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はじまりの樹
第1話 出会い
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音羽は困惑していた。いかにして目の前にいる得体のしれない生物をやり過ごすべきか。
音羽が身にまとっているのは真新しいセーラー服。春のうららかな風にスカートのすそがなびき、一つ結びの栗色が軽やかな髪はゆらゆらと気まぐれに踊っている。木漏れ日の中、実にさわやかな光景だったが、その表情はどう見ても爽やかではない。
その表情の元凶は目の前にいる、狐のような犬のような、それでいてそのどちらでもない姿をした、金色の毛並みにエメラルドグリーンの瞳をもつ生物――セラであった。
「どうしろっていうのよ……」
幸か不幸か周囲に人はいない。石でも投げようか、いやしかし下手に手出しはしない方がいい。では、隙を見て逃げるか、だが追いかけてきたらどうする。ただでさえ高校に入ったばかりで慣れないことばかりなのに、学校の外でまで面倒ごとを増やさないでほしい。
音羽がそう考えている頃、セラはセラでどうしようかと思っていた。
確かにきちんとした姿をしている。だがどう見ても幼い娘だ。本当にこの娘が、我が主たる壱護の後継たり得るのか。何かの間違いではないか。信じられない、というよりも信じたくないというような様子であった。
お互いに少しも動かないままどれだけの時間が過ぎたか分からない。ハッとした音羽が腕時計を確認する。
「いけない、バスが」
再び顔を上げ目の前の生物に視線をやった……はずだった。
「あれ、いない」
セラは忽然と姿を消し、代わりに、一輪の花が落ちていた。怪しみながらも音羽は近づいてみてみる。落ちていた花は真っ白で、ヒガンバナにもユリにも見えるものだった。ハンカチを手に、茎のところをつかんで光にかざしてみる。それは、祖父の家の庭で見かけたことのある花だった。
「ネリネ?」
白い花弁はきらきらと輝き、まるで宝石のように見えた。
音羽の家は小高い丘の町にある。和洋様々な住宅が立ち並び、すぐそばには豊かな自然が広がっている。入り組んだ道は、ここに初めて来た人からしてみると迷路のようにも思えるらしい。
町の入り口にはバス停があり、音羽はそこでバスを降りた。
音羽の家まではまっすぐ進めばたどり着くのだが、音羽はその道を行かず左手に伸びる道に歩みを進めた。
音羽は、古いような新しいような家が建ち並ぶ道を行く。人の影は少なく、時折小鳥のさえずりが聞こえるばかりで、なんとも閑静なものである。しばらく歩みを進めれば、町の突き当たり、すぐ横が山になっている場所にたどり着いた。
そこに建っているのは一軒の洋館。赤レンガの壁は古びているが手入れが行き届いていて立派なものである。ガラス張りの温室には分厚いカーテンがかかっており、中を垣間見ることはできない。
音羽は小さく洒落た門を開け、玄関先の呼び鈴を押した。
ジーッという音の後、しばらくしてから目の前の扉が重厚な音を立てて開いた。
出てきたのは音羽の祖父、壱護だった。ロマンスグレーの髪はきれいにセットされ、パリッとした真っ白なシャツに群青色のベストがしっくりなじんでいる。胸元には薄い黄緑色にも黄色にも見える宝石がついたループタイが輝く。その宝石の名は、以前「ヒデナイト」だと教えられていた。
「音羽、いらっしゃい」
「おじいちゃん、今日も元気そうでよかった」
「おかげで」
同じ町に住んでいるので同居すればいいと話はあったのだが、祖父はこの洋館を管理するために一人で暮らしていた。だからせめて、一週間に一回は彼の家を訪問しようと決めていたのだ。最近ではもっぱら、学校帰りに音羽が寄るようになっている。なので一週間に一回どころか、ほとんど毎日のように訪問していた。
その屋敷は、外観だけでなく内装も立派なものだった。おとぎ話に出てくる洋館を彷彿とさせるダークウッドとワインレッドで整えられた内装は、音羽のお気に入りであった。
「おや、その花はどうしたんだい?」
音羽の手にあったネリネを見て、壱護は台所に向かおうとしていた足を止める。
「そうなの、実はね……」
音羽は壱護に先ほどの顛末を話す。壱護はそれを聞いて「ふむ」と軽くうなずき、音羽からネリネを受け取った。音羽はふかふかでいつもいい香りがするアンティークのソファに座る。
「それは大変だったね」
「ただでさえ学校で疲れてるっていうのに、ほんと、勘弁してほしいわ」
「この花はどうしようか」
「うーん、持って帰ってもいいんだけど……おじいちゃん、もらってくれる? うちに飾るより、この屋敷に飾った方がずっと映えると思うから」
「それじゃあ、私が責任をもって飾らせてもらおう」
そう言って壱護はネリネをいったんコンソールの上に置いた。
「ちょうど今、クッキーが焼けたところだ。食べるかい?」
「もちろん! おじいちゃんのクッキーはおいしいもの。食べないわけにはいかないわ」
壱護は皿にクッキーを並べ、ティーセットとともにテーブルの上に置いた。クッキーがのった皿も、ティーセットも、部屋によく似合うアンティークのものだった。
音羽は縁に砂糖がついたクッキーを一つつまみ口に含むと相好を崩した。
「ん~、そうそう、これよ、これ」
「おいしそうに食べてくれて、うれしいよ」
「紅茶もいい香り。難しいことは分からないけど、おいしいってことはよく分かるわ」
朗らかに笑う音羽を壱護は穏やかに見つめていた。
音羽が身にまとっているのは真新しいセーラー服。春のうららかな風にスカートのすそがなびき、一つ結びの栗色が軽やかな髪はゆらゆらと気まぐれに踊っている。木漏れ日の中、実にさわやかな光景だったが、その表情はどう見ても爽やかではない。
その表情の元凶は目の前にいる、狐のような犬のような、それでいてそのどちらでもない姿をした、金色の毛並みにエメラルドグリーンの瞳をもつ生物――セラであった。
「どうしろっていうのよ……」
幸か不幸か周囲に人はいない。石でも投げようか、いやしかし下手に手出しはしない方がいい。では、隙を見て逃げるか、だが追いかけてきたらどうする。ただでさえ高校に入ったばかりで慣れないことばかりなのに、学校の外でまで面倒ごとを増やさないでほしい。
音羽がそう考えている頃、セラはセラでどうしようかと思っていた。
確かにきちんとした姿をしている。だがどう見ても幼い娘だ。本当にこの娘が、我が主たる壱護の後継たり得るのか。何かの間違いではないか。信じられない、というよりも信じたくないというような様子であった。
お互いに少しも動かないままどれだけの時間が過ぎたか分からない。ハッとした音羽が腕時計を確認する。
「いけない、バスが」
再び顔を上げ目の前の生物に視線をやった……はずだった。
「あれ、いない」
セラは忽然と姿を消し、代わりに、一輪の花が落ちていた。怪しみながらも音羽は近づいてみてみる。落ちていた花は真っ白で、ヒガンバナにもユリにも見えるものだった。ハンカチを手に、茎のところをつかんで光にかざしてみる。それは、祖父の家の庭で見かけたことのある花だった。
「ネリネ?」
白い花弁はきらきらと輝き、まるで宝石のように見えた。
音羽の家は小高い丘の町にある。和洋様々な住宅が立ち並び、すぐそばには豊かな自然が広がっている。入り組んだ道は、ここに初めて来た人からしてみると迷路のようにも思えるらしい。
町の入り口にはバス停があり、音羽はそこでバスを降りた。
音羽の家まではまっすぐ進めばたどり着くのだが、音羽はその道を行かず左手に伸びる道に歩みを進めた。
音羽は、古いような新しいような家が建ち並ぶ道を行く。人の影は少なく、時折小鳥のさえずりが聞こえるばかりで、なんとも閑静なものである。しばらく歩みを進めれば、町の突き当たり、すぐ横が山になっている場所にたどり着いた。
そこに建っているのは一軒の洋館。赤レンガの壁は古びているが手入れが行き届いていて立派なものである。ガラス張りの温室には分厚いカーテンがかかっており、中を垣間見ることはできない。
音羽は小さく洒落た門を開け、玄関先の呼び鈴を押した。
ジーッという音の後、しばらくしてから目の前の扉が重厚な音を立てて開いた。
出てきたのは音羽の祖父、壱護だった。ロマンスグレーの髪はきれいにセットされ、パリッとした真っ白なシャツに群青色のベストがしっくりなじんでいる。胸元には薄い黄緑色にも黄色にも見える宝石がついたループタイが輝く。その宝石の名は、以前「ヒデナイト」だと教えられていた。
「音羽、いらっしゃい」
「おじいちゃん、今日も元気そうでよかった」
「おかげで」
同じ町に住んでいるので同居すればいいと話はあったのだが、祖父はこの洋館を管理するために一人で暮らしていた。だからせめて、一週間に一回は彼の家を訪問しようと決めていたのだ。最近ではもっぱら、学校帰りに音羽が寄るようになっている。なので一週間に一回どころか、ほとんど毎日のように訪問していた。
その屋敷は、外観だけでなく内装も立派なものだった。おとぎ話に出てくる洋館を彷彿とさせるダークウッドとワインレッドで整えられた内装は、音羽のお気に入りであった。
「おや、その花はどうしたんだい?」
音羽の手にあったネリネを見て、壱護は台所に向かおうとしていた足を止める。
「そうなの、実はね……」
音羽は壱護に先ほどの顛末を話す。壱護はそれを聞いて「ふむ」と軽くうなずき、音羽からネリネを受け取った。音羽はふかふかでいつもいい香りがするアンティークのソファに座る。
「それは大変だったね」
「ただでさえ学校で疲れてるっていうのに、ほんと、勘弁してほしいわ」
「この花はどうしようか」
「うーん、持って帰ってもいいんだけど……おじいちゃん、もらってくれる? うちに飾るより、この屋敷に飾った方がずっと映えると思うから」
「それじゃあ、私が責任をもって飾らせてもらおう」
そう言って壱護はネリネをいったんコンソールの上に置いた。
「ちょうど今、クッキーが焼けたところだ。食べるかい?」
「もちろん! おじいちゃんのクッキーはおいしいもの。食べないわけにはいかないわ」
壱護は皿にクッキーを並べ、ティーセットとともにテーブルの上に置いた。クッキーがのった皿も、ティーセットも、部屋によく似合うアンティークのものだった。
音羽は縁に砂糖がついたクッキーを一つつまみ口に含むと相好を崩した。
「ん~、そうそう、これよ、これ」
「おいしそうに食べてくれて、うれしいよ」
「紅茶もいい香り。難しいことは分からないけど、おいしいってことはよく分かるわ」
朗らかに笑う音羽を壱護は穏やかに見つめていた。
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