一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 家族のつまみ食い①

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 桜の開花宣言は出たものの、満開どころか五分咲きにも程遠い小学校前の桜並木。太陽は見えないが過ごしやすい天気で、智春と都は、久しぶりに散歩に出ていた。春都は学校の時間帯である。
 小学校の門の前には、卒業式の看板が出ていた。
「今日が卒業式か」
 智春はそれを横目で見て言った。都は桜が咲いている枝がないか、木々を見上げている。日当たりが悪いところが多いのでいまだ花開いておらず、膨れたつぼみがあるばかりである。
「ああ、どうりで子どもたちが多いと思った。卒業生以外は、休みだもんね」
「在校生は出席しなくていいのかな?」
「代表だけ、ってところも多いんじゃない?」
 二人はその足で店に向かった。その道中、都は「そういえば」と楽しそうに笑った。
「春都が小学生の頃の写真、店にあるんじゃないかな」
「うちじゃなくて?」
「アルバムの数が増えて置き場がなくなったから、持っていったじゃない」
「ああ、そうだったかな」
 ちょうど店は客足も落ち着いたところだったようで、正道とトウ子は居間でテレビを見ていた。
「ねえお母さん、アルバムってどこにやったかな。春都の」
「春都の? 二階の押し入れにあるよ」
 日の当たらない場所にちゃんと入れてるよ、とトウ子が言うと、都は足取り軽く急勾配の階段を上ってアルバムを数冊持ってきた。
「また急だな」
 そう言いながらも、正道も楽しそうにアルバムをめくる。主にアルバムに収められているのは幼いころの春都の写真だった。
「卒業式の看板見てね~、久々に見たくなったの」
「ああ、もうそんな時期か」
「見つけた。これじゃない?」
 智春が見つけた写真に、皆、視線を向ける。
 写真には、今よりもずいぶん小さい春都の姿があった。小学校の卒業式らしい服に身を包み、校門の前の看板の横に立っている。桜は満開で、空は快晴。実にすがすがしい写真であった。春都の表情は無に近い。
「この時は天気も良くて、桜もよく咲いてたね」
 都は言って、写真を指でなぞった。

 雲一つない、幸先のいい門出となりそうな空の下、卒業生たちの賑やかな声が響いている。ある者は泣き、ある者は友人と抱き合い、ある者は先生と写真を撮っている。そんな賑やかな集団から離れ、ぼんやりと桜の木を見上げる少年がいた。
 まだ幼さの残る顔立ちに凛とした表情が印象的な少年の胸元には、卒業生の証であるリボンの花と、『六年一組 一条春都』と手書きの文字で書かれた名札があった。
「みんなのところに行かなくていいの?」
 モノトーンの上品なスーツに身を包んだ都が春都に聞く。春都は、何の感慨もない様子で首をひねった。
「別に……」
「そう? じゃあ、写真だけ取らせて」
「ん、んー」
 校門前の看板の横、まずは春都だけで写真を撮り、その後、智春や都も一緒に写る。三人で写ったときだけ、春都は少しはにかんでいた。
「誰か一緒に撮らなくていいのか?」
 智春が聞くと、春都は怪訝そうに集団に目を向けた。
「あの中に戻りたくない」
「そうか」
「午後からの、クラスの食事会には行くんだろう?」
 その言葉を聞いて、春都は数日前の自分を恨んだ。今であれば、迷うことなく欠席を選ぶのに、数日前の自分は渋々ながらでも出席にしたのだろう、と。嫌ならやめておけばいいのに。
「……んー」
 ガシガシと頭をかく春都を見て、智春と都は視線を合わせて笑った。
「夜はお寿司を頼んでるから、楽しみにしてて」
 都が言うと、春都はやっと少し表情を明るくした。
「お寿司?」
「そう、お寿司。いつものよりもっといいやつ! 他にも食べたいものあるなら言っていいよ~」
「からあげと茶碗蒸しは?」
「いいよ~、お母さん、頑張るよ!」
「やった」
 じゃあ頑張る、と春都は言った。同級生たちが集う食事会は、春都にとって頑張って乗り越えるものらしい。
 これから何度もあるであろう同窓会には絶対に行かない。齢十二にして心にそう決めた春都は、夜ご飯に胸を弾ませた。

 シャッターも降り、すっかり片付けの済んだ店。テーブルには豪華な寿司と揚げたてのからあげ、ホカホカの茶碗蒸しが並んでいた。
「春都、卒業おめでとう!」
「ん、うん」
 各々の飲み物で乾杯をし、さっそく春都は箸を持った。
「いただきます」
 とろりと甘いサーモンの炙りに、食感のいいイカ。マグロはさっぱりとした赤身も濃厚な中トロもある。ネギトロは安定のおいしさで、細かく刻まれたタコと野菜をマヨネーズで和えたものの軍艦巻きはどっしりとお腹にたまる。
 揚げたてのからあげは、にんにくの効いた醤油味。カリッカリ、ジュワジュワの衣、もっちりジューシーな皮、プリプリとした身。ひとつひとつが小さめなので、パクパクとあっという間に食べてしまう。
 茶碗蒸しは熱々なので、慎重に食べる。出汁のしっかりした茶碗蒸しには、しいたけ、かまぼこ、小さな鶏肉に銀杏が入っている。今日はたけのこも入っているようだ。

「食事会の時に全然食べてなかったからね」
 都が笑って言う。智春はその時のことを思い出すようにして言った。
「すごい食べっぷりだったよ」
「でしょう?」
「あっ、ほら、食べてるときの写真あるよ」
 トウ子が示した写真には、夢中でからあげをほおばる春都が写っていた。本当に幸せそうで、先ほどの写真とは全然違う表情を見せていた。

 ご飯をたらふく食べた後、春都はデザートを食べていた。赤くて丸くて大きないちごがのっているいちごタルトだ。
「うまい……」
 さくさくのタルト生地はバターの芳香が程よく、いちごのさわやかさとカスタードクリームの甘さが絶妙だ。オレンジジュースを飲み、名残惜しそうに最後の一口を眺める。
 しかし、食欲にはかなわない。大事そうに口に含み、咀嚼し、飲み込んだ。
 やっとここで、春都は満面の笑みを浮かべたのだった。

「ごちそうさまでした」
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