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【1章】王位継承戦と魅かれゆく心

前言撤回

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 隣の席から聞こえる盛大なため息。パタパタと扇を開いたり閉じたりする音。


(そんなことしなくたって、あなたが退屈していることなど皆分かっているのに)


 それを隠そうともしない子どもっぽさに、今度はクララからため息が漏れる。


「あら、如何したの?宴の席に呼ばれなかったのがそんなに不満?」


 尋ねてきたのは第2王子、ヨハネスの内侍であるレイチェルだった。尊大に胸を逸らし、何やら勝ち誇ったような笑みを浮かべているのが腹立たしい。

 それはあなたの方でしょう?という言葉をグッと呑み込んで、クララは余所行きの笑顔を向けた。


「いえ、首尾良く宴が進んでいるか気がかりだったのです。申し訳ございません。このような場に不似合いな行動を取ってしまって」


 深々と礼をしながら、クララはレイチェルには見えぬよう舌を出した。頭の回転は早そうな令嬢だから、きっとクララの嫌味を敏感に感じ取ってくれるだろう。そう期待した。


「それよりあなた、折角の宴の席なのに止めてくれる?その辛気臭い表情。着こなしも地味だし、こっちまで気分が下がってしまうわ」


 レイチェルはそう言って、クララの反対側に列しているイゾーレへと矛先を変えた。

 嫌味は理解できても、己の行動を否定することも、応酬することもプライドが許さないらしい。代わりにイゾーレを標的にするあたりが子どもっぽい。


(わたしもだけど、この人ってつくづく良い性格してるわね)


 心の中でため息を吐きながら、クララは唇を尖らせた。


「私は普段と変わりません。これ以上テンションを上げろと言われても、土台無理なお話です」


 氷の如き冷たさで、イゾーレは淡々と答える。クララは『さすが』と拍手を贈りたくなった。


「それに、他人の様子に引き摺られて、己のテンションも調節できないようでは、王太子妃を務めることなどできないのではございませんか?」

「んなっ……!」


 何とも強烈な言葉のボディーブローが決まった。

 周囲にブリザードが吹きすさぶようなイゾーレに対し、レイチェルは烈火のごとく頬を紅く染め、怒りを露にしている。ダメだと分かっているのに、クララは思わず声を上げて笑ってしまう。

 すぐにレイチェルは鋭くクララを睨みつけたが、寸でのところで己を律したらしい。ふいと顔を背けながら、ふらりと立ち上がった。


(あら、残念。この場にとってもそぐわない罵倒が聞けると思ったのに)


 そんなことを考えるあたり、クララは結構図太い性格をしている。案外王宮でもうまくやっていけるタイプなのかもしれない等と思った。


「――――――衣装の件、ありがとうございました」

「え?」


 唐突にそんな言葉が聞こえ、クララは顔を向ける。声の主はイゾーレだった。
 相変わらず無表情のままだが、真っ直ぐにクララを見つめている。


「カール殿下と私だけでは、本当に面白みも飾り気もない、そんな宴になるところでした」

「いえ……わたしは何も」


 まさかイゾーレがそんなことを言ってくるとは、クララは思ってもみなかった。余計なことを、と冷たくあしらわれるか、何の反応もないかのどちらかだと思っていたからだ。


「こういうとき、私はどのように振る舞うのが正解なのか分かりません。以前夜会に出席した時、誰も私に寄り付こうともしませんでした。それ以降、そういった席からどんどん足が遠のいて、何が好ましい状況なのかも分からないのです」

「えっと……そうなんですねぇ」


 イゾーレは大層美しい少女だ。雪のような真っ白い肌、彫刻のように美しい目鼻立ちに、深みのある青の瞳。その美しさに大将の娘という身分が加わって、彼女は正に高嶺の花。軽々しく近寄れる人間はそういない。

 おまけに、勇気を出して話し掛けたとしても、氷の如き冷たさであしらわれてしまうのだ。会話が続けられる人間はもっと限定されてしまうだろう。


(うーーん、なんと声を掛けてあげるべきなんだろう)


 イゾーレに社交性がないことは事実だ。それを『そんなことないよ』と言うのも違うし、かといって事実を教えてあげることも少し憚られる。クララはこっそりと頭を悩ませた。


「スカイフォール様」

「はっ……はい、何でしょう?」


 イゾーレに話し掛けられるたび、クララは何だかビクリと身構えてしまう。最近顔を合わせるのがカールの側だったせいで、威圧感がインプットされてしまったのかもしれない。何となくイゾーレに申し訳なく思った。


「たまにで構いません。私と話をする機会を設けてはいただけないでしょうか?」

「へ?」


 クララは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 話をする機会、とは?とクララは今しがたイゾーレが口にした意味を紐解いていく。

 見ればイゾーレは、普段は雪の彫刻のようなその顔を、ほんのりと紅く染めていた。唇をギザギザに引き結び、少し不安げにこちらを見上げている。


(かっ……可愛い!)


 思わぬギャップに、クララは眩暈がした。

 もしかするとイゾーレは感情表現が苦手なだけなのかもしれない。そんな風に考えれば、これまで彼女から受けた数々の言動も、何だか可愛く感じられる。


「もちろん。私の方こそよろしくね、メンゼル様――――――じゃなくて、イゾーレって呼んでも良い?」


 クララがそう言うと、イゾーレはコクコクと首が痛くなりそうな程、力強く頷いた。

 この城に来て初めてできた友人第一号。何だかとても嬉しくなって、クララは微笑む。

 すると、何処からともなくレイチェルが戻って来た。ふんと鼻を鳴らし、クララたちを睨みつける。


「呆れた……。私たちは王太子妃の座を争うライバルだというのに、悠長にお友達ごっこをなさるだなんて」


 あからさまな嘲笑。クララは心の中でため息を吐いた。


「私は殿下が王位に就かれるのをお手伝いしたいだけです。王太子妃の位が欲しいわけではございません」


 そう口にしたのはイゾーレだった。無表情に見えるが、その瞳には静かな炎が宿っている。先程までなら気づかなかったであろう小さな変化だ。


「王太子妃の位に興味がない?そんなバカなこと、信じられるわけがないでしょう?――――――私はね、あの3人のうち、誰が王太子になったってかまわないの。王太子の座を手にした誰かの妃になって、この国一番の女になる。それが私の大望。生きる理由なのよ」


 レイチェルはそう言って、誇らしげにドレスの裾を翻す。野望に燃えた瞳。愚かとも思えるような大それた夢。けれど、それをハッキリと口に出せるあたり、この女性は強いのかもしれない。

 夢や想いなんて、表明しなければいくらでも逃げ道がある。本気じゃなかったからと言い訳をし、周りからも後ろ指を指されずに済む。レイチェルはその道を己で断った。


(思ったよりもわたし、この方が嫌いじゃないかもしれない)


 言い方はきついし、傍から見ればどうかと思う部分もあるが、レイチェルの行動は一本筋が通っている。彼女なりの理念に基づいたものなのだと知った。

 互いにこんな立場じゃなかったならば、或いは仲良くなれたかもしれない。


「現に私は、ヨハンだけじゃなくて、フリード殿下を手中に収めているの」

(なに?)


 人が態度を軟化していれば、聞き捨てならないセリフが聞こえた。クララが無言で凄むと、レイチェルは胸元をそっと指さす。


「見てよ、このブローチ。フリード殿下からの贈り物なのよ」

「へーーーーーー、そうなんですね?」


 前言撤回。

 この女は煽り属性の厄介な女だ。クララは眉間に皺を寄せた。


「ふふ、あなたじゃ頼りにならないから、自分が王太子の位を得たら、私を妃にしてくださるんですって。素敵よね」


 うっとりと目を細めて微笑むレイチェルに、クララは満面の笑みを浮かべる。


(妃にはなりたくないと言ったのはわたし。わたしなんだけれども……!)


 きっと、そんなことを言ったって、レイチェルには負け惜しみにしか聞こえないだろう。

 クララはレイチェルほど、人より優位に立ちたいとは思わない。勝って優越感に浸りたい等とは思わないタイプだ。
 が。


(なんか、この女には負けたくない……)


 ふつふつと湧き上がる黒い感情。それはきっと、好ましくないものであり、これまでクララが極力避けてきたものだ。けれど、相手がこんな状態なのだ。たまにはクララも、誰かにぶつかって良いのではなかろうか?


「まぁ、奇遇ですね。わたしのこの髪飾り、ヨハネス殿下からいただいたものですのよ?」


 クララはニコリと微笑みながら、そっと背中を指さす。


「なっ、何ですって!?」


 するとレイチェルは、分かりやすく怒りの感情を露にし、クララの側へ駆け寄った。


「わたしは断ったのですが、殿下御自らその場で着けられてしまったものですから……。自分では外せませんし、お仕えする殿下以外の男性からの戴きもの。どうしたものかと困っておりました。でも、スチュアート様もフリード殿下からブローチを貰われていますし、わたしも素直に受け取って良いのかもしれませんね」


 これは見栄っ張りでも何でもない、本当の話で。

 先程、儀礼官との打ち合わせにクララが奔走していた際、呼び止められたヨハネスに無理やりプレゼントをされたのだ。


(『綺麗な髪がこれ以上乱れないように』なんて言ってたけど)


 そんなものを持ち歩いている辺り、ヨハネスの女癖が悪いのは本当らしい。どんな髪飾りが贈られたのかも見えないが、クララはそんなことを思った。


「まぁ……見事なピンクダイヤですこと」


 そう声を上げたのは、意外なことにイゾーレだった。

 着けられた瞬間、ずっしりと重く、結構大きな石なのではないか。そんな想像はしていたのだが、まさかダイヤだったとは。


「わっ……私だってハンスから石を戴いているわ」


 そう言ってレイチェルは小刻みに肩を震わせながら、顔を真っ赤にしている。

 じゃぁどれよ?と尋ねるのは野暮だろう。レイチェルはあれこれとジュエリーを身に着けているが、今日の主役はブローチにすると決めたのだろう。他は引き合いに出すのが憚られる、小さな宝石ばかりだ。


「それに、あなたはフリード殿下から宝石を戴いていないでしょう?」

「戴いてるわよ」


 まるで勝ち誇ったかのように口にするレイチェルに、クララはピシャリと言い放つ。


(コーエン……ごめん。本当にごめん)


 心の中で謝罪の言葉を述べながら、クララはそっと耳元で揺れるイヤリングを指さした。


「だってこのイヤリング、殿下からの贈り物だもの」


 先程までは罪悪感に苛まれていたのに、口にしてしまえば、案外そんな気持ちは薄れていく。


(そうよ……だってこれは、私をここに縫い留めるためのジュエリーだもの。実際の贈り主は殿下かもしれないし、殿下から貰ったも同義じゃない?)


 沸々と湧き上がる様々な感情を胸に、クララは凛と笑ったのだった。
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