上 下
30 / 39
【3章】クララの願いと王を継ぐもの

涙に濡れたプロポーズ

しおりを挟む
「……よく財部が許可を出したな」


 コーエンはクララが持ち帰った資料を眺めながら、感嘆の声を上げた。

 今回閲覧許可が与えられたのは、各地の財政状況だけではない。貴族の収支状況の資料も貸し出しが認められた。

 正直、コーエンもフリードもここまでの結果を期待していなかったのだろう。膨大な資料を前に、ただただ目を丸くしている。


「一体、どうやって説得したんだ?」

「なにも。ただ、時間をかけて口説いただけよ」


 ふふ、と目を細めてクララは笑う。

 クララは何も、嘘は言っていない。ただ、口説いた相手が違うだけだ。

 ゆるく束ねられたクララの髪の毛の中で、ピンク色をしたダイヤモンドが人知れず輝く。
 かつてヨハネスに貰い、コーエンを通じて返却した髪飾りが、契約の証として、クララの手元に返って来たのだ。


『もう外しちゃいけないよ。王位継承戦の結果が出る、その時まで』


 耳元で囁かれたその言葉を、クララは一人噛みしめる。

 クララの願いが叶うこと――――コーエンが王としての権利を手にすることはすなわち、クララがヨハネスと結婚することを意味している。


(少しずつ、心の準備を始めないとね)


 コーエンとの間に残された時間があとどれぐらいあるのか、クララにはよくわからない。けれど、時計の針が止まることはもうない。

 クララは資料とコーエンとを交互に見ながら、穏やかに微笑んだ。


 それからの数日間は、膨大な資料を読み込むために時間を費やした。

 資料を読んでわかったのは、マッケンジー家の財政状況も、彼の領地の財政状況も思ったよりは悪くない。かといって、密猟で儲けたという事実も読み取れない。どうして密猟に手を染めたのか、その理由はちっとも分からなかった。

 おまけにそれから数日後、シリウスの両親は刑部の取り調べに対して、自分たちが領民に密猟の許可を――――指示をしていたと認めてしまったのだ。


「さすがにお咎めなし、ってわけにはいかないだろう」


 コーエンとフリードは苦々し気にため息を吐く。クララも胸が強く痛んだ。


「マッケンジー家は密猟を行った者たちへの減刑と引き換えに、自分たちへの厳罰を望んでいる。里の住人は何も悪くない。全て指示を出した自分が悪いのだから、と」

「だけど、密猟者の罰って――――」

「良くて体罰。最悪死刑だね。少なくとも王都を追われることは間違いない。貴族が密猟の許可を出したという事例が無いから、どうなるかはわからないけど」


 まるで心臓が握りつぶされるかのような心地。眉間に皺を寄せ、クララは浅く呼吸を繰り返す。

 フリードは、シリウスを見捨てるのだろうか。彼にそんなつもりはなくとも、『仕方がない』と言われているような気がして、クララは拳をギュッと握った。


「密猟って――――そんなにも悪いことなの?」


 クララの声が、身体が震えた。ドレスの裾を握りしめ、立っているのもやっとだった。


「ごめんなさい。わたしには分からない。命をもって償わないといけないほどの罪なのか――――そもそも、この世にそれ程の罪があるのか」


 ここで言っても仕方がないことは分かっている。罪を、罰を決めているのはフリードたちではない。けれど、どうしても吐き出したかった。


「クララ……ボク達も同じ気持ちだよ。だけど、密猟は王に対して盗みを働いたのと同じ。全くお咎めなしってわけにはいかない。罰の程度が問題なだけで」


 そんなこと、クララだって分かっていた。
 けれど、気持ちはそう簡単に割り切れないのだ。


「フリード」

「――――あぁ、うん。ボクはこれから、カールと話をしてくるよ。これからのこと、相談しなくちゃならないし」


 そう言ってフリードは、静かに執務室を後にした。
 残ったのはクララとコーエンの二人きり。
 その途端、先程まで堪えていた涙がクララの瞳に溢れ出した。


「ごめっ……。本当は分かってるの。こんなの八つ当たりだって。だけど、だけど――――」

「良いから。俺の前でまで我慢するな」


 コーエンはそう言ってそっとクララを抱き締める。慣れ親しんだ温もりに、心が身体が安心する。


「コーエン」


 ポン、ポンと背中が撫でられて、クララの心が満たされる。

 コーエンならばきっと、こんな不条理を正してくれる日が来る。王となり、クララのために――――皆を守るために戦ってくれると信じられた。


「コーエン……好きっ。大好きっ」


 縋るようにしてコーエンを抱き締めながら、クララが感情を吐露する。耳のすぐ側でバクバクと音が聞こえる。コーエンの心臓の音だった。


「好きなの……コーエンのことが。すごく」


 好き、と続くはずだった言葉は、コーエンの唇に呑み込まれてしまう。

 心臓が甘く、切なく軋む。

 絡めるように繋がれた手のひらが温かくて、とても優しくて、苦しかった。


「――――っ、あんまり煽るな。抑えが利かなくなる」


 熱い吐息と共に吐き出されたセリフ。聞きながら、クララはポロポロと涙を零す。


「抑えなくていいよ」


 その言葉が何を意味するのか。貴族の令嬢として、どれほどはしたないことなのかを、クララはきちんと理解していた。

 だけど、誰に後ろ指を指されようと構わなかった。

 今、この時だけでも良い。コーエンのものになりたい。愛された記憶が欲しい。
 そう思ったところで、誰がクララを責められよう。


「~~~~~~っ!~~~~~~~~~~~~っ‼」


 コーエンは声にならない叫び声を上げながら、唇をギザギザに引き結ぶ。顔を真っ赤にして、何度もクララを見下ろしながら、フルフルと首を横に振る。


「コーエン……」

「あーーーーーー‼だめっ!ダメったらダメ!やっぱり、何度考えてもダメなものはダメだ!」


 コーエンはそう声を荒げながら、深々とため息を吐くと、じっとクララの瞳を覗き込む。ほんのりと紅く染まった頬と濡れた瞳。眉間には苦し気に皺が刻まれている。


(もしかして、呆れられた?)


 不安に駆られてそっと見つめ返すと、コーエンは困ったように笑いながら、ギュッとクララを抱き締めた。


「コーエン?」


 相変わらず、コーエンの吐息は熱い。聞いているだけで、クララの胸を熱く焼いてしまう。

 コーエンは少しだけ身体を離すと、もう一度クララの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「変なこと言ってごめんなさい……だけど、わたしは」

「違う。違うんだ、クララ」


 沈黙に耐え兼ねて零した言葉を、コーエンは優しく否定する。
 真摯な眼差し。心が騒いで堪らなくなる。


「俺はただ――――クララのことを物凄く大事に想ってる」


 胸の奥がツンと痛い。喉が瞳の奥が、熱くて堪らない。


「多分俺はクララが思うよりずっと……クララ以上にクララのことを大事に想ってるんだ。だからそういうことは――――ちゃんとクララを妻にしてからにするって、心に決めてた」

「…………え?」


 コーエンの言葉の意味が呑み込めないまま、クララは目を見開く。


(今、コーエンはなんて)


 クララの手のひらがそっと握られる。見ればコーエンはクララの前に跪き、熱っぽくクララを見つめていた。


「クララ――――俺と結婚して?絶対に幸せにする。毎日クララを笑顔にするって約束するから」


 この感情を何と呼ぼう。
 嬉しくて、嬉しくて堪らないのに。それ以上に悲しい。
 涙がボロボロと溢れてきて、止められない。


「クララじゃないとダメだから。ずっと俺の側にいてほしい」


 あぁ、なんて。
 なんて幸せで、なんて残酷な――――。


「ごめん、コーエン」


 クララはコーエンの手を引き立ち上がらせる。拭っても拭っても溢れかえる涙のせいだろうか。コーエンの表情が歪んで見える。


「わたし、コーエンとは結婚できない」


 その瞬間、何かが音を立てて崩れ落ちた気がした。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

王子様、あなたの不貞を私は知っております

岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。 「私は知っております。王子様の不貞を……」 場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で? 本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

王太子殿下の小夜曲

緑谷めい
恋愛
 私は侯爵家令嬢フローラ・クライン。私が初めてバルド王太子殿下とお会いしたのは、殿下も私も共に10歳だった春のこと。私は知らないうちに王太子殿下の婚約者候補になっていた。けれど婚約者候補は私を含めて4人。その中には私の憧れの公爵家令嬢マーガレット様もいらっしゃった。これはもう出来レースだわ。王太子殿下の婚約者は完璧令嬢マーガレット様で決まりでしょ! 自分はただの数合わせだと確信した私は、とてもお気楽にバルド王太子殿下との顔合わせに招かれた王宮へ向かったのだが、そこで待ち受けていたのは……!? フローラの明日はどっちだ!?

好きだった人 〜二度目の恋は本物か〜

ぐう
恋愛
アンジェラ編 幼い頃から大好だった。彼も優しく会いに来てくれていたけれど… 彼が選んだのは噂の王女様だった。 初恋とさよならしたアンジェラ、失恋したはずがいつのまにか… ミラ編 婚約者とその恋人に陥れられて婚約破棄されたミラ。冤罪で全て捨てたはずのミラ。意外なところからいつのまにか… ミラ編の方がアンジェラ編より過去から始まります。登場人物はリンクしています。 小説家になろうに投稿していたミラ編の分岐部分を改稿したものを投稿します。

【完結】愛され令嬢は、死に戻りに気付かない

かまり
恋愛
公爵令嬢エレナは、婚約者の王子と聖女に嵌められて処刑され、死に戻るが、 それを夢だと思い込んだエレナは考えなしに2度目を始めてしまう。 しかし、なぜかループ前とは違うことが起きるため、エレナはやはり夢だったと確信していたが、 結局2度目も王子と聖女に嵌められる最後を迎えてしまった。 3度目の死に戻りでエレナは聖女に勝てるのか? 聖女と婚約しようとした王子の目に、涙が見えた気がしたのはなぜなのか? そもそも、なぜ死に戻ることになったのか? そして、エレナを助けたいと思っているのは誰なのか… 色んな謎に包まれながらも、王子と幸せになるために諦めない、 そんなエレナの逆転勝利物語。

【完結】さよなら、大好きだった

miniko
恋愛
「私に恋を教えてくれませんか?」 学園内で堅物と呼ばれている優等生のルルーシアが、遊び人の侯爵令息ローレンスにそんな提案をしたのは、絶望的な未来に対するささやかな反抗だった。 提示された魅力的な対価に惹かれた彼はその契約を了承し、半年の期間限定の恋人ごっこが始まる。 共に過ごす内にいつの間にか近付いた互いの想いも、それぞれが抱えていた事情も知らぬまま、契約期間の終了よりも少し早く、突然訪れた別れに二人は───。 恋を知る事になったのは、どっち? ※両者の想いや事情を描く為に、視点の切り替えが多めです。

【完結】あなたのいない世界、うふふ。

やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。 しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。 とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。 =========== 感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。 4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

【完結済】次こそは愛されるかもしれないと、期待した私が愚かでした。

こゆき
恋愛
リーゼッヒ王国、王太子アレン。 彼の婚約者として、清く正しく生きてきたヴィオラ・ライラック。 皆に祝福されたその婚約は、とてもとても幸せなものだった。 だが、学園にとあるご令嬢が転入してきたことにより、彼女の生活は一変してしまう。 何もしていないのに、『ヴィオラがそのご令嬢をいじめている』とみんなが言うのだ。 どれだけ違うと訴えても、誰も信じてはくれなかった。 絶望と悲しみにくれるヴィオラは、そのまま隣国の王太子──ハイル帝国の王太子、レオへと『同盟の証』という名の厄介払いとして嫁がされてしまう。 聡明な王子としてリーゼッヒ王国でも有名だったレオならば、己の無罪を信じてくれるかと期待したヴィオラだったが──…… ※在り来りなご都合主義設定です ※『悪役令嬢は自分磨きに忙しい!』の合間の息抜き小説です ※つまりは行き当たりばったり ※不定期掲載な上に雰囲気小説です。ご了承ください 4/1 HOT女性向け2位に入りました。ありがとうございます!

処理中です...