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日常
番外編 漆原京助のつまみ食い⑥
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ひとけのない学校に、一台の車が滑り込む。
「今日も暑くなりそうだ……」
そう独り言ちながら車から降りたのは漆原だ。白いシャツに緩めのカーディガンを羽織り、袖をまくっている。
いつも通り職員用の出入り口に向かい、校舎内に入る。
部活動も終わり、お盆休み前の最後の出校日も過ぎた今、校舎内に人の気配はほとんどない。二階の職員室に行けば人がそれなりにいるだろうが、それでも、生徒たちがいる頃に比べれば静かなものだ。
漆原は事務室の方へ足を向けた。
「おはようございまーす……」
生徒がいる場では到底見せないであろう気だるげな表情を浮かべ、いつもより低い声で漆原は言いながら事務室の扉を開ける。明かりはついていたものの、普段、来客用に開かれている受付のカーテンはしっかりと閉まっているので、外からだと中に誰がいるのかは分からなかった。
「おはようございます……って、お前か、漆原」
「ん? おお、石上じゃないか」
事務室にいたのは石上だった。いつも通りきっちりとした格好で、パソコンと向かい合っている。石上は少し視線を挙げて漆原を認識すると、再び作業に戻った。
「ずいぶんと気が抜けた様子だな」
「生徒がいないと、どうにもな」
漆原は図書館の鍵を手に取り、もてあそぶ。ちゃりちゃりと音を立てる鍵には、色褪せたネームプレートが付いていて、黄色のような白のような色をしていた。
「そういえば今日は、図書委員の生徒が来るぞ」
石上が思い出したように言うと、漆原は首を傾げた。
「は? なんで?」
「花壇の水やりに来てくれるんだ。誰かが頼んだみたいでな、それがどうも井上君だったみたいで」
「ということは一条君も来るなあ」
「おそらくな」
ふふ、と漆原は笑い、石上もにやっと笑った。
「いつ来るんだ?」
「まあ、九時ごろってところじゃないか」
漆原は時計に目をやる。今は七時を回ったところである。
「ふーん……分かった」
漆原はひらひらと手を振り、図書館に向かった。
カーテンを閉め切り、暗闇に沈む図書館の一角に明かりがともる。漆原は慣れた手つきでクーラーをつけ扇風機を回し、パソコンを立ち上げる。
「あっつ……」
漆原はしばらく扇風機の風に当たってから、仕事を始めた。
紳士静まり返った図書館に、タイピングの音が響く。そもそも静かな場所ではあるのだが、人の熱気がないだけで、まるで深海のような冷たい静けさである。
「んん~」
一区切りついたところで漆原は伸びをし、時計を見た。そろそろ二人が来る頃合いである。
「……よし」
漆原は図書館を出ると、事務室に向かった。
「おい、石上。息抜きに外に出ないか?」
「このくそ暑い中でどんな息抜きすんだよ」
石上の怪訝そうな問いに、漆原はただ笑ってみせた。
「久しぶりに抹茶が食べたくてな」
「まさか、かき氷を買いに行くとはな……」
来客用玄関から、水やりをする春都と咲良を見ながら、二人は話をする。
「でも、二人が抹茶を選んだらどうする」
石上が扉にもたれかかりながら聞けば、漆原は腕を組み、ゆったりと笑った。
「まあ二人は選ばないだろうな」
「そうか?」
「いちごとブルーハワイを選ぶだろう」
まるで荘厳なお告げをするかのような口ぶりで漆原が言うので、石上は笑った。そんな石上を見て、漆原は続ける。
「それを言うならお前も油断できないぞ、石上」
「あ?」
「以外と二人とも、抹茶と宇治金時を選ぶかもなあ?」
「はは、まあ、その時はその時だな」
「そうだな」
不意に笑い声が聞こえ、二人は外に視線をやる。
降り注ぐ夏の太陽の光の中、きらきらと水しぶきが舞う。春都と咲良は、幼い笑顔を浮かべ、走り回る。
そこはかとなく漂ってくる水の香りを感じながら、漆原は眩しそうに目を細めた。
図書館に戻った漆原は、再び仕事を開始する。
手元には昼食代わりの栄養食品がある。口元にそれを運びつつ、仕事の手は止めない。フルーツフレーバーのさわやかさを感じながら、漆原は淡々と仕事を片付けていく。
その手が止まったのは、正午を知らせるサイレンが鳴った時だった。
「ん、もうこんな時間か……」
空になった箱をビニール袋に押し込み、立ち上がる。詰所にある冷蔵庫は小さいが、何かと都合がいい。冷凍スペースの扉を開け、そこから、抹茶味のかき氷を取り出した。
「さて、いただきます」
紙製のスプーンは、放送された状態のまま折り曲げてから、開ける。
濃い緑色の氷の中心には、クリーム色のアイスがある。ギザギザの器の形は、確か、氷部分がくるくると回らないよう、食べやすいようにそうなっているのだったか、などと思いながら、漆原は氷にスプーンを入れた。
お茶の香りが豊かで、ジャリッと冷たい。その冷たさに、眉間にしわを寄せながら漆原はもう一口含む。
クーラーが効いているとはいえ、室内にも暑さが染みこんでくるようだ。氷を口にして、内側から冷やすのも悪くない。
ただのお茶の香りだけではなく、かき氷らしく、甘さもある。
水出しの抹茶に砂糖を加えたような、そんな風味である。
アイスはどことなく、弾力がある。もっちりと濃いようでいて、味わいはあっさりとしているから、抹茶によく合うのだ。
「久しぶりに食ったな……」
最後の氷が溶けきる前に口に入れ、じんわりと飲みこむ。
少し緑色に染まったスプーンの先に、カップにうっすら残った緑色の水滴。窓を隔てて聞こえるセミの大合唱は、昼に差し掛かるにつれて大人しくなっていく。
閉じたまぶたの裏に、きらきらと真っ白な光がはじけたような気がした。
「ごちそうさんでした」
「今日も暑くなりそうだ……」
そう独り言ちながら車から降りたのは漆原だ。白いシャツに緩めのカーディガンを羽織り、袖をまくっている。
いつも通り職員用の出入り口に向かい、校舎内に入る。
部活動も終わり、お盆休み前の最後の出校日も過ぎた今、校舎内に人の気配はほとんどない。二階の職員室に行けば人がそれなりにいるだろうが、それでも、生徒たちがいる頃に比べれば静かなものだ。
漆原は事務室の方へ足を向けた。
「おはようございまーす……」
生徒がいる場では到底見せないであろう気だるげな表情を浮かべ、いつもより低い声で漆原は言いながら事務室の扉を開ける。明かりはついていたものの、普段、来客用に開かれている受付のカーテンはしっかりと閉まっているので、外からだと中に誰がいるのかは分からなかった。
「おはようございます……って、お前か、漆原」
「ん? おお、石上じゃないか」
事務室にいたのは石上だった。いつも通りきっちりとした格好で、パソコンと向かい合っている。石上は少し視線を挙げて漆原を認識すると、再び作業に戻った。
「ずいぶんと気が抜けた様子だな」
「生徒がいないと、どうにもな」
漆原は図書館の鍵を手に取り、もてあそぶ。ちゃりちゃりと音を立てる鍵には、色褪せたネームプレートが付いていて、黄色のような白のような色をしていた。
「そういえば今日は、図書委員の生徒が来るぞ」
石上が思い出したように言うと、漆原は首を傾げた。
「は? なんで?」
「花壇の水やりに来てくれるんだ。誰かが頼んだみたいでな、それがどうも井上君だったみたいで」
「ということは一条君も来るなあ」
「おそらくな」
ふふ、と漆原は笑い、石上もにやっと笑った。
「いつ来るんだ?」
「まあ、九時ごろってところじゃないか」
漆原は時計に目をやる。今は七時を回ったところである。
「ふーん……分かった」
漆原はひらひらと手を振り、図書館に向かった。
カーテンを閉め切り、暗闇に沈む図書館の一角に明かりがともる。漆原は慣れた手つきでクーラーをつけ扇風機を回し、パソコンを立ち上げる。
「あっつ……」
漆原はしばらく扇風機の風に当たってから、仕事を始めた。
紳士静まり返った図書館に、タイピングの音が響く。そもそも静かな場所ではあるのだが、人の熱気がないだけで、まるで深海のような冷たい静けさである。
「んん~」
一区切りついたところで漆原は伸びをし、時計を見た。そろそろ二人が来る頃合いである。
「……よし」
漆原は図書館を出ると、事務室に向かった。
「おい、石上。息抜きに外に出ないか?」
「このくそ暑い中でどんな息抜きすんだよ」
石上の怪訝そうな問いに、漆原はただ笑ってみせた。
「久しぶりに抹茶が食べたくてな」
「まさか、かき氷を買いに行くとはな……」
来客用玄関から、水やりをする春都と咲良を見ながら、二人は話をする。
「でも、二人が抹茶を選んだらどうする」
石上が扉にもたれかかりながら聞けば、漆原は腕を組み、ゆったりと笑った。
「まあ二人は選ばないだろうな」
「そうか?」
「いちごとブルーハワイを選ぶだろう」
まるで荘厳なお告げをするかのような口ぶりで漆原が言うので、石上は笑った。そんな石上を見て、漆原は続ける。
「それを言うならお前も油断できないぞ、石上」
「あ?」
「以外と二人とも、抹茶と宇治金時を選ぶかもなあ?」
「はは、まあ、その時はその時だな」
「そうだな」
不意に笑い声が聞こえ、二人は外に視線をやる。
降り注ぐ夏の太陽の光の中、きらきらと水しぶきが舞う。春都と咲良は、幼い笑顔を浮かべ、走り回る。
そこはかとなく漂ってくる水の香りを感じながら、漆原は眩しそうに目を細めた。
図書館に戻った漆原は、再び仕事を開始する。
手元には昼食代わりの栄養食品がある。口元にそれを運びつつ、仕事の手は止めない。フルーツフレーバーのさわやかさを感じながら、漆原は淡々と仕事を片付けていく。
その手が止まったのは、正午を知らせるサイレンが鳴った時だった。
「ん、もうこんな時間か……」
空になった箱をビニール袋に押し込み、立ち上がる。詰所にある冷蔵庫は小さいが、何かと都合がいい。冷凍スペースの扉を開け、そこから、抹茶味のかき氷を取り出した。
「さて、いただきます」
紙製のスプーンは、放送された状態のまま折り曲げてから、開ける。
濃い緑色の氷の中心には、クリーム色のアイスがある。ギザギザの器の形は、確か、氷部分がくるくると回らないよう、食べやすいようにそうなっているのだったか、などと思いながら、漆原は氷にスプーンを入れた。
お茶の香りが豊かで、ジャリッと冷たい。その冷たさに、眉間にしわを寄せながら漆原はもう一口含む。
クーラーが効いているとはいえ、室内にも暑さが染みこんでくるようだ。氷を口にして、内側から冷やすのも悪くない。
ただのお茶の香りだけではなく、かき氷らしく、甘さもある。
水出しの抹茶に砂糖を加えたような、そんな風味である。
アイスはどことなく、弾力がある。もっちりと濃いようでいて、味わいはあっさりとしているから、抹茶によく合うのだ。
「久しぶりに食ったな……」
最後の氷が溶けきる前に口に入れ、じんわりと飲みこむ。
少し緑色に染まったスプーンの先に、カップにうっすら残った緑色の水滴。窓を隔てて聞こえるセミの大合唱は、昼に差し掛かるにつれて大人しくなっていく。
閉じたまぶたの裏に、きらきらと真っ白な光がはじけたような気がした。
「ごちそうさんでした」
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