上 下
25 / 35

25.練習(1)

しおりを挟む
 じりじりと太陽が肌を焼く。だけど気まぐれに吹き抜ける風が物凄く気持ち良くて、わたしは思いっきり天を仰いだ。


(やっぱ思い切り身体動かすと気持ち良いなぁーーーー)


 今日は公休日。
 わたしは京のはずれにある、とある道場に来ていた。


 本当はわたしや憂炎が通っていた道場に行きたかったのだけど、『華凛』として行っても思う存分身体を動かすことができない。師範や周囲に違和感を抱かせてはいけないからだ。

 武官の娘だけあって華凛も十分強いんだけど、わたしとは戦闘タイプが違う。
 華凛は非力なため、どちらかというと武器で力を補うタイプだ。動き方も効率重視で、わたしのように全力で身体を動かしたりはしない。

 だけど、せっかく好きなことをするんだもん。思う存分楽しみたい。


 だから、わたしのことを全然知らない別の道場を紹介してもらって、こうして良い汗を流した、というわけだ。


(暑い……頭がくらくらする)


 修練を終えた今、わたしは道場を離れ、少し離れた石段の上にひとりで座っている。


 二ヶ月に及ぶ後宮生活は、わたしの体力をすっかり奪っていた。
 そりゃあ、後宮内で鍛錬をしたこともあるけど、今日のそれは、あれとはちっともレベルが違う。

 そもそも、華凛として生活をすることになって、以前よりも大人しい生活を送っていたのだ。身体が鈍って当然だ。


 季節やペース配分を考えずに飛ばしたため、罰が当たってしまった。
 好きなことを楽しんだ結果だし、ここで倒れても後悔はないけど、己の馬鹿さ加減に嫌気が差す。


「――――ほら」


 ため息を吐いたその時、頬に冷やりとした何かが押し当てられた。
 青臭い竹の香りと、嫌ってほど聞き慣れた声。
 見上げれば、憂炎が呆れたような表情を浮かべ、佇んでいた。


「まぁ、憂炎。どうしてここへ?」

「……良いから。早く水分補給しないと倒れるぞ」


 問いかけには答えないまま、憂炎は竹筒をわたしの唇へと押し付ける。そのまま勢いよく水が流れ落ち、わたしの唇を濡らした。
 程よく冷えた液体。口を開けて飲み干せば、枯渇した身体が潤うような心地がした。


「少しは落ち着いたか?」


 そう言って憂炎は、わたしの額をそっと撫でる。
 風のおかげで表面は乾いているけど、内側は火照っていて、まだまだ熱い。
 憂炎は傍らに控えていた白龍から新しい竹筒を受け取ると、もう一度わたしの唇に押し当てた。


「憂炎ったら……過保護ですわね。水分補給ぐらい、自分でできますわ」

「嘘吐け。倒れる寸前だったくせに。お前は熱中すると、他のことはすぐ忘れるだろう?」


 憂炎はキッパリとそう言い切り、再び雑に竹筒を傾ける。おかげで服がビショビショになった。


「替えの服は? 持ってきてるのか?」

「えっと……」


 そんなもの、当然持ってきていない。

 水でビショビショになるなんて想定外だし、汗ぐらいなら気にしない。その辺をブラブラしながら乾かして帰れば、それで済む話だったんだもん。


 だけど、それは『凛風』なら、の話だ。
 

 『華凛』は絶対そんなことはしない。事前にきちんと替えの服を用意して、身体を動かしてきたことなんて微塵も感じさせない、涼しい顔で京を歩くのだ。


 だって、憂炎が来るなんて思ってもみなかったし。
 そんな小道具にまで気が回らなかったのだから仕方がない。


「それが、うっかり着替えを忘れてきてしまいまして」


 苦しい言い訳。
 憂炎が白龍に目配せをする。白龍は何も言わずにコクリと頷くと、そっとその場を離れた。


「白龍がすぐに着替えを持ってくる」

「助かりますわ。ありがとうございます」


 本当は着替えが必要になったのは憂炎のせいだし、お礼なんて言う必要ないと思うけど、今のわたしは『華凛』だ。腹は立てども仕方がない。


 憂炎は帰るのかと思いきや、わたしの隣に腰を落とし、こちらをじっと見つめてきた。


「なんですの? わたくしの顔をじっと見つめたりして」

「――――いや、可愛いなぁと思って」

(はぁ!?)


 暑さで頭がやられたのだろうか――――そう思いかけたけど、そういえば今のわたしは華凛だった。『凛風』に対して言うなら変な言葉でも、華凛に対してなら別に変じゃない。


「まぁ、嬉しい。だったら憂炎は、姉さまのことも可愛いと思われたりしますの? 同じ顔ですもの。少しぐらい褒めても罰は当たらないと思いますわ」


 それは『華凛』である今だからこそ言える皮肉だ。

 だって、憂炎はわたしを褒めたためしがない。
 可愛いとか、綺麗みたいな表面的な褒め言葉でさえ、吐いたためしがないのだ。


 だけど、この間の白龍の例もある。憂炎が『凛風』のことをどんな風に話すのか、少しだけ興味があった。


(まぁ、どうせボロクソに言うんだろうけど)


 それは予感じゃなくて確信。
 だけど憂炎は、とても穏やかに目を細めた。


「当然、誰よりも可愛いと思ってる」

「…………え?」


 目の前で紡がれた信じ難いセリフに、言葉を失う。心臓がドクンと大きく跳ねて、体温が一気に熱くなった。


しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

後宮物語〜身代わり宮女は皇帝に溺愛されます⁉︎〜

菰野るり
キャラ文芸
寵愛なんていりません!身代わり宮女は3食昼寝付きで勉強がしたい。 私は北峰で商家を営む白(パイ)家の長女雲泪(ユンルイ) 白(パイ)家第一夫人だった母は私が小さい頃に亡くなり、家では第二夫人の娘である璃華(リーファ)だけが可愛がられている。 妹の後宮入りの用意する為に、両親は金持ちの薬屋へ第五夫人の縁談を準備した。爺さんに嫁ぐ為に生まれてきたんじゃない!逃げ出そうとする私が出会ったのは、後宮入りする予定の御令嬢が逃亡してしまい責任をとって首を吊る直前の宦官だった。 利害が一致したので、わたくし銀蓮(インリェン)として後宮入りをいたします。 雲泪(ユンレイ)の物語は完結しました。続きのお話は、堯舜(ヤオシュン)の物語として別に連載を始めます。近日中に始めますので、是非、お気に入りに登録いただき読みにきてください。お願いします。

私は、あいつから逃げられるの?

神桜
恋愛
5月21日に表示画面変えました 乙女ゲームの悪役令嬢役に転生してしまったことに、小さい頃あいつにあった時に気づいた。あいつのことは、ゲームをしていた時からあまり好きではなかった。しかも、あいつと一緒にいるといつかは家がどん底に落ちてしまう。だから、私は、あいつに関わらないために乙女ゲームの悪役令嬢役とは違うようにやろう!

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

この度、青帝陛下の番になりまして

四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした

楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。 仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。 ◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪ ◇全三話予約投稿済みです

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...