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 数日が経った。


「オルニア、おはよう!」

「――――――毎日毎日飽きもせず、よくいらっしゃいますね」


 事件以降、オルニアの部屋はクリスチャンの宮殿へと移されている。これまで以上に通いやすくなったため、クリスチャンは毎日、オルニアの元を訪れるようになっていた。
 彼が部屋を訪れると侍女達は皆、部屋を出る。騎士達も同じで、扉の向こうからさり気なく警護をするようになっていた。


「ああ、飽きない。オルニアの顔を見ないと一日が始まらないからな!」


 満面の笑み。彼の手には、今日も大きな花束が握られている。


「庭師が嘆きますよ? 手塩に掛けて育てた花をこう毎日摘まれちゃ、堪った物じゃないでしょう?」


 淑やかぶるのは止めた。面倒くさくなったからだ。
 けれど、クリスチャンは態度を変えない。寧ろ喜んでいるきらいすらある。


「庭師のことなら心配ない。俺が想いを遂げる日が来るのを、彼も楽しみにしてくれている。寧ろ、前よりも嬉しそうに花を育ててくれているぞ」


 ふわりと優しく抱き締められる。胸が小さく高鳴った。


「優しい庭師ですこと。本当にこの国の人達は、殿下のことを愛していらっしゃいますね」


 これまで数々の男達を誑かし、騙してきたオルニアだ。鈍くはない。けれど、クリスチャンが相手だと、どうしたら良いのか分からず、はぐらかすことしか出来ずにいる。


「そうだな。だけど俺は、愛されるよりも愛したい」


 そう言ってクリスチャンは跪く。オルニアは目を見開き、息を呑んだ。


「ちょ、ちょっと待って下さい……!」


 直接的な言葉を吐かれてしまっては、どうすることも出来なくなる。相手は腐っても王子。本気で請われて断れるはずがない。
 これまで、危ういバランスで保っていた絶妙な駆け引き。引き際を見誤ったことに気づき、オルニアは小さく首を振る。


「待たん。元より逃がす気もない」


 そう言ってクリスチャンはニコリと微笑む。恭しく手を握られ、口付けを落とされ、それから愛し気に見上げられる。


「オルニア、俺と共に生きよう」


 ゆっくりと紡がれた言葉は、とても重い。オルニアの瞳に涙が浮かび上がった。


「俺と結婚してほしい」


 心が震える。
 これまで数多の男たちに、「好き」だとか「愛している」と言われてきた。「君のために婚約を破棄する」と言わせてきた。それがオルニアの仕事だった。
 けれど、どれだけ愛を囁かれても、オルニアの心が揺らぐことは無かった。


「わたしは――――殿下と結婚できるような女じゃありません」


 暗い靄が掛かる。胸が張り裂けそうに痛かった。


「これまでわたしがどんな仕事をしてきたか、ご存じないでしょう?
わたしはね、男達を騙すことを生業にしてきたんです。騙して、傷つけて、それから捨てた。依頼人のためなら何だってしてきました。殿下に言えような悪いことを、他にもたくさん。
そんな女があなたの妃になる? 冗談でしょう。無理に決まって――――」

「知っていたよ」

「……え?」


 けれど、クリスチャンは思わぬことを口にした。オルニアが目を見開く。心臓が止まるかと思った。


「セリーナ嬢が婚約破棄をされた場に居たからな。あの時、ゼパルと呼ばれた令嬢は君だろう?」

「そんな! 全部……全部ご存じだったのですか?」


 涙が数筋頬を伝う。
 本当は知られたくなかった。他の誰に知られても、クリスチャンにだけは醜い自分を見せたくなかった。彼の元を去るならばと、断腸の想いで秘密を打ち明けたというのに――――。


「気づいていたなら、どうして?」

「……あの日、オルニアに声を掛けたのは、王子として興味があったからだ。どうして君があんなことをしているのか、見張る必要があると思った。もしも国に害を及ぼそうとしているなら、排除しないといけないからね。
だけど、一緒に過ごす内に、俺は君に心底惚れてしまった。偽りだらけの言葉と笑顔の中に寂しさを滲ませる君を、愛おしいと思ってしまった。笑わせたいと、幸せにしたいと、心からそう思った」


 労わる様に手を撫でられ、包み込まれる。心が熱い。涙が零れる。


「オルニアが何をしてきたのか、その全てを知っているわけじゃない。
だけど君は、この国の民を救ってくれた。俺はこれからさきもオルニアと一緒に生きて行きたい。俺にとってはそれが全てだ。それでは、ダメだろうか?」


 本当はダメだと言うべきなのだろう。この温かい手のひらを振り払うべきだと――――そう分かっているのに、オルニアは縋る様にクリスチャンの手を握りしめる。


「わたしも、あなたと一緒に居たい……!」


 その瞬間、骨が軋むほど力強く抱き締められた。
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