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【1章】王位継承戦と魅かれゆく心

ユラユラ揺れ動く

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(やばい……忙しすぎて目が回りそう)


 クララは城内を走り回りながら、額の汗を拭った。

 目まぐるしく日々は過ぎ、今日はもう使節を迎えての宴の当日だ。

 事前にしっかり打ち合わせをしていたとはいえ、イレギュラーな出来事はどうしても起こる。あちこち伝令に走り回る必要があるため、クララは朝から休む暇もなかった。


(まぁ、おかげで無駄なこと考えなくて済むんだけど)


 ヨハネス率いる食事の儀礼担当班に書類を引き渡しながら、クララは自虐的に笑った。

 コーエンと一緒に王都に出掛けた日以降も、クララとコーエンの関係は何も変わっていない。

 執務室で会えば普通に会話を交わすし、時に思わせぶりな言葉を掛けられる。ただ、それだけ。
 イヤリングを贈られた意味も、口付けの意味も、クララから何かを問いかけることも無い。


(だって、聞かなくたって分かるもの)


 聞けばコーエンは、きっと好きだとは言わない。そのかわり、そこに特別な感情があると匂わせるかもしれない。その方がクララを夢中にさせられる。舞い上がって真実を見せないようにできるから。

 けれど、上辺だけの言葉も見せかけの感情も、クララは求めていなかった。

 優しくされて、触れられて、その場では嬉しく思ったとしても、後から冷静になって自分を宥めなければならない。そこに特別な何かを期待してはいけない。そうでないと、全てが終わった時に、今より激しく傷つくのはクララだ。

 だからあの夜は、何でもない振りをして、イヤリングの礼だけを言って別れた。

 翌日、クララがイヤリングを身に着けずに出勤した時、コーエンは何か言いたげな顔をしていた。『なんで着けていないんだ』とでも言いた気な表情。けれど、結局口にはしなかった。


(あんなもの、着けられるわけないじゃない)


 コーエンがくれたのは、普段使いするには華美なイヤリングだった。親指ほどの大きさを誇るエメラルドに、周りを彩るダイヤモンド。相当高価な品であることは子どもでも理解できる。同僚相手に気軽に贈っていい代物ではない。ましてや休日出勤のお礼には不釣り合いである。

 それに、あのイヤリングを見ると、嫌でもあの日の口付けが甦ってしまう。温もりを、感触を、唇にリアルに思い出してしまうのだ。


(本当は返してしまいたいのだけど)


 下手に突き返せば、コーエンは更なる策を立てるだろう。

 クララを本気で王太子争いに立ち向かわせるため、この場に縫い留めるために、他の手を考えるはずだ。それがコーエンやフリードによる色恋管理なのか、はたまた別の手段によるものかは分からないけれど。

 それならば、今は彼の術中に嵌っている振りをした方が良い。そちらの方が余程、互いのためになる。


「お疲れ。あっちは大丈夫そうだったか?」


 宴の会場側に設けられたフリードの臨時執務室に戻ると、コーエンがクララに声を掛ける。


「えぇ。問題なさそうよ」

「よしっ。これであとは本番を迎えるだけだな」


 コーエンは満足そうに微笑みながら、フリードと顔を見合わせた。
 クララはホッと胸を撫でおろすと、ソファに腰を下ろした。さすがに疲労感が大きい。少しぐらい休憩をさせてほしかった。


「お疲れのところごめんね。一応最後に、宴の最中のクララの動きの確認だけさせて貰っても良いかな?」


 フリードがニコニコと微笑みながら、クララの前に腰掛ける。


「あっ、はい。確かわたしは、基本的に他の内侍と一緒に詰め所に待機するんですよね?」

「そうだよ。使節たちの出迎えと見送りの際に顔を出してもらうけど、宴の最中は裏で待機してて。何かあった時に責任者として対応してもらうことがあるかもしれないけど、基本的には儀礼官たちが対応できるから」


 饗宴は女人禁制というわけではないものの、王家の女性だけが列席する決まりになっているらしい。このため、クララたち内侍は裏方として待機をすることになっている。

 レイチェルなどはこの扱いに不満を抱いていたらしいが、婚約が正式なものでないことから、最終的には諦めたようだ。


(長かった……!けど、この仕事ももう、殆ど終わったも同然ね)


 宴に参加するフリードとコーエンとは異なり、クララの役目はここまでだ。感慨深さにため息を吐きながらクララは笑顔を浮かべた。


「クララ……これまで今日のために沢山動いてくれてありがとう。あとは、宴の成功を祈ってて」


 フリードはクララの手を握り、優しく微笑む。

 綺麗なダークブルーの瞳に中性的な美しい顔。分かりやすく素直な優しさ。どうせなら、フリードの方を好きになればよかったのに。そんな野暮な考えが頭に浮かぶ。


「は……」

「残念だけど、クララにはまだもう一つ、大事な仕事が残ってるよ」


 その時、コーエンが口を挟んだ。コーエンはクララの側まで歩み寄ると、じっとある一点を見つめている。


「仕事?」


 クララは尋ねながら、コーエンの視線の先を辿る。それと時を同じくして、クララの耳たぶをザラリとした感触が襲った。ふにふにと確かめるように触れてきたそれは、手袋を嵌めたコーエンの指らしい。


(気にしない。もう揺さぶられないんだから)


 ついつい騒ぎ出しそうな心臓を抑えつけて、クララは気丈に振る舞う。声に出さず「なに?」と尋ねると、コーエンは眉間に皺を寄せながらため息を吐いた。


「クララ、俺が贈ったイヤリング出して。持ってきてるだろ?」


 クララの質問には答えないまま、コーエンはそう囁く。


(なっ……なんで知ってるの!)

 思わずそう叫びそうになって、クララは必死に言葉を飲み込む。

 実際に身に着けてはいないものの、クララはコーエンから貰ったイヤリングを持ち歩いていた。

 部屋に置いてくるのも忍びなかったし、なにより今日は宴の場。コーエンの立てた方策により、騎士たちや儀礼官たちは皆、コンセプトを同にした衣装を身に着け、着飾っている。班や役職ごとに衣装を分けたため、クララが今身に着けているドレスは、イゾーレやレイチェルと揃いのものだ。

 けれど、ドレスを揃えるだけでは味気ない。ジュエリーや髪飾りの類は自由に身に着けてよいことになっていた。

 普段はそういったものを身に着けないクララも、さすがにいつものままでは場にそぐわない。そういうわけで、今日はネックレスや髪飾りを身に着けているのだが、イヤリングだけはどうしても着けることが出来ずにいたのだ。


「……うーーん、やっぱり耳元が寂しい?着けた方が良いかしら?」


 あくまでオシャレの一環、バランスを考えて身に着けていない。そう聞こえるよう、クララは何気ない風を装ってイヤリングを取り出す。


「寂しいとか寂しくないとかはどうでも良い」


 コーエンはイヤリングを半ば奪い取るようにすると、再びクララの耳たぶに触れた。


「ただ、俺が着けててほしい。それだけだ」


 あの日と同じように、イヤリングの金具とコーエンの指先が、クララの心を乱していく。コーエンの青い瞳の中に、恋慕の情が、独占欲が見えるような気がして、クララはそっと目を逸らす。

 口付けの感触が、あの日感じた想いが鮮明に甦り、頬が、耳が、唇が熱い。

 チラリとコーエンを見ると、二人の視線が一瞬だけ交わる。それだけで、まるで今、新たに口付けをされたかのような錯覚がクララを襲った。


(もう揺れない……揺れてたまるか)


 クララは、心のなかで必死にそう呟く。

 けれど、コーエンが着け終えたイヤリングは、まるでクララの心を表すように、ユラユラと激しく揺れ動いていた。
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