832 / 846
日常
第776話 おにぎりとみそ汁
しおりを挟む
カーテンを開けると、東の空が白み始めているのが見えた。少し早い、休日の朝である。
「んん……」
ジャージに着替え、身支度を済ませたら、台所に立つ。今日は走りに行くぞ。
「運動する前はなんか食った方がいいらしいし……」
動画で見た情報によると、運動する前に何か体に入れておいた方がいいのだそうだ。食べないまま運動すると、筋肉が減るんだったか。
ゆで卵と野菜にしよう。しっかり食ったら動きたくなくなりそうだ。
「いただきます」
ゆで卵って、妙にうまく感じるときがある。塩をぱらっと振っただけのシンプルなものだが、これがいい。ラーメンとか食いたくなってくる。
そこにトマト。トマトにはドレッシングをかけている。程よく甘く、酸味が爽やかだ。
こういう食事してると、アスリートになった気分である。おこがましい限りだ。
「ごちそうさまでした」
さて、それじゃあもうひと準備して、外に出よう。
はあー……
「走りたくない」
「見事に顔に出てるなあ」
家の前で合流したのは、田中さんだった。
こないだスーパーで偶然会った時、「走ることにした」という話をしたところ、時間が合う時は一緒に走ってくれる、と言ってくれたのだった。
「え、何がですか」
「走りたくないーって」
ばれたか。思わず頬に触れると、田中さんは笑った。
「ま、物は試しだ。今日走ってみて、無理ならやめればいいだけだし。さ、行こうか」
「うす」
「結構気持ちいいぞ」
すっかり日は昇ったが、ひとけが少ない。ひんやりと冷えたアスファルトはどことなく湿っていて、ふわっと風に乗って雨上がりの香りが漂った。
確かに、空気は気持ちがいい。
足の裏に伝わる地面を蹴る感覚、少し弾み始めた息。あー、今、俺、走ってんなあー、と思う。うめずに引きずられて走ってるのとはまた違う感じ。
走ることそのものが目的になってるのって、なんか不思議な気がする。
「大丈夫か? きつくない?」
前を行く田中さんが、爽やかな表情で振り返る。
「今の、ところは。だいじょぶ、ですっ」
「なんかあったらすぐに言うんだぞ~」
多分、田中さんは俺に合わせてペースを調整してくれている。ありがたいやら申し訳ないやら、でも、遠慮せずにどうぞとは言えない俺の足である。
「……ふーっ」
あ、なんかちょっと楽な感じがした。さっきまで、もう無理かもしんない、って思ってたのに。呼吸ができて、周りの風景がよく見えるようになった。
朝日を受けてきらきらときらめく川面、行きかう車、仕事に行くのかな、それともお出かけ? バス停にも人がいる。思ったよりも人は起きているし動いている。どんな時間でも、世界が眠っている瞬間はないのかもなあ。
世界が眠るとき、というより、寝ている人が多い時間帯、というかなんというか。
あれれ、楽な時間はそう続かないか? そりゃそうだ、走ってるんだし。それに走り慣れてないんだ、俺は。
「そろそろ帰ろうか」
帰り道は、いつもよりテンポよく歩いて行く。
「田中さん……すごいですね。いつも走ってるんでしょう?」
「はは、俺はもう慣れてるからなあ」
「すごいなあ……」
でも、気分は悪くない。むしろいい気分だ。走ったぞという達成感というか、すがすがしさというか。
「一条君はどうだった、今日」
「疲れたけど……気分がいいです」
「そりゃよかった」
「もうちょっと軽やかに走りたいですねえ」
そう言えば、田中さんは笑った。
サイクリングもいいが、ランニングも悪くない。そう気づけただけでも、今日は収穫だな。
今度は咲良が、一緒に走るって言いそうだなあ。
「はー、ただいま」
「わうっ」
「おう、うめず。疲れたぞー」
うめずの方は元気を持て余しているらしい。散歩に行かなきゃだなあ。行けるかなあ……
「わふ、わうっ」
「おうおう、後で遊ぼうな。飯食わせてくれ」
やっぱ、ゆで卵と野菜だけじゃ足りなかったな。
さて、走りに行く前に準備していたものがある。おにぎりとみそ汁だ。みそ汁は温め直して、おにぎりは冷蔵庫から出しておく。
みそ汁の具材はしいたけとねぎ。ばあちゃんが買って来てくれたんだ、しいたけ。
絶対みそ汁にするって決めてたんだ。うまいんだよ、しいたけのみそ汁。
「よし、そろそろか」
沸騰する前に火を止めて、お椀に盛る。
「いただきます」
待ちに待ったみそ汁のお味は……
「……っはあ~、うめぇ……」
ほっこりとした温度に出汁のうま味、味噌の風味。そしてしいたけから滲み出した唯一無二のうま味。たまらん。
薄切りにしたしいたけがいい食感だ。フニッと噛めばジュワッと出汁が出て、噛み切りやすい。
この食感がいいんだよ、この食感が。
おにぎりはシンプルな塩おにぎり。俵型だと箸で食べやすい、と、思う。
少しきつめの塩味がたまんないなあ。結構汗かいたし。塩が多めだと、米の甘さが際立つようだ。冷たいおにぎりはほろほろとほどけ、一粒一粒の食感がいい。
温かいみそ汁でほどけるおにぎり。
ああ、なんとなく冬を感じる朝ごはんである。
「これから寒くなるんだなあ……」
そうだ、この後こたつを出そうか。布団があるだけで幸せなんだよな。なんかやる気出てきたのは、走ったおかげか?
そんで、こたつにもぐりこんで、お菓子準備して、ゲームして……
あれ、いつも通りだな。
まあいいや。人って、急に変われないもんだし。
走っただけでもよしとしよう、うんうん。
「ごちそうさまでした」
「んん……」
ジャージに着替え、身支度を済ませたら、台所に立つ。今日は走りに行くぞ。
「運動する前はなんか食った方がいいらしいし……」
動画で見た情報によると、運動する前に何か体に入れておいた方がいいのだそうだ。食べないまま運動すると、筋肉が減るんだったか。
ゆで卵と野菜にしよう。しっかり食ったら動きたくなくなりそうだ。
「いただきます」
ゆで卵って、妙にうまく感じるときがある。塩をぱらっと振っただけのシンプルなものだが、これがいい。ラーメンとか食いたくなってくる。
そこにトマト。トマトにはドレッシングをかけている。程よく甘く、酸味が爽やかだ。
こういう食事してると、アスリートになった気分である。おこがましい限りだ。
「ごちそうさまでした」
さて、それじゃあもうひと準備して、外に出よう。
はあー……
「走りたくない」
「見事に顔に出てるなあ」
家の前で合流したのは、田中さんだった。
こないだスーパーで偶然会った時、「走ることにした」という話をしたところ、時間が合う時は一緒に走ってくれる、と言ってくれたのだった。
「え、何がですか」
「走りたくないーって」
ばれたか。思わず頬に触れると、田中さんは笑った。
「ま、物は試しだ。今日走ってみて、無理ならやめればいいだけだし。さ、行こうか」
「うす」
「結構気持ちいいぞ」
すっかり日は昇ったが、ひとけが少ない。ひんやりと冷えたアスファルトはどことなく湿っていて、ふわっと風に乗って雨上がりの香りが漂った。
確かに、空気は気持ちがいい。
足の裏に伝わる地面を蹴る感覚、少し弾み始めた息。あー、今、俺、走ってんなあー、と思う。うめずに引きずられて走ってるのとはまた違う感じ。
走ることそのものが目的になってるのって、なんか不思議な気がする。
「大丈夫か? きつくない?」
前を行く田中さんが、爽やかな表情で振り返る。
「今の、ところは。だいじょぶ、ですっ」
「なんかあったらすぐに言うんだぞ~」
多分、田中さんは俺に合わせてペースを調整してくれている。ありがたいやら申し訳ないやら、でも、遠慮せずにどうぞとは言えない俺の足である。
「……ふーっ」
あ、なんかちょっと楽な感じがした。さっきまで、もう無理かもしんない、って思ってたのに。呼吸ができて、周りの風景がよく見えるようになった。
朝日を受けてきらきらときらめく川面、行きかう車、仕事に行くのかな、それともお出かけ? バス停にも人がいる。思ったよりも人は起きているし動いている。どんな時間でも、世界が眠っている瞬間はないのかもなあ。
世界が眠るとき、というより、寝ている人が多い時間帯、というかなんというか。
あれれ、楽な時間はそう続かないか? そりゃそうだ、走ってるんだし。それに走り慣れてないんだ、俺は。
「そろそろ帰ろうか」
帰り道は、いつもよりテンポよく歩いて行く。
「田中さん……すごいですね。いつも走ってるんでしょう?」
「はは、俺はもう慣れてるからなあ」
「すごいなあ……」
でも、気分は悪くない。むしろいい気分だ。走ったぞという達成感というか、すがすがしさというか。
「一条君はどうだった、今日」
「疲れたけど……気分がいいです」
「そりゃよかった」
「もうちょっと軽やかに走りたいですねえ」
そう言えば、田中さんは笑った。
サイクリングもいいが、ランニングも悪くない。そう気づけただけでも、今日は収穫だな。
今度は咲良が、一緒に走るって言いそうだなあ。
「はー、ただいま」
「わうっ」
「おう、うめず。疲れたぞー」
うめずの方は元気を持て余しているらしい。散歩に行かなきゃだなあ。行けるかなあ……
「わふ、わうっ」
「おうおう、後で遊ぼうな。飯食わせてくれ」
やっぱ、ゆで卵と野菜だけじゃ足りなかったな。
さて、走りに行く前に準備していたものがある。おにぎりとみそ汁だ。みそ汁は温め直して、おにぎりは冷蔵庫から出しておく。
みそ汁の具材はしいたけとねぎ。ばあちゃんが買って来てくれたんだ、しいたけ。
絶対みそ汁にするって決めてたんだ。うまいんだよ、しいたけのみそ汁。
「よし、そろそろか」
沸騰する前に火を止めて、お椀に盛る。
「いただきます」
待ちに待ったみそ汁のお味は……
「……っはあ~、うめぇ……」
ほっこりとした温度に出汁のうま味、味噌の風味。そしてしいたけから滲み出した唯一無二のうま味。たまらん。
薄切りにしたしいたけがいい食感だ。フニッと噛めばジュワッと出汁が出て、噛み切りやすい。
この食感がいいんだよ、この食感が。
おにぎりはシンプルな塩おにぎり。俵型だと箸で食べやすい、と、思う。
少しきつめの塩味がたまんないなあ。結構汗かいたし。塩が多めだと、米の甘さが際立つようだ。冷たいおにぎりはほろほろとほどけ、一粒一粒の食感がいい。
温かいみそ汁でほどけるおにぎり。
ああ、なんとなく冬を感じる朝ごはんである。
「これから寒くなるんだなあ……」
そうだ、この後こたつを出そうか。布団があるだけで幸せなんだよな。なんかやる気出てきたのは、走ったおかげか?
そんで、こたつにもぐりこんで、お菓子準備して、ゲームして……
あれ、いつも通りだな。
まあいいや。人って、急に変われないもんだし。
走っただけでもよしとしよう、うんうん。
「ごちそうさまでした」
23
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――
お父様、ざまあの時間です
佐崎咲
恋愛
義母と義姉に虐げられてきた私、ユミリア=ミストーク。
父は義母と義姉の所業を知っていながら放置。
ねえ。どう考えても不貞を働いたお父様が一番悪くない?
義母と義姉は置いといて、とにかくお父様、おまえだ!
私が幼い頃からあたためてきた『ざまあ』、今こそ発動してやんよ!
※無断転載・複写はお断りいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる