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第一部

君のすべてが力になる【side:創介】 2

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「――こんな時間にのこのこ帰って来るとは、どういうつもりだ」

広いだけでなんの暖かみもない居間に足を踏み入れると、こちらに背を向けてソファに腰掛ける父の姿が視界に入る。この時間に居間にいるということは、俺が帰って来るのを寝ずにずっと待っていたということだ。もう、宮川氏から連絡が入っているのだろう。

「自分が何をしたのか分かっているのか?」

背を向けたままで放たれる、冷たくてまるで感情のない声。それが余計に父の怒りを感じさせる。

「お父さん、話があります――」
「おまえには失望した」

俺に何も喋らせまいと、突き放すように遮った。

「――失望して、そして俺をどうするんですか?」

父の目の前に立つ。そして、真っ直ぐにその冷え冷えとした目を見た。その目から、もう逃げたりしない。

「なに?」

父の目に感情が灯る。

「次期総理という後ろ盾を、あなたの息子は手放した。丸菱にとっては小さな傷ではないでしょう。俺を、この家から追い出しますか?」

俺の存在価値。それは、高貴な血を引いた榊家の長男だということ。虚しいほどにそれだけだ。でも、またそれは、大きな価値でもある。哀しいけれど、俺はそれを嫌と言うほどに思い知って来た。

――創介は、必ず丸菱のトップに立つのよ。創介でなければだめなのよ。

祖母から小さい頃から言われ続けていた言葉だ。

「追い出されない自信があって、そんなことを言っているのか?」
「俺にとっては、どちらでもいいということです。追い出されても、追い出されなくても」

父の目が苦々しく俺を見上げている。

「この家に生まれてから、ただ丸菱に入ることだけがそこに決定事項としてあった。あなたに言われるがまま、考えることも感じることも放棄していた。人として大事なものが欠落していることにも気付かずに、そのことに疑問も感じないで、ただ何もかもを投げやりに生きていた」

父は、学校の成績以外のことで俺を叱ったりすることはなかった。その代り、トップの成績を取らなかった時だけは、烈火のごとく俺を責めた。『榊家に恥をかかせる気か』と。

「何の目的も目指すものもない。敷かれたレールの上を、何も考えずに走っていたでしょう。そんな男が、丸菱のトップに立てるでしょうか。榊がここまで築き上げて来たものを守るどころか、簡単に潰しているかもしれない」
「入社してからの三年、おまえはあんなにも必死に働いていたではないか。私も馬鹿じゃない。おまえがどれだけ本気で働いていたかは見ていれば分かる。それは、おまえなりにトップに立ちたいと思ったからじゃないのか。丸菱を大きくしたいと思っていたんじゃないのか?」
「――違いますよ」

父の言葉を、俺は静かに否定した。

「彼女がいたから」
「……なんだと?」
「彼女が――雪野がいたからだ!」

父の目を、鋭く射抜くように見る。

「初めて知った。人の痛みも、温もりも。誰かに想いを寄せるということも、誰かのために生きるということも。人が人として生きる、そんな当たり前を教えてくれた女だ」

与えられた環境で、自分が出来ることを必死に頑張る。いろんなことに感謝して、家族を助けて。どんな状況でも決して何かのせいにしたりしない。そんな雪野の姿をこの三年ずっと見て来た。

「ろくでもない俺を雪野は人間にしてくれた。だから、俺は雪野でなければいけない。雪野との将来を夢見たから、誰にも何も言わせないためにあなたを納得させるために、がむしゃらに仕事して来た!」

父は何も言わずに、ただ俺を睨み上げる。それに怯むことなく訴えた。

「確かに彼女は、金もなければ有力者の親がいるわけでもない。それをあなたから見れば何も持っていない存在だと言うでしょう。でも、俺からすれば、金も権力も、いくらだって代わりはきくんだ。金も権力もいつかは消える。そんなものどれだけ集めても、彼女の価値に及ばない」

そんなことも、雪野に出会って知った。

「自分にとって、何が一番大切でかけがえのないものなのか、そんな判断も出来ないような男になりたくない」

父だって、何も持っていない女を後妻に迎えたのではないか。だからこそ、父はむきになって俺に完璧な女を家に迎えさせようとしているのかもしれない。でも、俺は父と同じ失敗なんてしない。

「――言いたいことは、それだけか」

父は俺から目を逸らし、冷たく言い放った。

「まだ話は終わっていませんよ」

ソファから立ち上がり立ち去ろうとした父の行く手を阻む。大事なことをもう一つ言わなければならない。

「雪野……彼女のこと、すべて調べあげているんですよね? こんなはした金、何が慰労金だ」

父の目の前に一歩詰め寄り、その茶封筒をテーブルに叩きつけた。どんなに威圧しようとも、身長では俺に敵わない。

「彼女と彼女の家族に、少しでも変なことをしたら――」

これまでは、こんな風に父を睨みつけたことなんてない。いつも、どこか怯えて父とすら思えずにいた。

「俺も何をするか分かりませんよ。この家を捨てて、全力で守ります」

何をしてでも、俺が――。

「丸菱に入ることしか能がなかったおまえに、この家を捨てられるのか――?」

それでも、やはり丸菱のトップに君臨する人だ。その目は一瞬たりとて揺らいだりはしない。

「ええ。捨てますよ。彼女を捨てるより、よっぽど簡単だ」

父は鼻で笑うと俺に背を向けた。

「――でも」

その背中に言葉をぶつける。

「お父さんは、無駄なことが一番嫌いなはずですから。宮川氏にすべてをぶちまけてしまった今、もうあの家との縁談は修復不可能だ。今更、雪野をどうこうしたところで結果は変わらない。お父さんは意味のないことをしたりしない。俺は、そう思っています」

それには答えずに、父は居間を出て行った。

 居間に一人になって、初めてちゃんと息をした。ぐったりとした身体をソファに投げ出す。一度の話し合いでどうにかなるとは思っていない。

とにかく、雪野に父の手が及ばないように――。

それが、一番大事なことだ。



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