一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百三十六話 フレンチトースト

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 課外も予定もない土曜日、父さんと母さんは仕事に向かった。
 見送りを済ませて、部屋に戻る。暖房が効いて暖かいはずなのだが、どことなく寒い気がしながらソファに座る。静かな部屋に、うめずの足音とソファがきしむ音が響いた。
 よく晴れた、穏やかな休日である。今朝の情報番組では、今日はお出かけ日和だと言っていたが、うちの周辺では出歩く人の姿は少ない。それもそうだ。うちの近くは住宅街と、小学校ぐらいしかないもんな。そりゃ人通りも少ないはずだ。
 晴れているとはいえ、寒さはいまだ健在。この時期は客足が減る、とじいちゃんがぼやいてたなあ。
 さて、今日は何をして過ごそうか。なんて、考えているうちに、あっという間に夕方だろうなあ。

 ……なんて、考えていた時間が、俺にもあった。
 まさか、咲良がフランスパンを背負ってやってくるとは。いや、正確にいえば、フランスパンの他にもいろいろ入っているらしいスーパーの袋を引っ提げて、だが。
「いや~、外は寒いな!」
 そう言って、咲良はコートを脱いでソファに置いた。荷物は台所に置き、ひとまず手を洗っている。いや、我が物顔で人んちの台所に入るなよ。まあ、いいけどさ……
「何で来た?」
「え? バス」
「交通手段を聞いてるんじゃない」
 咲良は「分かってるって、冗談だよ」と笑った。
「今日暇でさぁ。何すっかなーって思ってたんだけど、そういや、春都になんか作ってやるって、約束してたの思い出して」
 咲良は意気揚々と袋の中身を取り出していく。
 フランスパンに卵、豆乳……あとは何だ、よく見えない。
「冷蔵庫開けていい?」
「あ、ああ」
「冷凍庫も?」
「好きにしろ……」
 少し疲れた気分でそう言うと、咲良は「じゃ、そうする」とのんきに言った。
「で、何を作る気だ?」
 なんとなく予想はつくが、あえて聞いてみる。冷凍庫に何かを入れていたらしい咲良は立ち上がると、待ってましたといわんばかりの得意げな笑みを浮かべ、胸を張って答えた。
「フレンチトースト!」
 やっぱりそうか。フランスパンに豆乳と卵ときたら、そうかとは思ったが。
「あ、なんかタッパーとかない?」
「ああ、漬け込み用か。ちょっと待ってろ」
 確か、作り置き用にいくつか買ってたはず……台所の棚の、どこかにあるはずだ。
 あったあった、これこれ。結構大きめのタッパーで、野菜とか入れといたら楽だろうなあ、と思って買ったんだった。結局、作り置きの意味がない勢いで、あっという間に食べてしまうから、使わなくなったんだけど。
 きれいに洗ってしまっていたから、十分だろう。
「これでいいか?」
「完璧! じゃ、さっそく作るな。春都は見てろよ」
「はいはい」
 どことなく危なっかしい手つきにそわそわするが、手出しするなと言われれば、そうするほかないだろう。台所が見えるところの椅子に座っていると、うめずが足元にやって来て座った。
「まずは卵液を作るっと」
 スマホを見ながら、咲良はぎこちない手つきながらも調理を進めていく。
 ボウルに卵を割り入れ、豆乳と砂糖を合わせ、よく混ぜる。
「俺、豆乳で作った方が好きなんだよな。春都は?」
「俺も。牛乳はあんま使わない」
「牛乳でもうまいんだけどな」
 バニラエッセンスは入れない、と咲良は言った。表情が何やら含みのある笑みだったので、何か考えてんだろうな。
 フランスパンはスーパーとかで売ってるやつで、めちゃくちゃかたい、というわけではない。どちらかといえばふんわりとしている。
「これ、切りにくい……」
「頑張れ~」
 少々いびつながら、うまいこと等分できたようだ。
 卵液をもう一度かき混ぜ、二つのタッパーに分けて入れ、切ったフランスパンを浸す。上からもまた卵液をかけ、蓋をする。
「しっかり染みた方がおいしかったんだよなあ」
 どうやら、家でも作ったことがあるらしい。
「でも何でまたフレンチトースト?」
 聞けば咲良はさも当然というように、あっけらかんと答えたものだ。
「食べたかったから」
 飯作る原動力の最たるものって、それだよな、それに尽きる。
 食いたいからそれを作る。当たり前のようで、間抜けなようで、それでいて忘れがちな、純粋な理由だ。
「そうだよなあ」
「おう!」
 あれこれ話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎた。
 すっかりひたひたになったパンは、なんとなく麩のようにも見える。バターを引いたフライパンで焼いていく。
 じっくりと火を通し、焦げ目がついてくると、だんだんいいにおいがしてくる。
「よ……っと。完成!」
 皿に移されたフレンチトーストは、フルフルと震えていた。
「そんでもって、これよ、これ!」
 さっそく実食か、とテーブルをセッティングしていたら、咲良がなにかを持ってきた。
 バニラアイスに、絞るだけの生クリーム。なるほど、あの笑みの理由はこれだったのか。
「買ってきたのか」
「おう! うまいぜ」
「知ってる」
「だよな!」
 ナイフとフォークで食べるのが、一番食べやすいと俺は思う。咲良も「なんか豪華だな!」と喜んでいた。
「いただきます」
 自分手は時々作るが、果たして、咲良の作ったフレンチトーストは……
 ナイフを入れた感じは、かたいプリンのようだ。ホワッと湯気が揚がったところを一口で食べる。
 ジュワジュワとした食感かと思えば、ふわっとしているようで、プリンのようでもある。口いっぱいに甘さが広がり、卵のコクも感じられる。豆乳だからさっぱりとしていて、そこがとてもうまい。
 内側の部分はフルフルのとろとろでフワッフワだが、耳というべきか、外側の部分はもっちりしている。
 フランスパンって、そこがうまいんだよな。
「ど、どうだ?」
 はっ、咲良が感想を待っている。
「うまい。つい、夢中になってしまった」
「そうか! よかった!」
 咲良はほっとしたように笑うと、やっと、自分も食べ始めた。
 バニラアイスものせよう。熱でさらさらと溶けていくのをせき止めて、ほおばる。んー、これこれ、この温度差。ほのかなバニラの風味に冷たいミルク感、フレンチトーストのさっぱりとした味わいといい塩梅だ。
 生クリームは濃厚というより、すっきりした甘さである。もこもことしていて、フレンチトーストと一緒に食べると、なんだかとてつもない贅沢をしているような気分になる。
 それにしても、こんなことになるとはなあ。
 押しかけてきた咲良が一番楽しんでるのは、まあ、いつものことか。
 あ、そういえば、うっすら寒い感じがどっか行ってる。むしろ暖かいくらいだ。
 不思議なもんだなあ。

「ごちそうさまでした」
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