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【2章】堅物王子と氷の姫君
クララの逢引き相手
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「なぁ、クララ」
「えっ……?なに?」
執務室の扉に手を掛けたところで呼び止められ、クララはそろりと後ろを向く。
「おまえ、最近この時間になると絶対にどっかに行くよな?」
「そんなことないけど?」
コーエンの問いかけに、クララは心臓をドキドキと鳴らす。
(ヤバい……急がないと、また叱られてしまう)
そわそわと視線を彷徨わせながら、クララはコーエンに微笑みかけた。
「破滅的に嘘が下手な奴」
「えぇ!?」
コーエンはツカツカとクララの方に詰め寄ると、不機嫌そうに目を細めた。
「さっきからずっと顔が引き攣ってるし、足はそわそわ動いてるし、何度も扉の方振り向いてさ。何?逢引きの相手でも出来たわけ?」
すぐ目の前にコーエンの顔が迫る中、クララはムッと唇を尖らせる。大きく深呼吸を一つして、視線を絡める。
「――――――よく分かったわね」
その瞬間、コーエンだけじゃなくてフリードの顔もピシャリと音を立てて引き攣った。
クララは嘘は吐いていない。こうしている間にも、相手はクララとの逢瀬を今か今かと待ち構えていることだろう。そう思うと、ついつい顔がにやけてしまう。
「相手はどこのどいつなんだ!?」
「そんなの、教えるわけないでしょう?邪魔されたくないもの」
興奮したように顔を赤らめるコーエンに、クララは素っ気なく言い放つ。
相変わらず演技が上手なことで、と冗談めかして言ってみたいが、そもそも最近コーエンから、クララを気に掛けるようなアプローチもない。クララが堕ちたことで、もう必要性がないとでも思ったのだろうか。
(わたしのことを管理したいなら、安心なんてしないでよね)
心の中であっかんべーをしながら、クララは不敵に笑う。
コーエンは思い通りにならないことが余程歯痒いのだろうか。眉間に皺を寄せ、パクパクと口を開け閉めしている。
対するフリードは呆気にとられたような表情を浮かべているものの、事態を面白がっているようにも見えた。
「それじゃぁ行ってきます」
満面の笑みを浮かべて、クララは手を振る。
フリードは姿の見えなくなったクララに笑顔で手を振り返すと、悔し気に震えているコーエンの肩をそっと叩いた。
フリードの宮殿の端にある、今は誰にも使われていない小部屋。クララは1日数回はこの部屋を訪れる。そして、その内の一回だけは時間が決まっていた。
「遅い!一体なにをしていた!」
扉を開けた瞬間、思った通りに声を荒げられ、クララはため息を吐く。
がっしりと筋肉の付いた長身に、眉間に深く刻まれた皺、けれど腕の中に小さくて愛らしい仔猫を大事に抱えた男性――――カールが目の前に立っていた。
これまでと変わらぬ威圧的な声に態度。けれど、最初の頃に感じていたような恐れはもう抱いていない。相変わらず大きい声だなぁ、と思う程度だ。
「なにって、当然お仕事です。わたしは内侍ですから」
「そうは言ってもこちらもおまえの仕事だ。俺が命令した、れっきとした仕事だろう」
カールはそう主張するなりムスッと唇を引き結んだ。
それは、クララの逢瀬の相手――――仔猫と出会ったあの日のこと。
「おまえ、この子を誰かが迎えに来ると思うか?」
お腹の一杯になった仔猫と戯れながら、カールが尋ねる。
太い指先がちょこちょこと空を舞い、動きに釣られた仔猫が軽いパンチをお見舞いする度、クララの胸がキュンと疼く。カール自身も先程からノックアウト寸前といった様子で、悶絶を繰り返している。観察対象が二つもあると中々に忙しいなぁ、とクララは微笑んだ。
「いえ。恐らくは来ないでしょう。親猫とはぐれたか――――あるいは、城の人間がこっそり飼っていた猫が子を生んで、意図的に置き去りにされたか……どちらかだと思うので」
「後者だとしたら許せん!見つけたらすぐに罷免し、罰を与えてやる!」
そう言ってカールは怒りで顔を真っ赤にし、拳をわななかせている。
「落ち着いてください。あくまで仮定の話ですよ」
クララがそう伝えても、カールは怒りが治まらないらしい。ふーふーと息を荒げている。
「…………ごめんなさい、前言撤回します。答えはきっと前者です。だって、城の中に捨てるなんてリスキーなこと、わたしならしませんもの。隠して王都に連れて行って、そこで捨てます」
「そうか。うむ……親とはぐれたなら仕方なかろう」
カールはそう言って、ようやく落ち着きを取り戻した。
なんとなくだが頭の固い人間――――もといカールの懐柔方法が見えてきた気がして、クララはほっとため息を吐く。饗宴の際、コーエンが回りくどい方法を取った理由を身を以て知った気がした。
「それで、この仔猫はこのままここにいて問題ないだろうか?」
どうやら彼にとってはこちらが本題だったらしい。クララはしばらく逡巡してから、真っ直ぐにカールを見つめた。
「あまり宜しくはないかと……。見れば生後間もないようですし、この辺は大型の鳥類も頻繁に見かけますから」
「……ならばどうするのが良いと思う?」
カールが全てを独断専行するタイプの人間だと思っていたクララは、思いのほか彼がクララの意見を聞こうとすることに戸惑ってしまう。
(それだけ、この子のことを大事に想ってるってことなんだろうけど)
ミャウ、と甘えるように仔猫がカールを見つめる。あまりの可愛さに頭を撫でてやりながら、クララはコホンと咳ばらいをした。
「それは当然、殿下がご自身の宮殿に連れ帰られるのが宜しいかと」
「俺の宮殿、だと?」
「はい。そうすれば好きな時に会うことができますし、可愛がれます。この子も殿下に懐いてますし」
「ふぅむ……」
カールは唇を尖らせ、顎に手を立てて唸った。
何か問題でもあるのだろうか?と考えたところで、クララはカールの普段と今のギャップを思い出す。
(殿下は威厳が全て、みたいなお人だものね)
クララのことは良く知らない人間だから『バレてしまったからには仕方がない』と思えたかもしれないが、彼が他の人間に対してもそんな風に思えるかは別問題だ。
(わたしは良いと思うんだけどなぁ、このギャップ)
彼の強さや厳しさ、規律を重んじるその様を尊敬し、従っている人間は多いだろう。けれど、彼の従者の中には少なからず、恐怖のみに支配された人間もいるはずだ。そんな人間が今の彼を見たら――――そのギャップに惹かれるのではないだろうか。
「よし、決めた!」
「はっ……なにをですか?」
「おまえ!」
「はい……っと、わたしですか?」
「そうだ、おまえだ。これからこの猫をフリードの宮殿で飼え!」
「えぇっ!?」
即座に返事をしなければ怒号が飛ぶと分かっていて、クララは必死でやり取りを返す。
(でも待って!わたしが宮殿でこの子を飼うって……)
フリードは相談すれば許可してくれるかもしれないが、今の段階で勝手に安請け合いをするわけにもいかない。
とはいえ、カールが決めたというからには、答えはイエスしかないのだろうと察しがついた。
「それから、飼うのはフリードの奴にバレぬよう、こっそりにしろ!バレたら俺が会いに行けなくなる」
「えっ、会いに来るんですか?」
「当たり前だろう!」
仔猫を小脇に抱えながら、カールはくわっと身を乗り出す。以前のクララならば、ただただ怖いと思っただろう。けれど今は、不思議と笑いすら漏れてきた。
かくして、コーエンやフリードには内緒の『仔猫の定時報告』という業務が、クララに加わってしまったのだった。
「わたしはフリード殿下の内侍ですから、そちらが優先になるのは当然でしょう?」
そうは言うものの、内侍というのは女官の一種だ。王族から命じられれば、主人が誰であっても従う義務がある。要は命令系統の問題だ。
「だったらおまえが俺の内侍になれば良いだろう?」
「無茶言わないでください!なんでわたしが殿下の内侍にならなきゃいけないんですか!」
ムスッと唇を尖らせながら、クララが反論すると、カールはグッと言葉を詰まらせた。
「それで?この子の様子は?」
「元気です。ミルクもたくさん飲んで、もうすぐ離乳食も始められるかと」
そう報告するものの、基本的にはクララが日中仔猫の面倒を見る時間はない。仔猫のためにクララ付きの侍女の一人を買収して専任飼育係とし、日々の報告を受けている。残念ながら、彼女はカールの恐怖を克服できなかったため、今ここにはいない。
「そうか。頑張って大きくなっているのだな」
普段は鋭いカールの眼光が、穏やかに丸くなっている。鼻先を擦り合わせ、嬉しそうに微笑まれては、クララも態度を軟化させるしかなかった。
「ですが、懸念事項が一つあります」
「むっ、なんだ?」
「先程、この定時報告のことがフリード殿下達にバレたんです。ですから、ここで飼育を続けていくのは将来的に難しくなるかと」
「バレたからなんだ!そんなこと、気にする必要なかろう?」
「フリード殿下が覗きに来るかもしれませんよ?良いんですか?敵に弱味を見せて」
「うっ……」
相変わらずカールとの会話はポンポンと熟考の時間なしに進んでいく。それはカールが実直で、言葉の裏の意味を勘繰る必要が無いからだろうと気づいたのは、割と最近になってからだ。
(コーエンとかフリード殿下はあんまり何考えてるか分からないし、色々と含みが多いから)
そう言う意味で言えば、カールと過ごす時間は疲労感が少なかった。
(しかし、元々は自分が『バレないように』って注文をつけた癖に)
カールはそのことをスッカリ忘れていたらしい。眉間に皺を寄せながら、うーーんと唸り声を上げた。
「…………仕方がない。ここはジェシカの奴に頼むか」
「ジェシカ?」
クララはカールの言葉をおうむ返しにしながら、ドクンと嫌な音を立てる胸を押さえた。
忘れもしない。それはコーエンの想い人の名前だ。
ジェシカがどこの誰なのか、どんな人なのか、クララは知らない。知ろうともしなかった。けれど、こんな所で話題に上るとは。
「こら、ジェシカ『殿下』だろう。あいつはああ見えても俺の妹だぞ」
「えぇっ!?」
クララは今度こそ、驚きを隠せなかった。
(――――ジェシカ殿下)
滅多に公の場に出てくることも、名前が話題に上ることも無い。けれど、思い返してみれば確かにクララはその名――――この国唯一の王女のことを聞いたことがあった。
(そうか……コーエンは王女様を…………)
王女とは人質とも成り得る重要な駒。そんな貴重な存在を一貴族が妻に望むことは容易くない。
余程武勲を上げたとか、名門であるとか、色々と必要とされる条件がある。
だからコーエンは、フリードを王太子とし、ジェシカを妻として迎え入れられるよう奮闘しているのだろう。
クララはようやく色んなことがストンと腑に落ちた気がした。
それと同時に、この恋が出口のない迷宮のように感じられる。
王女相手に勝ち目なんてとてもない。けれど、コーエンはきっとクララを放っておいてもくれない。愛するジェシカとの未来のために平気でクララを犠牲にするだろう――――。
「というかおまえがジェシカを知らぬはずが無かろう」
「えっ?すみません……お名前は存じ上げておりますが、面識はないもので」
「いや、そんなはずはない。ジェシカは先日の宴で―――――」
その時、バン!と音を立ててクララの背後にある扉が開いた。驚きに見開かれたカールの表情。
クララがビクリと身体を震わせながら振り向くと、そこにはコーエンとフリード、それからクララが買収した侍女が立っていた。
「噂をすれば」
カールは少しバツが悪そうに、唇をへの字に曲げている。
クララの身体から血の気が引いた。
(もしかしてサボってると思われた?だからこんな――――)
けれど、フリードは寧ろニコニコと微笑み、クララに向かって小さく手を振っている。ホッとするのも束の間、クララの手がグイッと強く引かれた。
「えっ」
「クララは――――クララは俺のものだ!」
コーエンはそう言って、あっという間にクララを部屋から連れ出してしまう。
呆気にとられた様子のカールを余所に、フリードは「行ってらっしゃい」と囁きながら、小さく微笑むのだった。
「えっ……?なに?」
執務室の扉に手を掛けたところで呼び止められ、クララはそろりと後ろを向く。
「おまえ、最近この時間になると絶対にどっかに行くよな?」
「そんなことないけど?」
コーエンの問いかけに、クララは心臓をドキドキと鳴らす。
(ヤバい……急がないと、また叱られてしまう)
そわそわと視線を彷徨わせながら、クララはコーエンに微笑みかけた。
「破滅的に嘘が下手な奴」
「えぇ!?」
コーエンはツカツカとクララの方に詰め寄ると、不機嫌そうに目を細めた。
「さっきからずっと顔が引き攣ってるし、足はそわそわ動いてるし、何度も扉の方振り向いてさ。何?逢引きの相手でも出来たわけ?」
すぐ目の前にコーエンの顔が迫る中、クララはムッと唇を尖らせる。大きく深呼吸を一つして、視線を絡める。
「――――――よく分かったわね」
その瞬間、コーエンだけじゃなくてフリードの顔もピシャリと音を立てて引き攣った。
クララは嘘は吐いていない。こうしている間にも、相手はクララとの逢瀬を今か今かと待ち構えていることだろう。そう思うと、ついつい顔がにやけてしまう。
「相手はどこのどいつなんだ!?」
「そんなの、教えるわけないでしょう?邪魔されたくないもの」
興奮したように顔を赤らめるコーエンに、クララは素っ気なく言い放つ。
相変わらず演技が上手なことで、と冗談めかして言ってみたいが、そもそも最近コーエンから、クララを気に掛けるようなアプローチもない。クララが堕ちたことで、もう必要性がないとでも思ったのだろうか。
(わたしのことを管理したいなら、安心なんてしないでよね)
心の中であっかんべーをしながら、クララは不敵に笑う。
コーエンは思い通りにならないことが余程歯痒いのだろうか。眉間に皺を寄せ、パクパクと口を開け閉めしている。
対するフリードは呆気にとられたような表情を浮かべているものの、事態を面白がっているようにも見えた。
「それじゃぁ行ってきます」
満面の笑みを浮かべて、クララは手を振る。
フリードは姿の見えなくなったクララに笑顔で手を振り返すと、悔し気に震えているコーエンの肩をそっと叩いた。
フリードの宮殿の端にある、今は誰にも使われていない小部屋。クララは1日数回はこの部屋を訪れる。そして、その内の一回だけは時間が決まっていた。
「遅い!一体なにをしていた!」
扉を開けた瞬間、思った通りに声を荒げられ、クララはため息を吐く。
がっしりと筋肉の付いた長身に、眉間に深く刻まれた皺、けれど腕の中に小さくて愛らしい仔猫を大事に抱えた男性――――カールが目の前に立っていた。
これまでと変わらぬ威圧的な声に態度。けれど、最初の頃に感じていたような恐れはもう抱いていない。相変わらず大きい声だなぁ、と思う程度だ。
「なにって、当然お仕事です。わたしは内侍ですから」
「そうは言ってもこちらもおまえの仕事だ。俺が命令した、れっきとした仕事だろう」
カールはそう主張するなりムスッと唇を引き結んだ。
それは、クララの逢瀬の相手――――仔猫と出会ったあの日のこと。
「おまえ、この子を誰かが迎えに来ると思うか?」
お腹の一杯になった仔猫と戯れながら、カールが尋ねる。
太い指先がちょこちょこと空を舞い、動きに釣られた仔猫が軽いパンチをお見舞いする度、クララの胸がキュンと疼く。カール自身も先程からノックアウト寸前といった様子で、悶絶を繰り返している。観察対象が二つもあると中々に忙しいなぁ、とクララは微笑んだ。
「いえ。恐らくは来ないでしょう。親猫とはぐれたか――――あるいは、城の人間がこっそり飼っていた猫が子を生んで、意図的に置き去りにされたか……どちらかだと思うので」
「後者だとしたら許せん!見つけたらすぐに罷免し、罰を与えてやる!」
そう言ってカールは怒りで顔を真っ赤にし、拳をわななかせている。
「落ち着いてください。あくまで仮定の話ですよ」
クララがそう伝えても、カールは怒りが治まらないらしい。ふーふーと息を荒げている。
「…………ごめんなさい、前言撤回します。答えはきっと前者です。だって、城の中に捨てるなんてリスキーなこと、わたしならしませんもの。隠して王都に連れて行って、そこで捨てます」
「そうか。うむ……親とはぐれたなら仕方なかろう」
カールはそう言って、ようやく落ち着きを取り戻した。
なんとなくだが頭の固い人間――――もといカールの懐柔方法が見えてきた気がして、クララはほっとため息を吐く。饗宴の際、コーエンが回りくどい方法を取った理由を身を以て知った気がした。
「それで、この仔猫はこのままここにいて問題ないだろうか?」
どうやら彼にとってはこちらが本題だったらしい。クララはしばらく逡巡してから、真っ直ぐにカールを見つめた。
「あまり宜しくはないかと……。見れば生後間もないようですし、この辺は大型の鳥類も頻繁に見かけますから」
「……ならばどうするのが良いと思う?」
カールが全てを独断専行するタイプの人間だと思っていたクララは、思いのほか彼がクララの意見を聞こうとすることに戸惑ってしまう。
(それだけ、この子のことを大事に想ってるってことなんだろうけど)
ミャウ、と甘えるように仔猫がカールを見つめる。あまりの可愛さに頭を撫でてやりながら、クララはコホンと咳ばらいをした。
「それは当然、殿下がご自身の宮殿に連れ帰られるのが宜しいかと」
「俺の宮殿、だと?」
「はい。そうすれば好きな時に会うことができますし、可愛がれます。この子も殿下に懐いてますし」
「ふぅむ……」
カールは唇を尖らせ、顎に手を立てて唸った。
何か問題でもあるのだろうか?と考えたところで、クララはカールの普段と今のギャップを思い出す。
(殿下は威厳が全て、みたいなお人だものね)
クララのことは良く知らない人間だから『バレてしまったからには仕方がない』と思えたかもしれないが、彼が他の人間に対してもそんな風に思えるかは別問題だ。
(わたしは良いと思うんだけどなぁ、このギャップ)
彼の強さや厳しさ、規律を重んじるその様を尊敬し、従っている人間は多いだろう。けれど、彼の従者の中には少なからず、恐怖のみに支配された人間もいるはずだ。そんな人間が今の彼を見たら――――そのギャップに惹かれるのではないだろうか。
「よし、決めた!」
「はっ……なにをですか?」
「おまえ!」
「はい……っと、わたしですか?」
「そうだ、おまえだ。これからこの猫をフリードの宮殿で飼え!」
「えぇっ!?」
即座に返事をしなければ怒号が飛ぶと分かっていて、クララは必死でやり取りを返す。
(でも待って!わたしが宮殿でこの子を飼うって……)
フリードは相談すれば許可してくれるかもしれないが、今の段階で勝手に安請け合いをするわけにもいかない。
とはいえ、カールが決めたというからには、答えはイエスしかないのだろうと察しがついた。
「それから、飼うのはフリードの奴にバレぬよう、こっそりにしろ!バレたら俺が会いに行けなくなる」
「えっ、会いに来るんですか?」
「当たり前だろう!」
仔猫を小脇に抱えながら、カールはくわっと身を乗り出す。以前のクララならば、ただただ怖いと思っただろう。けれど今は、不思議と笑いすら漏れてきた。
かくして、コーエンやフリードには内緒の『仔猫の定時報告』という業務が、クララに加わってしまったのだった。
「わたしはフリード殿下の内侍ですから、そちらが優先になるのは当然でしょう?」
そうは言うものの、内侍というのは女官の一種だ。王族から命じられれば、主人が誰であっても従う義務がある。要は命令系統の問題だ。
「だったらおまえが俺の内侍になれば良いだろう?」
「無茶言わないでください!なんでわたしが殿下の内侍にならなきゃいけないんですか!」
ムスッと唇を尖らせながら、クララが反論すると、カールはグッと言葉を詰まらせた。
「それで?この子の様子は?」
「元気です。ミルクもたくさん飲んで、もうすぐ離乳食も始められるかと」
そう報告するものの、基本的にはクララが日中仔猫の面倒を見る時間はない。仔猫のためにクララ付きの侍女の一人を買収して専任飼育係とし、日々の報告を受けている。残念ながら、彼女はカールの恐怖を克服できなかったため、今ここにはいない。
「そうか。頑張って大きくなっているのだな」
普段は鋭いカールの眼光が、穏やかに丸くなっている。鼻先を擦り合わせ、嬉しそうに微笑まれては、クララも態度を軟化させるしかなかった。
「ですが、懸念事項が一つあります」
「むっ、なんだ?」
「先程、この定時報告のことがフリード殿下達にバレたんです。ですから、ここで飼育を続けていくのは将来的に難しくなるかと」
「バレたからなんだ!そんなこと、気にする必要なかろう?」
「フリード殿下が覗きに来るかもしれませんよ?良いんですか?敵に弱味を見せて」
「うっ……」
相変わらずカールとの会話はポンポンと熟考の時間なしに進んでいく。それはカールが実直で、言葉の裏の意味を勘繰る必要が無いからだろうと気づいたのは、割と最近になってからだ。
(コーエンとかフリード殿下はあんまり何考えてるか分からないし、色々と含みが多いから)
そう言う意味で言えば、カールと過ごす時間は疲労感が少なかった。
(しかし、元々は自分が『バレないように』って注文をつけた癖に)
カールはそのことをスッカリ忘れていたらしい。眉間に皺を寄せながら、うーーんと唸り声を上げた。
「…………仕方がない。ここはジェシカの奴に頼むか」
「ジェシカ?」
クララはカールの言葉をおうむ返しにしながら、ドクンと嫌な音を立てる胸を押さえた。
忘れもしない。それはコーエンの想い人の名前だ。
ジェシカがどこの誰なのか、どんな人なのか、クララは知らない。知ろうともしなかった。けれど、こんな所で話題に上るとは。
「こら、ジェシカ『殿下』だろう。あいつはああ見えても俺の妹だぞ」
「えぇっ!?」
クララは今度こそ、驚きを隠せなかった。
(――――ジェシカ殿下)
滅多に公の場に出てくることも、名前が話題に上ることも無い。けれど、思い返してみれば確かにクララはその名――――この国唯一の王女のことを聞いたことがあった。
(そうか……コーエンは王女様を…………)
王女とは人質とも成り得る重要な駒。そんな貴重な存在を一貴族が妻に望むことは容易くない。
余程武勲を上げたとか、名門であるとか、色々と必要とされる条件がある。
だからコーエンは、フリードを王太子とし、ジェシカを妻として迎え入れられるよう奮闘しているのだろう。
クララはようやく色んなことがストンと腑に落ちた気がした。
それと同時に、この恋が出口のない迷宮のように感じられる。
王女相手に勝ち目なんてとてもない。けれど、コーエンはきっとクララを放っておいてもくれない。愛するジェシカとの未来のために平気でクララを犠牲にするだろう――――。
「というかおまえがジェシカを知らぬはずが無かろう」
「えっ?すみません……お名前は存じ上げておりますが、面識はないもので」
「いや、そんなはずはない。ジェシカは先日の宴で―――――」
その時、バン!と音を立ててクララの背後にある扉が開いた。驚きに見開かれたカールの表情。
クララがビクリと身体を震わせながら振り向くと、そこにはコーエンとフリード、それからクララが買収した侍女が立っていた。
「噂をすれば」
カールは少しバツが悪そうに、唇をへの字に曲げている。
クララの身体から血の気が引いた。
(もしかしてサボってると思われた?だからこんな――――)
けれど、フリードは寧ろニコニコと微笑み、クララに向かって小さく手を振っている。ホッとするのも束の間、クララの手がグイッと強く引かれた。
「えっ」
「クララは――――クララは俺のものだ!」
コーエンはそう言って、あっという間にクララを部屋から連れ出してしまう。
呆気にとられた様子のカールを余所に、フリードは「行ってらっしゃい」と囁きながら、小さく微笑むのだった。
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