807 / 843
日常
第753話 刺身
しおりを挟む
滞在期間は決して長くはないはずなのだが、なんだかとてもゆっくり過ごしている気がする。
「おお、涼しい」
家の裏手にある川の近くは、爽やかな空気で満ちている。小さい頃は、兄さんたちと一緒に釣りをしたっけ。
ぼんやりとあるようなないような記憶をたどりながら、押し入れで見つけた釣り道具を持ってきて、糸を垂らす。
「まあ、期待はしてないけど……」
そもそも、ここで何が釣れてたっけ。何も釣れてなかったっけ。あれっ、もしかして、釣りのまねごとをさせてくれただけか?
確かに俺は何でもやりたがったから、その可能性も否めない。
「もしそうだったら俺、すげぇ間抜けなことしてないか……?」
「何を一人でしゃべっているんだ?」
「おわっ」
びっくりした、おじいちゃんだ。
すっごい厳格な人で、真面目で、滅多に笑わない。厳しい人だって聞いた。実際、今回帰って来てから、話をした覚えがない。ずっと部屋にこもっていたはずだけど。
総一郎という名前も、厳格そうだ、と勝手に思っている。一条総一郎。うーん、めっちゃ難しい論文とか書いてそう。
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
そう言いながら、じいちゃんは隣にやって来た。背も高く、精悍な顔立ちで、体格もしっかりしているから、確かに威圧感はある。
「いや、何か、釣れるかなあって……」
「ふむ……」
おじいちゃんは川をのぞき込む。なんかアドバイスとかしてくれんのかな。
しかし、おじいちゃんはそれ以上何も言わなかった。ただただ川のせせらぎと、セミの鳴き声が聞こえるばかりだ。だんだん、セミの鳴き声と川の音が混ざり合って、どっちがどっちか分からなくなる。
「……おじいちゃんは釣り、好き?」
つい聞いてみれば、おじいちゃんは難しそうな顔をしたまま言った。
「やったことがない」
「……そっかあ」
「これは楽しいのか?」
「んー……分かんないけど」
手持無沙汰なので、竿をゆらゆらと揺らしてみる。川面はチラチラと揺れて輝き、川底の石が宝石のように輝いた。
「ぼーっとしてるのは、気持ちがいい」
「そうか」
そして、再び沈黙。
なんだこれ、なんだこの時間。さっきまでも静かだったけど、今の静寂はなんか、耐えがたいというか何か喋らなきゃという気がかき立てられるというか。
「……確かに、悪くないかもしれないな」
そう、おじいちゃんはぽつりとつぶやく。
「こういうところで本読むと、気持ちよさそうだよね」
「春都は本を読むのか?」
「え、うん。学校でも図書委員だし」
おじいちゃんが興味を示した。少し驚いたような、ちょっと楽しそうな、そんな感じだ。なんか特別なこと言ったか、俺。
「そうか……」
おじいちゃんは少し考えこむと、言った。
「ちょっと、ついて来ないか?」
「え?」
じいちゃんに連れてこられたのは、書斎だった。天井から床まで、全部本。
「え⁉ 何ここ」
「私の書斎だ」
「すげぇー……古い本もある、すっげぇー……」
古い本の、独特の香り。書店とも、図書館とも似つかない、紙とインクの温かな香り。大事に大切に保管されてきた、そんな空間だ。
「好きなだけ読んでいいぞ」
「え、いいの? ほんとに?」
じゃあ、さっそく一冊手に取ってみる。あ、これ、教科書で見たことある。全部読んでみたかったけど、図書館になかったやつだ。ええ、なにこれ、ずっと読める。
なんて幸せな空間なんだ。
本を読み始めたらあっという間で、気が付いたら晩ご飯の時間になっていた。
「なんだか今日は、おじいちゃんがご機嫌でね」
そう言いながら、おばあちゃんは晩ご飯の用意をする。テーブルの上には、舟盛りに匹敵しそうなお刺身の皿が置いてあった。
「買ってきたの」
「すげえ」
おじいちゃんは静かに座っていて、手元には本があった。
「ありがとう、おじいちゃん」
そう言えば、おじいちゃんは少し視線を上げて口角を少し上げた。あ、これ、笑ったのか、と時間差で理解する。
「本は、面白かったか?」
「うん、楽しかった」
「なら、いい」
確かに、おじいちゃんはご機嫌らしい。
さてさて、それじゃあ晩ごはんを。
「いただきます」
えー、何から食べよう。迷う~。
まずはタイから食うか。すげえ、つやつやしてるっていうか、高そう。醤油をつけて、食べてみる。淡白な味わい、しっとりとした舌触り、ほのかに甘く、醤油の香りによって、鯛の風味が増す。
漬けもうまいが、刺し身もうまいものである。
次はマグロを。ひんやりしていて気持ちがいいな。んー、うま味が濃い。ご飯に合う。あ、わさび、つーんってした。
これは……何だ。あじではないな、鯛でもない。
少し歯ごたえがあって、淡白だけど、魚らしい風味もする。どっちかっていうとアジっぽいのかなあ。
「これなんだ……?」
「それは、イサキだよ」
と、父さんが教えてくれる。
「へー、おいしい」
「そうだろう」
さて、次は……イカ。
んー、こりっこり。歯ごたえがしっかりしている。噛んでいると程よく柔らかくなって、甘味が滲み出してくる。
サーモンもいい。レモンを少しつけてさっぱりと、脂の甘味もいい。
あれこれ食べていると、ものすごく豪華な海鮮丼を食べている気がしてきた。なかなか食べられないよなあ、こんなに。
この数日、いい思いが凝縮していた気がする。いいなあ、楽しいなあ。
そうだ、寝る前に一冊本を借りていこう。布団に入って読むんだ。
腹もいっぱい、うまい飯食ったし。きっと、いい夢が見られるぞ。
「ごちそうさまでした」
「おお、涼しい」
家の裏手にある川の近くは、爽やかな空気で満ちている。小さい頃は、兄さんたちと一緒に釣りをしたっけ。
ぼんやりとあるようなないような記憶をたどりながら、押し入れで見つけた釣り道具を持ってきて、糸を垂らす。
「まあ、期待はしてないけど……」
そもそも、ここで何が釣れてたっけ。何も釣れてなかったっけ。あれっ、もしかして、釣りのまねごとをさせてくれただけか?
確かに俺は何でもやりたがったから、その可能性も否めない。
「もしそうだったら俺、すげぇ間抜けなことしてないか……?」
「何を一人でしゃべっているんだ?」
「おわっ」
びっくりした、おじいちゃんだ。
すっごい厳格な人で、真面目で、滅多に笑わない。厳しい人だって聞いた。実際、今回帰って来てから、話をした覚えがない。ずっと部屋にこもっていたはずだけど。
総一郎という名前も、厳格そうだ、と勝手に思っている。一条総一郎。うーん、めっちゃ難しい論文とか書いてそう。
「そんなに驚かなくてもいいだろう」
そう言いながら、じいちゃんは隣にやって来た。背も高く、精悍な顔立ちで、体格もしっかりしているから、確かに威圧感はある。
「いや、何か、釣れるかなあって……」
「ふむ……」
おじいちゃんは川をのぞき込む。なんかアドバイスとかしてくれんのかな。
しかし、おじいちゃんはそれ以上何も言わなかった。ただただ川のせせらぎと、セミの鳴き声が聞こえるばかりだ。だんだん、セミの鳴き声と川の音が混ざり合って、どっちがどっちか分からなくなる。
「……おじいちゃんは釣り、好き?」
つい聞いてみれば、おじいちゃんは難しそうな顔をしたまま言った。
「やったことがない」
「……そっかあ」
「これは楽しいのか?」
「んー……分かんないけど」
手持無沙汰なので、竿をゆらゆらと揺らしてみる。川面はチラチラと揺れて輝き、川底の石が宝石のように輝いた。
「ぼーっとしてるのは、気持ちがいい」
「そうか」
そして、再び沈黙。
なんだこれ、なんだこの時間。さっきまでも静かだったけど、今の静寂はなんか、耐えがたいというか何か喋らなきゃという気がかき立てられるというか。
「……確かに、悪くないかもしれないな」
そう、おじいちゃんはぽつりとつぶやく。
「こういうところで本読むと、気持ちよさそうだよね」
「春都は本を読むのか?」
「え、うん。学校でも図書委員だし」
おじいちゃんが興味を示した。少し驚いたような、ちょっと楽しそうな、そんな感じだ。なんか特別なこと言ったか、俺。
「そうか……」
おじいちゃんは少し考えこむと、言った。
「ちょっと、ついて来ないか?」
「え?」
じいちゃんに連れてこられたのは、書斎だった。天井から床まで、全部本。
「え⁉ 何ここ」
「私の書斎だ」
「すげぇー……古い本もある、すっげぇー……」
古い本の、独特の香り。書店とも、図書館とも似つかない、紙とインクの温かな香り。大事に大切に保管されてきた、そんな空間だ。
「好きなだけ読んでいいぞ」
「え、いいの? ほんとに?」
じゃあ、さっそく一冊手に取ってみる。あ、これ、教科書で見たことある。全部読んでみたかったけど、図書館になかったやつだ。ええ、なにこれ、ずっと読める。
なんて幸せな空間なんだ。
本を読み始めたらあっという間で、気が付いたら晩ご飯の時間になっていた。
「なんだか今日は、おじいちゃんがご機嫌でね」
そう言いながら、おばあちゃんは晩ご飯の用意をする。テーブルの上には、舟盛りに匹敵しそうなお刺身の皿が置いてあった。
「買ってきたの」
「すげえ」
おじいちゃんは静かに座っていて、手元には本があった。
「ありがとう、おじいちゃん」
そう言えば、おじいちゃんは少し視線を上げて口角を少し上げた。あ、これ、笑ったのか、と時間差で理解する。
「本は、面白かったか?」
「うん、楽しかった」
「なら、いい」
確かに、おじいちゃんはご機嫌らしい。
さてさて、それじゃあ晩ごはんを。
「いただきます」
えー、何から食べよう。迷う~。
まずはタイから食うか。すげえ、つやつやしてるっていうか、高そう。醤油をつけて、食べてみる。淡白な味わい、しっとりとした舌触り、ほのかに甘く、醤油の香りによって、鯛の風味が増す。
漬けもうまいが、刺し身もうまいものである。
次はマグロを。ひんやりしていて気持ちがいいな。んー、うま味が濃い。ご飯に合う。あ、わさび、つーんってした。
これは……何だ。あじではないな、鯛でもない。
少し歯ごたえがあって、淡白だけど、魚らしい風味もする。どっちかっていうとアジっぽいのかなあ。
「これなんだ……?」
「それは、イサキだよ」
と、父さんが教えてくれる。
「へー、おいしい」
「そうだろう」
さて、次は……イカ。
んー、こりっこり。歯ごたえがしっかりしている。噛んでいると程よく柔らかくなって、甘味が滲み出してくる。
サーモンもいい。レモンを少しつけてさっぱりと、脂の甘味もいい。
あれこれ食べていると、ものすごく豪華な海鮮丼を食べている気がしてきた。なかなか食べられないよなあ、こんなに。
この数日、いい思いが凝縮していた気がする。いいなあ、楽しいなあ。
そうだ、寝る前に一冊本を借りていこう。布団に入って読むんだ。
腹もいっぱい、うまい飯食ったし。きっと、いい夢が見られるぞ。
「ごちそうさまでした」
24
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
Husband's secret (夫の秘密)
設樂理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
夫のカノジョ / 垣谷 美雨 さま(著) を読んで
Another Storyを考えてみました。
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
【本編完結】繚乱ロンド
由宇ノ木
ライト文芸
番外編更新日 12/25日
*『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』
本編は完結。番外編を不定期で更新。
11/11,11/15,11/19
*『夫の疑問、妻の確信1~3』
10/12
*『いつもあなたの幸せを。』
9/14
*『伝統行事』
8/24
*『ひとりがたり~人生を振り返る~』
お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで
*『日常のひとこま』は公開終了しました。
7月31日
*『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。
6/18
*『ある時代の出来事』
6/8
*女の子は『かわいい』を見せびらかしたい。全1頁。
*光と影 全1頁。
-本編大まかなあらすじ-
*青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。
林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。
そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。
みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。
令和5年11/11更新内容(最終回)
*199. (2)
*200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6)
*エピローグ ロンド~廻る命~
本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。
※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。
現在の関連作品
『邪眼の娘』更新 令和6年1/7
『月光に咲く花』(ショートショート)
以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。
『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結)
『繚乱ロンド』の元になった2作品
『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる