529 / 843
日常
第五百話 からあげ
しおりを挟む
「うー、寒い……」
玄関の扉を開けると、一瞬にして体が冷えてしまうほどの寒風が吹きこんでくる。顔さっむい。目出し帽かぶりたいくらいだ。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
母さんとうめずが玄関まで見送りをしてくれる。母さんは笑って言った。
「今日は楽しみに帰って来てね」
「えっ?」
「晩ご飯、からあげだから」
「からあげ」
なんてこった。さっき腹いっぱい朝飯を食ったってのに、その一言だけで腹が減ってきそうだ。あー、まだ学校についていないのに、もう帰りたい。
「楽しみ」
「たくさん揚げるからね~」
「わうっ」
すごいな、人って。たった「からあげ」という一言だけで、体が温かくなる気分だ。重く沈んでいた気持ちも晴れ、エレベーターに乗る頃にはもうすっきりとしていた。楽しみだなあ、からあげ。
エレベーターを降りたところで、階段から降りてきた人と鉢合わせる。
「あー、一条君だ。おはよぉ」
「おはようございます、山下さん」
お、山下さんの髪、内側だけ紫だ。なんだっけ、インナーカラー? よく似合っている。
「今から学校かあ。大変だねえ」
「寒いのでめんどくさいです」
「あはは、分かる~。寒いってだけでやる気失せるよねえ」
山下さんは電車の駅まで行くらしい。駐輪場から自転車を引っ張り出してきた。鮮やかな蛍光色のグリーンだ。なんか……似合うなあ。髪の色と自転車の色、どっちも奇抜といえば奇抜だけど、嫌な感じがしない。むしろ心地いほどにしっくりくる。
「でも一条君、ずいぶん楽しそうだったよ」
並んで歩いていたら、山下さんが興味津々というように聞いてきた。
「えっ、そうですか」
「なんかにこにこしてた。ご機嫌だなあって」
「顔に出てましたかね」
思わずネックウォーマーを引き上げる。そんなにわかりやすく緩んでいたのだろうか。山下さんは「何で隠すの~」と笑った。
「いいじゃない、不機嫌でいるより。何か楽しいことでもあったんでしょ」
「楽しいというか、嬉しいというか」
「えー、なになに? 一条君がそんなに嬉しそうな顔するって、気になる~」
「今日の晩ご飯、からあげなんですよ」
大笑いされるかとも思ったが、山下さんはしみじみと頷いた。
「ああ、からあげはテンション上がるよねえ。そりゃ顔も緩むわ」
「久しぶりなので」
「そっかあ、よかったねえ」
「はい」
学校近くの十字路で山下さんと別れる。颯爽と自転車で走り去っていく山下さんは、寒さなどものともしていないように見えた。
体の芯から冷えるように寒い体育の授業も、恐ろしく眠い午後の授業も乗り越えた。そして今、下校する人波を抜けて校門の外へ出た。帰ろう帰ろう。
いつもよりちょっとだけ早足で帰る。
「ただいま」
「おかえりー」
母さんが台所に立っている、ということは……ああ、やっぱり。鶏肉の下味をつけているんだな。
「ちゃんと準備してるからね」
「ありがとう」
「もう、いい匂いがしているな」
父さんが言うと、足元にいたうめずが「わうっ」と返事をした。
実は昼休みのうちに、あらかた予習は終わらせてあるんだよな。あとは課題を終わらせれて風呂入れば準備オッケーだ。
さーて、さっさと終わらせるぞ。
課題といってもプリントが二枚あるくらいだ。さすがに、六時間目に出されたこの数学の課題は学校で終わらせることができなかった。バチバチと油のはじける音を聞きいていると、いつもより早く終わらせられそうだ。
課題を終わらせて風呂に入ったら、居間に向かう。
「ちょうどよかった。はい、これ」
母さんから、爪楊枝に刺さったからあげを受け取る。
「いただきます」
これはもも肉かあ。まだジュウジュウいってる。
カリッと香ばしい衣はあっつあつで、口に入れたいのに入れられない。でももう、鼻に届く香りがたまらない。にんにくと醤油の香ばしい香り。にんにく醤油はいろんなところでお目にかかるけど、からあげとなるとどうしてこう、こうもうまいんだろうか。
肉はジューシーで、ぷりっぷりで、醤油の味がよく染みている。でもちゃんと鶏の味もジュワッとあふれ出てきて……
皮もカリッカリだなあ。カリッカリのモチモチだ。ちょっと攻撃的な形のやつもあるけど、思いっきりかぶりついてやれ。
「もうちょっとで全部揚がるからねー」
サラダとどんぶりご飯も準備して、さあ、改めて。
「いただきます」
今度は胸肉を。
もも肉よりもあっさり淡白な口当たり。噛み応えのある肉質で、薄く着こなした衣が香ばしい。脂の感じはもも肉よりもないけど、うま味は負けない。
今度はマヨネーズをつけようか。たっぷりつけてしまいそうになるが、鶏の味が分からなくならないように、ほどほどに。……うん、うん。これこれ、これだよ。まったりとしたマヨネーズに鶏肉の脂のコク、にんにく醤油の香ばしさ。これぞからあげよ。ご飯で追いかけるのがいいねえ。
「あれ、そういやレモン……」
いつものレモン汁の入れ物がない。
「ああ、こっちこっち」
サラダでちょうど死角になっていたらしい。父さんが皿を差し出す。おっ、生レモン!
いいねえ、皮を下にしてたっぷりと……おお、酸っぱそう。衣がちょっとしんなりして口が痛くない。香ばしさは変わらず、むしろレモンのおかげできりっと際立つようだ。すっきりとした酸味で、爽やかに食べられる。
ここにマヨネーズをつけると、ちょっとチキン南蛮を思い出すのは俺だけだろうか。酸味とマヨのまろやかさの塩梅が最高なんだなあ。しかし、生レモン、風味がいい。
サラダでいったん冷静になろう。レタス、ピーマン、トマトに玉ねぎの薄切り。オリーブたっぷりのドレッシングをかけていただく。お店っぽい味だ。レタスはみずみずしく、ピーマンは食感もよくほろ苦い。トマトのジューシーな酸味がオリーブとよく合うなあ。玉ねぎ、ピリッとちょっと辛いのがいいアクセントになっている。
さて、次は柚子胡椒マヨで。マヨネーズと鶏肉の味でまったりとした口に、ピリッと鼻に抜ける辛さとさわやかさ。塩気もあって、うま味が増すようだ。ああ、うまい。
そんでまたシンプルにそのまま……
はあ、うまい。がつがつ食ってしまった。ほんのり冷めたからあげは一口で食べる。口いっぱいに、何ともいえない、大好きな味が広がって……ほんと、おいしいとか大好物とかって、理屈じゃないよなあと思う。全身で欲するような、そんな感じだ。それを口に含む幸せというのは、何物にも代えがたい。
はあ、食った食った。
うまかったなあ。
「ごちそうさまでした」
玄関の扉を開けると、一瞬にして体が冷えてしまうほどの寒風が吹きこんでくる。顔さっむい。目出し帽かぶりたいくらいだ。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
母さんとうめずが玄関まで見送りをしてくれる。母さんは笑って言った。
「今日は楽しみに帰って来てね」
「えっ?」
「晩ご飯、からあげだから」
「からあげ」
なんてこった。さっき腹いっぱい朝飯を食ったってのに、その一言だけで腹が減ってきそうだ。あー、まだ学校についていないのに、もう帰りたい。
「楽しみ」
「たくさん揚げるからね~」
「わうっ」
すごいな、人って。たった「からあげ」という一言だけで、体が温かくなる気分だ。重く沈んでいた気持ちも晴れ、エレベーターに乗る頃にはもうすっきりとしていた。楽しみだなあ、からあげ。
エレベーターを降りたところで、階段から降りてきた人と鉢合わせる。
「あー、一条君だ。おはよぉ」
「おはようございます、山下さん」
お、山下さんの髪、内側だけ紫だ。なんだっけ、インナーカラー? よく似合っている。
「今から学校かあ。大変だねえ」
「寒いのでめんどくさいです」
「あはは、分かる~。寒いってだけでやる気失せるよねえ」
山下さんは電車の駅まで行くらしい。駐輪場から自転車を引っ張り出してきた。鮮やかな蛍光色のグリーンだ。なんか……似合うなあ。髪の色と自転車の色、どっちも奇抜といえば奇抜だけど、嫌な感じがしない。むしろ心地いほどにしっくりくる。
「でも一条君、ずいぶん楽しそうだったよ」
並んで歩いていたら、山下さんが興味津々というように聞いてきた。
「えっ、そうですか」
「なんかにこにこしてた。ご機嫌だなあって」
「顔に出てましたかね」
思わずネックウォーマーを引き上げる。そんなにわかりやすく緩んでいたのだろうか。山下さんは「何で隠すの~」と笑った。
「いいじゃない、不機嫌でいるより。何か楽しいことでもあったんでしょ」
「楽しいというか、嬉しいというか」
「えー、なになに? 一条君がそんなに嬉しそうな顔するって、気になる~」
「今日の晩ご飯、からあげなんですよ」
大笑いされるかとも思ったが、山下さんはしみじみと頷いた。
「ああ、からあげはテンション上がるよねえ。そりゃ顔も緩むわ」
「久しぶりなので」
「そっかあ、よかったねえ」
「はい」
学校近くの十字路で山下さんと別れる。颯爽と自転車で走り去っていく山下さんは、寒さなどものともしていないように見えた。
体の芯から冷えるように寒い体育の授業も、恐ろしく眠い午後の授業も乗り越えた。そして今、下校する人波を抜けて校門の外へ出た。帰ろう帰ろう。
いつもよりちょっとだけ早足で帰る。
「ただいま」
「おかえりー」
母さんが台所に立っている、ということは……ああ、やっぱり。鶏肉の下味をつけているんだな。
「ちゃんと準備してるからね」
「ありがとう」
「もう、いい匂いがしているな」
父さんが言うと、足元にいたうめずが「わうっ」と返事をした。
実は昼休みのうちに、あらかた予習は終わらせてあるんだよな。あとは課題を終わらせれて風呂入れば準備オッケーだ。
さーて、さっさと終わらせるぞ。
課題といってもプリントが二枚あるくらいだ。さすがに、六時間目に出されたこの数学の課題は学校で終わらせることができなかった。バチバチと油のはじける音を聞きいていると、いつもより早く終わらせられそうだ。
課題を終わらせて風呂に入ったら、居間に向かう。
「ちょうどよかった。はい、これ」
母さんから、爪楊枝に刺さったからあげを受け取る。
「いただきます」
これはもも肉かあ。まだジュウジュウいってる。
カリッと香ばしい衣はあっつあつで、口に入れたいのに入れられない。でももう、鼻に届く香りがたまらない。にんにくと醤油の香ばしい香り。にんにく醤油はいろんなところでお目にかかるけど、からあげとなるとどうしてこう、こうもうまいんだろうか。
肉はジューシーで、ぷりっぷりで、醤油の味がよく染みている。でもちゃんと鶏の味もジュワッとあふれ出てきて……
皮もカリッカリだなあ。カリッカリのモチモチだ。ちょっと攻撃的な形のやつもあるけど、思いっきりかぶりついてやれ。
「もうちょっとで全部揚がるからねー」
サラダとどんぶりご飯も準備して、さあ、改めて。
「いただきます」
今度は胸肉を。
もも肉よりもあっさり淡白な口当たり。噛み応えのある肉質で、薄く着こなした衣が香ばしい。脂の感じはもも肉よりもないけど、うま味は負けない。
今度はマヨネーズをつけようか。たっぷりつけてしまいそうになるが、鶏の味が分からなくならないように、ほどほどに。……うん、うん。これこれ、これだよ。まったりとしたマヨネーズに鶏肉の脂のコク、にんにく醤油の香ばしさ。これぞからあげよ。ご飯で追いかけるのがいいねえ。
「あれ、そういやレモン……」
いつものレモン汁の入れ物がない。
「ああ、こっちこっち」
サラダでちょうど死角になっていたらしい。父さんが皿を差し出す。おっ、生レモン!
いいねえ、皮を下にしてたっぷりと……おお、酸っぱそう。衣がちょっとしんなりして口が痛くない。香ばしさは変わらず、むしろレモンのおかげできりっと際立つようだ。すっきりとした酸味で、爽やかに食べられる。
ここにマヨネーズをつけると、ちょっとチキン南蛮を思い出すのは俺だけだろうか。酸味とマヨのまろやかさの塩梅が最高なんだなあ。しかし、生レモン、風味がいい。
サラダでいったん冷静になろう。レタス、ピーマン、トマトに玉ねぎの薄切り。オリーブたっぷりのドレッシングをかけていただく。お店っぽい味だ。レタスはみずみずしく、ピーマンは食感もよくほろ苦い。トマトのジューシーな酸味がオリーブとよく合うなあ。玉ねぎ、ピリッとちょっと辛いのがいいアクセントになっている。
さて、次は柚子胡椒マヨで。マヨネーズと鶏肉の味でまったりとした口に、ピリッと鼻に抜ける辛さとさわやかさ。塩気もあって、うま味が増すようだ。ああ、うまい。
そんでまたシンプルにそのまま……
はあ、うまい。がつがつ食ってしまった。ほんのり冷めたからあげは一口で食べる。口いっぱいに、何ともいえない、大好きな味が広がって……ほんと、おいしいとか大好物とかって、理屈じゃないよなあと思う。全身で欲するような、そんな感じだ。それを口に含む幸せというのは、何物にも代えがたい。
はあ、食った食った。
うまかったなあ。
「ごちそうさまでした」
23
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる