上 下
1 / 5

『Rotkappchen《ロートケプフェン》』

しおりを挟む
──むかしむかし。あるところに小さなかわいい女の子がいました。誰でもその子を見ると可愛がりましたが、特におばあさんが一番で、子供にあげないものは何もないほどの可愛がりようでした。

あるときおばあさんは赤いビロードの頭巾をあげました。その頭巾は子供にとてもよく似合ったので子供は他のものをかぶろうとしなくなり、それでいつも赤頭巾ちゃんと呼ばれました。

ある日、お母さんが赤頭巾に言いました。

「おいで、赤頭巾。ここにケーキが一つとワインが一本あるわ。おばあさんのところへ持って行ってちょうだい。おばあさんは病気で弱っているの。これを食べると体にいいのよ。暑くならないうちに出かけなさい。行くとき、ちゃんと静かに歩いて、道をそれないのよ。そうしないと転んでビンを割って、おばあさんは何ももらえなくなるからね。部屋に入ったら、お早うございます、と言うのを忘れちゃだめよ。ご挨拶の前にあちこち覗き込んだりしないでね」

「よく気をつけるわ」と赤頭巾はお母さんに言って、約束の握手をしました。

赤頭巾が出したその手は雪のように白く、華奢なモノで、大きな力を加えたら直ぐに折れてしまいそう。
 そんな、か弱いともいえる赤頭巾をどうしてお母さんはお使いに行かせたのでしょう?
 何故ならそれは、赤頭巾が── 




「……ふぅ」

そこまで物語を読み終えたところで、俺──如月蒼月きさらぎあおいは顔を上げる。そして目に飛び込んできたのは、数段と積まれた蔵書の数々。
 いつものように放課後に本を読もうとしたところ、第1閲覧室の管理人から本を棚に戻しておけという仕事を申し渡された。

常連で顔馴染みとはいえ、何とも自分勝手だと思いつつも渋々と整理──という名の読書──をしていたところである。

「面倒臭いとは言っても、やるしかないか」

そう決意し、立ち上がったところだった。

「あのー、如月きさらぎ先輩?」

「うわっ、と! ……なんだ、陽菜ひなか。ビックリしたなぁ」

後ろから掛けられた声に振り返れば、そこには、一人の少女がいた。
 茶髪のボブカットに、二重の大きな瞳。
 華奢な体つきと雪肌というのも相まって、幼気な雰囲気を醸し出している。 
 そんな声の主である彼女──風霧陽菜かざきりひなは、俺の後輩だ。

「どうした。今頃は文芸部の活動時間じゃないのか?」

「みんな用事があるって言うので、今回は休みにしました。私だけ本読んでるのもアレですし」

本来の部活動なら、人員は最低でも10人は必要だろう。
 だが例外として陽菜を部長とする文芸部は、彼女含め異例の3人。廃部になっても可笑しくない程の過疎化である。
 ここ、四ツ葉学園でもトップに位置する過疎部だ。ハッキリ言って笑えない。

「というか、先輩。ホントに好きですねー、読書。是非とも文芸部に招き入れたいのですが」

「俺はどこにも属するつもりは無いぞ? フリーでいたいんだ」

「ですよねー。……ところで、なんです? その本」

そう言って苦笑した陽菜は、視線を俺から手元の本へと移す。

「グリム童話。ドイツの『ロートケプフェン』、を元にしたファンタジー小説だな。日本読みで、赤ずきんちゃんだ」

栞を挟んで、陽菜に見えるように掲げる。
 それは学園の図書館には似つかわしい程に立派な装丁で、絹糸で編まれているワインレッドのカバーはどこか高級感を醸し出していた。それ自体もかなり厚い。辞典よりもページ数が多いんじゃないか。

だが不思議な事に、本来図書館で義務付けられている筈の貸出用バーコードも、請求ラベルさえも貼られていなかった。 職員の不備だろうか。

「へぇ、グリム童話なんて読むんですね。いつもラノベばかり読んでいますから」

「まぁ、ね」

多少語尾を濁したものの、自分自身でさえ何故この本を手に取ったのか分からない。
 原文がドイツ語というのに惹かれたのかは分からないが、片付けを頼まれた蔵書の中にあって、それが一際目立っていただけ。
 としても普段ならラノベ以外は無視なのだが、気が付いたらそれを読み始めていたのだ。

原文の隣に和訳がされており、日本人が読むのには苦はない。
 ただ少し気になるところと言えば、印刷が荒いという点だろうか。古いのは仕方がないが、多少の手入れは願いたい。
 
「でも、こんな事ってあるんですかね。

「…………うん?」

淡々と告げられた陽菜の言葉に、我が耳を疑った。
 ──何だ。著者名も、題名すらも、書かれていない?

「何言ってるんだ? そんな筈は無いだろう。確かに著者は書かれてないけど、題名はある」

──ロートケプフェン。赤ずきんちゃん、と。

「それに、本文だってキチンと書かれてる。『むかしむかし、あるところに──』」

「……先輩、私をおちょくってます?」

慌てて顔を上げれば、不満そうな顔をしている陽菜。
 いや、陽菜こそ俺をおちょくっているんじゃないか?
 だって、ここにちゃんと……!

?」

普段は大きな二重の瞳を細めて見つめるも、やはり陽菜からしての結果は同じ。
 ……何故だ。どうして陽菜にだけ見えなくて、俺にだけ見えるんだろう?
 
不満を通り越して俺を心配している表情に変わりつつある陽菜を無視して、俺は机に積まれている蔵書を棚に戻す作業へと移る。
 陽菜にも手伝ってもらい、作業自体は直ぐに終わったのだが……やはり、気になるな。借りて、読んでみるか。

「じゃあ、俺はこれを借りて帰る事にするかなぁ」

「え、先輩……それ借りて帰るんですか? そもそも何も書かれてないけど…………」
 
未だ変わらず俺──というか俺の頭──を心配する陽菜。
 だが、こちらとしてはこの不可思議な現象を解明したいとも思う。だから陽菜の言う事には、今回だけは耳を傾けない。悪いな。

釈然としないまま本を見つめ、その本の中の情景を思い起こす。
 古い町並み。赤いブロードの頭巾を被った少女。それらが鮮明に映し出されてくる。
 何故、ここまで惹かれるのかは分からないが──

「一先ず、読んでみよう」

誰にともなく呟き、その場を去ったのだった。


☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*:..


うーむ、と唸る陽菜を横目に俺は貸出カウンターまで行ったのだが、まさかの職員がいないという事態。
 仕方ないので借りるという旨だけを記載したメモを残しておき、夕陽に照らされた廊下、昇降口、門を出ていく。

そのまま十分ほど歩き、家までの近道となる公園へと入っていく。
 この時間だ。子供はおろか、人一人いない。いない、筈──なのだが。

「──むかしむかしあるところに、ドロシーという一人の少女がいました」

その声の主を探そうと辺りを見回す。
 するとさっきまでいないと思っていた公園内、街灯下のベンチに……誰かが足を組んで座っていた。

「ドロシーには、家族が三匹いました。しかし、ただの家族ではありません。……そう、獣だったのです」

声質的に、男。それも俺たちみたいなのじゃない。
 フードを被ってて分かりにくいが、小学校中学年辺りか。

「そんなある日、彼女の元に悲劇が襲いかかりました。父が、病に倒れてしまったという、悲劇が。ドロシーはそれを聞いて、酷く悲しみました。そして、父を救う方法を模索するのです」

そこまで読むと、その少年は顔を上げ──

「……なんて、よくある話だとは思わないかい? 少年」

「……あぁ、『オズの魔法使い』によく似た話だよ。本当によくある話だ」

突然の問いかけに俺は何を思ったのか、そう返してしまう。
 だが少年は気にする様子もなく、更に言葉を紡ぐ。

「面白いか否か。斬新か否か。そんなモノは、不必要だ。少なくとも、この本にとっては──な」

徐に立ち上がり、その本を掲げた少年は口角を僅かに上げた……ように、見えた。
 そして、静かに。だが、楽しそうに呟く。

獣使いメイデン・オブ少女・テイマー』、と。

「うわっ!?」

刹那、黄金色の光の粒子が辺り一帯を覆い尽くす。 
 その眩しさに耐えきれなかった俺は腕で目を隠すが、少年だけは驚きもせず、何をしようともしなかった。
 目を閉じる前に見えたのは、アッシュグレーの瞳と、ニヤリと笑っている表情だけ。

恐る恐る目を開けば、そこには場違いな光景が広がっていた。
 少年の傍らに立つ一人の少女と、その後ろに鎮座している──三頭の、獣。

少年は自分の腰辺りに見える少女と後ろにいる獣を一瞥してから、こう告げた。

「……やれ、ドロシー。ただ、

「でも、あの人は関係が──」

「いいから、やれ」

ドロシーと呼ばれた少女は何かに怯えたように辺りを見回し、そして、腕を真上に掲げる。
 それが、合図だった。後ろにいる獣を使役する為の、合図。

俺の読み通り、それを合図として三頭の獣はこちらに向かって駆けてきた。

その内の二匹は金と銀の毛並みをした狐。体躯はあの少年程だろうか。小柄という事もあって、動きが素早いと思われる。
 残りの一匹は、荒々しい毛並みをした猪。これだけ、異様にデカい。成人男性程はあるだろう。

この状況に陥ってようやく、俺は危機感を感じた。死ぬかもしれない。という、危機感を。

「……なるべく、怪我させないで」

哀願するようなドロシーの声はこの獣たちには届いているのか。それは定かではないが、今はこの状況を何とかしなければ。

この中では一番スピードが高いであろう金狐が俺目がけて飛びついてくる。
 勿論、対抗しようとは思わない。優劣差は明らかだ。ここは大人しく避けるしかないな。

反射的に地面に滑り込み、頭上を金狐が飛び越えていく。
 慌てて立ち上がるが──終わった、と思った。この光景を見て。

「っ……!?」

 左右には狐が。そしていつの間にか俺の後ろをとっていた猪の駆ける音が聞こえてくる。
 三頭が、俺目がけて襲い掛かって──くる、刹那の時。鋭い風切り音を耳にした彼等は、すぐ様後退した。

何事かと思って地面を見れば、三角形デルタになって俺を囲うように刺さっている、三本の矢。
 そして──

「まさかとは思って来たけれど……本当に契約者フィクサーとはね。驚いたわ」

何処からか響く、もう一人の少女の声。
 その存在を視認した時、俺は更に驚愕に目を見開く事となる。
 ……何せ、彼女は──


~to be continued.

しおりを挟む

処理中です...