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【2章】堅物王子と氷の姫君

姫君たちの不器用な恋

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(のどかだなぁ)


 クララはぼんやりと目を細めながら、大きく深呼吸をした。

 見渡す限り美しい緑が広がり、時折小鳥たちの囀りが聞こえる。王都では得られることのない経験に、クララはうっとりと微笑んだ。

 あれからすぐ、フリードやコーエン達は本日の目的である狩のために、森の奥へと出掛けて行った。
 ここまで付いてきたものの、女性であるクララは足手まといになるため、狩についていくことは出来ない。


(茶会も、男性陣が帰ってきた後のお料理の準備も、もう終わっちゃったし)


 料理だって本当は侍女や料理人を連れてきているため、クララの出る幕はない。けれど一応形式的に、クララ達も携わった。

 こうして、ここでの仕事を全て終えた今、クララは他の女性陣達とこうしてのんびり過ごしているのである。


(コーエン達が出掛けて、もう数時間こうしているけど、このままここに住むのも悪くないかも)


 ここ数か月、城の中であくせく働いてきた反動のためだろうか。何をするでもなく、のんびりと過ごせるこの時間が尊く感じられる。


「クララ様」


 その時、背後からクララの名を呼ぶ声がした。イゾーレの声だ。
 けれど、顔を上げてすぐ、クララは「えっ!?」と目を丸くした。


「お隣、宜しいでしょうか」

「そ、そりゃぁ宜しいけど……」


 答えながらクララはついつい口ごもってしまう。

 イゾーレは普段流している長い髪の毛を高い位置で一つにまとめ、軍服を身に纏い、見るからに重そうな剣を腰に挿していた。女騎士さながらの風貌。けれどそれが、イゾーレによく似合っている。


(だけど、さっきまではドレス姿だった筈なのになぁ)


 不思議に感じている間に、イゾーレはクララの隣に腰掛ける。彫刻でできたかのような美しく凛々しい横顔に、クララはほぅとため息を吐いた。


「どうしたの?その服装」

「殿下にお借りしたのです。……本当はこの装備で狩にも付いていきたかったのですが、断られてしまいました」


 イゾーレは抑揚のない声でそう語る。けれど、何故だかクララにはその奥に隠されたイゾーレの感情が読み取れるようになっていた。


「残念だったわね」

「はい、とても。……私も殿下のお役に立ちたかったのに」


 真っ白なイゾーレの手のひらが、ギュッと剣の柄を握る。何やら意地らしいその様に、クララはキュンと心臓を高鳴らせた。


「けれど、殿下は私に一つ、役目を下さいました」

「役目?」


 カールは一体どんな役目をイゾーレに与えたのだろう。クララはそっと首を傾げる。


「はい。クララ様を必ずお守りするように、と」

「…………えぇ?」


(イゾーレがわたしを守る?)


 何がどうしてそんな話になったのか分からない。クララは盛大に首を傾げた。


「この森、出るかもしれないのです」

「出るって、何が?」

「熊が」


 イゾーレは瞬きすらせぬまま、にべもなくそう言い放つ。
 クララは身体から血の気が引いた。


「だ、だけど……熊ってもっと森の奥に出るものでしょう?ここは人里に近いし」

「実は最近、近隣の村の農作物が何者かに荒らされているらしいのです。人が盗んだにしては不自然な食い荒らされ方だそうで」

「それが熊だっていうの?」

「はい。ですから、今回の狩猟は熊の調査討伐も兼ねているのです。このままでは、里に被害が出ますから」


 狩は貴族の特権だ。害獣が出ると分かっていても、村人たちが好き勝手に狩ることはできない。それに、熊が相手では、それが訓練された人間であっても、狩猟時に命を落としかねない。


「で、でも、それとわたしを守るっていうのとは繋がらなくない?」


 いくらイゾーレが剣の訓練を受けていたとはいえ、こんな細腕で熊を討伐できるわけがない。第一、カールがクララを守るように指示する理由など、何処にもないのだ。


「殿下は……カール様は、クララ様のことを大事に思っていらっしゃるようなのです」

「…………え?」


 いつも感情を見せないイゾーレには信じがたいほどの、苦し気な声。見ればその瞳はゆらゆらと揺れ動き、身体が小刻みに震えている。


「あんなに楽しそうに誰かの話をする殿下を、私は知りません。クララ様が羨ましいと、そう思いました。殿下のお求めになる妃は、あなたのような方なのだと」


 心の奥底から絞り出すかのようなイゾーレの声が、クララの胸を打つ。

 違う。そんなことはない、と口を吐いて出そうになる。

 けれど、本人に話を聞いたわけではない以上、クララは何も言えない。事情を知らない人間が余計なことを言えば、イゾーレを必要以上に傷つけることになるからだ。


(だけど)


 もしもクララがジェシカ――――コーエンの想い人と対面する日が来るとしたら、クララはイゾーレのように冷静さを保っていられるだろうか。

 己とジェシカを比べ、不満を嫌味に混ぜて、最後には我を忘れて嫉妬心をぶつけてしまうのではないか。みっともなく泣き叫び、醜態を晒すのではないか。そんなことを考える。


「わたしはね、カール殿下の妃になれるのはイゾーレ、あなたしかいないと思う」


 真っ直ぐにイゾーレの瞳を見つめながら、クララは言う。

 凛としていて美しい、クララにはない強さを持ったお姫様。そんな彼女が、クララには眩しくてたまらない。


「だって、イゾーレ以上にカール殿下を想っている人なんていない。そうでしょう?」


 そっとイゾーレの手を握りながら、クララは微笑みかける。

 それはもう何度も、己自身に言い聞かせた言葉。コーエンへの想いをクララ自身が認めるだけで、随分と楽になれた。胸を焦がすほどの嫉妬心を抑えることができた。


(イゾーレが求める言葉もきっと同じ)


 そう信じて、クララは真っ直ぐにイゾーレを見つめる。


「……はい」


 イゾーレはやがて、コクリと力強く頷いた。その瞳には涙がいっぱいに溜まっている。


「私、カール様をお慕いしているんです。とても尊敬しているし、好きで好きで堪らない。あの方の力になりたい」

「うん」


 美しいイゾーレの顔がクシャクシャに歪む。けれどそれは、これまでクララが見てきたどんな彼女よりも綺麗だった。


(なんだか、こっちまで泣けてきちゃう)


 イゾーレの背を擦ってやりながら、切なさが胸いっぱいに広がる。どうか、イゾーレだけでも幸せになってほしい。

 そう願ったその時。ガサガサッと近くの茂みが大きく揺れ動く音が聞こえた。

 なんだろう、とクララが振り向いたその瞬間、木の陰に見え隠れする大きな黒い影。


(まっ、まさか……)


 呼吸をすることすら忘れ、クララは恐怖に身体を強張らせる。


「イッ……イゾーレ」


 殆ど聞き取れないほどの声音でクララがイゾーレに呼びかける。

 涙を拭いながらイゾーレがゆっくりと後を振り返ったその時。木々の間を縫う様にして、一頭の巨大なクマが二人の前に姿を現した。
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