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日常
第六百四十四話 花見弁当
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空の青が少し濃くなったようにも思える朝である。心地良い日差しと風は、うめずの眠りへといざなう。
『昨日の寒さから一転、今日と明日は日差しが暖かく、過ごしやすい一日となるでしょう』
『お花見にはもってこいの天気ですね』
『そうですね~!』
朝のワイドショーでは天気予報の後、今人気の桜スイーツやら花見弁当の特集をやっていた。桜系のお菓子って独特の風味すんだよなあ。ものによっては好きな味もあるが、花を見る方が好きだな、俺は。
「春都、今年は花見に行かないのか?」
新聞を読んでいた父さんが聞いてくる。
「前は友達と行ってただろう?」
「あー、そういや今年は何もないなあ……」
みんな、何かと忙しいらしい。誘いがあるとすれば、あいつしかいないが。
「今は色んな花見弁当があるらしいよ~」
と、母さんがテレビを指さす。
幕の内弁当にイタリアン、中華の総菜詰め合わせ、お菓子の詰め合わせや豪華絢爛なオードブルまで、確かに幅広い。
「あ、このお店見たことある」
あるお店が映されたとき、父さんが言った。
「ここ、ご飯も総菜も計り売りなんだよね。たまに行くけど、楽しいよ」
「へー」
弁当特集が終わったタイミングで、スマホが震えた。
「……やっぱり」
咲良から、思った通りの文面が送られてきていた。
『明日、花見に行こう!』
春の香りがする風が心地よい早朝、青空に広がる薄オレンジ色の、太陽の光がきれいだ。電車の駅に人は少なく、掲示板には色褪せたポスターと、まぶしい色のポスターが貼ってある。
「おー、待った?」
軽やかな足取りで、咲良がやってくる。春らしい装いで、なんとなく、冬のもこもこした雀がすっきりしたような感じがする。
「いや、そんなに」
「じゃあ行こうぜ~」
電車はもう来ているので、それに乗り込む。
ぼんやりと暖房が聞いた車内は、まるでぬるま湯のようだ。春ならではの空気感にそわそわする。
「桜が咲いた、お花見だ! って、テレビで言われるとさ、行かなきゃ! って思っちゃうんだよね」
と、咲良が窓の外を眺めながら言う。
「自分の名前呼ばれてる気がするのかな?」
「お前、縁起のよさそうな名前だもんな」
「めでたい?」
「サクラサク、って感じ」
言えば咲良は少し考えた後、突然腑に落ちたのか、「あー、なるほどね!」と声を上げ、手を叩いた。
「さくら、で、名前に咲くって入ってるもんな! そうだそうだ、おめでたい名前だ」
「受験生に拝まれそう」
「おおー、崇め奉れ」
「調子のいいやつ」
俺たちと、あと数人を乗せた電車は、春に染まった町を走り抜けていく。桜の薄紅色と菜の花の金色にあふれる風景は、一年の中でもほんのわずかな間だけにしか見られない。
この瞬間がやっぱり、俺は好きだなあ。
少し大きな図書館のある街には、花見向きの少し大きな公園がある。そこに向かう途中、朝早くから開いている弁当屋に寄った。その店こそ、昨日テレビで紹介されていた、計り売りの店だ。
テレビで紹介されたし、人が多いかとも思ったが、早い時間帯だからか空いていた。
「なんか楽しいな、これ」
プラスチック製の弁当容器を持って、咲良が言った。
「炊き込みご飯とかある! たけのこだ~」
「おかずもいろいろだな」
基本は和食のようだが、もちろん、中華のおかずや洋風のおかずもある。わー、何にしよう。迷うなあ。
季節限定のおかずは入れたいところだな。たけのこの煮物とかどうだろう。春巻きもいいなあ。あ、こっちにはハンバーグもある。トマトソースはチーズ入りで、デミグラスソースには彩りよく乾燥パセリがかかっている。
ウインナーと卵焼き、エビフライは外せない。ソースは個包装になっているのか。それはいい。
最後にご飯を盛る。我ながら、わんぱくな弁当になってしまった。
「咲良ー……は、相変わらずだな」
「へっへっへ、カツ尽くしだぜ」
気持ち程度、ひじきが添えられているのがなんとも咲良らしい。
おかずだけも持ち帰れるらしいので、今度図書館の帰りにでも寄ってみよう。また違うものが並んでるのかなあ。
公園にはそれなりに人の姿があった。何か催し物があるのか、テントや、立派な設備のついた車も見える。
「おお、咲いてる咲いてる」
咲良は上を見上げて言った。
人は、桜が咲くと、自然と上を向く。その瞬間を見るのが、俺はなんか好きだ。ふいに桜の花の下を通ったとき、視界に入ってきた薄紅色の花びらを追いかける視線が、なんかいいなと思う。
それにしても、ここの桜は結構下の方まで枝が伸びている。そっと手で触れてみた。
触っているかどうか分からないような感覚。両手で包み込んで、顔を近づける。桜の香りは、淡い。甘いような、みずみずしいような、懐かしくなるような香りだ。そして気が付くと、まるで蜃気楼のように消えてしまう。
公園の中を少し歩いてから、弁当を食うのにちょうどいい東屋を陣取って、昼飯にする。お茶を自販機で買うことさえもなんか楽しくなるから、春って不思議だ。
「いただきます」
さて、まずは何から食うかなあ。ハンバーグかな。結局、両方ともとっちゃったんだよなあ。
トマトソースはみずみずしく、甘い。トマトの風味はしっかりあって、甘くて、肉に合う。そしてチーズ。ソースがさっぱりしているから、濃いチーズの風味が合うんだ。そして何より、トマトとチーズは、合う。
デミグラスソースもよく煮込まれていて、コクがあっておいしい。ご飯が進むことこの上ない。パセリの風味は皆無だが、色があるってだけでなんかおいしい。
春巻きは、サクッとしつつも少し柔らかくなっている。柔らかくなった春巻き、実は結構好きだ。端の方は噛み応えがあって香ばしく、餡もオイスターソースの風味や出汁の風味が効いていて、うま味たっぷりだ。
「見て、春都」
咲良の声に顔を上げると、奴の得意げな表情が目に入る。
「なんだ」
「セルフかつ丼」
ロースカツに、切り分けた卵焼き、肉じゃがの玉ねぎだけをのせて、ご飯と一緒に食べるのだという。
「かつ丼……?」
「風味はかつ丼なんです~」
はは、なんだそれ。
あ、たけのこ。ばあちゃんが炊いたのをこないだ食べたなあ。やっぱり、味付けがほんの少し違う。ちょっと甘めかな。かつお節も効いている。これはこれで、ご飯が進む。
エビフライはタルタルソースをつける。色鮮やかなパン粉のエビフライは、弁当って感じがして好きだ。えびは少し小さめだが、衣もうまいもんだ。ウインナーには、ハンバーグのデミグラスソースを。肉のうま味が染み出したソースは、これだけでもうまい。
卵焼きは、出汁巻き風。ジュワッと出汁があふれてくる。ぷるっぷるで、プリンや茶わん蒸しのようでもある。
盛り過ぎて食いきれるかと思ったが、案外、ペロリだな。
さて、腹ごなしに歩くか、春の日差しに甘えて少し眠るか。
「どうする?」
「とりあえずのんびり考えようぜ」
それもそうだ。せっかく花の中にいるのだから、のんびり眺めるのもいいだろう。
「ごちそうさまでした」
『昨日の寒さから一転、今日と明日は日差しが暖かく、過ごしやすい一日となるでしょう』
『お花見にはもってこいの天気ですね』
『そうですね~!』
朝のワイドショーでは天気予報の後、今人気の桜スイーツやら花見弁当の特集をやっていた。桜系のお菓子って独特の風味すんだよなあ。ものによっては好きな味もあるが、花を見る方が好きだな、俺は。
「春都、今年は花見に行かないのか?」
新聞を読んでいた父さんが聞いてくる。
「前は友達と行ってただろう?」
「あー、そういや今年は何もないなあ……」
みんな、何かと忙しいらしい。誘いがあるとすれば、あいつしかいないが。
「今は色んな花見弁当があるらしいよ~」
と、母さんがテレビを指さす。
幕の内弁当にイタリアン、中華の総菜詰め合わせ、お菓子の詰め合わせや豪華絢爛なオードブルまで、確かに幅広い。
「あ、このお店見たことある」
あるお店が映されたとき、父さんが言った。
「ここ、ご飯も総菜も計り売りなんだよね。たまに行くけど、楽しいよ」
「へー」
弁当特集が終わったタイミングで、スマホが震えた。
「……やっぱり」
咲良から、思った通りの文面が送られてきていた。
『明日、花見に行こう!』
春の香りがする風が心地よい早朝、青空に広がる薄オレンジ色の、太陽の光がきれいだ。電車の駅に人は少なく、掲示板には色褪せたポスターと、まぶしい色のポスターが貼ってある。
「おー、待った?」
軽やかな足取りで、咲良がやってくる。春らしい装いで、なんとなく、冬のもこもこした雀がすっきりしたような感じがする。
「いや、そんなに」
「じゃあ行こうぜ~」
電車はもう来ているので、それに乗り込む。
ぼんやりと暖房が聞いた車内は、まるでぬるま湯のようだ。春ならではの空気感にそわそわする。
「桜が咲いた、お花見だ! って、テレビで言われるとさ、行かなきゃ! って思っちゃうんだよね」
と、咲良が窓の外を眺めながら言う。
「自分の名前呼ばれてる気がするのかな?」
「お前、縁起のよさそうな名前だもんな」
「めでたい?」
「サクラサク、って感じ」
言えば咲良は少し考えた後、突然腑に落ちたのか、「あー、なるほどね!」と声を上げ、手を叩いた。
「さくら、で、名前に咲くって入ってるもんな! そうだそうだ、おめでたい名前だ」
「受験生に拝まれそう」
「おおー、崇め奉れ」
「調子のいいやつ」
俺たちと、あと数人を乗せた電車は、春に染まった町を走り抜けていく。桜の薄紅色と菜の花の金色にあふれる風景は、一年の中でもほんのわずかな間だけにしか見られない。
この瞬間がやっぱり、俺は好きだなあ。
少し大きな図書館のある街には、花見向きの少し大きな公園がある。そこに向かう途中、朝早くから開いている弁当屋に寄った。その店こそ、昨日テレビで紹介されていた、計り売りの店だ。
テレビで紹介されたし、人が多いかとも思ったが、早い時間帯だからか空いていた。
「なんか楽しいな、これ」
プラスチック製の弁当容器を持って、咲良が言った。
「炊き込みご飯とかある! たけのこだ~」
「おかずもいろいろだな」
基本は和食のようだが、もちろん、中華のおかずや洋風のおかずもある。わー、何にしよう。迷うなあ。
季節限定のおかずは入れたいところだな。たけのこの煮物とかどうだろう。春巻きもいいなあ。あ、こっちにはハンバーグもある。トマトソースはチーズ入りで、デミグラスソースには彩りよく乾燥パセリがかかっている。
ウインナーと卵焼き、エビフライは外せない。ソースは個包装になっているのか。それはいい。
最後にご飯を盛る。我ながら、わんぱくな弁当になってしまった。
「咲良ー……は、相変わらずだな」
「へっへっへ、カツ尽くしだぜ」
気持ち程度、ひじきが添えられているのがなんとも咲良らしい。
おかずだけも持ち帰れるらしいので、今度図書館の帰りにでも寄ってみよう。また違うものが並んでるのかなあ。
公園にはそれなりに人の姿があった。何か催し物があるのか、テントや、立派な設備のついた車も見える。
「おお、咲いてる咲いてる」
咲良は上を見上げて言った。
人は、桜が咲くと、自然と上を向く。その瞬間を見るのが、俺はなんか好きだ。ふいに桜の花の下を通ったとき、視界に入ってきた薄紅色の花びらを追いかける視線が、なんかいいなと思う。
それにしても、ここの桜は結構下の方まで枝が伸びている。そっと手で触れてみた。
触っているかどうか分からないような感覚。両手で包み込んで、顔を近づける。桜の香りは、淡い。甘いような、みずみずしいような、懐かしくなるような香りだ。そして気が付くと、まるで蜃気楼のように消えてしまう。
公園の中を少し歩いてから、弁当を食うのにちょうどいい東屋を陣取って、昼飯にする。お茶を自販機で買うことさえもなんか楽しくなるから、春って不思議だ。
「いただきます」
さて、まずは何から食うかなあ。ハンバーグかな。結局、両方ともとっちゃったんだよなあ。
トマトソースはみずみずしく、甘い。トマトの風味はしっかりあって、甘くて、肉に合う。そしてチーズ。ソースがさっぱりしているから、濃いチーズの風味が合うんだ。そして何より、トマトとチーズは、合う。
デミグラスソースもよく煮込まれていて、コクがあっておいしい。ご飯が進むことこの上ない。パセリの風味は皆無だが、色があるってだけでなんかおいしい。
春巻きは、サクッとしつつも少し柔らかくなっている。柔らかくなった春巻き、実は結構好きだ。端の方は噛み応えがあって香ばしく、餡もオイスターソースの風味や出汁の風味が効いていて、うま味たっぷりだ。
「見て、春都」
咲良の声に顔を上げると、奴の得意げな表情が目に入る。
「なんだ」
「セルフかつ丼」
ロースカツに、切り分けた卵焼き、肉じゃがの玉ねぎだけをのせて、ご飯と一緒に食べるのだという。
「かつ丼……?」
「風味はかつ丼なんです~」
はは、なんだそれ。
あ、たけのこ。ばあちゃんが炊いたのをこないだ食べたなあ。やっぱり、味付けがほんの少し違う。ちょっと甘めかな。かつお節も効いている。これはこれで、ご飯が進む。
エビフライはタルタルソースをつける。色鮮やかなパン粉のエビフライは、弁当って感じがして好きだ。えびは少し小さめだが、衣もうまいもんだ。ウインナーには、ハンバーグのデミグラスソースを。肉のうま味が染み出したソースは、これだけでもうまい。
卵焼きは、出汁巻き風。ジュワッと出汁があふれてくる。ぷるっぷるで、プリンや茶わん蒸しのようでもある。
盛り過ぎて食いきれるかと思ったが、案外、ペロリだな。
さて、腹ごなしに歩くか、春の日差しに甘えて少し眠るか。
「どうする?」
「とりあえずのんびり考えようぜ」
それもそうだ。せっかく花の中にいるのだから、のんびり眺めるのもいいだろう。
「ごちそうさまでした」
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