上 下
10 / 35

10.妃と皇太子の攻防

しおりを挟む
(悪夢だ)


 妃としての『凛風』に与えられた宮殿で、わたしは今、憂炎と二人、向かい合って座っている。
 凛風として憂炎と対峙するのは実に3ヶ月ぶりのことだ。侍女たちが嬉々として茶を用意してくれているが、正直言ってそれどころじゃない。
 わたしはこめかみに青筋を立てつつ、憂炎に向かって微笑みかけた。


「――――一体全体、急にどうなさったんです? もうここにはいらっしゃらないと思ってましたけど」


 幸い、今のわたしはわたし自身――――凛風としてここにいる。変に淑女ぶったりせず、思う存分言いたいことが言えるのは有難い。嫌味だろうが苦情だろうが、何でも言い放題だ。


「自分の妃の宮殿に通って何が悪い。大体、全部おまえのせいだろう?」


 憂炎はため息を吐きつつ、わたしのことを睨みつけた。むすっと唇を尖らせたその表情は、実年齢より大分幼く見える。皇太子になったっていうのに、『凛風』に見せる本質の部分は何も変わっていない。わたしは憂炎を睨みつけた。


「わたしのせい? 一体わたしが何をしたって言うんだ」


 華凛はとても慎重なタイプだ。わたしと違って下手をやらかすとは考えづらい。

 第一、入内して以降、憂炎は後宮に通っていなかったのだ。
 一体いつ、どんなタイミングで、『わたし』が何をしでかしたのか詳しく教えてほしいものである。

 けれど憂炎は再び大きなため息を吐くと、そのまま口を噤んだ。
 どうやら教えてくれる気はないらしい。


(面倒くさいなぁ)


 長椅子に凭れ掛かったまま、憂炎は真っ直ぐにこちらを見つめてくる。目を背けたいけど、そうすると負けたような気がするので、必死に憂炎を睨み返す。


(それにしても憂炎の奴、一体いつ帰る気だろう?)


 チラリと窓の外を見ると、空は綺麗な藍色に染まっていた。星や月が上空でキラキラと輝いている。もうすっかり夜だ。


 早く帰ってもらわないとわたしが困る。
 すっっっっっっごく困る。


 たまたま華凛と入れ替わっただけのこんなタイミングで、もしも憂炎がその気になったりしたら――――――考えるだけでおぞましい。


「なぁ……仕事――――忙しいんだろう? さっき華凛が言ってた」


 暗に『帰れ』と促すため、わたしはそんな話題を持ち掛ける。


「…………まぁ、そうだな」

(まぁ、そうだなじゃない!)


 毎日毎日、残業続きで眠そうにしている様子を、わたしはこの目で目撃している。憂炎の執務室には今日も大量の書類の山が積み上がっているだろう。あまりの腹立たしさに、わたしは眉間に皺を寄せた。


「そろそろ戻った方が良いんじゃないか? 仕事、押しちまうぞ」

(むしろ帰れ)


 心の中で付け加えながら、わたしはニコリと満面の笑みを浮かべる。
 恐らく憂炎には、わたしの心の声までばっちり聞こえていることだろう。

 だけど、侍女達は主人である『凛風』の元に憂炎が通うことを望んでいるみたいだし、わたし達の関係性を良く知らない宦官から不敬だのなんだの騒がれるのも面倒くさい。あくまで憂炎が『自発的に』帰ったという体を取りたかった。


「いや――――今日の分はもう片付けてきた」

(は⁉)


 けれど、憂炎は思いがけないことを口にする。


(いや……絶対嘘だろ?)


 あいつの業務量をきちんと把握しているわけじゃないけど、ここ数日の様子を見るに、まだまだ仕事はてんこ盛りだろう。きっとそうに違いない。


「最近働きづめだったからな。2~3日はゆっくり過ごせるように調整してある」

(はぁ⁉)


 追い打ちを掛けるかの如く、憂炎はそんなことを言い放った。
 どこか勝ち誇ったように細められた瞳。ものすごく憎たらしい。


(ゆっくりするなら、自分の宮殿ですれば良いだろう!)


 心の底からそう言ってやりたい。
 『よりによって何故今日なんだ!』って罵ってやりたい。

 けれど、憂炎はこの場から動く気はないらしい。黙ってわたしのことを見つめ続けている。


(まさか――――憂炎は本当にわたしと一夜を過ごすつもりなのだろうか)


 いや。
 いやいや。
 いやいやいやいや。


 あり得ない。
 本気であり得ない。


 だって、本気で『凛風』を妃にしたいなら、この2ヶ月の間にとっくにそうしていた筈だ。
 今更すぎる。

 っていうか、絶対違うと思いたい。


(まだだ。まだどこかに逃げ道は残されているはずだ)


 きっと憂炎はわたしの反応を見て楽しんでいるんだ。
 仕事に少し余裕ができたもんだから。嬉しくなって、それでわたしを揶揄いに来たんだ。
 きっとそうに違いない。


「――――良かったじゃないか。疲れてそうだし、今日はぐっすり眠ると良いよ」


 暗に『さっさと寝ろ』『一人で寝ろ』と伝えつつ、わたしはニコリと微笑んで見せる。


(さぁ帰れ。とっとと帰れ。マジで心臓に悪いから)


 心の中で呟きながら、わたしは憂炎に念を送り続ける。


「――――――そうだな。今夜はここでゆっくり眠るとしよう」


 けれど憂炎はそう言って、めちゃくちゃ邪悪な笑みを浮かべた。
 わたしの全身からサーーーッと勢いよく血の気が引く。


「おまえと一緒の寝台で、な」


 止めとばかりに憂炎はそう口にし、ニコリと笑う。


(嘘だろ……?)


 ダメだ。
 逃げ道を完全に塞がれてしまった。

 心臓が変な音を立てて鳴り響く。
 わたしは口をハクハクさせながら、呆然と憂炎を見つめ返すことしか出来なかった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

【完結】身代わり悪女ですが、殺されたくないので完璧を目指します。

曽根原ツタ
恋愛
『国民的女優』ともてはやされていた宮瀬らんかは撮影中に突如現れた鏡に吸い込まれ、異世界へ転移してしまった。 実はこの鏡、殺された皇后を生き返らせるための術に使われたものなのだが、なぜからんかが召喚されたのである。 らんかは死んだ皇后と──瓜二つの容姿をしていた。 そこで、術でらんかを呼び出した皇帝が、犯人が見つかるまで、皇后のなりすましをするように脅迫してきて……? ☆小説家になろう様でも公開中

私の頑張りは、とんだ無駄骨だったようです

風見ゆうみ
恋愛
私、リディア・トゥーラル男爵令嬢にはジッシー・アンダーソンという婚約者がいた。ある日、学園の中庭で彼が女子生徒に告白され、その生徒と抱き合っているシーンを大勢の生徒と一緒に見てしまった上に、その場で婚約破棄を要求されてしまう。 婚約破棄を要求されてすぐに、ミラン・ミーグス公爵令息から求婚され、ひそかに彼に思いを寄せていた私は、彼の申し出を受けるか迷ったけれど、彼の両親から身を引く様にお願いされ、ミランを諦める事に決める。 そんな私は、学園を辞めて遠くの街に引っ越し、平民として新しい生活を始めてみたんだけど、ん? 誰かからストーカーされてる? それだけじゃなく、ミランが私を見つけ出してしまい…!? え、これじゃあ、私、何のために引っ越したの!? ※恋愛メインで書くつもりですが、ざまぁ必要のご意見があれば、微々たるものになりますが、ざまぁを入れるつもりです。 ※ざまぁ希望をいただきましたので、タグを「ざまぁ」に変更いたしました。 ※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定も緩くご都合主義です。魔法も存在します。作者の都合の良い世界観や設定であるとご了承いただいた上でお読み下さいませ。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

処理中です...