130 / 855
日常
第百三十話 からあげ
しおりを挟む
「うわ、暗い」
十一月にもなれば太陽が昇るのもずいぶん遅くなる。そしてその分、空気も冷たい。しかしまあ、ほんの数分も空から目を離していると嘘のように空気は明るく染め上げられるのだ。きれいだとか、明るくなってきたなあとか思う間もなく世界は朝に変わる。
「気を付けてね」
「うん、いってきます」
「行ってらっしゃい」
通学路を歩いている途中、ふと空を見上げてみる。目を凝らせばまだ星が瞬いているのが見えた。ぽっかりと浮かぶ月は白く、薄い紫紺の空に穴をあけているようだ。
「お、太陽」
顔を出した、いや、額をのぞかせた太陽は妙にまぶしい。
この時期に夜と朝が切り替わるその瞬間を見ることができるとなんかうれしい。昨日までのいろんなことがたゆたう空気をさあっと洗い流すような夜明けが、俺は好きだ。
「一条、おはよ~」
校門を過ぎたころ、眠そうな声でそう後ろから話しかけてきたのは百瀬だ。声だけでなく、表情もどことなくぽやんとしている。
「おう、おはよう」
百瀬が隣に並ぶまで少し歩調を緩める。
「眠そうだな」
「バスでつい、うとうとしちゃってさ~」
隣に並んで、いつも通りの速度で歩く。ふわあ……っと控えめにあくびをする百瀬に聞く。
「自転車じゃないのか」
「ん~、たまにはねえ」
そういやこないだも朝比奈とバス停の方向から歩いてきてたな。
「ていうか、妹に取られたんだよね。自転車」
「まじか」
「なんか最近まで歩いていってたくせに、急に乗るって言いだして。自分のもあるのにさあ、電動の方が軽いからって。中学校まで片道十分もない、平坦な道だよ?」
「きょうだいって大変なんだなあ」
一人っ子はきょうだいにあこがれ、きょうだいがいるやつは一人っ子にあこがれる、と聞いたことがある。俺はあまり、きょうだいにあこがれた記憶はないし今でも思わないが。
年上は年下のために我慢しなければいけないとか、年下は年上のおさがりを甘んじて受け入れなければいけないとか……俺にはそれぐらいしか思いつかないが、それぞれのきょうだいごとに悩みは尽きないのだなあと思う。
しかしそんな心配をよそに、百瀬はいたずらっぽく笑った。
「まあでも、やられっぱなしは性に合わないからさ。極力、妹が家を出る前に学校行くようにしてる。で、特に寒い日だけちょっと遅く行くようにしてんだ」
なるほど、兄は兄で強からしい。
「もしけんかになったらどうすんだ?」
「そこはまあ、言葉は尽くすけど。分かり合えないことも多いから」
ね? とにっこり笑いかけてくるが、それをなんだか怖いと思うのは俺だけだろうか。
「実力行使もいとわない、ってことか」
「戦場だよ。あ、でも弟とはあんまけんかしないなあ」
「そんなもんか」
「妹二人……弟にとっては姉と妹になるけど、二人がなかなかだからね。いがみ合ってる暇ないよ」
なんとなく感じていた、百瀬の妙にあきらめが早そうで、その実、譲らないところは譲らないその性格は、きょうだいとの歴戦の証なのかもしれない。
なんとなく、そう思ったのだった。
「ただいまー」
玄関を見れば、一つ靴が増えている。
「わふっ」
「おかえり、寒かっただろう」
うめずとともに迎えに来たのは父さんだ。
「あ、父さんもおかえり。うん、だいぶ冷えてきた」
「体調はもういいのか?」
「完全復活」
と、ピースサインをして見せると、父さんは安心したよう笑って頷いた。
居間に入ると、それはもう暖かくて一瞬で睡魔が襲ってくるようだった。
「おかえりなさい」
ちょうど台所から出てきた母さんが声をかける。
「ただいま」
「体冷えたでしょ。お風呂入れるから、一番に入ってらっしゃい」
「ん、分かった」
今日は七時間目が自習だったので、予習は終わらせてきた。部屋着に着替えてこたつにもぐりこもうとしたが、先にくつろいでいた父さんを見ると、小学生の頃にはずいぶんなじみ深かったが、最近ではあまり覚えがなかった感情がちょっとだけ沸いた。
「そりゃ」
「うわ、冷たっ!」
無防備にさらされた首筋に冷え切った指先を当てれば、父さんはびっくりして肩をすくめる。
「えっ、何。氷?」
「いや、俺の手」
「なんで首に?」
「なんかやりたくなった」
ええ……と困惑する父さんにうめずがすり寄る。父さんはうめずに抱き着くような恰好をしながら、うめずに話しかける。
「なー、うめず。ひどいよなあ」
「くぅん?」
「何やってるの」
と、そこに楽しそうに笑う母さんが来た。俺は父さんに触れなかった方の手を差し出す。
「手、冷たいって話」
「あら……わ、冷たい!」
外から帰ってくるといつもそうだ。冷えやすいのだろうか。つま先もなかなかに冷えている。母さんはしばらく俺の指先をこすっていた。
「もー、そろそろお風呂入るから。行ってらっしゃい」
「はーい」
揚げたてのからあげは、どんなに腹がいっぱいでも腹の虫を呼び起こす。空腹ならなおさら、虫たちは大暴れだ。
「はい、約束通りからあげ」
「ありがとうございます」
山盛りのからあげ。ジュワジュワといい音を立てている。
これは心して食わねば。
「いただきます」
今日はもも肉も胸肉もあるらしい。まずはもも肉から。
カリッと熱々の衣、香ばしい。ジュワッとはじけるように脂が口の中に広がる。醤油の香りとニンニクの風味がたまらない。そこを白米で追いかけるともう最高だ。しかも今日は生のレモンが準備されている。絞るとさっぱりしてまたよし。香りがいいな。
「野菜もあるよ」
「ん、もらう」
シンプルなサラダ菜は、マヨネーズで食べるのがいい。
そして胸肉。こっちはややさっぱりしているが、ジューシーさはもも肉に引けを取らない。皮はあまりないが、肉のうま味と噛み応えは十分だ。
あ、これサラダ菜で巻いて食ってみよう。
シャキッとした食感に次いで肉の噛み応え、野菜の味でよりからあげのうま味が際立つようだ。これはおいしい。
ふと考える。きょうだいがいたら最後の一個とか取り合いになるのかなあ。兄だからとか、弟だからとかで相手に譲らなきゃいけないとか。
……俺には無理そうだ。自分の食いたいものを我慢する、少なくとも今の俺にはできそうもない。
「余ったら明日の朝にと思ってたけど、この様子だとなくなりそうね」
「まあ、食欲があるのはいいことだよ」
そう言って父さんと母さんも、今日はご飯でからあげを食べている。
「今日はお酒飲まないんだ」
「いつも春都がご飯でおいしそうに食べてるからなあ」
「ね」
おいしそうに見えるんじゃなくて、実際においしいのだから仕方ない。
毎日でも食べたいと思うほどだ。願わくば、いつまでも食べたいものだな。
「ごちそうさまでした」
十一月にもなれば太陽が昇るのもずいぶん遅くなる。そしてその分、空気も冷たい。しかしまあ、ほんの数分も空から目を離していると嘘のように空気は明るく染め上げられるのだ。きれいだとか、明るくなってきたなあとか思う間もなく世界は朝に変わる。
「気を付けてね」
「うん、いってきます」
「行ってらっしゃい」
通学路を歩いている途中、ふと空を見上げてみる。目を凝らせばまだ星が瞬いているのが見えた。ぽっかりと浮かぶ月は白く、薄い紫紺の空に穴をあけているようだ。
「お、太陽」
顔を出した、いや、額をのぞかせた太陽は妙にまぶしい。
この時期に夜と朝が切り替わるその瞬間を見ることができるとなんかうれしい。昨日までのいろんなことがたゆたう空気をさあっと洗い流すような夜明けが、俺は好きだ。
「一条、おはよ~」
校門を過ぎたころ、眠そうな声でそう後ろから話しかけてきたのは百瀬だ。声だけでなく、表情もどことなくぽやんとしている。
「おう、おはよう」
百瀬が隣に並ぶまで少し歩調を緩める。
「眠そうだな」
「バスでつい、うとうとしちゃってさ~」
隣に並んで、いつも通りの速度で歩く。ふわあ……っと控えめにあくびをする百瀬に聞く。
「自転車じゃないのか」
「ん~、たまにはねえ」
そういやこないだも朝比奈とバス停の方向から歩いてきてたな。
「ていうか、妹に取られたんだよね。自転車」
「まじか」
「なんか最近まで歩いていってたくせに、急に乗るって言いだして。自分のもあるのにさあ、電動の方が軽いからって。中学校まで片道十分もない、平坦な道だよ?」
「きょうだいって大変なんだなあ」
一人っ子はきょうだいにあこがれ、きょうだいがいるやつは一人っ子にあこがれる、と聞いたことがある。俺はあまり、きょうだいにあこがれた記憶はないし今でも思わないが。
年上は年下のために我慢しなければいけないとか、年下は年上のおさがりを甘んじて受け入れなければいけないとか……俺にはそれぐらいしか思いつかないが、それぞれのきょうだいごとに悩みは尽きないのだなあと思う。
しかしそんな心配をよそに、百瀬はいたずらっぽく笑った。
「まあでも、やられっぱなしは性に合わないからさ。極力、妹が家を出る前に学校行くようにしてる。で、特に寒い日だけちょっと遅く行くようにしてんだ」
なるほど、兄は兄で強からしい。
「もしけんかになったらどうすんだ?」
「そこはまあ、言葉は尽くすけど。分かり合えないことも多いから」
ね? とにっこり笑いかけてくるが、それをなんだか怖いと思うのは俺だけだろうか。
「実力行使もいとわない、ってことか」
「戦場だよ。あ、でも弟とはあんまけんかしないなあ」
「そんなもんか」
「妹二人……弟にとっては姉と妹になるけど、二人がなかなかだからね。いがみ合ってる暇ないよ」
なんとなく感じていた、百瀬の妙にあきらめが早そうで、その実、譲らないところは譲らないその性格は、きょうだいとの歴戦の証なのかもしれない。
なんとなく、そう思ったのだった。
「ただいまー」
玄関を見れば、一つ靴が増えている。
「わふっ」
「おかえり、寒かっただろう」
うめずとともに迎えに来たのは父さんだ。
「あ、父さんもおかえり。うん、だいぶ冷えてきた」
「体調はもういいのか?」
「完全復活」
と、ピースサインをして見せると、父さんは安心したよう笑って頷いた。
居間に入ると、それはもう暖かくて一瞬で睡魔が襲ってくるようだった。
「おかえりなさい」
ちょうど台所から出てきた母さんが声をかける。
「ただいま」
「体冷えたでしょ。お風呂入れるから、一番に入ってらっしゃい」
「ん、分かった」
今日は七時間目が自習だったので、予習は終わらせてきた。部屋着に着替えてこたつにもぐりこもうとしたが、先にくつろいでいた父さんを見ると、小学生の頃にはずいぶんなじみ深かったが、最近ではあまり覚えがなかった感情がちょっとだけ沸いた。
「そりゃ」
「うわ、冷たっ!」
無防備にさらされた首筋に冷え切った指先を当てれば、父さんはびっくりして肩をすくめる。
「えっ、何。氷?」
「いや、俺の手」
「なんで首に?」
「なんかやりたくなった」
ええ……と困惑する父さんにうめずがすり寄る。父さんはうめずに抱き着くような恰好をしながら、うめずに話しかける。
「なー、うめず。ひどいよなあ」
「くぅん?」
「何やってるの」
と、そこに楽しそうに笑う母さんが来た。俺は父さんに触れなかった方の手を差し出す。
「手、冷たいって話」
「あら……わ、冷たい!」
外から帰ってくるといつもそうだ。冷えやすいのだろうか。つま先もなかなかに冷えている。母さんはしばらく俺の指先をこすっていた。
「もー、そろそろお風呂入るから。行ってらっしゃい」
「はーい」
揚げたてのからあげは、どんなに腹がいっぱいでも腹の虫を呼び起こす。空腹ならなおさら、虫たちは大暴れだ。
「はい、約束通りからあげ」
「ありがとうございます」
山盛りのからあげ。ジュワジュワといい音を立てている。
これは心して食わねば。
「いただきます」
今日はもも肉も胸肉もあるらしい。まずはもも肉から。
カリッと熱々の衣、香ばしい。ジュワッとはじけるように脂が口の中に広がる。醤油の香りとニンニクの風味がたまらない。そこを白米で追いかけるともう最高だ。しかも今日は生のレモンが準備されている。絞るとさっぱりしてまたよし。香りがいいな。
「野菜もあるよ」
「ん、もらう」
シンプルなサラダ菜は、マヨネーズで食べるのがいい。
そして胸肉。こっちはややさっぱりしているが、ジューシーさはもも肉に引けを取らない。皮はあまりないが、肉のうま味と噛み応えは十分だ。
あ、これサラダ菜で巻いて食ってみよう。
シャキッとした食感に次いで肉の噛み応え、野菜の味でよりからあげのうま味が際立つようだ。これはおいしい。
ふと考える。きょうだいがいたら最後の一個とか取り合いになるのかなあ。兄だからとか、弟だからとかで相手に譲らなきゃいけないとか。
……俺には無理そうだ。自分の食いたいものを我慢する、少なくとも今の俺にはできそうもない。
「余ったら明日の朝にと思ってたけど、この様子だとなくなりそうね」
「まあ、食欲があるのはいいことだよ」
そう言って父さんと母さんも、今日はご飯でからあげを食べている。
「今日はお酒飲まないんだ」
「いつも春都がご飯でおいしそうに食べてるからなあ」
「ね」
おいしそうに見えるんじゃなくて、実際においしいのだから仕方ない。
毎日でも食べたいと思うほどだ。願わくば、いつまでも食べたいものだな。
「ごちそうさまでした」
14
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜
野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」
「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」
この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。
半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。
別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。
そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。
学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー
⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。
⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。
※表紙絵、挿絵はAI作成です。
※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

だってお義姉様が
砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。
ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると……
他サイトでも掲載中。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる