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epilogueー未来の途中ー

epilogue 3

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 その声に振り返ると、そこにはつい先ほどまで壇上にいた創介さんが立っていた。

「――今日は、このまま帰宅する。構わないな?」
「スケジュール調整は済んでおりますので、問題ございません。その分また、明日からたっぷりと働いていただきますので」

創介さんの秘書の坂上さんが、仰々しく頭を下げながらそんなことを言うものだからくすっとしてしまった。坂上さんは、創介さんよりも年上のベテラン秘書さんだ。本社の中では常に若い幹部だった創介さんを支えて来てくれた方だ。

「坂上には逆らえないからな」
「とんでもございません。私は、社長の仰せのままにさせていただくだけです。奥様――」
「は、はい」

突然、坂上さんが私の方へと身体を向けたので改まる。

「本日は、奥様への感謝の気持ちを表したいということで、かなり前から一日空けるように仰せつかっておりました。ですので、余計なお気遣いはなさらず、存分に社長から感謝されてください。それが、私の仕事でもありますので」
「お、おいっ。あなたがそれを言ってしまったら、カッコ悪いじゃないか」

何も知らないでいた私は、ただ創介さんを見上げた。

「何を今さら。社長の愛妻家ぶりを知らない人間はいないんです。奥様なら当然、想像されていますよ。そうでいらっしゃいますよね、奥様」
「えっ? 私は、何も……、ついさっき娘の真白に言われて、驚いていたんです」

本当に、そんなこと想像すらしていなかった。

「まったく、社長も社長なら奥様も奥様でいらっしゃる。こちらが気恥ずかしくなってしまいます。さあさあ、本日の社長の業務は一切ございませんので、さっさとお帰りくださいませ」
「本当に、坂上には敵わないな。じゃあ、坂上の仕事の邪魔になってもいけないから、行こうか」
「え……? は、はい――すみません、坂上さん」

創介さんが私の隣に立ち、苦笑する。私は、ただただ恐縮して頭を下げた。

「いえいえ、奥様との時間が社長の仕事への活力になることは存じておりますので」

もう、何でも知っている坂上さんにただただ恥ずかしくなる。


 創介さんに促されて会場を出てから、創介さんの腕を引っ張った。

「……ねぇ、創介さん。本当に今日、大丈夫なんですか? 私、何も気付かなくて」
「気付かれないように裏でこそこそしていたんだから、当然だろ? 今日一日くらい、大丈夫だと坂上も言っていただろ。それに――」

私に向き合うように立って、創介さんが私の頬に指で触れた。

「この日は、俺だけが特別な日なのか? 違うだろ。俺とおまえにとって、特別な日だ」

創介さんも、昔のことを覚えていてくれたんだ。

涙を流して二人で苦しんだ時のこと。そして、創介さんが私にくれた言葉――。

会場から、次々と集まっていた人たちが出て来る。

「こんなところで見つめ合っていても、人目につくだけだぞ? 恥ずかしがり屋の俺の奥さんは耐えられないだろう。おまえは何も考えずに、俺に付いて来い」
「は、はいっ」

人の群れに紛れる前に、創介さんが私の腕を引いた。私は目の前にある創介さんの背中を見つめる。いつも、その背中を見るとドキドキとして来た。広くて大きな背中。いつだって、その背中に守られて来た。



「ここ、久しぶりに来ました――」

創介さんに連れて来られたのは、結婚したばかりの頃に二人で来た、本社最上階にある展望室だった。社長室のちょうど上にあるのだと教えてくれた。先ほどの賑わいが嘘のように、ここには私たち以外誰一人いない。

「ここに来た日のこと、覚えてるか?」
「もちろんです。あなたが、私のために連れて来てくれた場所です」

あの時、一番私が苦しかった時。

「――俺はあの日、絶対に社長になろうと決めたんだ。雪野が、社長になろうがなれなかろうが関係ないと言ってくれたから。ただ、俺がいいんだって言ってくれたからな。もしなれなかったとしても、ずっと隣にいるって言ってくれただろ?」

私の腰を抱き寄せて、創介さんが笑う。

「確か、『しょうがない人ね』って言ってくれればそれでいいって、創介さんが言いましたね。でも、そんな必要なかった」

ふふっと笑うと、創介さんの大きな手のひらが私の頬を包んだ。

「雪野と一緒に目指した目標だからな。おまえと俺とで到達した場所だってこと、忘れるなよ」
「私は、何も。創介さんが、誰よりも頑張ったから――んっ」

私の言葉を遮るように、突然、創介さんの唇で塞がれる。

「相変わらずの分からずやだな。そういう口は塞ぐぞ」
「塞ぐぞって、もう塞いだじゃないですかっ!」

まさか、こんな場所でこんなことをされるとは思わなかった。

「人に見られたら、どうするんですか?」
「そうだな。ここは一般開放されている場所だ。そろそろスタッフが出勤して来る頃か」
「創介さんっ!」

慌てふためく私の腰を、より強く引き寄せるから、恨めしく創介さんを見上げた。

「恥ずかしいなら、ちゃんと認めろよ。おまえが努力して来たこと。俺が、どれだけ雪野に感謝しているかってこと。そうしたら、すぐにここから連れ出してやるから」

春の陽の光で溢れる展望室で、創介さんが、時おり私に見せる意地悪な表情をした。その表情は、今も昔も全然変わらない。

「……創介さんがいたから、頑張れたの。創介さんがいつも私を助けてくれたから」

創介さんの優しさに、心が温かくなって行く。仕事を辞めて、創介さんの側で生きて来ただけの私を、意味あるものにしてくれて。私にも同じ価値を与えてくれたのだ。

「よくできました。ではご褒美に、奥様、デートしませんか?」

少しだけ皺のある目尻を下げて、私を見つめる。

「はい」

創介さんが、私の手を握りしめる。そして地上へと下りて行くエレベーターに乗り込む時、立て看板が目に入った。

”展望室 定休日 火曜日”

人なんて、来るはずなかったのだ。知らんふりしている創介さんに、心の中でもうただただ笑うしかない。
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