一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第二百七十四話 バナナのスコーン

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 今日は朝から、家の中にはおしゃれな匂いが漂っている。

 芳香剤とか香水ではない。バターと小麦粉、ふわふわと甘い香り、フルーティな香り。

 スイーツの匂いだ。



「えーっと、まずは……」

 今日はうめずと花見に行く。といってもいつもの散歩なのだが、せっかく桜が咲いているんだし、ちょっと楽しみを準備したいものである。

 ということでうちにあるもので作れて、かつ、外でも食べやすいものとして、スコーンを焼くことにした。

 材料は、ホットケーキミックス、オリーブオイル、そして熟れたバナナ。

 まずはバナナをボウルに入れてフォークでつぶす。ごろっとしていてもいいらしいが、今日はしっかり目につぶそう。

 ホットケーキミックスにオリーブオイルを加えて混ぜ、途中でつぶしたバナナを入れたら生地をまとめていく。結構な重労働だ。

 まとまったらクッキングシートの上にのせ、形をある程度整えたら包丁で切り分ける。

 鉄板にクッキングシートを敷いて、その上に等間隔でスコーンの生地を置いたら、予熱しておいたオーブンで焼いていく。スイーツの作り方はクッキーしか知らなかった俺だが、こないだ本で読んで一つ習得したのである。

 しかし、スイーツというものはもっと繊細に作るべきものなのかもしれない、と洗い物をしながら思う。

 まあ、自分で食う分だからいっか。

「わうっ」

 匂いにつられたか、うめずが居間で尻尾を振ってこちらに視線を向ける。

「いい匂いだろ」

「わふ」

「なー。もうちょっと待ってろ、散歩行くからな」

 せっかくだしうめずのお菓子も持って行こう。飲み物は途中の自販機で買うとして、スコーンを入れる入れ物も準備しないと。

「どんな感じかなー」

 オーブンの中をのぞき込む。甘く、香ばしい香りが漂う中で、スコーンはうまい具合に焼けていた。

 熱々もうまそうだなあ。でも、ちょっと我慢だ。



 マンションのすぐ近くには小さな個人商店があって、その店先に自販機が置いてある。ものすごく古いが、ちゃんと動いているのだから大したものだ。ラインナップはよその自販機と同じで、今日は冷たい無糖の紅茶にした。

 散歩ついでに花見ができるところといえば、小学校の前だろうな。

「だいぶ散ってるなあ」

 満開を通り越して葉桜ではあるが、それでもずいぶんきれいなものである。

 若々しい新芽と、濃い色の桜の花びら。コントラストがきれいだ。それに、足元が薄紅色のじゅうたんになっている。

「きれいだ」

「わふっ」

 うめずは温かな日差しが気持ちいいのか、いつにもまして楽しそうである。尻尾の勢いがすごすぎて足に当たる。

「あ、犬だ!」

 と、突然聞こえる甲高い声。見れば校門から三人ほどちびっこが走ってきているではないか。

「げえ」「わう……」

 うめずと声がそろう。飼い主に似て、うめずは小さな子どもが苦手である。いや、正確にいえば、遠慮の知らない、赤の他人が苦手なのである。

「犬だ犬だー! でっけえー!」

「ねー、触っていい?」

 そう聞いてはくるが、既にもう手はうめずに触れようとしている。待て、触らないでほしい、そう言おうとしたその時だった。

「ぅわうっ!」

 俺の背後から聞こえてきた吠え声。うめずが吠えたと思った子どもたちは手を引っ込め硬直する。

 振り返れば、少々威圧的なプリンがそこにはいた。

「なーにやってんの。ワンチャン嫌がってるでしょーが」

 山下さんがそう言えば、生意気全開だった子どもたちは「なんだよー、つまんねーの」と悪態をついて、桜の花びらを蹴飛ばしてどこかへ行ってしまった。

 山下さんはため息をつく。

「あいつらなあ、有名な悪ガキなんだよ。あっちこっちのワンチャンネコチャン撫で繰り回してさー」

 うめずは助かったといわんばかりに首を振ると、山下さんの足に飛びついた。そこでやっと山下さんは笑った。

「やー、大丈夫だったかあ」

「ありがとうございました」

「んにゃ。大したことじゃないよ、それより……」

 山下さんはリードを握っている方とは逆の俺の手を見て言った。

「それなに?」

「ああ……せっかくですし、お礼にどうぞ」



 小学校前にはちょっとしたベンチとテーブルがある。大半が朽ち果てているが、最近補修されたらしい場所を見つけたのでそこに座る。

「いただきます」

 結局、弁当箱に突っ込んできたのでおしゃれな感じなどかけらもないが、まあいいや。

「これ、一条君の手作り?」

「はい、まあ」

「へー、すごいねえ」

 心底感心しきったように山下さんは言うと、じゃ、遠慮なく、と楽しげに一つ手に取った。

 さて、俺も食おう。うめずは既に、ちょっとリッチなおやつを嬉しそうに食んでいる。

 結構ずしっとしている。しかし触感は軽く、ほろほろと崩れるようだ。わずかに感じるバナナの果肉の感じ、歯触りがいい。

 バナナの甘さが程よく、フルーティだ。

「これ売り物みたいだ。おいしいなあ」

 売り物、は言い過ぎだろうが、まあ、うまくはできたな。

 バナナの濃厚なうま味と甘みはもちろんだが、どこかあっさりとしている。これ、チョコチップ混ぜてもよかったな。今度はそうしよう。その時はもう少し果肉の感じを残して、チョコバナナみたいにしようか。

 紅茶を口に含めば、スコーンの、甘く爽やかな風味と、紅茶の程よい渋みが口に広がり、やがて鼻に抜け、なんとも優雅な気分になる。

「これうまいね。もう一個食べていい?」

「どうぞ。一人で食べきれる量でもないので」

 今日は一人と一匹で花見をするはずだったのだが、まさかのゲストである。

 でもまあ、うめずも楽しそうだし、いっか。予定外、というのもまた乙なものである。

 今度は焼きたても食べてみよう。



「ごちそうさまでした」
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