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【終章】物語の終わりとはじまり

【番外編】王太子婚約者の恋愛事情(後編)

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 ヨハネスとクララは、宮殿までの道のりを並んで歩いた。クララは王太子の婚約者で、密室で異性と二人きりになるべきではないし『内緒話をする時は外の方が良い』とヨハネスが言うからだ。


「コソコソするから怪しまれるんだよ。堂々としている方が余程良い。もっとも、今から君に話すのは機密事項ではないけどね」


 勿体つけた言い方に、クララは僅かに片眉を上げる。


「機密事項じゃないけど提供したい情報? 一体どんな?」

「もうすぐ隣国の王女が来訪することはクララも知っているだろう?」

「ええ、それはもちろん」


 四方を海で囲まれたシャルゾネリア王国。渡航には大きな危険を伴うため、外交には大使を立てられることが多い。
 けれど今回、コーエンの王太子即位と、クララとの婚約を祝うため、王女アリスの来訪が決まっていた。


「アリス王女はね、絶世の美女らしいんだ」


 ヨハネスはそう言って、悪戯っぽく瞳を細める。それで?と視線で先を促してみても、彼はニコニコと微笑むばかり。


「…………へーー、そうなんですね」


 思っていたよりずっと、情報の重要性が低い。クララの眉間がピクピク動いた。


「大事なことだろう? 美しいっていうのは大きな武器だよ。なんでも、世話役にフリードとジェシカが指名されたらしいし、警戒しておいた方が良いんじゃないかなぁと思って」

「コーエンとジェシカ殿下が?」


 これにはクララも驚いた。コーエンは婚約を祝われる側であり、世話役に指名されることは通常ありえないからだ。


「意地が悪いですね……情報提供するならそっちを先に言ってくださいよ」


 クララの言葉に、ヨハネスは扇で口元を隠す。どうやら笑っているらしい。クララはムッと唇を尖らせた。


「本来なら、僕やカールが世話役を務めるべきだし、実際そのように準備をしていたんだ。だけど、先方の希望じゃ仕方ない。今頃父上がフリードに打診をしている頃だろうよ」

「なるほどね」


 先程のジェシカとのやり取りを思い返しつつ、クララは小さく唸り声を上げる。

 祝われる対象であるコーエンを世話役に立てる意味――――しかもコーエンは王太子で、相手は隣国の王女だ。


「隣国はアリス殿下とコーエンとの結婚を望んでいる?」

「……そうだね、その可能性が高いと僕は思っている」


 クララと婚約を結んだばかりで考えたくないが、あり得ないことではない。
 事は王族の婚姻。ひいては国同士の力関係や友好度合いにも関わってくる。己の知らぬ間に、全てが根底から覆されてしまう――――そんな可能性だって大いにあるのだ。


「情報を持っているのといないのとじゃ、戦い方が違うだろう?」


 ヨハネスはもう笑っていなかった。淡々と意見を述べつつ、クララの表情を窺っている。


「そうね。教えてくれてありがとう」


 きっとコーエンは、クララには何も言わないだろう。クララは日中王妃教育を受けている時間が長いし、国賓の接待は大事な公務だ。仰々しく構えられたくはないだろう。


「何かあったら、遠慮なく僕を頼ると良い」


 ヨハネスはそう言って、クララの頭をポンと撫でた。明るい表の顔とも、ほの暗い裏の顔とも違う真摯な表情。どんな表情を返せば良いか分からず、クララは思わず俯いてしまう。
 けれど、次の瞬間


「――――隣国の王女なんて、いかにも利用し甲斐が有りそうだからね。元々は僕が取り入る予定だったんだし、そちらの方が丁度いい。王太子でなくとも、金と権力は持っておいた方が良いだろう?」


 ヨハネスは妖しく目を細め、口の端にニヤリと笑みを浮かべた。すっかりいつも通りのヨハネスだ。


(何よ。ちょっとだけ、動揺しちゃったじゃない)


 ほっと胸を撫でおろしつつ、クララは居住まいをただした。


「状況は分かりました。わたしもそのつもりで動きます」


 言えばヨハネスは満足そうに微笑み、ヒラヒラと手を振った。


***


(とはいえ)


 もしも王女が本気でコーエンとの結婚を望んでいるなら、クララにはどうすることも出来ない。


『クララじゃないとダメだから、ずっと俺の側にいて欲しい』


 求婚の際、コーエンはそう言ってくれた。
 けれど、状況は刻一刻と変わっていく。プロポーズの言葉と国益とじゃ、後者の方が圧倒的に重い。
 コーエンがクララとの婚約を破棄したとしても、誰も彼を責めないだろう。クララとて受け入れるしかないと思っている。


(思っているんだけど)


 理性と感情は別物だ。
 本音を言えば、コーエンにはクララを選んで欲しい。クララ以外を愛する気はないと。唯一の妻だと言って欲しい。


(まだ、アリス殿下がどんな腹積もりかは分からないけど)


 ついついため息が漏れてしまう。


「クララ、戻ってる?」


 その時、執務室の扉が開き、コーエンが顔を覗かせる。クララは微笑みつつ、急いでコーエンを出迎えた。


「お帰りなさい、コーエン」


 二人きりの執務室内、ギュッと力強く抱き締められる。コーエンの温もりが、香が、酷く懐かしい。ヨハネスの情報提供のせいだろうか。目頭がほんのりと熱い。


(もしかしたらわたし、情緒不安定なのかも)


 そんな自分を誤魔化すかのように、クララはコーエンの胸に顔を埋めた。


「陛下のお話は? 何だったの?」

「ああ――――なんでも、近々ジェシカと剣舞を披露しなきゃいけないんだってさ」

「剣舞を?」


 てっきりはぐらかされると思っていたため、クララはいささか驚いてしまう。


(もしかして、アリス殿下の話じゃ無かったのかしら?)


 本当のところは分からないが、ヨハネスの勇み足ということも十分にありうる。情報とはそういうもの。収集、分析、取捨選択し、適切に動かなければならない。
 為政者は我慢強くあれ、とはヨハネスの教えだ。もう少し踏み込んでみたいところだが、これ以上の詮索は無用だろう。


「公務ばっかで身体が鈍ってるし、感覚も忘れてるから練習しなきゃな」


 コーエンはそう言って、小さくため息を吐く。


「頑張ってね、コーエン」


 頬にそっと口づければ、コーエンは至極嬉しそうに笑った。


***


 ヨハネスの事前情報通り、アリス殿下は大層美しい姫君だった。
 真っ白な肌にシルクのような光沢を放つ髪、紅い瞳が神秘的で、同性であるクララでさえ思わず息を呑んでしまう。


「この度は御即位、ご婚約、おめでとうございます」


 恭しく祝辞を述べられ、コーエンと共に笑顔で応える。


「本来ならば発表の折に参るべきところ、こうしてご挨拶が遅くなってしまったこと、父に代わってお詫び申し上げます」

「とんでもないことです。長旅でお疲れになられたでしょう? まずはごゆるりと身体を休めてください」


 コーエンはそう言って、スッと腕を差し出す。傍らには男装姿のジェシカが並んだ。
 アリスはパッと瞳を輝かせると、コーエンの腕を取り、美しく微笑む。クララの胸がツキンと痛んだ。


「わたくし、行ってみたい場所が沢山あるのです! 是非、お二人に連れて行っていただきたいわ!」


 三人の後をしずしず歩きながら、クララの表情は次第に曇っていく。
 『二人』とわざわざ言及したのだ。その中にクララは含まれていない。本当ならば同行したいが、叶わないだろう。

 チラリとコーエンを見上げれば、アリスと会話をしながら、楽しそうに微笑んでいた。それが正解だと分かっているが、モヤモヤはする。


(コーエン、わたしは?)


 何度もそう尋ねたくなったが、クララは必死に口を噤んだ。


 ヨハネスの情報は正しかった。
 世話役――――という言葉が正しいかは分からないが、アリスは連日に渡って、コーエンとジェシカを連れまわした。

 歴史的価値の高い神殿や離宮、湖等を見て回り、食事やお茶を共にする。まるで恋人――――いや、婚約者であるクララよりも余程親密だ。クララとコーエンは、滅多にデートなど出来ないのだから。



「――――こんなことをしている場合か?」


 尋ねたのはカールだ。
 イゾーレと共に汗だくになるまで、クララはひたすら走り続ける。腹筋、腕立て伏せ、剣の素振り等々、毎日クタクタになるまで身体を動かした。


「鍛えろって仰ったのは殿下でしょう?」


 そう言って唇を尖らせれば、カールは無言でため息を吐く。

 痛々しいことは重々承知。
 けれど、執務室に一人で居ると悲しくなる。苦しくなる。王妃教育を受けていても、何だか虚しく、無駄に思えてきて、どうにもやり切れないのだ。

 その点、身体を動かしている間は、嫌なことを忘れられる。夜、クララに会いに来たコーエンに対して強がりも言える。



「君は存外不器用だよね」


 五日が経過した頃、ヨハネスがクララの元を訪れた。イゾーレやカールは公務があるため、今日はクララ一人きりだ。
 ヨハネスの言葉に応えぬまま、クララは静かに汗を拭く。


「困ったときは僕を頼れって言ったのにな」


 呆れたような笑い声。クララは俯いたまま、グッと眉間に皺を寄せた。


「フリードとの結婚がダメになったら、僕のところに来れば良いだろ?」


 ヨハネスの胸に顔を押し付けられ、クララの目頭が熱くなる。ずっと堪えていた涙が零れ落ち、喉が焼けるように痛くなった。


「――――まだ、ダメになってない!」

「知ってる」


 ポンポンと背中を撫でられ、クララの口から嗚咽が漏れる。


「知ってるけど、僕は狡いからね。好きな子が弱っている時に漬け込むのは当然だろう?」


 胸が痛む。
 けれど、これまで一人で抱えていた重荷が一気に軽くなった気がした。


「君も少しぐらいズルを覚えた方が良いよ。人の好意を――――僕を利用して良いんだ。覚えておいて?」


 クララには頷くことも、首を横に振ることも出来なかった。


***


 その晩、クララはバルコニーで一人、風にあたっていた。


(コーエンは一体、どうする気だろう?)


 もうすぐアリスの帰国の日。けれど、彼からは何も――――婚約解消を匂わせるようなことは言われていない。

 けれどコーエンは、ずっとアリスの側に居る。

 自信なんて全くない。コーエンがクララを選んでくれること。コーエンの考えを直接尋ねるだけの勇気も。


「クララ!」


 けれどその時、扉をドンドンと喧しく叩く音が聞こえた。


「コーエン?」


 切羽詰まった声。急いでドアを開ければ、コーエンは勢いよくクララのことを抱き締めた。


「コーエン!? 一体どうしたの!?」

「行くなクララ! 頼むから、婚約破棄なんてしないで! 俺はクララが居ないとダメなのに!」

「……え? なに? どういうこと?」


 今にも泣きだしそうなコーエンの様子に、クララは戸惑い首を傾げる。


「どうすれば良い? どうしたら俺と結婚してくれる? ヨハネスじゃなくて、俺と――――」

「ちょっと、待ってよ! 婚約破棄だなんて……そんなこと考えてないわ。そもそもわたしの方からそんなことが出来る筈ないじゃない」


 あまりにも訳が分からず、胸が騒めく。


「大体、婚約を破棄しようとしているのはコーエンでしょ!」

「俺が!? そんなこと、する筈ないだろう?」


 コーエンは驚きに目を見開き、クララをまじまじと見つめる。


「一体どうしてそんなこと……」

「だって、コーエンったらアリス殿下に気に入られちゃったんでしょう!? 結婚を迫られてるんでしょ!? そしたらわたしは用済みじゃない! 王族同士の結婚の方が、国にとってもメリットが大きいもの!」


 堪えていた筈の感情が爆発する。ずっと抑え込んでいたのに、最早我慢が出来なかった。涙がポロポロと零れ落ち、クララの頬を濡らす。コーエンは呆然としながら、クララのことを眺めていた。


「クララ――――俺さ、王太子であることより、クララと一緒に生きることの方が、ずっとずっと大事だよ?」


 優しく涙を拭われ、クララは顔をクシャクシャにする。


「もしも隣国が『王太子との婚姻を望む』って言うなら、俺は喜んで王太子の位をカールかヨハネスに明け渡すよ。だけど、クララのことは渡せない。俺はクララじゃないとダメだから」


 ずっとずっと欲しかった言葉。不安や葛藤が涙に溶けて、胸を優しく温める。


「嘘……本当に、それで良いの?」

「もちろん。大事なのは王太子の地位じゃない。クララと一緒なら何だってできる。そうだろう?」


 コーエンの問い掛けに、クララは肩を震わせる。それからグッと背伸びをし、コーエンの唇を塞いだ。


「コーエン……わたし、すごく寂しかった」


 抱き締め、抱き締められる。コーエンは片手でクララを撫でながら、腕にグッと力を込めた。


「俺も。……好きだよ、クララ。クララが好きだ。絶対、放さないから」


 コーエンが愛し気にクララを見つめる。二人は微笑み合い、もう一度唇を重ねたのだった。


***


「ジェシカ殿下のファン!?」

「そう。正確には、ボクとフリードのセットが好きなんだってさ」


 ようやくアリスが帰国し、すっかり平和の戻った執務室。コーエンとジェシカとお茶を飲みながら、クララは呆気に取られていた。


「何でも、先の宴で大使が持ち帰ったボク達の絵姿が好みで、ずっと来訪の機会を狙ってたんだって。おかげで剣舞も披露する羽目になったし、結構大変だったよ」


 アリスが二人を世話役に指名した理由――――事の真相に辿り着き、クララは脱力してしまう。


「だから殿下は、出迎えの場でも男装をしていらっしゃったんですね」

「うん。そういうオーダーだったからね。だから大丈夫。あの子に恋愛感情はないよ。もちろんフリードにも。暇さえあれば『クララに会いたい』って漏らしてたぐらいだから、安心して?」


 揶揄するように微笑まれ、クララの頬が紅くなる。同時に、思わぬ形で自分の行動がバレてしまったコーエンは、照れくさそうに顔を背けた。


「それにしても、フリードは言葉足らずというか、不器用というか……クララを不安にさせるとは、まだまだ修行が足りないねぇ。ヨハネスの所に弟子入りでもして来たら?」


 その瞬間、ピクリとコーエンの身体が跳ねた。眉間にグッと皺を寄せ、不機嫌そうに唇を尖らせる。
 あの夜以来コーエンの前で『ヨハネス』は禁句だ。言えばクララを抱きすくめ、警戒を露に周囲を見回す。


「ねえ、コーエン。どうしてあの夜『わたしが婚約を破棄する』って勘違いしたの? そう言えばあの時、ヨハネス殿下の名前を口にしていたけど……」

「…………」


 事情を話したくないのだろう。コーエンは口を噤んだまま、そっぽを向いている。


「コーエン」

「実はね、あの夜ヨハネスから手紙が届いたんだ」

「ジェシカ! 勝手にバラすなって!」


 コーエンは真っ赤に顔を染め、バツが悪そうに頭を掻く。


「【クララは僕が貰う。君とは結婚させない。既にクララの承諾は得た】なんて書かれてあってさ。いやぁ、中々に情熱的な手紙だったなぁ。どっかの誰かとは大違いだ」

(そっか。そんなことが……)


 コーエンをけし掛けるため、前回同様ヨハネスは策を弄したらしい。
 もしも彼が『アリスがコーエンとの結婚を望んでいるわけではない』と知っていたのなら、本気ではなかったのだろうが。


(あれ?)


 気づけばクララの頬は真っ赤だった。胸がドキドキ鳴り響き、何だか居た堪れない気持ちになる。


「なっ……クララ!? ダメだからな! 絶対、俺と結婚してくれないと!」


 コーエンが大慌てで、クララの元に跪く。ジェシカがニヤニヤと笑いながら、二人のことを見つめている。クララは思わず口の端を綻ばせた。


「そうだ、クララ! 今から俺とデートしよう!」

「え? デート? 今から?」


 公務は既に終わったが、辺りは薄暗く、出掛けるには向かない時間帯だ。


「ああ。これまで会えなかった分、クララとたくさん一緒に居たい! 俺がどれだけクララのことを想っているか、伝える機会が欲しいんだ!」


 コーエンの必死の形相。何だかとても微笑ましくて、心臓が穏やかにときめく。


「どうしようかなぁ~~?」


 ヤキモキさせられた分、このぐらいの意地悪は許してほしい。それにコーエンだって少しぐらいは危機感を抱くべきだ。
 口の端をニヤニヤさせつつ、クララは颯爽と立ち上がる。


「クララ!」


 追いすがるコーエンを前に、クララはクルリと振り返る。それから満面の笑みを浮かべ、コーエンをギュッと抱き締めるのだった。
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みんなの感想(6件)

タチアオイ
2022.06.13 タチアオイ
ネタバレ含む
解除
hiyo
2021.12.17 hiyo
ネタバレ含む
解除
はらり𓃠
2021.12.16 はらり𓃠

面白くてテンポも良く一気に読んだ挙句、ついつい色々確認したくなって最初から読み返してます。

後日談あると嬉しいです♡

解除

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