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【2章】堅物王子と氷の姫君
計算尽くしの恋心
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「コーエン!コーエンったら!どこ行くの!?」
クララがどんなに叫んでも、コーエンはこちらを振り返ることなく、ずんずん先へと進んでいく。逃げ出そうにも、掴まれた手が燃えるように熱くて、クララは大人しく彼の後を付いていくことしかできない。
やがて連れ込まれたのは、クララも未だ足を踏み入れたことのない、フリードの宮殿の一番奥にある部屋。
広さといい、豪奢さといい、他とは比べ物にならないその部屋は、誰かの私室のようだった。
「ここ、どなたのお部屋なの?こんなところに勝手に入って大丈夫……」
「そんなこと、今はどうだって良い!」
そう口にしながら、コーエンがクララににじり寄る。背中を壁を押し当てられ、コーエンの両腕が檻の如くクララを囲う。逃げ場なんて何処にもない。
心臓の音がバクバクと騒いでうるさい。まるで己の胸に耳を押し付けているかのような奇妙な感覚だ。
(何を言われるんだろう)
怖さと、戸惑いと、ほんの少しの期待。
観念してコーエンの顔を見上げた瞬間、クララは身体中の血液が沸騰するかと思った。
苦し気に寄せられた眉、濡れた瞳、高揚した頬に、紅く色づいた唇。
クララに恋愛経験なんてまるでない。だからこれは、本能によるものなのだろうか――――クララの身体はコーエンの中に宿る欲を感じ取っていた。
「何で俺に言わなかった?」
「なっ……何が?」
「カールとのこと。おまけに逢引きなんて嘘吐いて――――――そんなに俺を妬かせたかったの?」
「ちがっ」
その瞬間、クララの剥き出しになった首筋に、柔らかく、生温かい感触が走る。耳を塞ぎたくなるような湿り気を帯びた音。唇で軽く吸われただけで駆け巡る、ゾクゾクと痺れるような感覚。
クララは必死にコーエンを押し返し、首を横に振った。
「――――クララが皆と打ち解けるタイプなのは分かってる。儀礼官たちから人気があることも。でも、カールの奴が誰かにあんなに気を許してるのを初めて見た」
腰のあたりを抱き寄せられて、クララはビクリと身体を震わせる。切なげな声音がクララの心をずぶずぶに溶かす。上手く立っていられなくて、けれどコーエンに身を預けるわけにもいかない。必死に両足で踏ん張って、ギュッと目を瞑った。
「あのまま俺たちにバレなかったら、カールと二人きりで逢瀬を続けた?あんな堅物と心を通わせて、想いを寄せられていって、あいつの内侍に――――妃になるつもりだった?」
コーエンは顔を上げてと強いるかのように、クララの髪の毛に顔を埋める。耳元に掛かる熱い吐息。クララはふるふると首を横に振った。
「そんなつもりないわ。仔猫のこと――――侍女からもう聞いてるんでしょう?誰にもバレないようにしろって、カール殿下から命令されたの。普段あんなに厳しい方だもの。他の人には見せられないって仰って。コーエンなら分かるでしょう?」
「……分かるよ。分かる。だけど、それでも嫌だった」
先程までの勢いが一転、コーエンは甘えるように囁きかける。
身体に働きかけるような問いかけだったのが、まるで今は心に直接訴えかけるよう。コーエンに振り回されてばかりで、クララは気持ちが追い付かない。
「嫌だった……クララは俺のなのに」
コーエンはまるで毒気を抜かれたように、シュンと肩を落とし、苦し気に目を細めている。先程もカールに対して口にしていた言葉だ。
「そんなこと言って!」
クララは思わず声を荒げる。
「コーエンは……コーエンはわたしのものになってくれない癖に!」
言いながら、クララの瞳に涙が滲んでいた。
思わぬ言葉だったのだろうか。コーエンの目が丸く見開かれる。
(こんなの、わたしのものになってほしいって言ってるのと同じじゃない)
この国では重婚は禁止されていない。寧ろ地位の高い男性は、妻が複数いるのが当たり前という国柄だ。
だからコーエンは、本来手の届かぬ存在であるジェシカ王女も、手頃な存在であるクララも。どちらも欲しているのかもしれない。己のものにしたいと、そう思っているのかもしれない。
少なくともクララを想う気持ちだけは、演技ではなく本物なのかもしれないと思い至る。
けれどクララは、そんな状態ではとても満足できそうにない。
コーエンが自分以外の誰かに笑いかけるのが嫌だ。触るのも、手柄を立てようと努力するのも、全部全部嫌だった。
どす黒い独占欲が、己の中に渦巻いている。恋はもっとキラキラと輝いていて、楽しいだけのものだと想像していた。けれど現実は、そんなに甘いものではない。
(分かっているのに手放せないのは、苦しさの中に幸福感や甘さを感じているから)
今だってクララは、あんなセリフを吐いておきながら、コーエンが優しい言葉を吐いてくれることを心のどこかで期待している。優しく抱き締めてくれることを望んでいるのだ。
(こんなわたしに王太子妃の資格なんてない)
それが、この数か月間でクララが辿り着いた結論。
けれど、今この場所に縋りついてさえいれば、少なくともその間、コーエンはクララの側にいてくれる。クララの存在を望んでくれるし、喜んでくれる。そう分かっているから退くこともできない。
「クララ……俺はクララだけのものだよ」
望み通りの言葉。優しくて温かい抱擁。慈しむような口付けに、クララの心の中にじわりじわりと甘さが蓄積されていく。
目を開ければ、まるで恋が成就したことを喜ぶような、嬉しそうな微笑みがクララを見下ろしている。けれどクララはまだ、コーエンのようには笑えそうにない。
(嘘吐き)
誤魔化すようにコーエンを抱き返しながら、クララはそっと涙を流した。
クララがどんなに叫んでも、コーエンはこちらを振り返ることなく、ずんずん先へと進んでいく。逃げ出そうにも、掴まれた手が燃えるように熱くて、クララは大人しく彼の後を付いていくことしかできない。
やがて連れ込まれたのは、クララも未だ足を踏み入れたことのない、フリードの宮殿の一番奥にある部屋。
広さといい、豪奢さといい、他とは比べ物にならないその部屋は、誰かの私室のようだった。
「ここ、どなたのお部屋なの?こんなところに勝手に入って大丈夫……」
「そんなこと、今はどうだって良い!」
そう口にしながら、コーエンがクララににじり寄る。背中を壁を押し当てられ、コーエンの両腕が檻の如くクララを囲う。逃げ場なんて何処にもない。
心臓の音がバクバクと騒いでうるさい。まるで己の胸に耳を押し付けているかのような奇妙な感覚だ。
(何を言われるんだろう)
怖さと、戸惑いと、ほんの少しの期待。
観念してコーエンの顔を見上げた瞬間、クララは身体中の血液が沸騰するかと思った。
苦し気に寄せられた眉、濡れた瞳、高揚した頬に、紅く色づいた唇。
クララに恋愛経験なんてまるでない。だからこれは、本能によるものなのだろうか――――クララの身体はコーエンの中に宿る欲を感じ取っていた。
「何で俺に言わなかった?」
「なっ……何が?」
「カールとのこと。おまけに逢引きなんて嘘吐いて――――――そんなに俺を妬かせたかったの?」
「ちがっ」
その瞬間、クララの剥き出しになった首筋に、柔らかく、生温かい感触が走る。耳を塞ぎたくなるような湿り気を帯びた音。唇で軽く吸われただけで駆け巡る、ゾクゾクと痺れるような感覚。
クララは必死にコーエンを押し返し、首を横に振った。
「――――クララが皆と打ち解けるタイプなのは分かってる。儀礼官たちから人気があることも。でも、カールの奴が誰かにあんなに気を許してるのを初めて見た」
腰のあたりを抱き寄せられて、クララはビクリと身体を震わせる。切なげな声音がクララの心をずぶずぶに溶かす。上手く立っていられなくて、けれどコーエンに身を預けるわけにもいかない。必死に両足で踏ん張って、ギュッと目を瞑った。
「あのまま俺たちにバレなかったら、カールと二人きりで逢瀬を続けた?あんな堅物と心を通わせて、想いを寄せられていって、あいつの内侍に――――妃になるつもりだった?」
コーエンは顔を上げてと強いるかのように、クララの髪の毛に顔を埋める。耳元に掛かる熱い吐息。クララはふるふると首を横に振った。
「そんなつもりないわ。仔猫のこと――――侍女からもう聞いてるんでしょう?誰にもバレないようにしろって、カール殿下から命令されたの。普段あんなに厳しい方だもの。他の人には見せられないって仰って。コーエンなら分かるでしょう?」
「……分かるよ。分かる。だけど、それでも嫌だった」
先程までの勢いが一転、コーエンは甘えるように囁きかける。
身体に働きかけるような問いかけだったのが、まるで今は心に直接訴えかけるよう。コーエンに振り回されてばかりで、クララは気持ちが追い付かない。
「嫌だった……クララは俺のなのに」
コーエンはまるで毒気を抜かれたように、シュンと肩を落とし、苦し気に目を細めている。先程もカールに対して口にしていた言葉だ。
「そんなこと言って!」
クララは思わず声を荒げる。
「コーエンは……コーエンはわたしのものになってくれない癖に!」
言いながら、クララの瞳に涙が滲んでいた。
思わぬ言葉だったのだろうか。コーエンの目が丸く見開かれる。
(こんなの、わたしのものになってほしいって言ってるのと同じじゃない)
この国では重婚は禁止されていない。寧ろ地位の高い男性は、妻が複数いるのが当たり前という国柄だ。
だからコーエンは、本来手の届かぬ存在であるジェシカ王女も、手頃な存在であるクララも。どちらも欲しているのかもしれない。己のものにしたいと、そう思っているのかもしれない。
少なくともクララを想う気持ちだけは、演技ではなく本物なのかもしれないと思い至る。
けれどクララは、そんな状態ではとても満足できそうにない。
コーエンが自分以外の誰かに笑いかけるのが嫌だ。触るのも、手柄を立てようと努力するのも、全部全部嫌だった。
どす黒い独占欲が、己の中に渦巻いている。恋はもっとキラキラと輝いていて、楽しいだけのものだと想像していた。けれど現実は、そんなに甘いものではない。
(分かっているのに手放せないのは、苦しさの中に幸福感や甘さを感じているから)
今だってクララは、あんなセリフを吐いておきながら、コーエンが優しい言葉を吐いてくれることを心のどこかで期待している。優しく抱き締めてくれることを望んでいるのだ。
(こんなわたしに王太子妃の資格なんてない)
それが、この数か月間でクララが辿り着いた結論。
けれど、今この場所に縋りついてさえいれば、少なくともその間、コーエンはクララの側にいてくれる。クララの存在を望んでくれるし、喜んでくれる。そう分かっているから退くこともできない。
「クララ……俺はクララだけのものだよ」
望み通りの言葉。優しくて温かい抱擁。慈しむような口付けに、クララの心の中にじわりじわりと甘さが蓄積されていく。
目を開ければ、まるで恋が成就したことを喜ぶような、嬉しそうな微笑みがクララを見下ろしている。けれどクララはまだ、コーエンのようには笑えそうにない。
(嘘吐き)
誤魔化すようにコーエンを抱き返しながら、クララはそっと涙を流した。
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