124 / 196
第二部
欲しいのは、ただ一人の愛おしい人【side:創介】 15
しおりを挟むこの日は、久しぶりの、二人でゆっくりできる土曜の夜だ。俺と入れ替わるように風呂に入っている雪野を待っていた。
そう言えば――。
鞄の中にある土産物の存在を思い出して、寝室へと向かう。仕事用の鞄の中から袋を一つ取り出す。
出張報告を終えた後、一人の若手社員が俺のもとに戻って来た。
『常務、よろしければこれをどうぞ……』
そう言って差し出されたものを手に取り、渡された袋のものを確かめる。
『これ……。どうして?』
不思議に思いその社員の顔をまじまじと見つめてしまった。
『はい。出張の期間中、バンコクの街中で常務がそれをじっと見ているのをたまたま見かけまして。失礼かもしれませんが、常務が欲しいと思うようなものではないと思い、もしかしたら奥様へのお土産にしようとされていたのかなと』
まったくその通りで。雪野への土産にしようと、街に食事に出た帰りに見ては何色にしようかと悩んでいた。それは、以前も一度雪野に買って帰った、タイシルクで出来ている小さな象のぬいぐるみ。雪野は、今ではそれを寝室の自分のチェストの上に飾っている。
――一頭だと寂しそう。二つ並べられたらいいな。
そう呟いていたのを思い出して、探していたのだ。でも、急遽帰国することにしたから、結局買うことが出来なかった。
『深夜まで仕事に追われ早朝の便で帰国されていたので、買う暇がなかったんじゃないかと思いまして。よろしければ、どうぞ』
『いいのか……?』
『もちろんです』
何も買わずにすっ飛んで帰って来た。だから、これは非常にありがたい。
『ありがとう』
雪野もきっと喜ぶだろう。そう思うと自然と口元も緩んだ。
『やはり、奥様へのお土産にされるつもりだったんですか?』
居心地が悪くなるほどのニヤついた笑みを、俺に向けて来た。
『そうだ。以前買って帰った時、えらく喜んでいたからな。他に土産なんて何を選んだらいいのかもよく分からないし』
『やはりそうだったんですね。実は、出張メンバーで密かに話していたんです』
手のひらの象からその社員に視線を移す。
『常務は、絶対奥様には甘いだろうって』
『どうして――』
『食事を御一緒した時、我々が奥様のことをお聞きして、それに答えてくださった時の常務の顔が、仕事の時の顔と全然違ったからです』
そんなところを見られているとは、気恥しい。
一体俺はどんな顔をしてるんだ――。
今更手遅れなのに、無意味に顔をしかめてみる。
『仕事に厳しい常務にあんな表情をさせる奥様はどんな方なのだろうと、勝手に盛り上がっておりました。ぜひお会いしてみたいな、なんて――』
『すみませんが』
そこに神原が現れて、目の前の社員が口を閉じた。
『常務もお忙しいので、そろそろよろしいでしょうか?』
じろりと睨むように見られて、『お忙しいところ長居してすみませんでした』と飛んで帰って行った。
『……まったく、ここの社員は、一体どういう感覚をしているのでしょうか。常務に対して平社員があんなにも馴れ馴れしい態度を取るなんて。本社では考えられないことです』
出て行った扉を見ながら、神原が溜息を吐いた。
『まあ、本社とこことでは組織の規模も社員の数も全然違うからな。距離感も違って当然だろう』
俺としては、そんなことよりも、この手のひらにある象のことばかりに意識が向いていた。雪野を笑わせてやることのできるものを手に入れた。
――というわけで、ここにタイシルクの象がある。
雪野が既に持っているのはパステルカラーのもの。そして、今回新たに手に入れたものは、原色の青、真っ青な象。
喜ぶだろうか――。
「創介さん、寝室にいたんですね」
一人頭の中でぐるぐると考えていると、雪野の声がした。パジャマ姿の雪野が、俺の方へと近付いて来る。こんなところで突っ立ていた俺を不思議に思ったのか、見上げるように様子をうかがって来た。
「どうしたんですか?」
「――これ、タイの土産だ」
「え? 出張のですか……?」
さっと象を戻しておいた紙袋を雪野に手渡す。その紙袋を受け取っても、雪野は目をぱちくりとさせている。まあ、不思議に思うのも仕方がない。出張土産と言いながら、帰国してから一週間も経っているのだから。
「実は、今日タイから戻って来た部下が、気を利かせて買って来てくれたものなんだ」
「創介さんの部下の方が……?」
雪野が紙袋から中身を取り出す。そして、俺を見上げて目を輝かせた。
「創介さん、これ! タイシルクの象です。前に、創介さんが買って来てくれたもの。私、もう一つ欲しいと思ってたの!」
「そうだろう? だから、俺が――」
「部下の方、わざわざこれを選んで買って来てくれたなんて。どうしてこれを選んでくれたんでしょう? 本当に嬉しい」
「いや、だから、そもそも俺が選んでいたのを、俺の部下が見ていて――」
「ねえ、創介さん!」
「あ、ああ、なんだ?」
ここ数週間見たことがないほどの笑顔で。興奮して、雪野がはしゃいだように俺を呼んだ。
「その方に、お礼をしないと」
「いや、だから――」
雪野は、少し何かを勘違いしているみたいだ。でも、それを正す隙さえ与えないほどに喜んでいて、どうしたものかと右往左往している間に雪野が自分のチェストへと駈け出した。そして、飾ってあったパステルカラーの象の隣に、この新しい真っ青な像を並べて置いていた。
「こうやって並べたかったの。ほら、二頭が仲良く一緒にいるみたいでしょう? 可愛いなぁ……」
そう呟く雪野の背中をなんとも言えない気持ちで見つめる。
「本当に、可愛い。やっぱり、一頭より二頭の方がいいよね」
瞳を弓なりにする、雪野が笑う時の顔。その顔で俺に振り返る。そんな雪野を見ていたら、いい大人が持つ感情だとは思えない感情が沸々と込み上げて来た。
その笑顔は、本当なら俺に向けられるはずだったものなのに。
でもこの笑みは、間違いなく、買って来た部下に対してのもので――。
「ねえ、創介さん。その方に、お礼してくださった? もししていなら、私が何かお礼を用意――」
お礼だって――?
お礼ってなんだ。
あの男性社員に、雪野がお礼――。
これを買って来た部下は、年は確か二十四、五だったか。顔は……そこそこいい男だった。俺とは正反対の毒気なんてまったく感じられない爽やかな好青年と言ったところか。あの部下の笑顔を思い浮かべる。
だめだ。絶対にだめだ――。
「ねえ、創介さん、聞いてますか――んっ」
振り向く雪野を力づくで抱きしめ、そのまま唇を塞いだ。
「ど、どうしたの? なんですか?」
身体は抱き留めたまま唇を離すと、雪野が驚いたように目を見開いていた。
「これは俺が選んでいたもので、本当なら俺が買って来るはずのものだったんだ。それを部下が代わりに買って来た。そういうことだ。代わりに買って来てもらった礼は俺からしておく。雪野が考えることじゃない!」
一息にそう告げると、今度は唖然としたように俺を見つめている。
「ご、ごめんなさい……」
その視線が、痛い。どうしようもないほどに大人げない。雪野もきっとそう思っていることだろう。
雪野が誰か他の男のことで嬉しそうに笑っているのかと思うと居ても立ってもいられなくなって、こんなことを口走っている。情けなくて、本当にどうしようもない。
働いている雪野が、常日頃から他の男と関わっていることは分かっている。でも、そのことについては敢えて考えないようにしていた。俺の知らないところでのこと。考え始めたら泥沼だと分かっていたからだ。
でも、俺の部下は、現実の人物として俺の前にいるわけで。嫌でも映像として浮かび上がってしまう。本当に、俺はどうしようもないバカだと思う。つい一時間ほど前に、『不安に打ち勝てるように強くならないと』と思ったばかりではないか。雪野に会わせたこともない部下相手に、こんなに取り乱すなんて。不安に打ち勝つどころか、不安に溺れている。
「……雪野、悪かった。くだらないことでムキになって」
雪野の身体からそっと手を離し、ベッドに腰掛ける。
こんなことでは、本当に雪野に愛想を尽かされる……。
――まるで、独占欲丸出しの男だな。みっともないぞー。
木村に言われた言葉がまざまざと思い出される。
本当に、いい年をした男がみっともない。
「……創介さん」
項垂れて腰掛ける俺の隣に、雪野が腰を下ろした。
「ごめんね」
「いや、俺が悪かった。雪野も呆れただろう?」
俺は苦笑するしかなくて、そう雪野に言った。
「ううん。私の方こそ、ちゃんと話も聞かずに勝手にはしゃいじゃって、ごめんなさい」
俺の肩に雪野が頭をもたれさせる。
そして、そっと俺の腕に触れた。
「創介さんが、私が言ったことを覚えていてくれたこと、嬉しいです」
雪野の腕が俺の腕に回されて、そこに雪野が身体を寄せる。
「……そうか」
慰められてる――?
そう思えばまた、複雑な感情になるけれど、雪野の温もりを感じて少し安堵もする。
「うん。凄く、嬉しい」
「確かに、あの象を見たおまえは、本当に嬉しそうだった。雪野を笑顔にできたんだから、部下に、感謝しないとな……」
雪野のことになると、それも男が絡むと、まともな思考が出来なくなる。落ち着いて考えれば、感謝こそすれ嫉妬するところじゃないと分かるのに。
雪野が触れてくれている方とは反対の腕をあげ、雪野の髪を撫でた。そうしたら、雪野が俺の腕に寄せていた顔を上げ、見上げて来た。
「そうすけ、さん……」
「ん?」
間近にある雪野の顔。その唇が、俺の名前を呼ぶ形に動く。見上げる目に、熱が灯る。
0
お気に入りに追加
479
あなたにおすすめの小説
ヴィスタリア帝国の花嫁 〜婚約破棄された小国の公爵令嬢は帝国の皇子に溺愛される〜
夕凪ゆな@コミカライズ連載中
恋愛
大陸の西の果てにあるスフィア王国。
その国の公爵家令嬢エリスは、王太子の婚約者だった。
だがある日、エリスは姦通の罪を着せられ婚約破棄されてしまう。
そんなエリスに追い打ちをかけるように、王宮からとある命が下る。
それはなんと、ヴィスタリア帝国の悪名高き第三皇子アレクシスの元に嫁げという内容だった。
結婚式も終わり、その日の初夜、エリスはアレクシスから告げられる。
「お前を抱くのはそれが果たすべき義務だからだ。俺はこの先もずっと、お前を愛するつもりはない」と。
だがその宣言とは違い、アレクシスの様子は何だか優しくて――?
【アルファポリス先行公開】
虐げていた姉を身代わりに嫁がせようとしましたが、やっぱりわたしが結婚することになりました
りつ
恋愛
ミランダは不遇な立場に置かれた異母姉のジュスティーヌを助けるため、わざと我儘な王女――悪女を演じていた。
やがて自分の嫁ぎ先にジュスティーヌを身代わりとして差し出すことを思いつく。結婚相手の国王ディオンならば、きっと姉を幸せにしてくれると思ったから。
しかし姉は初恋の護衛騎士に純潔を捧げてしまい、ミランダが嫁ぐことになる。姉を虐めていた噂のある自分をディオンは嫌悪し、愛さないと思っていたが――
※他サイトにも掲載しています
契約書は婚姻届
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「契約続行はお嬢さんと私の結婚が、条件です」
突然、降って湧いた結婚の話。
しかも、父親の工場と引き替えに。
「この条件がのめない場合は当初の予定通り、契約は打ち切りということで」
突きつけられる契約書という名の婚姻届。
父親の工場を救えるのは自分ひとり。
「わかりました。
あなたと結婚します」
はじまった契約結婚生活があまー……いはずがない!?
若園朋香、26歳
ごくごく普通の、町工場の社長の娘
×
押部尚一郎、36歳
日本屈指の医療グループ、オシベの御曹司
さらに
自分もグループ会社のひとつの社長
さらに
ドイツ人ハーフの金髪碧眼銀縁眼鏡
そして
極度の溺愛体質??
******
表紙は瀬木尚史@相沢蒼依さん(Twitter@tonaoto4)から。
もう一度あなたと?
キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として
働くわたしに、ある日王命が下った。
かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、
ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。
「え?もう一度あなたと?」
国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への
救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。
だって魅了に掛けられなくても、
あの人はわたしになんて興味はなかったもの。
しかもわたしは聞いてしまった。
とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。
OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。
どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。
完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。
生暖かい目で見ていただけると幸いです。
小説家になろうさんの方でも投稿しています。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
政略結婚した夫の愛人は私の専属メイドだったので離婚しようと思います
結城芙由奈
恋愛
浮気ですか?どうぞご自由にして下さい。私はここを去りますので
結婚式の前日、政略結婚相手は言った。「お前に永遠の愛は誓わない。何故ならそこに愛など存在しないのだから。」そして迎えた驚くべき結婚式と驚愕の事実。いいでしょう、それほど不本意な結婚ならば離婚してあげましょう。その代わり・・後で後悔しても知りませんよ?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載中
出来損ないの私は女神でした
碓氷 雪
恋愛
私は,生まれながら前世の記憶を持っている。前世でも出来損ないといわれいつも学校でも家でもいじめられ続けた私は、自殺した。そして前世の私は、13年間という生涯に幕を閉じた。この世界,乙女ゲームの世界に私は転生した。そしてその物語の悪役令嬢イリヤ・ペンドルトンだった。私は,その物語のエンドを変えるべく幼い頃から作法や剣術,乗馬,ダンスは、勿論の事座学,魔法学を頑張った。あと,前世では出来なかった家族に自分の事を認めて貰えるようにも頑張った。しかし,私の両親と姉に「なんて出来損ないなの!それでも私達の娘?」「嫌だわこんな出来損ないの妹!どうして貴女は、私の妹なの?」といわれ続け罵られた。そして,私が8歳になった時に転記がきたのだった‥。
そんな彼女の物語のです。どうか最後まで読んでいただけると嬉しいです。
始めらへんは、シリアスですがそのあとは普通のほのぼのスローライフです。
彼女の光と声を奪った俺が出来ること
jun
恋愛
アーリアが毒を飲んだと聞かされたのは、キャリーを抱いた翌日。
キャリーを好きだったわけではない。勝手に横にいただけだ。既に処女ではないから最後に抱いてくれと言われたから抱いただけだ。
気付けば婚約は解消されて、アーリアはいなくなり、愛妾と勝手に噂されたキャリーしか残らなかった。
*1日1話、12時投稿となります。初回だけ2話投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる