一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百二十二話 肉ごぼう天うどん

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 今日も今日とて、遅くまで部活だった。校舎を出る頃にはすっかり日が落ちて、空に溶けるような夕日が町を真っ赤に染め上げる。
「じゃ、また来週~」
「おう」
 咲良とは校門前で別れ、一人帰路に着く。それなりに人は多く、賑やかな笑い声やのんびりと行く自転車の音が聞こえてくる。こういう中を黙って一人で歩いていると、ぽっかりと自分だけ別の空間にいるような気がしてくるのは何だろうか。
 家の方に足を向ければ、途端に人が少なくなる。道路を行きかう車のヘッドライトがまぶしい。
 それにしても、ずいぶん寒くなった。晴れた夕暮れ時は特に。
 空には飛行機雲が伸び、一番星が輝いている。
「ただいまー」
 家の戸を開ける。ひんやりとしていて、音もない。この時期になると、うめずは、お気に入りのベッドか俺のベッドに籠城する。
 居間には常夜灯が灯されていて、ひっそりとしている。
「あ、そっか」
 思わずつぶやいた自分の声が大きく聞こえた気がして、ちょっと心臓に悪かった。
 父さんと母さん、仕事に行ったんだった。
 この時期はこまめに帰ってくるとはいえ、やはり慣れない。この空虚な感じというか、何というか。特に寒くなってくると、よけいに感じる。
「明日はうめずとのんびり、二人だなあ……」
 ……あ、違う。

「じゃあ、よろしく」
 翌朝、昨日の天気とは打って変わって、暗い空からは小雨が降り続いている。俺はうめずと店にいた。うめずはご機嫌そうに尻尾を振っているが、今日はうめずの健康診断だ。じいちゃんがちょうど動物病院がある方面に用事があるからと、連れて行ってくれるらしい。
「ああ」
「わふっ」
「うめずは、今から病院だって分かってんのかね」
 と、じいちゃんが笑った。大人しくお座りをするうめずを見下ろすと、うめずは「今からお出かけですか? それともおうちでのんびりですか?」と期待に満ちた目でこちらを見上げてきた。
「……分かってないと思う」
「まあ、病院の中に入ってしまえば、なんてことはないからな。春都は今日どうするんだ?」
 じいちゃんに聞かれ、少し考える。このまま家に帰っても一人だもんなあ。別に嫌ではないんだけど、今はちょっと、気がまぎれるようなところにいたい。サイクリングにでも行こうかと思ったが、この天気じゃなあ。
「図書館に行く。帰りに寄るよ」
「おお、そうか。気を付けてな」
「うん。よろしく」
 こういう雨の日は、図書館に限る。
 電車に揺られて数駅。この時期の雨は体の芯からじわじわと温度を奪っていくようだ。すでにバス停には行列ができ、店もそろそろ開店し始める頃である。
 こういう、始まりの空気に満ちた空間にいると、なんとなく安心する。
 今日は少し遠回りになるが、通りの多い道を選んで図書館に向かう。名前も知らない、顔もすぐに忘れてしまう人波に自分も溶け込む。今からどこかへ遊びに行くのであろう集団、スーツ姿でうつむき歩く人、学生服で大荷物を抱えた数人、スーツケースを引く人……いろんな人がいたもんだ。
 思ったより早く図書館に着いた。傘の水滴をはらい、ビニールに入れて中に入る。
 暖かすぎず寒くない室温に、本の匂い。澄み切った空気は目を覚ましてくれるようで、小雨の音だけが聞こえる空間は落ち着く。司書の人たちはカウンター内で仕事をしていて、利用者もそれなりにいる。
 これといって目的も定めず本棚をたどる。あ、この本、見たことある。面白いのかな。借りてみようか。こっちは……へえ、アニメのキャラクター設定集とかも置いてあったのか。知らなかったなあ。
 こっちには確か、古い本があるんだよな。童話集とか、詩集とか。誰か一人、真剣に読んでる人がいる。邪魔しないように、足音に気を付けよう。
 教科書でよく見るような本の題名がずらりと並ぶ。読んでみたいが、どれから読むべきか分からない。和歌集とかもある。一回、分厚いの借りて、諦めたんだよなあ。興味があるやつはちょっと表紙が怖いし……
「おや、一条君」
「……漆原先生?」
 なんと、真剣に読んでいた人は、漆原先生だったか。驚いた。やっぱ、学校の外と中じゃあ、印象が違い過ぎて気づけない。
 先生は頬笑みを浮かべて言った。
「こういう雨の日は、図書館に限るな」
「俺もそう思います」
 さらさらと小雨は降り続いていたが、雲がまばらになり、薄く光が差し込んで来たのが目の端で見えた。
「先生、聞いてもいいですか」
「構わんよ。何だ?」
「こういう本って、どれから読めばいいですかね」

 あの後、先生は嫌な顔一つすることなくいろいろと教えてくれた。やっぱり、分からないことは聞くもんだ。さすが司書だなあ、と言ったら「今はただの本好きだ」と笑われたけど。
 それにしても、腹が減った。何食おうかな。駅の人波も少なくなり、スーパーも開いて、すっかり日常になっている。うどんでも食べて帰ろう。
 頼んだのは肉ごぼう天うどん。ここのごぼう天、でかくて食べ応えがあっていいんだよなあ。肉をトッピングしたのは、ちょっとした贅沢ということで。空腹は、さみしさを助長させる。
「いただきます」
 うどんの麺は、箸で触れるとふわふわしている感じがする。口当たりはつるんとしていて、やわらかい。このやわらかさに、出汁のうま味がよく合う。暖かい出汁が冷えた体に染みわたって、何ともいえない幸せな気分になる。
 ごぼう天は、まずはサクサクのところを一口。
 そうそう、この香ばしさ。衣の厚さが程よくて、ごぼうの風味がよく分かる。長めに切られたごぼうは噛み応えがありながらもちょうどいい食感だ。
 少し出汁に浸してみる。ジュワッと口の中でだしがあふれ出すのがたまらない。
 肉の脂が出汁に少しずつ溶けだしてきた。これがまたおいしいんだよなあ。ごぼうの風味と出汁のうま味、ねぎのさわやかさが相まって、これだから肉ごぼう天うどんが食べたくなるんだ。
 肉、思ったよりたっぷり入っている。薄切りの牛肉は甘辛く味付けされていて、うどんと絡めて食べると絶品だ。
 一味をかけると、ピリッと辛さが加わっていい。
 出汁まで余すことなく平らげる。底の方に溜まった衣まで食べきりたいんだ。肉の破片も、ひとつ残らず食べたい。
 次は甘い物かなあ、とぼんやり思えば、回転焼きがよぎる。じいちゃんとばあちゃん、好きなんだよな。買って帰ろう。父さんと母さんのために、冷凍する分も買ってきて……うめずのご褒美も何か探そう。きっと今頃頑張っているだろうからな。

「ごちそうさまでした」
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