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「良い天気だなぁ、オルニア」
「ええ、本当に」
オルニアは半ばげんなりしながら、目を細めた。
太陽よりも暑苦しい男に手を握られ、まるで恋人同士のように街を歩く。目立たぬよう、クリスチャンの金髪は帽子で覆い隠され、騎士達は目立たぬように離れた所から警護をしている。
けれど、目敏い人は居るものだ。先程から、チラチラ視線を感じるし、『殿下だ』との囁きが耳に届く。
(良いのかなぁ~~噂になっちゃうよ?)
クリスチャンは平民からの人気が高い。けれど、彼の結婚相手として望まれているのが平民という訳では決してない。皆が敬愛するクリスチャンに、素晴らしい妃を迎えて欲しいと願っている。少なくとも、オルニアのような得体のしれない悪女では無いのだ。
「しかし、本当に良いのか? もっと沢山買って良いんだぞ?」
「いいえ。殿下が使うお金は、民からの税金。これ以上はとても……」
「なんて慎ましいんだ! 益々気に入ったぞ、オルニア!」
(そりゃ、どうも)
気に入られたくてした発言ではない。紛うことなき、オルニアの本音だった。
(胸の辺りがモヤモヤする)
人に嫌われるにはどうすれば良いのだったか――――数年前の記憶を呼び起こす。その途端、頭が割れる様に痛く、猛烈な吐き気に襲われた。忘れかけていた痛み。それは未だ、オルニアの心と身体を蝕んでいる。
「オルニア?」
クリスチャンが心配そうに顔を覗き込む。肩を抱く優しい手のひら。温かい眼差し。
(嫌われるのは、嫌)
目の前の逞しい胸板に縋りつきたくなった。
「殿下!」
その時、慌てた様子の騎士達が、一斉にクリスチャンの元へと駆け寄る。
「何事だ?」
「それが、先程ディルム広場に通り魔が出現し、十数名の民が被害に合ったとの報告が――――」
「通り魔!?」
眉間に皺を寄せ、踵を返す。
「すまない、オルニア! 俺はすぐに現場に向かわなければならない。この埋め合わせはいつか必ず!」
騎士達と顔を見合わせると、クリスチャンは物凄い勢いで街を駆けていった。
(通り魔、か)
現場がどのような状況かは分からないが、被害が出ていることは間違いない。軽傷ならば良いが、重傷者も居るかもしれない。犯人が掴まっているのか――――未だだとしたら、被害が拡大する恐れもある。
(いずれにせよ、わたしには関係ないことね)
クリスチャンは去り際に、騎士を一人だけ置いて行った。オルニアを無事、城に送り届ける様にとそう伝えて。
(逃げるなら今)
ソワソワと落ち着きない騎士の方を振り向きつつ、オルニアは真剣な表情を浮かべた。
「あなたも、現場に向かいたいのでしょう? わたくしのことは良いから、早く行ってください」
「そういう訳には参りません! 私は殿下から、オルニア様をお守りするよう、固く言いつけられていますから」
真面目な主人の元には、真面目な従者が付く。焦れったさを感じつつ、オルニアは首を横に振った
「そんなこと言って! あなたが行けば、罪なき民が救われるかもしれないんですよ!」
「ですが! 殿下の言いつけは絶対で――――」
(あぁ……もう!)
「だったら、わたくしもディルム広場に向かいます。これなら、殿下の言いつけを破ったことにはならないでしょう!」
有無を言わさず走り出せば、騎士は焦ったように付いてくる。
(融通が利かない人間はこれだから嫌いよ!)
面倒だ。厄介なことこの上ない。しかし、雑踏に紛れれば、オルニアが逃げやすくなるのもまた事実だ。
自分にそう言い訳をしながら、オルニアは人混みを掻き分けて、広場の中央へと躍り出る。
「何よ、これ……」
辺りは血に塗れ、とても悲惨な状況だった。鉄の臭い。呻き声や泣き叫ぶ声。
オルニア達の警護で王都に降りていた騎士達が応急処置に回っているが、完全に人手が足りていない。城から応援を呼ぼうにも、かなりの時間を要するだろう。
オルニアに付いていた騎士が、青褪めた表情で走り出す。誰にも手当てを受けていない負傷者の側にしゃがみ込むと、泣き出しそうな表情で止血を始めた。
(どうしよう)
足が震える。手足が冷たい。心臓がバクバクと早鐘を打つ。
このままでは、多くの人が命を落とすだろう。例え応援が来たとしても、医療では助けられない者もいる。
(逃げようと思っていたのに)
誰が苦しもうと、悲しもうと、オルニアには関係ない。
けれど、血の気を失った人々が、絶望に歪んだ騎士達の表情が、クリスチャンの叫び声が、オルニアをこの場に縫い付ける。
(あぁ……もう!)
「退いて!」
止血中の騎士を押しのけ、オルニアはその場にしゃがみ込む。ドクドクと噴き出す血液。大きく息を吸い、手をかざす。
「オルニア様、一体何を!」
「黙ってて!」
その瞬間、眩い光がオルニアの手のひらから降り注ぐ。それは傷口を覆う様にして広がり、やがて弾けた。しばしの沈黙。それから、皆が驚きに目を見開いた。
「奇跡だ……」
血が止まっている。痛みもないのか、先程までぐったりしていた男性は、オルニアを呆然と見遣った。
「オルニア様、あなたは――――」
「何をボサッとしているの」
オルニアが立ち上がる。騎士はハッとしたように居住まいを正した。
「騎士を集めて! 早くわたしを重傷者の元に案内なさい! それから、負傷者を出来るだけ一ヶ所に集めて!」
「はい!」
騎士が勢いよく走り出す。再び大きく息を吸い、オルニアは真っ直ぐ前を向いた。
「ええ、本当に」
オルニアは半ばげんなりしながら、目を細めた。
太陽よりも暑苦しい男に手を握られ、まるで恋人同士のように街を歩く。目立たぬよう、クリスチャンの金髪は帽子で覆い隠され、騎士達は目立たぬように離れた所から警護をしている。
けれど、目敏い人は居るものだ。先程から、チラチラ視線を感じるし、『殿下だ』との囁きが耳に届く。
(良いのかなぁ~~噂になっちゃうよ?)
クリスチャンは平民からの人気が高い。けれど、彼の結婚相手として望まれているのが平民という訳では決してない。皆が敬愛するクリスチャンに、素晴らしい妃を迎えて欲しいと願っている。少なくとも、オルニアのような得体のしれない悪女では無いのだ。
「しかし、本当に良いのか? もっと沢山買って良いんだぞ?」
「いいえ。殿下が使うお金は、民からの税金。これ以上はとても……」
「なんて慎ましいんだ! 益々気に入ったぞ、オルニア!」
(そりゃ、どうも)
気に入られたくてした発言ではない。紛うことなき、オルニアの本音だった。
(胸の辺りがモヤモヤする)
人に嫌われるにはどうすれば良いのだったか――――数年前の記憶を呼び起こす。その途端、頭が割れる様に痛く、猛烈な吐き気に襲われた。忘れかけていた痛み。それは未だ、オルニアの心と身体を蝕んでいる。
「オルニア?」
クリスチャンが心配そうに顔を覗き込む。肩を抱く優しい手のひら。温かい眼差し。
(嫌われるのは、嫌)
目の前の逞しい胸板に縋りつきたくなった。
「殿下!」
その時、慌てた様子の騎士達が、一斉にクリスチャンの元へと駆け寄る。
「何事だ?」
「それが、先程ディルム広場に通り魔が出現し、十数名の民が被害に合ったとの報告が――――」
「通り魔!?」
眉間に皺を寄せ、踵を返す。
「すまない、オルニア! 俺はすぐに現場に向かわなければならない。この埋め合わせはいつか必ず!」
騎士達と顔を見合わせると、クリスチャンは物凄い勢いで街を駆けていった。
(通り魔、か)
現場がどのような状況かは分からないが、被害が出ていることは間違いない。軽傷ならば良いが、重傷者も居るかもしれない。犯人が掴まっているのか――――未だだとしたら、被害が拡大する恐れもある。
(いずれにせよ、わたしには関係ないことね)
クリスチャンは去り際に、騎士を一人だけ置いて行った。オルニアを無事、城に送り届ける様にとそう伝えて。
(逃げるなら今)
ソワソワと落ち着きない騎士の方を振り向きつつ、オルニアは真剣な表情を浮かべた。
「あなたも、現場に向かいたいのでしょう? わたくしのことは良いから、早く行ってください」
「そういう訳には参りません! 私は殿下から、オルニア様をお守りするよう、固く言いつけられていますから」
真面目な主人の元には、真面目な従者が付く。焦れったさを感じつつ、オルニアは首を横に振った
「そんなこと言って! あなたが行けば、罪なき民が救われるかもしれないんですよ!」
「ですが! 殿下の言いつけは絶対で――――」
(あぁ……もう!)
「だったら、わたくしもディルム広場に向かいます。これなら、殿下の言いつけを破ったことにはならないでしょう!」
有無を言わさず走り出せば、騎士は焦ったように付いてくる。
(融通が利かない人間はこれだから嫌いよ!)
面倒だ。厄介なことこの上ない。しかし、雑踏に紛れれば、オルニアが逃げやすくなるのもまた事実だ。
自分にそう言い訳をしながら、オルニアは人混みを掻き分けて、広場の中央へと躍り出る。
「何よ、これ……」
辺りは血に塗れ、とても悲惨な状況だった。鉄の臭い。呻き声や泣き叫ぶ声。
オルニア達の警護で王都に降りていた騎士達が応急処置に回っているが、完全に人手が足りていない。城から応援を呼ぼうにも、かなりの時間を要するだろう。
オルニアに付いていた騎士が、青褪めた表情で走り出す。誰にも手当てを受けていない負傷者の側にしゃがみ込むと、泣き出しそうな表情で止血を始めた。
(どうしよう)
足が震える。手足が冷たい。心臓がバクバクと早鐘を打つ。
このままでは、多くの人が命を落とすだろう。例え応援が来たとしても、医療では助けられない者もいる。
(逃げようと思っていたのに)
誰が苦しもうと、悲しもうと、オルニアには関係ない。
けれど、血の気を失った人々が、絶望に歪んだ騎士達の表情が、クリスチャンの叫び声が、オルニアをこの場に縫い付ける。
(あぁ……もう!)
「退いて!」
止血中の騎士を押しのけ、オルニアはその場にしゃがみ込む。ドクドクと噴き出す血液。大きく息を吸い、手をかざす。
「オルニア様、一体何を!」
「黙ってて!」
その瞬間、眩い光がオルニアの手のひらから降り注ぐ。それは傷口を覆う様にして広がり、やがて弾けた。しばしの沈黙。それから、皆が驚きに目を見開いた。
「奇跡だ……」
血が止まっている。痛みもないのか、先程までぐったりしていた男性は、オルニアを呆然と見遣った。
「オルニア様、あなたは――――」
「何をボサッとしているの」
オルニアが立ち上がる。騎士はハッとしたように居住まいを正した。
「騎士を集めて! 早くわたしを重傷者の元に案内なさい! それから、負傷者を出来るだけ一ヶ所に集めて!」
「はい!」
騎士が勢いよく走り出す。再び大きく息を吸い、オルニアは真っ直ぐ前を向いた。
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