一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第百三十話 からあげ

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「うわ、暗い」

 十一月にもなれば太陽が昇るのもずいぶん遅くなる。そしてその分、空気も冷たい。しかしまあ、ほんの数分も空から目を離していると嘘のように空気は明るく染め上げられるのだ。きれいだとか、明るくなってきたなあとか思う間もなく世界は朝に変わる。

「気を付けてね」

「うん、いってきます」

「行ってらっしゃい」

 通学路を歩いている途中、ふと空を見上げてみる。目を凝らせばまだ星が瞬いているのが見えた。ぽっかりと浮かぶ月は白く、薄い紫紺の空に穴をあけているようだ。

「お、太陽」

 顔を出した、いや、額をのぞかせた太陽は妙にまぶしい。

 この時期に夜と朝が切り替わるその瞬間を見ることができるとなんかうれしい。昨日までのいろんなことがたゆたう空気をさあっと洗い流すような夜明けが、俺は好きだ。

「一条、おはよ~」

 校門を過ぎたころ、眠そうな声でそう後ろから話しかけてきたのは百瀬だ。声だけでなく、表情もどことなくぽやんとしている。

「おう、おはよう」

 百瀬が隣に並ぶまで少し歩調を緩める。

「眠そうだな」

「バスでつい、うとうとしちゃってさ~」

 隣に並んで、いつも通りの速度で歩く。ふわあ……っと控えめにあくびをする百瀬に聞く。

「自転車じゃないのか」

「ん~、たまにはねえ」

 そういやこないだも朝比奈とバス停の方向から歩いてきてたな。

「ていうか、妹に取られたんだよね。自転車」

「まじか」

「なんか最近まで歩いていってたくせに、急に乗るって言いだして。自分のもあるのにさあ、電動の方が軽いからって。中学校まで片道十分もない、平坦な道だよ?」

「きょうだいって大変なんだなあ」

 一人っ子はきょうだいにあこがれ、きょうだいがいるやつは一人っ子にあこがれる、と聞いたことがある。俺はあまり、きょうだいにあこがれた記憶はないし今でも思わないが。

 年上は年下のために我慢しなければいけないとか、年下は年上のおさがりを甘んじて受け入れなければいけないとか……俺にはそれぐらいしか思いつかないが、それぞれのきょうだいごとに悩みは尽きないのだなあと思う。

 しかしそんな心配をよそに、百瀬はいたずらっぽく笑った。

「まあでも、やられっぱなしは性に合わないからさ。極力、妹が家を出る前に学校行くようにしてる。で、特に寒い日だけちょっと遅く行くようにしてんだ」

 なるほど、兄は兄で強からしい。

「もしけんかになったらどうすんだ?」

「そこはまあ、言葉は尽くすけど。分かり合えないことも多いから」

 ね? とにっこり笑いかけてくるが、それをなんだか怖いと思うのは俺だけだろうか。

「実力行使もいとわない、ってことか」

「戦場だよ。あ、でも弟とはあんまけんかしないなあ」

「そんなもんか」

「妹二人……弟にとっては姉と妹になるけど、二人がなかなかだからね。いがみ合ってる暇ないよ」

 なんとなく感じていた、百瀬の妙にあきらめが早そうで、その実、譲らないところは譲らないその性格は、きょうだいとの歴戦の証なのかもしれない。

 なんとなく、そう思ったのだった。



「ただいまー」

 玄関を見れば、一つ靴が増えている。

「わふっ」

「おかえり、寒かっただろう」

 うめずとともに迎えに来たのは父さんだ。

「あ、父さんもおかえり。うん、だいぶ冷えてきた」

「体調はもういいのか?」

「完全復活」

 と、ピースサインをして見せると、父さんは安心したよう笑って頷いた。

 居間に入ると、それはもう暖かくて一瞬で睡魔が襲ってくるようだった。

「おかえりなさい」

 ちょうど台所から出てきた母さんが声をかける。

「ただいま」

「体冷えたでしょ。お風呂入れるから、一番に入ってらっしゃい」

「ん、分かった」

 今日は七時間目が自習だったので、予習は終わらせてきた。部屋着に着替えてこたつにもぐりこもうとしたが、先にくつろいでいた父さんを見ると、小学生の頃にはずいぶんなじみ深かったが、最近ではあまり覚えがなかった感情がちょっとだけ沸いた。

「そりゃ」

「うわ、冷たっ!」

 無防備にさらされた首筋に冷え切った指先を当てれば、父さんはびっくりして肩をすくめる。

「えっ、何。氷?」

「いや、俺の手」

「なんで首に?」

「なんかやりたくなった」

 ええ……と困惑する父さんにうめずがすり寄る。父さんはうめずに抱き着くような恰好をしながら、うめずに話しかける。

「なー、うめず。ひどいよなあ」

「くぅん?」

「何やってるの」

 と、そこに楽しそうに笑う母さんが来た。俺は父さんに触れなかった方の手を差し出す。

「手、冷たいって話」

「あら……わ、冷たい!」

 外から帰ってくるといつもそうだ。冷えやすいのだろうか。つま先もなかなかに冷えている。母さんはしばらく俺の指先をこすっていた。

「もー、そろそろお風呂入るから。行ってらっしゃい」

「はーい」



 揚げたてのからあげは、どんなに腹がいっぱいでも腹の虫を呼び起こす。空腹ならなおさら、虫たちは大暴れだ。

「はい、約束通りからあげ」

「ありがとうございます」

 山盛りのからあげ。ジュワジュワといい音を立てている。

 これは心して食わねば。

「いただきます」

 今日はもも肉も胸肉もあるらしい。まずはもも肉から。

 カリッと熱々の衣、香ばしい。ジュワッとはじけるように脂が口の中に広がる。醤油の香りとニンニクの風味がたまらない。そこを白米で追いかけるともう最高だ。しかも今日は生のレモンが準備されている。絞るとさっぱりしてまたよし。香りがいいな。

「野菜もあるよ」

「ん、もらう」

 シンプルなサラダ菜は、マヨネーズで食べるのがいい。

 そして胸肉。こっちはややさっぱりしているが、ジューシーさはもも肉に引けを取らない。皮はあまりないが、肉のうま味と噛み応えは十分だ。

 あ、これサラダ菜で巻いて食ってみよう。

 シャキッとした食感に次いで肉の噛み応え、野菜の味でよりからあげのうま味が際立つようだ。これはおいしい。

 ふと考える。きょうだいがいたら最後の一個とか取り合いになるのかなあ。兄だからとか、弟だからとかで相手に譲らなきゃいけないとか。

 ……俺には無理そうだ。自分の食いたいものを我慢する、少なくとも今の俺にはできそうもない。

「余ったら明日の朝にと思ってたけど、この様子だとなくなりそうね」

「まあ、食欲があるのはいいことだよ」

 そう言って父さんと母さんも、今日はご飯でからあげを食べている。

「今日はお酒飲まないんだ」

「いつも春都がご飯でおいしそうに食べてるからなあ」

「ね」

 おいしそうに見えるんじゃなくて、実際においしいのだから仕方ない。

 毎日でも食べたいと思うほどだ。願わくば、いつまでも食べたいものだな。



「ごちそうさまでした」

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