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16.暇と妃と侍女の野望(2)

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 その夜。
 いつものように、憂炎は宮殿にやってきた。


「――――――凛風はどこだ?」


 普段着ている女官服ではなく、美しく着飾った暁麗を、憂炎が片眉を上げて見下ろしている。


「はぁ……凛風さまは湯浴み中でして」


 気まずそうに視線を彷徨わせつつ、暁麗は答えた。


 湯浴み中なんていうのは真っ赤な嘘だ。
 だってわたし、本当は部屋の隅にあるでっかい壷の中に隠れてるんだもん。

 音声だけじゃなく、ちゃんと状況が見えるよう、壷にちっちゃな穴まで空けた。
 これで憂炎がどんな反応をするか、バッチリ見届けられる。
 我ながら完璧な作戦だ。


「それで? 君のその格好は誰が?」


 どうやら暁麗は無事、憂炎の興味を引けたらしい。良かった。渋る侍女たちを説得して、ドレスや化粧でメイクアップさせた甲斐があったってもんだ。


(これは……もしかしたらイケるんじゃない!?)


 心臓をドキドキさせながら、わたしはゴクリと唾を呑む。
 久しぶりにワクワクしてきた。興奮で身体がソワソワする。


「凛風さまです。なんでも、わたしが着飾ったところが見て見たいとのお話で」

「なるほど、あいつの暇つぶしか」


 憂炎は小さく笑いながら、ため息を吐く。


 うん、間違ってない。
 これはわたしの暇つぶしだ。


 だけど、今このときだけじゃなく、早くここから逃げ出したいわたしと、これから先長い時間を後宮で過ごす華凛のための、壮大な暇つぶし。
 その最初の一手だ。

 上手くいけば、退屈な後宮ライフが充実し、一気に楽しくなる。
 きっとそうに違いない。


「大変だな、お前らも」

「いえ……わたしは可愛い服が着られて嬉しいですし、美味しいものももっとたくさん食べたいです」

「はぁ? 美味しいもの?」


 暁麗の瞳は、野心でギラギラと輝いていた。


(いいぞ! その調子!)


 心の中でげきを飛ばしつつ、わたしは手に汗を握る。


「殿下の寵愛をいただけたら、今よりも幸せになれますから」

「……まあ、そうだよな。普通はそう思うよな。綺麗な服を着て、美味いもの食って――――」


 憂炎は呟きながら、どこかへ向かって歩き出した。

 さっきまで小さく見えていた憂炎が、少しずつ少しずつ大きくなっていく。
 近すぎて最早顔が見えない。

 アイツの服が目の前の小さな穴を塞いで、壺の中が真っ暗になって――――って、あれ?


「夫に一途に愛されたら、幸せって感じるものだよな。
な、凛風?」


 パカッと軽快な音が鳴り、頭上に眩い光が射し込む。
 恐る恐る顔を上げると、凶悪な笑みを浮かべた憂炎が、わたしのことを見下ろしていた。


「え? あ……憂炎? 来てたんだ?」


 その場に屈んだままのわたしを、憂炎がヒョイと抱き上げる。口の端を引き攣らせ、眉間に皺をくっきりと刻み、ギラギラと瞳を光らせて。何でか知らないけど、こいつの逆鱗に触れてしまったらしい。


「あーーーーその、暇で暇で堪らなくてさ。侍女の皆とかくれんぼしてたんだよねぇ。だってさぁ、あまりにもすることが無いし――――――」

「そうか」


 弁明を聞いているのかいないのか。憂炎はそのままわたしを横抱きにすると、スタスタと歩き始めた。
 満面の笑み。だけど、目がちっとも笑っていない。


(怖っ! 何でそんなに怒ってるの?)


 得体が知れないものは恐ろしい。全身から血の気が引き、心臓がバクバク鳴り響く。


「だったら俺は、おまえが暇だと感じる余裕を無くさないといけないな、凛風」

「はぁ!? どういう意味だ!? 暇は暇だろう?」


 どう足掻いたところで、ここに居る以上、暇なことに変わりない。そんなこと、最初から分かりきったことだというのに。


「……お前は少し、思い知った方が良い」

「だから、何を!?」


 後宮にいる以上、わたしがこの生活に満足することは無い。だけど、今それを伝えたところで、火に油を注ぐようなものだろう。


(っていうか、こいつ)


 聞き間違いじゃなければ、憂炎はさっき『夫に一途に愛されたら、幸せだと感じる筈だ』なんて言っていた。
 わざわざ、このわたしに向けて。


 皇太子と妃は『夫婦』――――そう呼べなくもない。


 だけど、あいつが言ったのは一般論であって、わたし達に当てはまるものではないはずだ。
 きっと、そう。そうに違いない。

 だけど。


(なんか、めちゃくちゃ身体が熱い)


 火照った頬を憂炎に見せないようにしながら、わたしはそっと目を伏せたのだった。
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