29 / 846
日常
第二十九話 ハヤシライス
しおりを挟む
ありとあらゆる食事にまつわる論争は、留まるところを知らない。
そもそも食事というのはあまねく生物に必要なものでありながら、案外おざなりにされがちなものでもある。そして、争いの火種となることも多々あるのだ。
食べ物の恨みは恐ろしい。そんな言葉があるくらいだ。
から揚げにレモンは必要か否か、ハンバーガーのピクルスは抜くか抜かないか、トッピングなんかのねぎはありかなしか、ショートケーキのイチゴは最初に食べるか最後に食べるか、酢豚のパイナップルは許せるかどうか――
例を挙げだせばきりがないが、今、俺が煮込んでいるものも、火種となりやすいものの一つといえるだろう。
時は遡ること数時間前。
例によって夏休みの午前課外が終わった後、咲良と廊下でだべっていたら百瀬が朝比奈を連れてやってきた。
「なーなー、お前らにも聞いてみていい?」
「なんだ」
百瀬はやけに真剣な顔をして聞いてきたものだ。
「カレーとハヤシライス、どっちが好きだ?」
その表情と質問内容の温度差に、思わず咲良と目を見合わせ、次いで朝比奈に視線を向けた。どうやら朝比奈もその質問をされたらしい。
「なんか、家族で意見が分かれたらしい」
百瀬は真剣な表情のまま、腕を組んでうなった。
「俺はどっちかっていうとハヤシライスが好きだけどさあ……うちの家族はカレー派が多いんだよ」
「あー……結構意見分かれるよな」
咲良は苦笑すると少し考えこんで口を開いた。
「俺はカレーが好きだな。俺、辛い方が好き」
「そっかあ……一条は?」
「俺? 俺は……」
どうだろう。食べる回数が多いのは圧倒的にカレーで、ハヤシライスを作ることは少ないかもしれない。だからといってハヤシライスが苦手とかいうわけではない。あの甘さがどうしても食べたい時がある。
「お前はどっちも好きだろ」
「いや、それはまあ……」
咲良に指摘され、そうだけど、と思わず口ごもる。
「学食にはハヤシライスってないよね、そういえば」
「あれ、なかったっけ?」
「あったような気もしなくもない」
「どっちだよ」
咲良と百瀬が二人してあーだこーだ話しているのを横目に、俺は荷物を背負いなおす。
「ハヤシライスは日替わりで出たことあるだろ」
「覚えてんのか?」
朝比奈が少し驚いたように聞くので、俺は首を横に振って否定の意を示す。
「いや、クラスのやつがさ、カレー頼んだのにハヤシライスが出てきたって騒いでたから。たまたまな」
「なるほど」
俺の言葉を聞いて、朝比奈はふと思いついたように言った。
「そういや、カレーうどんはあるけど、ハヤシうどん? みたいなのは聞いたことないな」
「あー、それもそうだな」
ハヤシうどん、確かに見たことはない。世界は広いし、どこかしらにはあるのかもしれないけれど。
「それこそ、ハヤシライスの日にカレーうどん頼んだら出てきたかも」
朝比奈が真顔で言うものだから、俺も真剣に味を想像してしまう。
「カレーのつもりで食ったらびっくりするかもしれないが、案外うまいかもな」
「うどんよりスパゲッティの方が合いそう」
「分かる。てかそんな料理なかったっけ?」
「あったような気もする」
そんな話をしていたら食いたくなってきたじゃないか、ハヤシライス。
うーん、ハヤシライスって、牛肉だったよな。うち、豚肉しかないんだけど、作れるかなあ。
というわけで、今に至る、というわけだ。
帰りにハヤシライスのルーを買った。箱の裏の作り方を見ると『豚肉でもおいしく作れます』と書いてある。よかったよかった。
肉や魚なんかが安くなるのは夕方からで、昼間はあまり安くならない。課外は午前中にあるし、帰りに買い物に行っても特売品以外は安くない。かといって、一度家に帰って、べらぼうに暑い夕方にまた買い物に行くのもしんどい。よっぽどのことがない限り外には出ない。だから牛肉もめったに口に入らない。
さて、ハヤシライスの具材はシンプルに玉ねぎと肉のみ。マッシュルームとかブロッコリーとか入れてもいいらしいけどな。
玉ねぎは薄すぎず厚すぎずといった程度に切る。肉は細切れなのでそのままで良し。
ハヤシライスはフライパンで作る。
まずは玉ねぎを炒める。玉ねぎが透き通るぐらい、あめ色になる一歩手前か、あるいは片足突っ込んだぐらいになったらオッケーだ。それにしても、あめ色になっていく玉ねぎって、見ていて飽きない。なんだかワクワクするというか、うまくあめ色になると嬉しい。
そしたらそこに豚肉を投入する。火が通ってきたら水を入れる。
あくを取ったらルーを入れる。かたまりが残らないようにしっかり溶かし、後は煮込んで完成だ。
うどんもスパゲッティも気になるが、今日はご飯で食べることにする。
「いただきます」
煮込んでいるときから感じてはいたが、トマトの香りが結構する。口に含めばそれがより一層際立った。ルーのとろりとした口当たりを味わっていれば、ハヤシライス特有の甘さが鼻に抜ける。
玉ねぎも程よく食感が残っていていい。甘さが加わってコクが増す。
ご飯が甘いことを許せるか否かも、結構意見が分かれるよな。ちなみに俺はおいしくて、食べ物を粗末にしていなければ、甘くても甘くなくてもいい。
毎日毎日、何が食べたいかは変わるものだ。一日のうちにだって目まぐるしく変わることもある。朝のうちに「今日はこれだ!」って決めていたとしても、その日に起きた事とか、気分の変わり具合とか、天気とか、冷蔵庫の中身とかで変わることもある。俺なんてしょっちゅうだ。
だからあれだ。カレーの気分の日もあれば、ハヤシライスの気分の日もあるってことだ。
好き嫌いは分かれるだろうけど、それは当然のことだし、押し付けるものでもないし、誰かと一緒である必要もないし……。
いろいろ難しく考えすぎたな。
カレーライスも、ハヤシライスも、それぞれに良さがあるってもんだ。俺はどっちかなんて選べない。
少なくとも今日、俺は、ハヤシライスが食えて満足だ。
「ごちそうさまでした」
そもそも食事というのはあまねく生物に必要なものでありながら、案外おざなりにされがちなものでもある。そして、争いの火種となることも多々あるのだ。
食べ物の恨みは恐ろしい。そんな言葉があるくらいだ。
から揚げにレモンは必要か否か、ハンバーガーのピクルスは抜くか抜かないか、トッピングなんかのねぎはありかなしか、ショートケーキのイチゴは最初に食べるか最後に食べるか、酢豚のパイナップルは許せるかどうか――
例を挙げだせばきりがないが、今、俺が煮込んでいるものも、火種となりやすいものの一つといえるだろう。
時は遡ること数時間前。
例によって夏休みの午前課外が終わった後、咲良と廊下でだべっていたら百瀬が朝比奈を連れてやってきた。
「なーなー、お前らにも聞いてみていい?」
「なんだ」
百瀬はやけに真剣な顔をして聞いてきたものだ。
「カレーとハヤシライス、どっちが好きだ?」
その表情と質問内容の温度差に、思わず咲良と目を見合わせ、次いで朝比奈に視線を向けた。どうやら朝比奈もその質問をされたらしい。
「なんか、家族で意見が分かれたらしい」
百瀬は真剣な表情のまま、腕を組んでうなった。
「俺はどっちかっていうとハヤシライスが好きだけどさあ……うちの家族はカレー派が多いんだよ」
「あー……結構意見分かれるよな」
咲良は苦笑すると少し考えこんで口を開いた。
「俺はカレーが好きだな。俺、辛い方が好き」
「そっかあ……一条は?」
「俺? 俺は……」
どうだろう。食べる回数が多いのは圧倒的にカレーで、ハヤシライスを作ることは少ないかもしれない。だからといってハヤシライスが苦手とかいうわけではない。あの甘さがどうしても食べたい時がある。
「お前はどっちも好きだろ」
「いや、それはまあ……」
咲良に指摘され、そうだけど、と思わず口ごもる。
「学食にはハヤシライスってないよね、そういえば」
「あれ、なかったっけ?」
「あったような気もしなくもない」
「どっちだよ」
咲良と百瀬が二人してあーだこーだ話しているのを横目に、俺は荷物を背負いなおす。
「ハヤシライスは日替わりで出たことあるだろ」
「覚えてんのか?」
朝比奈が少し驚いたように聞くので、俺は首を横に振って否定の意を示す。
「いや、クラスのやつがさ、カレー頼んだのにハヤシライスが出てきたって騒いでたから。たまたまな」
「なるほど」
俺の言葉を聞いて、朝比奈はふと思いついたように言った。
「そういや、カレーうどんはあるけど、ハヤシうどん? みたいなのは聞いたことないな」
「あー、それもそうだな」
ハヤシうどん、確かに見たことはない。世界は広いし、どこかしらにはあるのかもしれないけれど。
「それこそ、ハヤシライスの日にカレーうどん頼んだら出てきたかも」
朝比奈が真顔で言うものだから、俺も真剣に味を想像してしまう。
「カレーのつもりで食ったらびっくりするかもしれないが、案外うまいかもな」
「うどんよりスパゲッティの方が合いそう」
「分かる。てかそんな料理なかったっけ?」
「あったような気もする」
そんな話をしていたら食いたくなってきたじゃないか、ハヤシライス。
うーん、ハヤシライスって、牛肉だったよな。うち、豚肉しかないんだけど、作れるかなあ。
というわけで、今に至る、というわけだ。
帰りにハヤシライスのルーを買った。箱の裏の作り方を見ると『豚肉でもおいしく作れます』と書いてある。よかったよかった。
肉や魚なんかが安くなるのは夕方からで、昼間はあまり安くならない。課外は午前中にあるし、帰りに買い物に行っても特売品以外は安くない。かといって、一度家に帰って、べらぼうに暑い夕方にまた買い物に行くのもしんどい。よっぽどのことがない限り外には出ない。だから牛肉もめったに口に入らない。
さて、ハヤシライスの具材はシンプルに玉ねぎと肉のみ。マッシュルームとかブロッコリーとか入れてもいいらしいけどな。
玉ねぎは薄すぎず厚すぎずといった程度に切る。肉は細切れなのでそのままで良し。
ハヤシライスはフライパンで作る。
まずは玉ねぎを炒める。玉ねぎが透き通るぐらい、あめ色になる一歩手前か、あるいは片足突っ込んだぐらいになったらオッケーだ。それにしても、あめ色になっていく玉ねぎって、見ていて飽きない。なんだかワクワクするというか、うまくあめ色になると嬉しい。
そしたらそこに豚肉を投入する。火が通ってきたら水を入れる。
あくを取ったらルーを入れる。かたまりが残らないようにしっかり溶かし、後は煮込んで完成だ。
うどんもスパゲッティも気になるが、今日はご飯で食べることにする。
「いただきます」
煮込んでいるときから感じてはいたが、トマトの香りが結構する。口に含めばそれがより一層際立った。ルーのとろりとした口当たりを味わっていれば、ハヤシライス特有の甘さが鼻に抜ける。
玉ねぎも程よく食感が残っていていい。甘さが加わってコクが増す。
ご飯が甘いことを許せるか否かも、結構意見が分かれるよな。ちなみに俺はおいしくて、食べ物を粗末にしていなければ、甘くても甘くなくてもいい。
毎日毎日、何が食べたいかは変わるものだ。一日のうちにだって目まぐるしく変わることもある。朝のうちに「今日はこれだ!」って決めていたとしても、その日に起きた事とか、気分の変わり具合とか、天気とか、冷蔵庫の中身とかで変わることもある。俺なんてしょっちゅうだ。
だからあれだ。カレーの気分の日もあれば、ハヤシライスの気分の日もあるってことだ。
好き嫌いは分かれるだろうけど、それは当然のことだし、押し付けるものでもないし、誰かと一緒である必要もないし……。
いろいろ難しく考えすぎたな。
カレーライスも、ハヤシライスも、それぞれに良さがあるってもんだ。俺はどっちかなんて選べない。
少なくとも今日、俺は、ハヤシライスが食えて満足だ。
「ごちそうさまでした」
26
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――
お父様、ざまあの時間です
佐崎咲
恋愛
義母と義姉に虐げられてきた私、ユミリア=ミストーク。
父は義母と義姉の所業を知っていながら放置。
ねえ。どう考えても不貞を働いたお父様が一番悪くない?
義母と義姉は置いといて、とにかくお父様、おまえだ!
私が幼い頃からあたためてきた『ざまあ』、今こそ発動してやんよ!
※無断転載・複写はお断りいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる