上 下
11 / 13

11.もう叶いましたから

しおりを挟む
 翌朝のこと。
 目を覚ますなり、わたくしは驚きに目を見開いた。


「おはよう、桜華」

「え? ……龍晴、様?」


 頭上からわたくしを覗き込む端正な顔立ち。見間違えなどでは絶対にない。そこには龍晴様がいた。


(夢? 今度こそ夢を見ているの?)


 二日連続で同じことを思うなんて、我ながら情けないけれども、信じられないのだから仕方がない。わたくしは思わず首を傾げた。


「どうしてここにいらっしゃるのですか?」

「どうして? もちろん、桜華に会うためだよ。孝明に聞いたんだ。寝付けなかったらしいね。きっと昨日のことが響いたんだろうと様子を見に来たんだ。君は慈悲深く、とても優しい女性だから」

「昨日……」


 動揺を必死で押し隠しつつ、わたくしは静かに息をのむ。


(大丈夫。龍晴様が仰っているのは天龍様のことじゃない。魅音様のことよ)


 絶対そうに違いない。わかってる。
 だけど、これまでこんな形で彼がわたくしの部屋を訪れることはなかった。当然、驚かずにはいられない。

 そもそも、昨夜は後宮ではなく内廷で休んでいらっしゃったのだし、こんな早朝に後宮を訪れること自体が異例中の異例だ。本当にどうしたというのだろう?

 まだ回転の鈍い頭を必死に働かせつつ、わたくしはニコリと微笑んだ。

 
「申し訳ございません。龍晴様のお手をわずらわせるつもりはなかったのですが」

「そんなふうに思う必要はない。桜華の痛みは私の痛みだ。こうして様子を見に来るのは当然のことだよ」


 龍晴様が爽やかに微笑む。わたくしの胸がチクリと痛んだ。


(『桜華の痛みは私の痛み』か……)


 なるほど。
 けれど、そう仰る割には、龍晴様がわたくしの――妃になるという願いを叶えてくれることはなかった。痛みに寄り添ってくれることはなかった。


『桜華は特別な女性だ。神聖で、決して汚してはならない美しい人だ。皇帝の私ですら君を手折ってはならない――――だから、この後宮で大事に大事に慈しむよ。私の子が成人し、私が皇位から退いたら、離宮でふたりきりで暮らそう』


 昨日、龍晴様はそう仰っていたけれど、これではまるで、わたくしは龍晴様の愛玩動物みたいだ。彼の都合よく動く人形と同じ。それをよく言えば『神聖な』という言葉に置き換わるというだけ。つまり、中身はまるで求められていない――少なくとも、わたくしにはそんなふうに思えてしまう。


「ありがとうございます。あれからぐっすり眠れましたので、もう大丈夫です」

「それはよかった。だったら、これから一緒に朝食をとろう。桜華が眠っている間に準備をさせていたんだ」


 龍晴様がわたくしの手を引く。
 それからわたくしは、最後の朝を慈しむ暇なく、慌ただしく身支度を整え、食事の席についた。

 龍晴様と食べる料理は毒味の間に冷めていて、なんだかとても味気ない。
 けれど、わたくしは長い間、こんなふうに朝を龍晴様と一緒に過ごしたいと思っていたことを思い出す。ずっとずっと、こんな日が来ることを願っていた。


「美味しいね、桜華」

「ええ、とても。わたくし以前は、こうして龍晴様と食事をとるのが夢だったのです」


 なぜだか涙が滲んでくる。龍晴様ははたと目を丸くした。


「以前は? 今は違うの?」

「ええ。もう叶いましたから」


 夢はもう叶った。
 わたくしがこの後宮に――龍晴様に夢を見ることはもう二度とない。


「ありがとうございます、龍晴様」


 折角の機会だ。心からの感謝の言葉を口にする。
 龍晴様は箸を置き、ふぅと小さく息をついた。


「……そんなに喜んでくれるなら、もっと早くにこうしていたらよかったね」


 彼はどこか困ったように微笑む。わたくしは首を横に振った。


「いいえ、龍晴様。わたくしやはり、こうして龍晴様と朝をともにする喜びは、妃たちのものだと思うのです」


 だからこそ憧れた。だからこそ夢を見た。
 今はもう、それが叶わないことを知っているし、驚くほどにどうでもいい。あんなに執着していたのがまるで嘘のようだ。


「ですから龍晴様、今後はこれまでどおり妃たちと食事をなさってください。……そうしていただきたいのです」

「桜華……やはり君は、私の特別な女性だよ」


 龍晴様はおもむろに立ち上がると、わたくしのことを背後から抱きしめる。胸が痛い。目頭が熱い。わたくしは必死に涙をこらえた。


「光栄です。龍晴様にそんなふうに言っていただけて、嬉しいです」


 彼が愛してくれたのは、本当のわたくしではなかったのかもしれない。愛情の形だって、わたくしがほしかったものでは決してなかった。

 それでも、わたくしは龍晴様のことを愛していた。こんな感情を教えてくださったこと、とても感謝している。


(ありがとう。そして……さようなら)


 もう二度と、お会いすることはないでしょう。
 心のなかでそっと呟いて、わたくしはわずかに目を細めた。


***


 朝食を終え、龍晴様を送り出してから、わたくしは妃たちの暮らす宮殿を一つ一つ回っていった。
 昨日魅音様が騒動を起こしたこと、その原因がわたくしにもあることを知っているから、みながどこか余所余所しい。


「桜華様におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」

「そんなふうにかしこまらなくていいから。これまでどおりに接してちょうだい」


 気位の高い上級妃たちですらこの有様なんだもの。中級妃、下級妃はなおさらわたくしの顔色をうかがっていた。なんだかとても複雑な気分だ。

 嫉妬心にまみれていたとはいえ、妃たちとはこれまで、できる限り良好な関係性を築いてきたと自負している。最後がこんな形になって、少しだけ残念だった。



「今日は部屋に誰も入れないでね。用があるときはこちらから声をかけるから」


 たっぷり時間をかけて後宮内を回ったあとは、執務室にこもって筆を握った。

 妃同士にも派閥や序列がいろいろある。龍晴様の夜のお相手を決めるときには、体調面も含めて、相当気を使ってきた。

 だから、わたくしがいなくなったあとも後宮が後宮の機能を維持できるように――できる限り現状を把握して、資料を残してあげたいと考えたのだ。

 時間が思ったよりも残っていない。わたくしはひたすら筆を走らせた。


 そうしていくうちに、この5年間の思い出が、走馬灯のように思い出される。

 豪華絢爛な建物。美しく艶やかな女性たち。
 それから、誰よりもまばゆい輝きを放つ龍晴様。

 羨ましいと思ったこと。
 妬ましいと思ったこと。
 ――それからほんの少しの優越感。
 そのたびに自分の醜さに絶望して、何度も何度も涙を流した。

 だけど、悲しいことだけではなかった。嬉しいこと、楽しいことだってちゃんと存在していた。

 それに、こんなわたくしを受け入れてくれる天龍様に出会えたんだもの。もう振り返らない。前を向くってそう決めたんだから。


「失礼いたします。あの、桜華様……」

「――ちょっと待って。まだ入っちゃダメよ」


 ためらいがちなノックの音。わたくしは部屋の前に侍女を留める。
 一枚一枚墨を乾かす時間が惜しくて、床にはまだ、書くだけ書いて整理されていない資料が散らばった状態になっている。さすがにこれは見られたくない。わたくしは思わず立ち上がった。


「けれど、陛下が……」

「陛下?」


 侍女の言葉に目を丸くしたそのとき、執務室の扉が勢いよく開け放たれる。


「龍晴、様?」


 そこには、どこか憤った様子の龍晴様がいらっしゃった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

断罪される令嬢は、悪魔の顔を持った天使だった

Blue
恋愛
 王立学園で行われる学園舞踏会。そこで意気揚々と舞台に上がり、この国の王子が声を張り上げた。 「私はここで宣言する!アリアンナ・ヴォルテーラ公爵令嬢との婚約を、この場を持って破棄する!!」 シンと静まる会場。しかし次の瞬間、予期せぬ反応が返ってきた。 アリアンナの周辺の目線で話しは進みます。

婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも
恋愛
わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。 6才の時に初めて顔をあわせた婚約者のレオンハルト殿下に「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」と言われてしまいました。そんな殿下に憤慨する家族と使用人。 14歳の春、学園に転入してきた男爵令嬢と2人で、人目もはばからず仲良く歩くレオンハルト殿下。再び憤慨するわたくしの愛する家族や使用人の心の安寧のために、エルザは円満な婚約解消を目指します。そのために作成したのは「婚約破棄承諾書」。殿下と男爵令嬢、お二人に愛を育んでいただくためにも、後はレオンハルト殿下の署名さえいただければみんな幸せ婚約破棄が成立します! 前編・後編の全2話です。残酷描写は保険です。 【小説家になろうデイリーランキング1位いただきました――2019/6/17】

【完結】私の婚約者は妹のおさがりです

葉桜鹿乃
恋愛
「もう要らないわ、お姉様にあげる」 サリバン辺境伯領の領主代行として領地に籠もりがちな私リリーに対し、王都の社交界で華々しく活動……悪く言えば男をとっかえひっかえ……していた妹ローズが、そう言って寄越したのは、それまで送ってきていたドレスでも宝飾品でもなく、私の初恋の方でした。 ローズのせいで広まっていたサリバン辺境伯家の悪評を止めるために、彼は敢えてローズに近付き一切身体を許さず私を待っていてくれていた。 そして彼の初恋も私で、私はクールな彼にいつのまにか溺愛されて……? 妹のおさがりばかりを貰っていた私は、初めて本でも家庭教師でも実権でもないものを、両親にねだる。 「お父様、お母様、私この方と婚約したいです」 リリーの大事なものを守る為に奮闘する侯爵家次男レイノルズと、領地を大事に思うリリー。そしてリリーと自分を比べ、態と奔放に振る舞い続けた妹ローズがハッピーエンドを目指す物語。 小説家になろう様でも別名義にて連載しています。 ※感想の取り扱いについては近況ボードを参照ください。(10/27追記)

王太子殿下の想い人が騎士団長だと知った私は、張り切って王太子殿下と婚約することにしました!

奏音 美都
恋愛
 ソリティア男爵令嬢である私、イリアは舞踏会場を離れてバルコニーで涼んでいると、そこに王太子殿下の逢引き現場を目撃してしまいました。  そのお相手は……ロワール騎士団長様でした。  あぁ、なんてことでしょう……  こんな、こんなのって……尊すぎますわ!!

【完結】公爵子息は私のことをずっと好いていたようです

果実果音
恋愛
私はしがない伯爵令嬢だけれど、両親同士が仲が良いということもあって、公爵子息であるラディネリアン・コールズ様と婚約関係にある。 幸い、小さい頃から話があったので、意地悪な元婚約者がいるわけでもなく、普通に婚約関係を続けている。それに、ラディネリアン様の両親はどちらも私を可愛がってくださっているし、幸せな方であると思う。 ただ、どうも好かれているということは無さそうだ。 月に数回ある顔合わせの時でさえ、仏頂面だ。 パーティではなんの関係もない令嬢にだって笑顔を作るのに.....。 これでは、結婚した後は別居かしら。 お父様とお母様はとても仲が良くて、憧れていた。もちろん、ラディネリアン様の両親も。 だから、ちょっと、別居になるのは悲しいかな。なんて、私のわがままかしらね。

初恋をこじらせたやさぐれメイドは、振られたはずの騎士さまに求婚されました。

石河 翠
恋愛
騎士団の寮でメイドとして働いている主人公。彼女にちょっかいをかけてくる騎士がいるものの、彼女は彼をあっさりといなしていた。それというのも、彼女は5年前に彼に振られてしまっていたからだ。ところが、彼女を振ったはずの騎士から突然求婚されてしまう。しかも彼は、「振ったつもりはなかった」のだと言い始めて……。 色気たっぷりのイケメンのくせに、大事な部分がポンコツなダメンズ騎士と、初恋をこじらせたあげくやさぐれてしまったメイドの恋物語。 *この作品のヒーローはダメンズ、ヒロインはダメンズ好きです。苦手な方はご注意ください この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。

近すぎて見えない

綾崎オトイ
恋愛
当たり前にあるものには気づけなくて、無くしてから気づく何か。 ずっと嫌だと思っていたはずなのに突き放されて初めてこの想いに気づくなんて。 わざと護衛にまとわりついていたお嬢様と、そんなお嬢様に毎日付き合わされてうんざりだと思っていた護衛の話。

処理中です...