一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第三百三話 ドーナツ

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 いつもは片付けなんてしないのに、咲良が率先してホットプレートを持って台所の方に行ってしまった。俺もタッパーを洗わせてもらおう。

「お前、課題までの時間稼ぎかよ」

「何の話だ?」

「しらじらしいな」

「ははは、それが俺だ」

 いろいろとしゃべりながら洗い物をしていたら、玄関の方から音がした。ただいまーというその声は、先ほど聞いた、咲良の妹の声だった。

「ありゃ、帰ってきた」

 洗い物も終わったので揃って廊下に出ると、ちょうど妹さんと鉢合わせた。妹さんは少し驚いた様子だったが、すぐに愛想のよい笑みを浮かべるとぺこりと会釈をした。

「こんにちは。妹の鈴香です。いつも兄がお世話になってます。さっきは慌ただしくて……ごめんなさい」

「ああ、いえ」

「なんだお前、もう帰ってきたのか」

「午後からは用事がある子が多かったの。言ってたでしょ」

 妹さんはそう言うや否や、俺の方に視線を向けてきた。それを見て咲良が「ああ」と言って俺の肩を叩いた。

「こいつが春都だよ」

 なんとまあ雑な説明で。

「どうも、一条春都です」

「俺らまだこっちいるから」

「分かってる」

 妹さんは「それじゃあ」ともう一度頭を下げると、居間らしい部屋に入って襖を閉じた。

 咲良は二階から自分の課題と筆記用具を取って来るや否や、盛大にため息をつく。

「はあー、今から課題とか憂鬱すぎる~」

「憂鬱だろうが何だろうが、やらんと終わらんぞ」

「なんか甘いもの食べたーい」

 それはまあ、分からなくもない。

「こないだ学食で食ったドーナツはうまかった」

「あ、いいね。ドーナツ。でも最寄りの店まで片道何分だろ」

「……課題やるぞ」

 ぶつぶつと文句を言う咲良を引きずって、さっきいた部屋まで戻る。

 幸い、というかなんというか、今日来たメンバーそれぞれ得意科目が違う。朝比奈は理数科目、百瀬は英語、観月は漢文・古文、守本は社会科目だと。

「俺は体育が得意だ」

 そう言う勇樹には「じゃあ息抜きのストレッチ担当だな」と守本がうまいこと役割を与えていた。

「じゃ、どれからやる」

「物理」

「……じゃあ、俺か」

 しぶしぶ朝比奈が重い腰を上げ、咲良の向かいに座る。

「朝比奈って生物選択じゃなかったっけ」

 百瀬に聞けば「あー」と自分の課題を進めながら答えた。

「理系科目が好きだからさ、貴志は。独学でやってんの」

「へえ、すげえな」

「ね、俺にはまねできないよ」

 あ、百瀬こいつ、課題をやっているように見せかけて落書きしてやがる。

 まあいいや、俺も自分の課題やろう。連休最終日までに終わるように計画してるし、間に合うんだけど、早めに終わったらラッキーだからな。

「ね、計算機使っていい? いいだろ?」

 そう懇願するのは咲良だ。朝比奈は少しめんどくさそうに目を細め「まあ……」と言葉を絞り出した。

「使ってもいいけど、試験本番で泣くのはお前だぞ」

「う~」

「うなっても答えは出てこん。やれ」

「朝比奈、厳しい……」

 そうは言いながらもなんとかこなしたらしい。一教科だけでずいぶん疲れた様子の咲良だったが、それ以上に朝比奈が疲れている。

「人に教えるって、こんな、大変だったんだな……」

 机にうなだれ、朝比奈はうめくように言った。

「今度からもうちょっと真面目に授業受ける……」

「朝比奈は十分真面目そうに見えるけどね」

 次にご指名を受けた観月が場所を代わりながら言えば「……たまに寝てる」と決まり悪そうに朝比奈はつぶやいた。

 観月が教え始めてしばらくして、何やら甘い香りが漂ってきた。

「なんかいいにおいする」

 そう言ったのはストレッチ担当の勇樹だ。寝そべりながらも課題を進めているらしい。

「なんだろ、どこかで嗅いだことあるような……」

 百瀬がつぶやいたその時、部屋の戸が開いた。そこに立っていたのは妹さんだ。手には皿を持っていて、その上にはこんもりと丸い何かがのっている。

「お疲れ様です! よかったらどうぞ」

 差し出されたそれはジャガイモのような見た目をしていたが、ジャガイモではないらしい。

「ドーナツです。ホットケーキミックスで作った簡単なものですけど……砂糖がかかってます」

「おお、これはすごい」

 口々に「ありがとう」と言えば、妹さんは嬉しそうに笑った。

「勉強してたら甘いもの食べたくなりますもんね!」

「わざわざ悪いな」

 何気なくそう言えば妹さんは「自分も食べたかったので」と屈託のない笑みを浮かべた。

 妹さんのそばにいた咲良は、何やら何とも言えない表情で「お前、いつもと態度が……」と言いかけたが、妹さんが少し動いたかと思うと、途中で「いっ……!」と悶絶した。なんだ、何があった。守本はなんとなく察したように苦笑し、朝比奈も百瀬も同情するような生ぬるい笑みを咲良に向けている。

 結局、その悶絶の原因も分からないまま、妹さんは行ってしまった。何だったんだ。

「では、ありがたく。いただきます」

 ひとつひとつがずいぶん大きいなあ。揚げたてで熱々だ。

 市販のドーナツとはまた違う食感。サク、フワ、ねちっとした感じはまさしくホットケーキミックスらしい。ほのかな甘みと卵の風味、あとから来る砂糖の甘さがいい塩梅だ。ホットケーキミックスで作るドーナツは、シンプルな砂糖が一番合うと思う。

 生地に少し酸味があるんだよな、ホットケーキミックスって。砂糖をたっぷりつけるとあんまり気にならなくはなるけど。それはそれで手作りドーナツって感じがしていい。

「ボリュームあるねえ」

 と、守本が笑うと、咲良もドーナツをかじり、オレンジジュースを飲んで言った。

「あいつ、いつもはこんなことしないのに、なんでだろ」

「廊下でドーナツ食いたいって話してたからじゃねえか」

 二つ目を口にしながら言えば「それにしたってなあ」と咲良は納得いかない様子であった。

 少し冷めたのも、食感がより重くなっていい。ドーナツらしいというか、牛乳に浸して食べたくなるというか。

「まあ、とにかくありがたいよ。それじゃあ、妹さんが応援してくれた分、頑張らないとね」

 観月がそう言って笑う。

「俺のためではないと思うんだがなあ……」

 いまだ納得がいかないらしい咲良だったが、それ以上考えることは放棄したらしかった。

 さて、いい糖分補給になった。俺も、もうひと頑張りするとしますか。



「ごちそうさまでした」

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