一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第六百二話 ばあちゃんの弁当

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 忙しいと、毎日が過ぎていくのがあっという間である。もう文化祭前日だ。色々ありながらもなんとか発表する音声や映像も収録し終え、あとは試しに体育館で流してみるのと本番だけである。
 俺らはいわゆるモブキャラだったから、特に苦労はなかったなあ。
「文化祭前日って、なんかワクワクするよな~」
 体育館の階段上の通路で放送機材の準備をしていたら、咲良が言った。下では先生の大きな声が響いている。シートを敷き、パイプ椅子を並べているだけなのだが、椅子並べに異様に執着のある先生がいるんだよなあ。毎度毎度、いすを並べるたびにこうだから慣れてしまった。
「暗くなって、学校にいても、先生たちには怒られない!」
「そうか。俺は早く帰りたいがな」
「あ、そう?」
 咲良は準備の手伝いもそこそこに、窓の外の景色を眺めている。学校の窓に映るには不釣り合いなぼろいネオン看板が、日の長くなった午後七時の空気に浮いている。
「おい。準備」
「うん」
 咲良は素直にこちらにやってくる。
「明日は図書館、暇だろうから、漆原先生もほっとしてるだろうな」
 そう咲良が言う通り、明日の図書館は暇である。漆原先生自身はまた着ぐるみを着る気満々でいたのだが、許可が下りなかったらしい。理由は聞いていないが、まあ、いろいろと事情があるのだろう。
 漆原先生、着ぐるみに関してだけは不服そうだったが、ひっそりとポップコンテストをやるだけでよいとなったことについては異論も不満もないらしい。
 まったくもって、よく分からない先生だ。
「投票の手伝いもしなくていいんだったか」
「そうそう、セルフサービス」
 と、咲良はコードを廊下の隅に寄せた。
「じゃあ、昼休みは暇だな。俺たちも」
 プロジェクターの動作確認をするだけの状態にまでしたら、先生を呼ぶ。
「あれ、矢口先生いない」
「さっきまでいたけどな」
 咲良と揃って一階をのぞき込むが、矢口先生の姿が見当たらない。気は進まないが降り、先生を探しに行く。
「うーん、どうしようか。困ったね」
 しかし、大した労もなく先生は見つかった。体育館から出てすぐ、通路の突き当りで誰かと話をしていた。パッと見て誰か分からなかったが、どうやら、放送部の部長のようだった。
「先生~、プロジェクターの準備、終わりました~」
 咲良が声をかけると、二人ともこちらを振り返った。なんだか深刻な様子だが、どうしたんだろう。
「ああ、ありがとう。すぐ行く」
 先生はそう言うが、その場を動こうとせず、俺たちをじっと見たまま黙っている。何事だろうかと咲良と目を見合わせ、首をかしげていると、先生はいいことを思いついたというように笑って言った。
「二人とも、司会の練習はしていたよな?」
「司会?」
 突拍子もない言葉に、思わず咲良と声が重なる。そしてじわじわと、嫌な予感が這い上がってきた。確かに、暇だろうからと司会進行の原稿を読まされてはいたが。黙っていたら、部長が続けた。
「明日、司会進行役の生徒が二人、急に休みになってしまってねー。代役をどうしようかって話していたところなんだ」
「えーっ、俺ら練習したっていっても、そんな、人前で披露できるようなもんじゃないっすよ」
 咲良の言葉に、うんうんと頷くも、先生も部長もこちらのことなど意に介さない。
「でもせっかく練習したんだし、ねえ?」
「そうですよ。もったいない」
 なるほど、こういう緊急事態のために、俺たちは練習させられていたのか。まあ、今更気付いたからって、どうしようもないのだが。
 先生は手に持っていた原稿をめくった。
「午前の部を担当してもらおうかな。吹奏楽部とかの発表のところと、弁論大会のところ。どっちがいい? 分量も難易度も、どっちも同じくらいだから、どっちでもいいんだけど」
 咲良と困ったように目を合わせる。
「……俺、吹奏楽部でいいか」
 先に終わるし。そう思って聞けば、咲良は頷いた。
「俺は弁論大会の方がよかったし、それでいいぞ」
 咲良が言い終わるより早く、先生は原稿の名前を書き換えた。
「よし、じゃあそれでいいね。よろしく。さ、プロジェクターの確認に行こうか」
 先生は軽い足取りで体育館に向かった。それに続く部長が「後は私たちでやっておくから、二人は帰っていいよ」と言ったので、ありがたく帰らせてもらうことにした。
 まさか、こんなことになるとはなあ。

 何事も経験だ、そう腹をくくることに決めたら、自分がずいぶんと腹が減っていることに気が付いた。空腹は、人の思考を散漫にさせる。まずは腹ごしらえだ。
 今日の晩飯は、ばあちゃんが準備してくれてたんだよなあ。遅くなるだろうからと、弁当を作っておいてくれたんだ。
「いただきます」
 豚肉の天ぷらにいそべ揚げ、卵焼き、フライドポテトとほうれん草のおひたしかあ。ずいぶん豪華な弁当だなあ。自分で作るとなったら、こうはいかない。
 まずは豚肉の天ぷら。冷えて噛み応えと味が増している。サクッ、ジュワアッとした衣に醤油の風味が香ばしい豚肉。ほんのり豚そのものの甘味も感じられて、脂身もうま味が合っていい。
 これがふりかけをかけたご飯に合うんだよなあ。おかかのふりかけの香ばしさと、もっちりした米の甘味。たまんねえなあ。炊き立て飯は当然うまいのだが、冷えたご飯にしかない味わいってのがあると、俺は思う。
 ほうれん草のおひたしには醤油とかつお節かあ。いいねえ。かつお節のうま味が滲み出した醤油に浸して食べるほうれん草はしんなりとしていて、うまい。茎はしゃきしゃきでみずみずしいな。
 卵焼きの甘味は、程よい。お菓子のようで、でもおかず。この塩梅がいいんだ。
 フライドポテトは甘い。全体的に色合いが濃かったからそうだろうなあとは思っていたが、想像以上に甘いぞ。振りかけられた塩でより一層甘みが増し、ほくほくとした口当たりは冷めても健在だ。甘い芋って、焦げやすいんだよなあ。上手に揚げるのが難しい。
 いそべ揚げは、プリプリとしたちくわの魚介風味と、青のりの磯の香りのバランスが絶妙だ。衣が薄すぎても厚すぎてもいけないんだよなあ、いそべ揚げって。ばあちゃんのいそべ揚げは、安心安定のおいしさだ。どうやったらこの絶妙ないそべ揚げができるのだろう。
 明日はきっと疲れるだろうから、昼飯はしっかり準備しておこう。学食は一般開放されるからいつも以上に人が多いだろうし、できるだけあちこち回らなくていいようにしたい。
 今日は、この弁当のおかげで元気になった。しっかり寝て、頑張るとしよう。
 俺、機材担当で入ったはずなんだけどなあ。ま、これも縁、ってやつかな。

「ごちそうさまでした」
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