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【1章】王位継承戦と魅かれゆく心

敗北宣言

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「あら、どなたかと思えば。随分と久しぶりですね」

「……クララ、そう刺々しい態度を取ってくれるな。おまえが怒っていることは私も分かっているけれど」


 宴もたけなわといった頃合い。クララは儀礼官に声を掛けられ、宴の間へと来ていた。

 彼女の隣には緑色の瞳にダークグレーの髪の毛が特徴的な壮年男性が、困ったような表情で佇んでいる。この国の宰相であるワグナー・スカイフォール――――クララの父親だ。


「大事な愛娘の婚約を、本人の了承もなくほいほいと決めてしまったんですもの。怒って当然だと思います」


 クララは言葉に毒を仕込みながら、ニコリと微笑んだ。

 半ば騙し打ちで内侍として城に送られて以降、直接顔を合わせるのはこれが初めてになる。仲の良い親子だが――――いや、仲の良い親子だからこそ、許せないことがあった。


「お父様は、どれ程わたしが驚いたか……傷ついたのか、御存じですか?」

「――――すまない、クララ。殿下と陛下にどうしてもと頼まれては、私もその……断れなかったんだ」


 ワグナーは面目無さ気に眉を下げ、チラリと宴の席へ視線を遣った。

 主賓である使節たちのすぐ側。そこには王族のメンバーたちが列を連ねている。

 クララと面識がない、ワグナーと同年代位の男性は恐らく国王陛下で、その周りを3人の王妃たちと、カール、ヨハネスが固めている。王子二人の隣から一つ席を空けて、親族筋の貴族たちが座っているらしい。


「良いわよ、もう。仕事自体は充実しているし、正式な婚約というわけではないから」

「そう言ってくれると助かる。―――――仕事も、頑張っているようだね」


 近況報告の文は書いているものの、あまり仕事のことには触れていないので、フリードにでも聞いているのだろうか。そんなことをクララは思った。


「はい。お屋敷で退屈を弄ぶよりも、ずっと楽しく毎日を過ごしています。城の女性任用ポストの少なさが不思議なぐらいだわ」


 クララはここぞとばかりに、城で働く中で感じたことを話す。


(きっと、貴族の中にもわたしのような女性は多いはず。女性の視点って案外重視されるし)


 普通の人は小さな改善点に気づいたところで、滅多なことでは上まで声が届かない。けれどクララは違う。宰相の娘という己の身分を活かすなら今だ。


「そうだね。私もそう思う。だが、伝統というものは中々に崩すのが難しい。それは分かるね?」

「えぇ。ですが、声を上げなければ、検討すら始まりませんもの」


 歴史の古いこの国で、女性の王が即位したのはほんの数回。その間にも、男性王族が生まれないことで何度も跡継ぎ問題が発生しているというのに、国は男性優位の姿勢を中々変えようとはしない。


「おまえの考えは気に留めておこう。だけどクララ――――もしも王太子妃になれれば、お前自身の手でその想いを政に反映できるようになる。私が叶えるより、その方がずっと良いと思わないかい?」


 ワグナーはそう言ってチラリと娘の顔を窺った。


「そう。……そういう考え方もあるのね」


 先程レイチェルと王太子妃について応酬を繰り広げたばかりだったので、何やらバツが悪い。クララは小さくため息を吐きながら、俯いた。


「殿下とは仲良くしているのかい?彼は少し変わっているけど、優しい方だろう?クララとの相性も良いんじゃないかと思っていたんだ」


 ワグナーはそう言ってニコリと微笑んだ。
 どうやら彼は、娘がフリードの妃になることを案外本気で望んでいるらしい。


(お父様は権力を欲しがるようなタイプじゃないと思うんだけど)


 欲しいものはもう全て手に入れている。ワグナーはクララが子どもの頃からそう話していた。地位も名誉も富も、それ以上に大事な存在である家族も。必要な分だけ全部持っているから、自分は幸せなのだと、まるで口癖のように話していた。

 ならば、どうして彼がクララを王太子妃に推すのか。その想いを汲み取れないクララではない。子の幸せを願う親の願いを叶えるのは、娘の役割なのかもしれないと思った。


「お父様のおっしゃる通り、殿下は優しいわ。変わった方……というのはわたしには分からないけれど、誠実で穏やかな切れ者だと思ってる」


 クララはそう言って父親に微笑みかけた。エメラルドのイヤリングが微かに揺れる。ワグナーはおや、と首を傾げた。


「それは?殿下からの贈り物かい?」


 城に出仕する前のクララは、こんな宝石を持っていなかった。ワグナーはそれを覚えていたのだろう。


(さすが、お父様。目ざといわね)


 こっそりと舌を巻きながら、クララは首を横に振った。


「いえ、これはコーエンから贈られたもので……」


 名前を口にするだけでクララの心臓は簡単に高鳴る。父親に変な勘繰りをさせぬよう、平静を装わないといけないというのに、気を付けていても声が震えてしまう。

 そのとき、緩慢に流れていた音楽が途切れ、会場の明りが暗くなった。ハッ、と息を呑みながら、クララは真っ直ぐに前を向く。


(いよいよだ)


 クララはゴクリと唾を呑む。

 今回の仕事のクライマックス。その幕がいよいよ上がろうとしていた。

 舞台に照明が集まると、中央に長身の男性が二人。東洋風の着物をアレンジした裾の長い、ゆったりとした衣装に身を包み、身を低くして剣を構えている。クララの心臓がドキドキと激しく鳴り響いた。

 音楽が再び鳴り始めると同時に、男性二人が顔を上げた。フリードとコーエンだ。二人は緩慢に視線を絡めあうと、高く剣を掲げた。

 激しい動き。風を切るような鋭い音が、音楽の壁を超えて耳に届く。キィンと音を立てて二人の剣が激しく交わる。

 クララは祈るように手を組み剣舞を見つめる。瞬きする時間さえ惜しかった。




『宴の舞台で剣舞を披露しようと思うんだ』


 そうコーエンに打ち明けられた時、クララは驚いた。


『誰が?』

『俺とフリードの二人』


 コーエンはさも当たり前、と言った様子で己とフリードを指さした。
 フリードはニコニコと微笑みながら、コーエンの話を受け入れている。


『だけど、今から練習して間に合うの?それに剣舞って危ないんじゃ』

『大丈夫大丈夫。俺の剣の腕前見ただろ?フリードも俺やシリウスと同じぐらい腕が立つし。剣舞でなによりも大事なのは、息を合わせることだから』


 絶対的な自信があるのだろう。フリードはそう言って不敵に笑っている。


『舞台担当が楽団の手配だけで良いとこなしだなんて、そんなことはない。一国の王子が完璧な剣舞を披露する。それだけで相手に与える影響は大きいはずだ。【城に籠ってばっかの王子でこれなら、鍛えられた騎士たちはもっと腕が立つ】と、そう思ってくれる。いや、そう思うように仕向けたい。俺とフリードならそれができる』

『そういうわけだから、ボク達は練習に結構な時間を割かなきゃいけないんだ』


 申し訳なさそうにそう笑うフリードに、クララは笑って答えた。


『分かりました。他の準備の件はわたしに任せてください!絶対、絶対に成功させましょう』




 おかげでクララは、他の内侍たちよりも城内を駆け回り、準備に奔走することになってしまった。当然当初聞いていた通り、度々助け舟は出してもらったし、他の部署の人間まで使う形になったが、それでも大変だった。

 けれど、目の前の光景を見ながら、クララはそうして良かったと心から思う。

 使節を含め、宴の参加者皆が息を呑み、うっとりとした表情を浮かべている。まるで時間でも止まったみたいに、神やその使者を見つめるかのように、フリードとコーエンに感嘆の眼差しを向けているのだ。


(綺麗……)


 クララの心臓がギュッと切なく軋む。
 コーエンは先程、最後の打ち合わせの場でこう言った。


『クララ――――この宴に関するおまえの最後の仕事は、俺が舞う所をちゃんと見ること。その時だけ裏に迎えを寄こすから。絶対見ろよ』


 コーエンは知らないだろう。あんな一言で、クララの胸がキュっと甘くなること。いや、頭の良い彼のこと。寧ろ知っていて言っているのかもしれない。


(この舞がわたしだけのものだったら良かったのに)


 違うと分かっていて、そんなことを考えてしまうあたり重症だ。
 けれど、コーエンがクララだけを想って剣舞を披露してくれたら、どんなに幸せだっただろう。どうしてもそう思ってしまうのだ。

 最早、自分の気持ちに嘘は吐けそうにない。

 どんなに気持ちに蓋をしたところで、クララはコーエンのことばかりを見ている。考えている。触れられた時の心の高鳴りを反芻して、もっと触れてほしいと望んでしまっているのだ。

 舞台の上、舞はクライマックスを迎えようとしている。激しい足捌きに剣が宙を舞う。

 その刹那、コーエンとクララの視線が絡んだ。

 まるで心臓が止まったかのようだった。呼吸すらも忘れ、指先だって動かせない。心を鷲掴みにされた。されてしまった。

 遠く離れているのに、コーエンの息遣いが聴こえてくる。上気した頬と、何か熱いものを秘めた瞳。クララを見て、嬉しそうに弧を描く薄い唇。どうしようもなく心を乱されて、クララは思わずその場にしゃがみ込んだ。


「クララ?」


 ワグナーがビックリしてクララを覗き込む。


(無理……とても勝てそうな気がしない)


 胸を押さえて蹲りながら、クララは心の中で白旗を振ることしかできなかった。
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