一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
613 / 843
日常

第五百七十六話 カツサンド

しおりを挟む
 冬の体育で何が嫌って、持久走だ。小学生の頃みたいに大会があるわけじゃないけど、嫌だ。何が悲しくてこんなくそ寒い中で走らなきゃいけないんだ。暑い方がいいかといえばそうじゃないけど。しかも要は四時間目で、腹も減っている。
 せめて桜の咲く時期に、花見気分で走りたい。それならまあ、まだいい。殺風景な校庭を延々と走り続けるのは、結構しんどいものがある。
「準備体操が終わったら、俺が笛鳴らすまで各々のペースで走るように。無理はするなよー」
 二宮先生の指示の後、体育委員の号令に合わせて体操を済ませ、さっそく走り出す。淡々と走るやつもいれば、ほぼ歩きのやつもいる。小走り程度でいいかなあ。
「俺こないだ何周走ったっけ。結構いったよなー」
「小学校んとき、持久走大会結構好きでさあ」
「今年も持久走あってラッキーって感じ」
 隣を走り抜けていったやつらが、そんな会話をしながら遠ざかる。なんでみんなそんなに持久走に対して前向きなわけ? 俺がおかしいの? 人生で初めて憎しみという感情を覚えたのは、小学生の頃、持久走に出会った時だといってもいいくらいだ。徒競走は正直、短距離だし。持久走に比べたらまだいい。
「くっそ……」
 それにしても俺はこんなに体力がなかっただろうか。あっちこっち歩きまわるのは苦じゃないのに、持久走となるともうだめだ。やっぱり、歩き回る体力と走る体力っていうのは、違うのかなあ。
 体力測定でせっかく持久走がないと喜んでいたというのに。どうして冬の体育には持久走が組み込まれるんだ。
「大丈夫~? 一条」
 そう軽やかに隣に並んできたのは山崎だ。規則正しい呼吸で、にこにこ笑ってすらいる。
「大丈夫そうに見えるか……?」
「スピード上げたら気持ちいいよー。引っ張ってやろうか?」
「結構だ」
「えー、楽しいのに~」
 じゃっね~、と、山崎は跳ねるようにして行ってしまった。元気なやつだ。その元気を十分の一でいいから分けてほしい。
 次に来たのは中村だ。
「一条、それは走ってるのか」
「失敬な」
 遅くてすみませんでしたね。中村は淡々と、何でもない様子で走っているのが見えていたが、本当に息が乱れていないな。むしろ心地よさそうでもある。
「持久走はある一点を超えると、気持ちよくなるぞ」
「うっそだぁ……」
「嘘じゃねーよ」
 中村は爽やかに笑って、加速して行ってしまった。
 ちくしょう。気持ちよく走れないのがなんか悔しい。俺だって、軽やかに、心地よく、颯爽と走ってみたいのに。いいなあ、あんなふうに走りたいなあ。何が違うんだろう。運動に対する姿勢だろうか。
 あ、歌聞きながらとかだったらいけるか? でも今聞けない。頭ん中でなんか再生するしかないな。走るのに最適な歌かあ……あのアニメの主題歌かな。あれ見ると走り出したくなるから、いいかもしれない。
 ……うん、いい調子だ。そうかそうか、コツがあるんだな。きついのに変わりはないが、嫌だ嫌だと思いながら走るより、何か別のことを考えながら走ったほうがよっぽどいい。どうせ走るんなら、ちょっとでも楽しい方がいいよな。
「ふんふ、ふー……」
「おっ、ご機嫌だなー春都!」
 大股でやってきたのは勇樹だ。あ、宮野もいる。
「……ご機嫌ってなんだよ。てか、何で宮野は笑ってんだ」
「無自覚? 結構途中からペース上がってたよ。鼻歌も歌ってるみたいだし」
「えっ。聞こえてたか」
「隣に来たらね」
 ノリノリになるとつい、歌っちゃうんだよなあ。考え事してるときもそうだけど、つい口をついて出てきてしまう。気を付けないと。
 まあでも、歌はありだな。これからもうちょっと持久走はあるだろうし、対策が分かればどうってことない。
 きついことに変わりはないんだけどな……
 笛が鳴って集合した後、少しの休憩をはさんで再び走るらしい。今度は十分間かなり真剣に走らなきゃいけないらしい。何周走ったか記録するのだそうだ。えー、もういいじゃん。さっきまでのはウォーミングアップだったわけ?
「よし、それじゃ……スタート!」
 先生の合図で一斉に走り出す。おお、先頭集団が出来上がった。小学生の頃は頑張ってそこに入り込もうとしたけど、入れなかったなあ。今じゃまったく割り込む元気も勇気もやる気もない。成績に響かない程度、頑張ればいいか。
 みんな元気だなあ。しこたま走ったのに、まだ走れるなんて。陸上部とか他の運動部のやつらは、見ていて気持ちがいい走りをする。シャトルランもそうだ。俺は、そういうのを外から見ていたい。それで十分です。
 まあ、そうもいかないから、次々足を前に出す。頭の中のプレイリストが混乱しそうだ。
 あー早く終われー。

 昼休み。きついながらもなんとか着替えて、咲良と食堂へ向かう。今日の昼は一応買っておいた。カツサンドだ。
「はぁ~……くたびれた」
 咲良が列に並んでいる間、テーブルにうなだれて待つ。もう足がプルプルだ。これは放課後まで引きずりそうだな……家が近くてよかった。
「持久走か? お疲れさん」
 咲良が例のごとく、おぼんにかつ丼をのせてやってくる。
「ちょっと調子に乗り過ぎた」
「あはは、そういう日もあるよな」
 こんなときこそ、しっかり飯を食べないとな。
「いただきます」
 紙箱に入ったカツサンドは、なんだか魅力的だ。
 フワフワ、しっとりとした食パンに、ソースたっぷりのとんかつが挟まっている。キャベツが挟まっているのがもっと嬉しい。焼きたてパンにサクサクのとんかつ、ってのもいいが、このしっとり感がたまんねえんだよなあ。
 みちっとした感じの歯触りのパン、噛み応えのあるとんかつからはうま味がジュワッと染み出してくる。甘めのソースがたまらなくうまい。酸味強めのフルーティなソースもさっぱりしていいが、この甘いソース味、無性に愛おしくなる。
 キャベツもしっとりとしていて、青さはソースの香りに紛れ込んでしまっている。だが、そこにあるだけでいいのだ。わずかばかりのみずみずしさが、大事なのだ。
 からしをつけてもうまい。ピリッとした辛さで味が引き締まり、また違った味わいとなる。
 いやあ、ボリュームたっぷりだと思っていたが、ペロリだったな。一生懸命運動したら飯がうまい。
 とんかつ専門店のカツサンドも気になってんだよなあ。店によって全然違うし、今度、父さんと母さんが帰ってきたときにでも買いに行こうかなあ。

「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! 夫のカノジョ / 垣谷 美雨 さま(著) を読んで  Another Storyを考えてみました。 むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

【本編完結】繚乱ロンド

由宇ノ木
ライト文芸
番外編更新日 12/25日 *『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』 本編は完結。番外編を不定期で更新。 11/11,11/15,11/19 *『夫の疑問、妻の確信1~3』  10/12 *『いつもあなたの幸せを。』 9/14 *『伝統行事』 8/24 *『ひとりがたり~人生を振り返る~』 お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで *『日常のひとこま』は公開終了しました。 7月31日   *『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。 6/18 *『ある時代の出来事』 6/8   *女の子は『かわいい』を見せびらかしたい。全1頁。 *光と影 全1頁。 -本編大まかなあらすじ- *青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。 林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。 そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。 みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。 令和5年11/11更新内容(最終回) *199. (2) *200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6) *エピローグ ロンド~廻る命~ 本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。  ※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。 現在の関連作品 『邪眼の娘』更新 令和6年1/7 『月光に咲く花』(ショートショート) 以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。 『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結) 『繚乱ロンド』の元になった2作品 『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』

処理中です...