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1.非現実的な提案(1)

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凛風りんふぁに頼みがある。俺の――――妃になって欲しい」

「――――今、なんて言った?」


 聞き返しながら、わたしは思い切り眉を顰めた。

 目の前の男のことは良く知っている。幼い頃から同じ道場でしのぎを削って来た従兄弟で、名を憂炎ゆうえんという。
 現帝の妃だった母の姉が、後宮を離れた後に授かった子どもだ。

 だけど、伯母の下賜先は皇族ではなく高官の一人だ。妻を『妃』だなんて呼べる地位にはない。


(まったく……話がしたいと言うから何事かと思えば、こんな新手の冗談とはな)


 考えつつ、わたしは小さくため息を吐く。


「凛風に俺の妃になって欲しいんだ」


 けれど驚くべきことに、憂炎はもう一度、先程と同じ言葉を繰り返した。
 侍女も下男も全て下がらせて、この部屋にはわたし達二人きり。憂炎は真剣な眼差しでわたしのことを見つめていた。


「憂炎……おまえ、自分の妻を『妃』だなんて呼べる身分じゃないだろう? 大体、わたしがおまえと結婚なんて冗談が過ぎる。どうせならもっと笑える冗談を――――」

「皇太子になることが決まったんだ」


 憂炎はまた、思わぬことを言った。
 わたしは眉間に皺を寄せ、思い切り首を傾げる。


(皇太子? こいつが?)


 憂炎が生まれたのは、伯母が後宮を離れてから2年も経った後だった。伯母の子どもであっても帝の子ではない。少なくともわたしはそう聞いている。


(それなのに皇太子になんてなれっこないだろう?)


 百歩譲って帝の養子になれたとしても、血縁関係のないものに皇位を継がせるなんて馬鹿げている。クスリと笑って見せれば、憂炎はムッと唇を尖らせた。


「現帝に子がいないことは凛風も知っているだろう?」

「あぁ……皇后の嫉妬がすごすぎて、妃が懐妊しても出産まで行き着くことは稀。生まれても皆、幼くして亡くなっているって話だったよな。知っているよ。わたしだってこれでも高官の娘だ」


 巷で広がっている低俗な噂だが、現実問題現皇帝には子がいない。このままでは皇室の存続が危ぶまれると、父をはじめとした廷臣たちは冷や冷やしているのだ。


「――――その通り。だから俺は預けられて育った」

「預けられた? 一体、どういうことだ?」


 残念ながら憂炎の話は繋がっているようで繋がっていない。わたしは身を乗り出しながら唇を尖らせる。


「皇后に存在を知られないよう……殺されないように、俺は後宮で生まれてすぐ、密かに母――――おまえにとっての伯母に預けられた。母上は後宮の内情を知っていたし、父上は帝の信頼も篤かったからな。
だが、こうして元服を迎えた今、皇后も簡単には手出しができないし、俺の他には後継者もいない。だから、皇太子として宮殿に戻るよう、お達しがあったんだ」


 俄かには信じがたい話だが、憂炎の発言には淀みがないし、聞いている限り大きな矛盾点もない。


「じゃあ、憂炎は本当に皇子――――皇太子なのか?」

「さっきからそうだと言っているだろう?」


 憂炎は少し苛立たし気にそう言うと、グッと身を乗り出してくる。彼は何も言わぬまま、真剣な眼差しでわたしを見つめていた。手合わせをする時のようなビリビリとした緊張感に背中が震える。憂炎が再び口を開いたその時、わたしは反射的に後退り大きく深呼吸をした。


「だから凛風、俺の妃に――――」
「断る」


 きっぱりとそう口にして、わたしは立ち上がる。憂炎も同様に腰を上げた。


「おまえのことは好敵手――――従兄弟だと思って生きてきたんだ。今さらそんな男の妃になんてなれるもんか」

「凛風がそうでも、俺は違う。俺はずっと、凛風しかいないと思って生きてきた」


 憂炎の紅の瞳がこちらを見つめる。炎が揺らめくような、そんな眼差し。わたしは思わず顔を背けた。


(思えば、あいつとわたしはちっとも似ていない)


 世にも珍しい紅色の瞳。親族の中にそんな瞳の人間は居ないから、血が繋がっていないというのは確かなのだろう。

 漆黒の絹のような美しい髪の毛、陶磁器のような真っ白で滑らかな肌に、恵まれた体躯。憂炎は男にしておくには勿体ない、美しい顔立ちをしていた。
 街に出れば老若男女問わず視線を集めるし、実際に声を掛けられることも多い。いつか憂炎は、良いとこの美しい令嬢を嫁に貰うのだろうと思っていたのだが。


「――――無理だ。わたしにおまえの妃なんて……」


 父は高官だが、わたしは妃なんて柄じゃない。色んな場所に赴き、武芸の腕を磨きながら風のように自由に生きることがわたしの望みだった。堅苦しい後宮暮らしなんて出来る筈がないし、教養だとか慎みだとか、そういうものは持ち合わせていない。


(憂炎がわたしに何を期待しているのかは分からないが)


 人には適材適所というものがある。
 少なくともわたしが妃に向いていないことは、誰が見ても明らかだった。


「おまえが何と言おうと、もう決まったことだ。覆ることは無い」


 わたしの頬に手を伸ばし、憂炎は言う。
 憂炎の手のひらは燃えるように熱かった。修練のためにゴツゴツしている、いつもと同じ憂炎の手のひらのはずなのに、何だかまるで知らない男のもののように思えてくる。心臓が嫌な音を立てて騒いでいた。


(どうする? 一体どうすれば良い?)


 頭をフルに回転させたところで、答えは浮かんでこない。

 やがて、憂炎はわたしの頬をそっと撫で、なにも言わぬまま部屋を後にした。普段は感じることのない残り香が、あいつの存在を消してくれない。


「嘘だろ……」


 呆然と立ち尽くしたまま、わたしはついついそんなことを呟く。


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