一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

番外編 井上咲良のつまみ食い①

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 俺の友人、一条春都はものすごくマイペースだ。

 まあ、俺にマイペースだと言われればあいつはしかめっ面をして「お前にだけは言われたくない」と言うだろう。

 でもほんとにマイペースなんだよなあ。

 進級、新しいクラス割り、教科書の新調――他にもいろいろな変化で誰もが浮つく春。

 そんなふわふわした空気の中でも淡々として、いつも通り、何も変わらずにいるのが春都だ。今も、騒がしい廊下をするすると抜け出し、何の感慨も興奮もない目をして階段に向かっている。

「春都」

 そう声をかければ、踊り場に降りた春都はゆっくりとこちらを見上げた。

「咲良か」

 よく通る声で俺の名を呼べば、立ち止まって俺が下りてくるのを待っている。

「クラスどうよ?」

「あー……」

 興味がないことだったのか、春都は面倒くさそうに視線を泳がせた。

「同じ中学のやつらが多いからなんか面倒。まあ、色々と連絡事項を率先して教えてくる奴がいるから、不自由はしないな」

「すげーなんか事務的」

「別にそんなもんだろ。担任もまあいいんじゃねーの? ちょっと距離近いけど」

 いやそうにそう言うが、こいつ、結構評判はいいんだよな。基本与えられた仕事は黙ってするし。

 俺には結構いろいろ言うが、これは心をある程度許してくれているからということにしておこう。

「お前こそどうなんだ、咲良。クラスは」

 視線だけでこちらを見上げ、春都は問うてくる。

「まー、可もなく不可もなくって感じかな。去年同じクラスだったやつもいるし」

「理系選択者、多いもんな」

「そーそー。で、担任もまあ悪くないかな。文系が担当の先生でちょっとびっくりしたけど。理系クラスだからって理系担当の先生じゃないんだなー」

 基本、俺らの会話はほとんど俺が話してばっかりだ。春都はそれに相槌を打ったり、たまに突っ込んだり。なんだかんだいって、こういうスタイルが一番落ち着くと気づいたんだ。

 昇降口を出て、部活動のざわめきを聞きながら校門を出る。

「ま、一週間やそこらじゃクラスの良し悪しは分かんないか」

「そうだな」

 家が学校の近くらしいこいつとは、たいてい校門前で別れる。

「じゃ、また明日なー」

「ああ、また明日」

 一人バス停に向かいながら、ぼんやりと考える。

 そういや春都、両親揃って出張してるんだっけか。家に犬――うめずはいるらしいし、近くに住むばあちゃんが家に来ることもあるって言ってたし、じいちゃんばあちゃんの家で飯を食うこともあるっつってたな。

 でも、なんか家に帰って親がいないって、どんな感じなんだろ。俺には想像つかねえや。

 バス停に着いたら時々、畑から帰ってくるじいちゃんと一緒になって、散歩に出かけていたばあちゃんとも合流して、家に帰れば母さんが飯を作って待っている。しばらくすれば父さんが帰ってくるし、吹奏楽部に所属している中二の妹・鈴香も帰ってくる。

 とにかくうちは賑やかだ。だから一度、鈴香が部活の合宿か何かでいなかったときは、それだけでぽっかり何か物足りない気がした。まあ、静かでよかったっていうのもあるけど。

 慣れればなんてことないのかな、とも思うが、両親が帰ってきているときと仕事に行ってしまった時の春都の表情の違いは結構分かりやすい。母親が作ってくれた弁当を食べるときは嬉しそうなんだ。

 バス停には行列ができていて、今日もおそらく座れないままたどり着くのだろうということを予感させた。暇つぶしのためのミュージックプレイヤーを取り出し、イヤホンを耳に当てる。お気に入りの音楽を聞きながら、再び思考を巡らせた。

 しかも春都、自分で飯作ってんだよな。俺は無理だ。調理実習はしたことあるけど、誰か料理ができる人が近くにいてくれないと不安で仕方ない。

 ああ、でもあいつ、何よりも三度の飯が好きなんだっけか。

 三度の飯よりなんとやら、とはよく言うが、春都はその三度の飯がこの上なく好きなんだよな。料理自体は苦じゃないらしい。

 学食やコンビニ飯の昼食が多い俺と違って、春都は週に何度も弁当を作ってくる。

 一度、あいつの飯を食ってみたいものだなあ。



「ただいまー」

 古い日本家屋の一軒家。これが俺の家だ。周辺には田んぼと畑ばかりで、夜になるともう暗くてしょうがない。冬の帰り道はおっくうだ。

「なーんだ、兄ちゃんか」

 居間からひょっこりと顔を出したのは鈴香だ。

「なんだとは何だ。それよりお前、帰ってくるの早いな」

「なに。帰って来ちゃダメなの?」

 下の方で二つ結びにした髪を揺らし、きれいに切りそろえた前髪の下で目をすぼめる。鈴香もセーラー服姿のままだということは、さっき帰ってきたばかりということか。

「別にそんなこと言ってねーっつーの。お前だっておかえりの一つも言わなかっただろうが」

「お土産でも買ってきてくれたら言ってあげる」

「なんだよ土産って」

「いつも一生懸命頑張ってる妹をねぎらってくれてもいいんじゃないの?」

「だったらいつもぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って朝早くから学校に行ってる兄をねぎらっても、罰は当たらねえと思うぞ」

 居間でそう言い合いをしていると、台所から母さんがやってきた。

「あら、帰ってたの。おかえり」

「ただいま」

 一時休戦、というかどうせ飯になったらこの言い合いもなかったことになるんだけど。いや、飯というかもう今の瞬間に言い合いは終了だ。また違う火種が生まれるのだろうけど。

「二人とも早くお風呂入っちゃいなさい。もうすぐご飯できるよ」

「はぁい。じゃ、兄ちゃんおっさき~」

「あ? なんでだよ」

「レディファーストよ。そんなことも知らないの?」

「うるせー」

 なんか今日はこういう喧騒もまあいいか、と思ってしまう。

 しかし腹が立つことに変わりはないのだが。



 今日はサバの塩焼きと豆腐とわかめの味噌汁、炊き立てご飯に煮物と漬物というラインナップだった。

 好きに自分の裁量で物を食えるのもいいんだろうけど、何もせず、こうやってご飯が出てくるのって幸せなことなんだよなあ。

「げっ、今日の煮物しいたけ入ってるじゃん」

 隣に座る鈴香が顔をしかめそう言って、問答無用で俺の皿にしいたけをのせてくる。

「んだよ」

「兄ちゃんお願い。いいでしょ?」

「だめだ。好き嫌いしてんじゃねえよ。せっかく作ってくれてんだから」

 そう言えば鈴香はきょとんとしたかと思えば、いぶかしげな視線をこちらに向けてきた。

「なに。兄ちゃんがそういうこと言うとか、意味わかんない」

「意味わかんなくてもいいから」

 のせられたしいたけを鈴香の皿に戻す。何度もやり取りをするのは自分が叱られると思ったのか、鈴香はあきらめたようにため息をついて「分かったよ」と言って一思いにしいたけを口に入れた。

 せっかく食うなら、おいしく食いたいよなあ。

 春都ならうまい調理法知ってるかな。ああ、でもあいつ、好き嫌いあんまなさそうだし、素材本来の味を楽しんでそうだよな。

 ま、今度聞いてみるか。

「なに、兄ちゃん楽しそう」

「んー? まあな。今日も飯がうまいからな」

「いつにもまして意味不明。大丈夫?」

「俺は平常運転ですー」

 食べ慣れたこの味も、当たり前じゃないんだよな。

 毎回思い出すことは俺の性格上できなさそうだけど、たまにはそう思いながら食うのも悪くない。

 今度、弁当作ってもらえねえか春都に頼んでみようかな。



「ごちそうさまでした」

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