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1.そのままの君が好きだよ

9.歪な器(1)

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「久しぶりだな、ディアーナ」


 ジャンルカ殿下は真顔でそう口にした。わたくしは唖然としたまま、その場から一歩も動くことが出来ない。殿下に掴まれたままの腕が、強く痛んだ。


「ど……どうして…………」


 言いながら声が震えてしまう。今後自分に関わるなと言ったのは、ジャンルカ殿下の方だ。


(それなのに、わたくしに声を掛けてくるなんて)


 彼の目的が分からず、わたくしは立ち竦むことしかできない。婚約を破棄された時の記憶が鮮明に蘇り、胸が強く痛んだ。


「君に用事がある。大事な用だ」


 そう言ってジャンルカ殿下は、わたくしのことを冷たく見下ろした。憎しみの見え隠れするグレイの瞳に、心が凍り付くような心地を覚える。彼はわたくしの顎を掬うと、小さくため息を吐いた。


「ディアーナ……僕ともう一度、婚約してほしい」

「…………え?」


 その瞬間、わたくしは大きく目を見開いた。


(この人は一体何を言っているのだろう?)


 あまりの驚愕に、今しがた聞いたばかりの言葉が理解できない。呆然としているわたくしに、


「君との婚約破棄を取り消したいんだ」


と、ジャンルカ殿下は言葉を重ねた。


(ジャンルカ殿下が、わたくしと婚約……?)


 考えながら、わたくしは小さく首を横に振る。言葉の意味は分かっても、その理由や真意が一切理解できない。
 彼は相変わらず、憎々し気な表情でわたくしのことを見下ろしていた。ジャンルカ殿下にわたくしへの愛情がひとかけらも存在しないことは明白だ。

 何度か大きな深呼吸をした後、わたくしは意を決してジャンルカ殿下を見上げる。心臓がドッドッと変な音を立てて鳴り響いていた。


「どうして今更そんなことを? 殿下はロサリア様と――――聖女様と婚約をなさるのでしょう? そのためにわたくしとの婚約を破棄したことをお忘れですか?
第一、殿下はわたくしと一緒に居ると疲れると――――そう仰っていたじゃございませんか」


 努めて冷静に口にしながら、わたくしは唇を真一文字に引き結ぶ。
 ジャンルカ殿下は大きなため息を吐くと、クシャクシャっと腹立たし気に髪を搔いた。


「父上――――陛下に叱られたんだ」

「……え?」

「勝手にディアーナとの婚約を破棄したこと。四年も婚約していたのに、聖女が現れたからという理由で一方的に破棄するなんて間違っている。王族との婚姻が伝統なのだから、相手はサムエレで良かっただろう……って。
そもそも、婚約破棄自体が事後報告で――――僕の口からではなく、サムエレから報告を受けたってことで、大層な怒り具合だった」

「そ、れは……」


 それらの可能性についてわたくしは、ジャンルカ殿下に事前にお伝えしたはずだ。けれど殿下は、まるで『指摘しなかったおまえが悪い』とでも言いたげな表情で、わたくしのことを睨んでいる。


「――――それでも陛下は、一応矛を納めて下さったんだ。既に破棄したものは仕方がない。ロサリアと婚姻を結べれば、責任は不問にすると。
だけど今度は、ロサリアの方が問題だった。驚くことに、彼女には密かに結婚を約束した恋人がいたんだ。王太子であるこの僕の……僕のプロポーズを…………あの女は無下に断った」


 そう言って殿下は声を震わせる。怒りのせいか、瞳が真っ赤に血走っていた。荒く呼吸を繰り返し、ニヤリと口角を上げた彼は、酷く狂気じみている。反射的に数歩後退ると、ジャンルカ殿下はすぐにわたくしを追いかけた。


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