117 / 196
第二部
欲しいのは、ただ一人の愛おしい人【side:創介】 8
しおりを挟む「……どうして、ここに?」
雪野が、本社ビルのエントランス前に立ち、そびえたつビルを見上げた。
「このビルの最上階が、展望室になってる。行こうか」
「え、えっ? 私も入っていいんですか?」
「いいに決まってるだろ。おまえは、自分が誰だか分かっているのか?」
不安そうな表情を浮かべた雪野の手を引き、残業を終えて帰宅していく社員の波に逆らい社内へと入って行く。エントランスからエレベーターに乗り込み、最上階へと向かった。エレベーターが開いたと同時に、前方に都心の夜景が広がる。
「……すごい景色」
エレベーターを降りると、雪野が感嘆の声を漏らし立ち竦んだ。
「ほら、行こう」
そんな雪野の手を取り、ガラス張りになっている場所へと歩いて行く。その広いスペース見渡す限りがガラス窓で覆われていて、まるで自分が空に浮かんでいるかのようだ。
景色に見入る雪野のすぐ隣に立ち、二人並んできらめく夜景を見つめた。三十階から見下ろす夜景は、地上のものすべてを輝かせる。
「……綺麗ですね。以前創介さんが住んでいたマンションからの夜景も素敵だったけど、ここも遠くまで見渡せる。一つ一つの明かりが、連なって。綺麗な光の糸みたいで」
都会の光を存分に感じるために、この時間帯の展望室にはところどころにある間接照明以外に、明かりをつけていない。そのせいもあるのか、そう呟いた雪野の横顔は、先ほどのはしゃいだ表情とは違って酷く静かで憂いを帯びていた。
「――この展望室のちょうど真下に、社長室がある。だから、社長室からはほぼ同じ景色が見られるんだ」
目の前の景色に見入っていた雪野が、俺の方に顔を向けたのに気付く。
「え……?」
不思議そうに俺を見上げる雪野に、俺も雪野を見つめた。
「これまで、俺の、丸菱に対する考えをなんとなくしか雪野には言って来なかったな。でも、改めておまえに話をしておこうと思って」
これまでは、なんとなくこの世界のことは雪野から遠ざけてあげたいと思っていたところがある。遠ざけて、なるべく触れさせずに。そうすることで雪野を傷付けずに済むと。でも、それでは本当の意味で雪野を守ることにはならない。そう思ったのだ。
「俺は、あの家で生まれた瞬間から、”子”や”孫”である前に、”丸菱の後継者”だった。自分で何かを考える前に、そのレールが敷かれていた。誰も彼もが俺にそれを望んでいるのが分かっていたから、何を考えることもなくそのレールに乗ったんだ」
自分から考えたことも、その道を切望したこともない。
「でも、社に入って、実際に働いて。自分の責任みたいなものを肌で感じた。子供の頃は選択肢を与えてもらえないことに心の中で反発したこともあったが、少しずつ考え方が変わった」
見つめた雪野の目が揺れる。俺の言おうとしていることを想像して、揺れているのか。
「自分の生まれながらの運命みたいなものを、諦めではなく前向きなものとして考えられるようになった」
雪野が黙ったままふっと俺から目を逸らす。
「そんな風に思えるようになったのは、おまえがいるからなんだ」
この先、雪野に負い目など少しも感じさせたくない。感じさせるつもりもない――。
そのために、俺に課された使命を果たしてみせる。
「もし、雪野と出会っていなければ、大して思い入れもないままただ”社長にさえなればいいんだろう"なんて、他人に言われるがままの人生だっただろう。でも、今の俺の人生はそれが目的じゃない。俺の人生の目的は、雪野と二人で幸せになること。だから、雪野と一緒にでなければ意味がない」
「創介さん……」
雪野がおそるおそる俺を見上げる。その不安げな表情に、この想いをすべて伝えたい。
「俺は、雪野と生きて行きたいからおまえと結婚した。雪野だから結婚したんだ。だから、『社長になるのに相応しい女』がどうだなんて議論、意味がない。俺の生きる目的が社長になることだけなら、皆が言う『相応しい女』を選んでいたかもな。でも、それが本当に幸せなことか?」
雪野の肩を掴み、真正面に立つ。そして、雪野の目を真っ直ぐに見つめた。
「雪野は何もなかった俺に、本当の幸せをくれたんだ。周囲の人間は表の目に見えるものしか見ようとしない。俺たちのことなんて、何も知らない。そんな奴にとやかく言われたところで、勝手に言わせておけばいい。選んだ女がどんな家の人間かなんてことで、俺が社長になれなかったのなら、俺にはその器がなかったということだ」
「そんなこと――っ」
「そういうことだろ」
雪野が反論しようとしたのをすぐに遮り、強く肩を掴む。
「俺を、社長になれないのを女のせいにするような、くだらない男にするな」
「創介さん――」
雪野が目を見開き俺を見る。
「俺は俺の責務を全うする。もちろん、社長になるべく全力を尽くす。誰にも何も言わせないくらい、この丸菱を必ずもっと大きくする。おまえは、必ずそう出来ると俺を信じていろ。俺のことが信じられるか?」
雪野の揺れる目に涙が浮かび始める。そして、何度も頷いた。
「俺は、雪野と二人でそこに辿りつきたいんだ。雪野と共に目指すからこそ意味がある」
涙を堪えるその頬に触れる。
「それでも、もし、そこにたどり着けなかったとしても。その時隣に雪野がいて、”しょうがない人ね”って笑ってくれれば、俺はそれでいいんだ」
目の前にいる愛おしい人を、ただ幸せにしたい。それだけだ。
「それとも雪野は、社長になれない俺なんかいらないか?」
「まさかっ! そんなこと、私には何の関係もありません。私はただ、創介さんがいいんだから」
ただ不安げに揺れていた雪野の瞳が、強いものに変わった。そんな雪野に、ふっと表情が緩む。
「――俺も、同じだよ」
そう言った俺に、雪野が涙の粒を零しながら、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「この先もずっと、俺の隣にいて、俺のことを見ていてくれるか?」
俺の手のひらで挟まれた雪野の顔を覗き込む。
「はい」
雪野の涙でいっぱいの笑顔が、俺の胸を切なく刺激して。誰もいない夜景だけに包まれた空間で、この世界にただ二人だけしかいないみたいで。そのまま雪野に唇を重ねた。
0
お気に入りに追加
479
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
十年越しの溺愛は、指先に甘い星を降らす
和泉杏咲
恋愛
私は、もうすぐ結婚をする。
職場で知り合った上司とのスピード婚。
ワケアリなので結婚式はナシ。
けれど、指輪だけは買おうと2人で決めた。
物が手に入りさえすれば、どこでもよかったのに。
どうして私達は、あの店に入ってしまったのだろう。
その店の名前は「Bella stella(ベラ ステラ)」
春の空色の壁の小さなお店にいたのは、私がずっと忘れられない人だった。
「君が、そんな結婚をするなんて、俺がこのまま許せると思う?」
お願い。
今、そんなことを言わないで。
決心が鈍ってしまうから。
私の人生は、あの人に捧げると決めてしまったのだから。
⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚
東雲美空(28) 会社員 × 如月理玖(28) 有名ジュエリー作家
⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚
同居離婚はじめました
仲村來夢
恋愛
大好きだった夫の優斗と離婚した。それなのに、世間体を保つためにあたし達はまだ一緒にいる。このことは、親にさえ内緒。
なりゆきで一夜を過ごした職場の後輩の佐伯悠登に「離婚して俺と再婚してくれ」と猛アタックされて…!?
二人の「ゆうと」に悩まされ、更に職場のイケメン上司にも迫られてしまった未央の恋の行方は…
性描写はありますが、R指定を付けるほど多くはありません。性描写があるところは※を付けています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる