす。
そこに書いてあったのは、女神アリシアを示す花の紋、という一文であった。
つまり今、ロベルトたちの右手の甲に刻まれている紋章は女神アリシアを表してる花の紋章だということである。
「この本の内容から推理するに、ラグナというのはこのルナティールの神がもつ力であり、俺たちに刻まれているこの紋章は女神アリシアの示す紋章ということ。そして……この指輪は神の聖遺物とやらってことですよね」
ロベルトは自分の右手の中指にはめている指輪をまじまじと見た。
神の聖遺物という大層なバリューネームがついていながら、見た目はどう見てもプラチナ製の高価な指輪である。
だがそこに神の聖遺物という称号がついてしまうと、不思議と辺なオカルトパワーを感じてしまうのはなぜだろうか?
「それと姉さん、もう一つ。邪悪なる者に関してだけど……心当たりありません?」
「ごめんね。その本を見た限り、肝心の邪悪なる者については分からなかったんだけど……一つ気になるところがあるのよ」
「え?それってどこですか?」
シャルロットはそう言って本の頁をいくつかめくる。
そして、とある頁にたどり着いたとき、彼女の手は頁をめくるのをやめた。
「ここだよ。ほら、これ」
「あっ!頁が破れてる!」
「……ほんとだ」
アイリの言う通り、頁が根元から破れていたのだ。
見たところ破られているのは5頁ほどだが、適当にビリビリ破いたわけではなく、根本から丁寧に破れている。
一体、この頁には何が書かれていたのだろうか?
もしかしたら、破れた頁が見つかれば女神アリシア、そして邪悪なる者に少しでも近づけるのかもしれない。
「……ねぇ翼君、この本?欲しい?」
「え!?いや……」
「ふふっ。遠慮しなくていいよ?顔に書いてあるよ?読んでみたいって」
生前からの長い付き合い故に、ロベルトの考えはシャルロットにはお見通しだったようであり、彼女はロベルトに向かって小悪魔的な微笑みを向けてくる。
だがここは素直に受け取ったほうがいいし、何よりロベルト自身もこの本の中身は非常に気になるのも確かだ。
「いいんですか?」
「私は副団長としての仕事も忙しいから読む暇ないし、翼君ならもっと有効活用してくれるかと思うんだけど……どうかな?」
「……分かりました。じゃあお言葉に甘えてこの本、しっかりと読ませていただきます」
「ありがとう」
シャルロットはそう言って本を閉じ、ロベルトに渡して彼はその本を受け取る。
触った感じ、この本は作られてからかなりの時間がたっていたようで、やはり傷んでいる。
それに意外と重たいので、読む際は細心の注意を払って読まなければならない。
「それじゃ、俺はそろそろこの辺で……」
アリシアに関する重要な情報が手に入ったので、ロベルトは家に帰ってこの本を読むためにその場で回れ右をし、扉のほうを向かおうとしたのだが……
「つーばーさ?あたしとの約束、忘れていないよね?」
「……あ」
背後からアイリの言葉を聞いて、ロベルトは一瞬びくって体を強張らせてしまった。
そういえば……こいつとの約束を忘れていた、と内心彼は愚痴る。
「こら華蓮。翼君、せっかくだから少しお茶していかない?こうして3人一緒にいる時間もあまりないし、たまには前世のことでも話してみない?」
「あっ、それいいね!」
「……はぁー。仕方ないですね」
こうしてロベルトは、つかの間の休日の午前をお茶しながら過ごすことになってしまった。
既に近くにあるデスクには本棚から抜き取ったであろう本が山となって積み重なっており、今にも崩れてしまいそうである。
彼が調べているのは昨夜の出来事。
夢の中に現れた女神アリシアと、彼女の力を奪った邪悪なる者、そして神の力であるラグナの事。
「むむむ……」
だがロベルトの表情から察するに、あまりいい成果は得られていないようだ。
ページをめくっては文字の羅列を睨みながら指でなぞりつつ、またページをめくる。
そして手掛かりがなければ傍のデスクに積まれている本の山にまた一つ、本が置かれる。
同じ作業の繰り返しであった。
「あーもう駄目だ!全くわからん!!」
集中力が切れてしまったのか、ロベルトは手に持った本をソファーの上に投げると、ベッドの上に寝転がる。
勢いよくベッドにダイブし、高級な羽毛布団がこの部屋の主をやさしく受け止める。
この様子からして、手掛かりは何も得られず、ギブアップのようだ。
「まったく……ラグナに邪悪なる者……意味が分からねぇよ」
ロベルトは部屋の天井を無意味に眺めてはイラつきながら、そうぼやく。
この作業だけでまだ午前なのにも拘わらず既に気力をなくし、いっそのことこのまま寝てしまおうかと思った。
しかし、部屋の扉からノックの音が二回聞こえ、このまま眠りの世界に突入するのをやめた。
「ロベルト様、おりますか?」
「なんだ?」
しぶしぶ体を起き上がらせてそう返事を返すと、扉の外から聞こえたのはこの屋敷に努めているメイドの声である。
本来であればこの時間、ロベルトは騎士団の仕事に出かけるので、その間に部屋を片付けをしてもらうのだ。
しかし本日は休みなので、部屋掃除の予定はないはず。
最も、ついさっきまでロベルトが本棚から本を抜き取って辺りを散らかしたので、この際片付けをしてもらったほうがいいかもしれない。
だがこのメイドは、散らかした本を片付けに来たわけではない。
「アイリ様からお電話が来ておりますよ」
「華蓮が?……あ」
この時、ロベルトの脳裏に昨日の出来事が思い浮かんだ。
それは昨日、アイリと別れる際にした約束……明日付き合えという約束を。
しかし女神アリシアやら邪悪なる者などのことで頭がいっぱいだったロベルトは、あろうことかその件を忘れていたのである。
「しまったあああぁぁぁぁ!!華蓮との約束を忘れてたあああああああ!!」」
昨日の事を鮮明に思い出し、顔が急に青ざめつつベッドから起き上がったロベルトは、絶叫しながらそのまま部屋の扉を思いっきり強く開ける。
「きゃっ!!」
「ごめん!!」
扉の傍にいたメイドが急に出てきたロベルトに驚いて、その場で尻餅をついてしまう。
申し訳ないと内心思ったロベルトだったが、今はなりふり構わず一階のリビングに置いてある電話機へと向かう。
そして階段を降りようとした時、玄関口で騎士学校の制服を来ているリナリーを見かけ、彼女も階段を急いで降りるロベルトに気づいた。
「あっ、お兄様、どうかしたのですか?」
「華蓮から電話だよ!今から学校か!?じゃあ行ってらっしゃい!!」
ロベルトは階段を下りながら、これから学校に出かけるリナリーに向かって早口でそう言った。
その後、彼はロビーの奥にあるリビングへと風のように走り去っていった。
「……あ、はい。行ってきます……」
突然のことで茫然としてしまうリナリー。
目が点となり、一体何があったのだろうかとその場で立ち尽くしてしまう。
その後、リビングに入ったロベルトはすぐさま受話器を手に取って耳に当てた。
「もしもし!?」
『おっそい!!なにやってたの!?』
電話口から今にも鼓膜が破れてしまいそうな怒鳴り声が聞こえ、ロベルトは思わず受話器を耳から遠ざけてしまった。
受話器から聞こえる声の主は二ノ宮華蓮ことアイリ・カタルーシア。
昨日の別れ際に今日付き合うと言っておきながら、未だに自分に会いに来ないロベルトに憤怒していた。
「ごめんごめん!ちょっと調べものがあってな」
『へぇー。あたしの約束より調べもののほうが大事なんだー』
「悪かったって」
『……ふーん。まぁいいけど』
ロベルトは電話の向こうにいるアイリに向かって、全く誠意が感じられない謝罪をする。
他人であれば、そんな謝罪は逆に火に油を注ぐようなものであるが、幼馴染故にこれくらいのことは許せるのだろう。
その証拠に電話口の向こうにいるアイリは、一応納得しているようだ。
『で?何を調べていたの?』
「あまり大きな声じゃ言えないんだが……実はな、今日夢の中で女神アリシアに会ってな。邪悪なる者に……」
『嘘!?マジで!?』
「い、いきなりなんだよ……」
再び電話口から大声が聞こえ、ロベルトはまたもや受話器を耳から遠ざける。
『夢の中でアリシアの中で会ったの!?』
「そうだけど?」
『じゃあ、ラグナの事も?』
「!!」
アイリがラグナという言葉を口にしたことで、ロベルトはすぐさま食いつく。
あれだけ本棚の本を探っても見つからなかったことが、アイリは知っているのかもしれない、と。
ロベルトはわずかな希望を持ってアイリに問いかける。
「お前、ラグナの事を知っているのか!?」
『正確に言えばお姉ちゃんが知っているんだけどね。全部知っているわけじゃないけど……知りたい?』
「もちろん」
アイリの言葉にロベルトは喜んで飛びついた。
先ほどは本棚の本を散らかしてまで調べたのにもかかわらず、何一つ手掛かりが得られなかった。
だがアイリ……正確には姉のシャルロットはラグナについて何かを知っているらしい。
『じゃあ今からあたしの家に来れる?』
「分かった」
『じゃあ待ってるから』
その一言を最後に電話からは音声が聞こえなくなり、通話は切れた。
ロベルトは手に持った受話器を電話機に戻しつつ、何やら考え事を始める。
「姉さんがラグナの事を……とりあえず話を聞いてみるとしようか」
そう判断したロベルトはすぐさま自分の部屋に戻り、クローゼットから休日用の私服に着替える。
皺や汚れがひとつもない白いワイシャツ、そして襟が大きいコート。
庶民であれば決して手が届くことのない服にその身を包んだロベルトは、そのまま屋敷のホールへと向かい、玄関を両手で大きく開ける
目の前に広がるは大きな庭と噴水。
朝日に照らされた噴水は水面が光輝き、宝石のような眩しさを放っていた。
「ロベルト様、お出かけですか?」
ちょうど庭で作業していた一人のメイドがロベルトに気づき、声をかけてきた。
「ちょっと華蓮のところに行ってくる」
「華蓮……アイリ様のところですね。お気をつけていってらっしゃいませ」
メイドがロベルトに軽くを頭を下げると、再び自分の持ち場に戻り、手入れを再開する。
生前は現代日本に住んでいた彼にとっては、この屋敷の庭はまさに未知の領域。
日本でも恋愛シュミレーションのゲームのお嬢様……俗にいう財閥のお嬢様キャラが住んでいそうな屋敷だ。
その後、屋敷を出ていったロベルトはアイリの屋敷であるカタルーシア家へと向かうために大通りへと向かう。
カタルーシア家はエルヴェシウス家とは大通りを挟んだ反対側の地区にあり、徒歩で10分ほどかかる。
「朝っぱらだってのにもうたくさん人がいるなぁ」
大通りに出たロベルトはあたりを見渡す。
彼の言葉通り、大通りはまだ午前中であるのにも関わらず、既に大勢の人で賑わいを見せていた。
仕事をしている人や買い物をしている人、そして騎士団の制服に身を包んで巡回をしている人。
それはこのメランシェルという街が、今も生きているという何よりの証拠だ。
ロベルトは大通りを横切り、反対側の地区へ向かう小さな路地へと入っていく。
この路地に入ってしまえば大通りのような賑やかな喧騒は一瞬にしてどこかに消え、どこか寂しいフインキが一気に襲い掛かる。
徒歩で10分ほど歩くと、他の建物よりも一際大きく目立つ屋敷が見えてきた。
アイリやシャルロットの自宅であるカタルーシア家の屋敷である。
ロベルトは門を開けて庭に入ると、綺麗に手入れされた庭と中央に鎮座している噴水が彼を出迎えた。
同じ建築家が手掛けたのか、屋敷に庭、噴水などエルヴェシウス家と非常によく似通っている。
すると庭の端のほうで箒を手に持ったカタルーシア家のメイドがロベルトに気づいて、彼のほうに近づく。
「おはようございます。ロベルト様」
「うぉわ!?……あ、あぁ。おはよう」
ロベルトは彼女に気づかなかったのか、突然後ろから声をかけられたメイドに思わず変な声を出しながら、驚きつつも挨拶を返す。
「もしかしてアイリ様にご用ですか?」
「そうだよ。あいつに呼ばれてね」
「ではお呼びいたしますね。そこのベンチに座ってお待ちください」
そう言ってメイドは箒を持ったまま、屋敷の中へと入っていった。
このまま立って待つのも疲れるので、ロベルトはメイドの言葉に従い、玄関前に設置してあったベンチに腰を下ろして待つことにした。
ベンチに座って空を見上げると雲一つない快晴で、太陽が俺がここにいるぜと強く主張するように天に鎮座している。
だが空に浮かんだ太陽とは裏腹に、ロベルトの内心は女神アリシアやら邪悪なる者とやらで真逆の曇天模様であった。
もし昨夜の出来事がなければこんな気分にはならなかったであろう。
「翼!」
空を渋い顔をして見上げていたロベルトは、横から聞こえた自分を呼ぶ声で我に戻り、その声の主へと顔を向ける。
「よぅ華蓮。……ってお前、また新しい服買ったのか?」
「へへへー。どう?翼が任務で出ている間に新作が出たから買っちゃったー」
アイリは自分が来ている水色のドレスを、その場で回ってロベルトに自慢する。
露出も少なく、高貴な感じを漂わせるその衣装はアイリにとても似合っていた。
「へぇ……いいじゃん。それよりも……」
「ラグナの事でしょ?はいはい。じゃあ上がって。電話でも言ったけど、お姉ちゃんのほうが知っているから」
「分かった。じゃあお邪魔しますよ」
ロベルトはそう言ってアイリの後をついていき、そのままカタルーシア家の屋敷の中へと入っていく。
カタルーシア家の当主の趣味なのか、エントランスには高価な壺やら誰だか分からない肖像画がいくつも飾られていた。
「また増えたのか?」
「お父さん、貿易商だからね。珍しいものを見つけると持ってきて飾る趣味があるんだよね。あたしとお姉ちゃんは全然理解できないんだけど」
ロベルトは暇さえあれば度々この屋敷に出入りしている。
そのため、以前来た時よりもエントランスの美術品の多さに多少困惑してしまった。
「まぁそんな美術品なんてどうでもいいから、お姉ちゃんの部屋にいこ?」
「はいはい」
アイリは笑顔で父親の趣味を軽く貶しつつ、ロベルトの背中をぐいぐい押して二階へと通す。
階段を上った二人は並んで長い廊下を歩き、とある扉の前へとたどり着く。
そしてアイリはその扉をノックもせずにそのまま開けて、中へと突入した。
「お姉ちゃん入るよー!」
「ちょ、華蓮……入るならノックしなさいって」
「めんごめんご。それより翼が聞きたいことがあるって」
「翼君が?」
部屋の中では、アイリの姉であり騎士団の副団長であるシャルロットが、ティーカップの入った紅茶を片手にデスクに座って何やら資料を作成していた。
そしてシャルロットはアイリの後ろにいたロベルトに気づく。
「あら翼君、おはよう。今日は華蓮と出かける約束してたんじゃないの?」
「姉さんおはようございます。ちょっとお話がありまして」
「あら、何かな?」
「実は……」
ロベルトは昨夜、自らの身に体験した出来事をシャルロットに話す。
シャルロットは目を閉じながら、ロベルトの口から出る言葉に耳を傾けて真剣に話を聞いた。
「なるほどね……ついに翼君にもその時が来たってわけだね」
「その反応、まさか姉さんも?」
「そう。私だけじゃなくて華蓮もつい三か月前に体験したのよ」
「えっ!?」
シャルロットの言葉にロベルトは反射的にアイリのほうに顔を向ける。
当のアイリ本人はえへへーと笑顔でごまかす。
「それじゃ何から話そうかな……じゃあ翼君。まず最初にラグナについて知っていること、教えてくれる?」
「教えてって言われても……昨日のアリシアとの会話で、神の力ってくらいしか知りませんが」
「その通りだよ。そうだね……実際に見てもらったほうが早いかな」
シャルロットはそう言うと、目を閉じて右手を前に突き出し、掌を開く。
最初は何をやっているのだろうかと思ったが、そんな考えはすぐに消え去った。
彼女の右手に光の粒子が集まりだし、一瞬強烈な光を放つ。
あまりの光の強さにロベルトは目を閉じてしまうが、少しずつ光が収まっていく。
そして次に目を開けて視界に映ったもの、それが彼女のいうラグナの正体であった。
「これは……弓矢?」
シャルロットが右手に持っていたのは、夜空に浮かぶ三日月をそのまま弓の形にした弓矢である。
「そう。私が以前調べた限り、ラグナというのは、大昔にこのルナティールの神々がもつ力の一部分を人間に与えたものらしいの。そしてこのラグナを与えられた者にはこのような武器が与えられるの。そして私のラグナの名前は、神弓アルテミス。翼君も前世で聞いたことあるでしょ?」
アルテミス……前世ではギリシア神話に登場する月の女神のことである。
「なるほど……ところで華蓮、お前のラグナは?」
「あ、見たい?じゃあ行くよ?ほら」
今度はアイリが右手を前に突き出し、集中するために目を閉じる。
先ほどのシャルロットと同じように、再び部屋が光で満たされて、あまりの強烈な光の強さにロベルトはまたもや目を閉じてしまう。
そして光が収まり、再び目を開けるとアイリの右手には白くて美しい装飾が施された大きな槍が握られていた。
「お前のラグナは槍か」
「そう!ちなみにあたしのラグナは聖槍エルルーネ。北欧神話に出てくる戦乙女、ヴァルキュリアからとったんだよ。どう?どう?」
と、アイリはどや顔でロベルトに迫ってくる。
一瞬うざかったため思わず殴ってやろうかと思ったが、流石に女の子を殴るのは男として最低ということくらいロベルトは理解していたので、我慢した。
「じゃあ俺にも……」
「そうだね。ちょっと意識してみて?自分の頭の中で武器を右手で握ってるイメージをね」
シャルロットにそういわれたので、ロベルトも目を閉じて、右手を前に突き出し、頭の中で強くイメージする。
彼がイメージしたのは、前世でやっていた人気ゲームの主人公が握っていた聖剣。
その聖剣を自分の右手に持つイメージをするが……
「……何も起こらないな」
そう、右手には聖剣すら握っておらず、何も起こらなかった。
「あれ?おかしいな……私はすんなり出てきたんだけど」
「あたしも。翼、ちゃんとイメージした?」
「しとるわ!何で俺だけ出ないんだよ……ん?」
ロベルトはなぜ自分にだけ武器が出てこないのが、疑問に思ったが、ここであることに気づいた。
それは……
「何だこれ!?」
何かを見つけたロベルトは急に大声を張り上げる。
彼のいきなりの大声にシャルロットとアイリは一瞬驚くも、アイリはようやく気付いたかと一言いって呆れた。
「あぁ。それはね、ラグナが宿った者には右手にその紋章が刻まれるんだよ」
ロベルトの右手に刻まれている紋章、それは三日月の中に百合の花が描かれている紋章である。
「ラグナが宿っている者ということは、姉さんと華蓮も?」
「そう、ほらこれ」
「あたしもね。ほら」
シャルロットとアイリは自分の右手の甲をロベルトに見せる。
二人の右手の中指にはロベルトと同じデザインの指輪と、手の甲に彼と全く同じ紋章があった。
ロベルトは少しの間、自身の右手に刻まれた紋章を見続けた。
中央に咲く花、百合を三日月が優しく包むように囲んでおり、華憐で美しくも一時期しか咲かない花の紋章はどこか儚げながらも、どこか神秘さを感じさせる。
だがこの紋章、一つ問題がある。
「この紋章、結構目立ちますよね」
彼の言う通り、手の甲に浮かんだ紋章はかなり目立つ。
ロベルトは貴族という立場上、こんなものがあったら品格が疑われかねない。
そう思ったのだが……
「それに関しては心配ないよ」
「なんでですか?」
「その紋章だけど、ラグナが宿っている人にしか見えないみたい。仕事しているとき私手袋とかはめていないけど、誰もこの紋章に気づいてないもん」
「そうそう。親とかにもまったく聞かれないよ」
よく思い出してみると、先ほどの朝食の時も家族はこの紋章については全く聞いてこなかった。
ラグナが宿っている人同士だけが見える紋章であれば、この紋章は現時点ではロベルト、アイリ、シャルロットの 三人だけが見えるということになる。
結果的にはロベルトが不安に思っていた要素の一つがあっさり解決した。
「そうだ、ちょっと待ってて」
ここで何かを思い出したのかシャルロットは椅子から立ち上がり、壁際に備え付けられている大きな本棚の前へ足を動かし、その場でピタリと止まる。
本棚に納められている本の背表紙を指でなぞりながら、目的の本をゆっくりと探す。
「どこだったかなー。えーと……あっ、これこれ」
どうやら目的の本を見つけたようで、本棚からその本を引っ張り出す。
とても分厚く、相当年期が入っているのか表紙が少し傷んでいるものの、タイトルだけはかろうじて読み取れた。
その本の名は……
「ルナティールの創世記?」
シャルロットに突き付けられた本の表紙を、ロベルトはそのまま口に出す。
そ して彼女は手に持った本を開いて、目的の頁まで一枚一枚めくる。
「そう。本の内容だけど、かなりの量があるから肝心のところだけ説明するね。まずはこれ」
そう言ってシャルロットはとある頁を開いて、ロベルトとアイリに見せるために机の上に置く。
そこにはこう書いてあった。
ラグナ、それはルナティールに纏わる神が人間に与えられし力、即ち神の力也。
力に選ばれし者、神の聖遺物である指輪を手にし、右手の甲にルナティールの神々を象徴する紋を宿し、超人的な力を振るう。
その力は大地を割り、大海をも枯らし、天をも掌握せし也。
されど、この力に選ばれし者、大きな宿命を背負いし者となり、責が伴うだろう。
「そして、次がこれ」
続いてシャルロットはパラパラといくつか頁をめくり、とある頁を開いて再び本を机の上に置いた。
そこには……
「あっ!これって!」
頁に書かれているあるものを見た瞬間、ロベルトとアイリは思わず声を荒げる。
なぜならそのページに描かれていたものは、今ロベルトたちの右手の甲に刻まれた花の紋章そのものであったからだ。
驚いたロベルトは右手を前に突き出し、頁に描かれている紋を比べる。
「まったく一緒じゃねぇか……」
「そう。でも大事なのは、ここの部分」
「え?」
シャルロットは本のとあるところを指をさす。
そこに書いてあったのは、女神アリシアを示す花の紋、という一文であった。
つまり今、ロベルトたちの右手の甲に刻まれている紋章は女神アリシアを表してる花の紋章だということである。
「この本の内容から推理するに、ラグナというのはこのルナティールの神がもつ力であり、俺たちに刻まれているこの紋章は女神アリシアの示す紋章ということ。そして……この指輪は神の聖遺物とやらってことですよね」
ロベルトは自分の右手の中指にはめている指輪をまじまじと見た。
神の聖遺物という大層なバリューネームがついていながら、見た目はどう見てもプラチナ製の高価な指輪である。
だがそこに神の聖遺物という称号がついてしまうと、不思議と辺なオカルトパワーを感じてしまうのはなぜだろうか?
「それと姉さん、もう一つ。邪悪なる者に関してだけど……心当たりありません?」
「ごめんね。その本を見た限り、肝心の邪悪なる者については分からなかったんだけど……一つ気になるところがあるのよ」
「え?それってどこですか?」
シャルロットはそう言って本の頁をいくつかめくる。
そして、とある頁にたどり着いたとき、彼女の手は頁をめくるのをやめた。
「ここだよ。ほら、これ」
「あっ!頁が破れてる!」
「……ほんとだ」
アイリの言う通り、頁が根元から破れていたのだ。
見たところ破られているのは5頁ほどだが、適当にビリビリ破いたわけではなく、根本から丁寧に破れている。
一体、この頁には何が書かれていたのだろうか?
もしかしたら、破れた頁が見つかれば女神アリシア、そして邪悪なる者に少しでも近づけるのかもしれない。
「……ねぇ翼君、この本?欲しい?」
「え!?いや……」
「ふふっ。遠慮しなくていいよ?顔に書いてあるよ?読んでみたいって」
生前からの長い付き合い故に、ロベルトの考えはシャルロットにはお見通しだったようであり、彼女はロベルトに向かって小悪魔的な微笑みを向けてくる。
だがここは素直に受け取ったほうがいいし、何よりロベルト自身もこの本の中身は非常に気になるのも確かだ。
「いいんですか?」
「私は副団長としての仕事も忙しいから読む暇ないし、翼君ならもっと有効活用してくれるかと思うんだけど……どうかな?」
「……分かりました。じゃあお言葉に甘えてこの本、しっかりと読ませていただきます」
「ありがとう」
シャルロットはそう言って本を閉じ、ロベルトに渡して彼はその本を受け取る。
触った感じ、この本は作られてからかなりの時間がたっていたようで、やはり傷んでいる。
それに意外と重たいので、読む際は細心の注意を払って読まなければならない。
「それじゃ、俺はそろそろこの辺で……」
アリシアに関する重要な情報が手に入ったので、ロベルトは家に帰ってこの本を読むためにその場で回れ右をし、扉のほうを向かおうとしたのだが……
「つーばーさ?あたしとの約束、忘れていないよね?」
「……あ」
背後からアイリの言葉を聞いて、ロベルトは一瞬びくって体を強張らせてしまった。
そういえば……こいつとの約束を忘れていた、と内心彼は愚痴る。
「こら華蓮。翼君、せっかくだから少しお茶していかない?こうして3人一緒にいる時間もあまりないし、たまには前世のことでも話してみない?」
「あっ、それいいね!」
「……はぁー。仕方ないですね」
こうしてロベルトは、つかの間の休日の午前をお茶しながら過ごすことになってしまった。
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